諏訪春雄通信113
アジア文化研究プロジェクトへようこそ。
勤労感謝の日をあいだにはさんだ連休の三日間、好天にめぐまれ、毎日、テニスをしてすごしました。折から帰国していた上の娘の夫をまじえた8人前後の仲間でしたが、三日間、皆出勤は4名、そのなかには、テニス好きの婿もいました。ところがアメリカではあまりスポーツをする機会のない彼は帰途の航空機のなかで足を腫らしてうごけなくなってしまったそうです。
ふだん、休みごとにテニスをしている、しかし彼よりははるかに年輩のほかの3名は、私もふくめて何ともなかったのですから、長時間の機内という悪条件を考慮しても、日常の適度な運動がいかにたいせつかが、よくわかりました。
テニスは「あしニス」といわれるくらいに足をつかいます。さいわいに私はまだ足がうごきますから、攻撃的なテニスができますが、足がおそくなると守りのテニスになります。つないで相手のミスを待つテニスです。それはそれで有効な戦法であって、けっこう楽しいのですが。
しかし、私は、テニスはもとより、学問でも可能なかぎり攻撃的、積極的でありたいと願っています。
「GYROS」の準備が着々とすすんでいます。月刊誌の刊行は、その出版社の命運を決定するほどの大きな企画です。それだけに準備は慎重でなければならず、やるべきことは多いのです。雑誌の内容、外形などについての慎重な議論は当然ですが、もっともたいせつなことは、その雑誌が売れるかどうかです。そのために営業部が中心になって、書店をまわって反応をみなければなりません。
内容面は私の責任ですので、特集企画と執筆者の選定に全能力をかたむけることになります。前回の通信では「国文学は自己変革できるか」という特集の企画のねらいを紹介しましたので、もう一つの特集企画「沖縄のやさしさが日本を救う」のねらいを紹介します。
「沖縄は悲しい土地である。第二次世界大戦の終末期、アメリカは54万人の兵力を沖縄戦に投入した。迎えうつ日本軍は5分の1の12万。しかも3分の1は現地沖縄で非常召集された補充兵力である。日本軍は兵力の劣勢をおぎなうために老若婦女子、生徒までを戦力として動員した。沖縄戦での日本側犠牲者は20万人の多数におよんだ。その多くは非戦闘員であり、いたましい集団自決が各地でおこった。ひめゆりの塔の悲劇である。
明治12年〈1879〉、日本政府は、軍隊、警察を動員して首里城を占拠、沖縄県の設置を強行した。このとき、500年続いた琉球王国は崩壊したが、それ以前も以後も、日本、中国、アメリカなどの国益にふりまわされてきた沖縄であった。
毒性のあるソテツを食糧としなければならなかったソテツ地獄に象徴される島民の生活の窮迫は、日本に帰属した近代の沖縄におこっている。移民、出稼ぎ、子女の身売りは大正、昭和の現実であった。そして戦後の長い米軍による統治。
しかし、沖縄はやさしい土地である。美しい海と島々の風景。あくまでも温かい島民の人情。そして、大陸からの文化と、黒潮にのって北上した文化を保存する沖縄は、すでに本土日本ではうしなわれた古い文化の宝庫でもある。
沖縄のやさしさは、これまでも日本を救ってきたが、今後も日本の救済者でありつづける。贖罪の念をこめながら沖縄の全容をただしく認識することが、日本の将来像構築の重要な指針となる。」
沖縄へは何度も旅行しました。清明な空気と美しい風景にひたりながら、本土日本はこの沖縄の犠牲のうえに、自分たちの歴史を築いてきたのではないか、という思いをしばしばいだかされました。そんな負い目の気持ちに捌け口をあたえるためにこの特集を企画しました。
〈質問〉日本の王権神話にはアマテラスとならんでもう一柱タカミムスヒが重要な役割をおびて登場しています。タカミムスヒの本質、アマテラスとの関係について知りたいのですが……。
これまでアマテラスを中心にかんがえてきましたが、日本の王権神話には、もう一柱、アマテラスに匹敵する権威をもつ神としてタカミムスヒが登場してきます。『古事記』でのタカミムスヒは、冒頭の天地初発のときにアメノミナカヌシについで高天原に化成します。天神のなかでも特別重要な神の「別天神」として位置づけられ、独り神として身をかくしたとありますが、のちにアメワカヒコ神話、国譲り神話、天孫降臨神話、神武東征神話に、アマテラスとともに司令神として登場してきます。また、アメワカヒコ神話でアメワカヒコに返し矢を下す場面からのちは高木(大)神という別名で登場します。この別名が重要な意味をもつことについてはのちにくわしくのべます。
『日本書紀』では、タカミムスヒは、冒頭の巻第一の天地開闢神話の一書四に高天原においでになる神として登場しています。アメワカヒコ神話以下国譲り神話までは、本文では一貫して皇祖タカミムスヒ一神を司令神としていて、アマテラスは登場してきません。ただし一書になると、一はアマテラス、二は前半がタカミムスヒ、後半がアマテラス、四と六はタカミムスヒとそれぞれに司令神を異にしています。また『先代旧事本紀』は、『日本書紀』本文と同様に国譲り以下の神話で司令神としてあらわれ、『古語拾遺』では『古事記』と同様にアマテラスとともに司令神の役割をはたしています。
つまり、これらの四文献にあらわれる最高司令神は、アマテラス・タカミムスヒ併記型(古事記、古語拾遺)、タカミムスヒ型(日本書紀、先代旧事本紀)、アマテラス型(日本書紀)の三つのタイプがあったことになります。
アマテラスとタカミムスヒの関係には、日本古代史の重大な問題がかくされています。したがってこれまで多くの神話学者や歴史学者、民族学者が両神の関係について論じています。ここではその代表的な説についてみておきます。
まず岡 正雄氏の「日本民族文化の形成」(『図説日本文化史大系1 縄文・弥生・古墳時代』小学館、1956年)です。
天神タカミムスヒが孫を山の峰に降下させて地上を統治させるという、山上降下をモチーフとする神話は、古朝鮮の檀君神話をはじめとする、朝鮮古代国家の起源神話と同一系統に属する。アマテラスは、タカミムスヒとは元来異系統の神話に属する神で、天の岩戸隠れと類似する話が、南シナの苗族、アッサムのカーシ族、ナガ族にもあり、またオーストロアジア語系のクメールその他にも分布している。この皇室神話の二元性は、日本列島における種族混合の結果であって、タカミムスヒを主神とする皇室族が日本列島に來入し、アマテラスを主神とする先住の母系的種族と通婚するに至った結果生まれた。
アマテラスは先住種族の神であり、そこへ皇室族が奉じるタカミムスヒの信仰が入ってきて、両者が混合したという考えです。
つぎは松前 健氏の「鎮魂祭の原像と形成」(『日本祭祀研究集成一』名著出版、1978年)です。
タカミムスビ(ママ)は皇室固有の神で、その原型は、田の側に立てられた神木をヨリシロとした農耕神である。
天照大神の崇拝および神話は、伊勢のローカルな太陽神だったこの神を、政治的な政策によって宮廷がパンテオンに取りこみ、皇祖神に仕立てあげたことになる。
タカミムスヒを神木をヨリシロとした農耕神とすることはおもしろい見方ですが、のちにのべるように、私の考えはこれと一見似ていて、しかし大きく異なります。
もう一説、岡田精司氏の『古代王権の祭祀と神話』(塙書房、1970年)から引用します。
天皇家の守護神である古い太陽神は、もともと男性神であるタカミムスヒであった。五世紀後半雄略天皇の時に、守護神の祭場を河内・大和地方から伊勢に移した。これが伊勢神宮の成立である。六世紀の早い時期、タカミムスヒに仕える巫女=斎王は、神格化して日神タカミムスヒと並んでまつられるようになっていた。推古天皇の頃、巫女神=日女神(ひるめのかみ、アマテラス)は、日神と並ぶ存在にまで高められた。天武朝に伊勢神宮の祭祀に大変改が加えられ、ヒルメの神と古い日神の併祭をやめて、ヒルメの神のみを、単独に太陽神として祭ることが決定された。
岡田氏独自の見方を展開していますが、アマテラスをタカミムスヒにつかえた巫女とするなど、私には納得できない説です。
まだこの問題を論じている学者は数多くいますが、代表的な説は以上の三つです。ここで整理しておきます。
天皇家の本来の守護神がタカミムスヒであったという点は三氏一致している。
タカミムスヒの本質について、男性神とする点は三氏一致するが、その先で、太陽神(岡田説、松前説)、神木をヨリシロとする農耕神(松前説)、朝鮮古代の起源神話と同一系統神(岡説)などにわかれる。
アマテラスについては、先住母系的種族の主神(岡説)、伊勢地方のローカルな太陽神(松前説)、タァミムスヒにつかえる巫女を神格化した神(岡田説)とわかれる。
これらの説がみとめられるなら、これまで私が主張してきた、アマテラスは中国の南方少数民族社会に起源する女神=太陽神=稲魂という説は成立しなくなります。
ここでもう一人、このタカミムスヒとアマテラスの関係ととりくんできた溝口睦子氏の説を検討してみましょう。溝口氏は、2000年12月にその成果をまとめた『王権神話の二元構造―タカミムスヒとアマテラスー』(吉川弘文館)を刊行されました。タカミムスヒについての現時点でもっともすぐれた研究書です。こまかな考証をぬきにして、まず、氏の結論だけをつぎにぬきだします。
【タカミムスヒの特質】
天上界の主神。皇室の先祖神に地上世界の統治を命じた神。皇室の血統上の先祖神。初代天皇神武の建国事業を扶けそれを成功に導いた神。イザナギ・イザナミ系神話群とは別系の神話体系に属する神。日・月神の祖で、かつ天地を鋳造したとする伝承をもつ。
【アマテラスの特質】
地上世界でイザナギ・イザナミから生まれ、天上界へ送られる。女性の太陽神。きょうだい神にツクヨミ(月神)とスサノヲがあり、スサノヲとは神話上とりわけ深い繋がりがある。ウケヒ神話と、天の岩屋戸神話がその固有の神話である。旧名は「オオヒルメ」、最高神に昇格すると同時に「天照大神」となる。
配慮のゆきとどいた本質把握ですが、タカミムスヒが本来アマテラスとは別系の神という考えには反対です。さらに氏はつぎのように見解を展示しますが、これらについても私には異論があります。
A…アマテラスは、皇祖神以前の段階においても、けっして伊勢地方の一隅でひっそり祭られた単なる一地方神であったのではなく、列島規模の広範囲な人びとに知られた土着文化の中核を担う存在であった。
B…アマテラスの前身はけっして巫女ではない。アマテラスは最初から太陽を擬人化して女性として捉えた女性太陽神である。
C…タカミムスヒにみられる天の至高神の観念や、その至高神が天降って建国するという、支配者の起源を天に求める王権思想は、日本がヤマト王権成立当初、新たに朝鮮半島から取り入れた、当時の東アジアにおける普遍思想・先進思想であった。
D…7世紀から8世紀にかけての宮廷でタカミムスヒからアマテラスへという、皇祖神の移行、転換がおこなわれた。この時期、統一の達成という課題にとりくんだ為政者が、皇室と一体であった伴造系の人びとが信奉していたタカミムスヒではなく、古くから広く人びとに親しまれてきた縄文・弥生以来の土着の太陽信仰であるアマテラスを国家神の中心にすえたためである。
AとBには大いに賛意を表しますが、タカミムスヒとアマテラスをまったくの別系統の信仰体系に属するというCとDには疑問を感じます。
朝鮮古代神話研究で先導者の役割をはたしたのは三品彰英氏でした。氏は、朝鮮古代の王権であった新羅の始祖赫居世、高句麗の始祖朱蒙、加羅の始祖首露などの誕生神話を分析し、わが国の天孫降臨神話との類似性を解明した画期的な業績をあげました。同氏の論文集の第五巻『古代祭政と穀霊信仰』(平凡社、1973年)におさめられた一連の論文をとおしてあきらかにしたことは、朝鮮古代王国の始祖神話は穀霊(稲魂)信仰の産物であり始祖は穀童として形象されていること、彼らは天帝の子すなわち日の御子であること、の二点であり、その二つの根拠から、古代朝鮮の神話が日本のホノニニギ降臨神話の源流になっていると主張しました。
このような考えはすでに定説として天孫降臨神話研究にうけいれられています。この考えと比較したとき、溝口説は、ホノニニギ神話を切り離し、タカミムスヒの神話だけに焦点をあてて古代朝鮮神話との類似を強調しています。ホノニニギはあきらかに穀童(穀霊)です。タカミムスヒの神話はこのホノニニギ神話の稲魂信仰とセットになって、日本の天孫降臨神話に登場してくることの意味が問われなければなりません。
このあたりの溝口説の論理の進展をさらに整理してみましょう(『王権神話の二元構造―タカミムスヒとアマテラスー』181頁〜182頁)。
ア 遊牧民族の王権は天帝の子(=太陽神)の天下りを権威のより所としている。
イ 朝鮮半島の古代王国もその思想をとりいれて、同じく天帝(=太陽神)の子の天下りによる建国を、国の統一の思想的基盤としていた。
ウ 日本の建国神話である天孫降臨は朝鮮古代神話と類似している。したがって、日本の古代王権も、朝鮮の古代王権同様、北方アルタイ・ツングース系遊牧民族の建国神話をとりいれた可能性が高い。
この三つの論旨は、個々の論理には問題はありません。女性が日光に感じて妊娠し太陽神の子を生むという日光感精型の始祖伝承が満蒙諸国や朝鮮の高句麗の建国神話にみられるという事実(『神話と文化史 三品彰英論文集 第三巻』平凡社、第三巻)をもってもアとイの妥当性は承認されるし、前章で大林太良氏の説を引用して説明したようにウもまたみとめられます。
しかし、前章後半であきらかにしたように、注意しなければならないことは、北方遊牧民族の王権神話には穀霊という要素はないのに、古代朝鮮の建国神話にはそれがあり、また、日本のホノニニギ神話やそれとむすびついたタカミムスヒ神話にも穀霊信仰が重要な構成要素として存在することです。
朝鮮で高句麗や百済を建国した夫余族はツングース系の遊牧民族でした。したがって彼らがツングース系の王権神話を保持していたのは当然です。しかし、この遊牧民族は、朝鮮で建国したときに、半農半牧畜民族に変わっていました。中国南部から稲作を中心とした農耕文化をとりいれて生業構造が大きく変化していました。その過程のなかで、中国南部の太陽信仰や稲魂信仰をも摂取したのです。古代朝鮮建国神話では、太陽信仰が北方満蒙諸民族のように単独であらわれるのではなく、稲魂信仰とセットになってあらわれているのはそのためです。
タカミムスヒ神話もアマテラス神話もこれまでいわれてきたように、北方遊牧民族神話や朝鮮古代建国神話からの一元的な影響では説明できません。
タカミムスヒ神話とアマテラス神話はもともと一つに結合した信仰でした。
タカミムスヒは『古事記』では高木神の別名でも登場してきます。しかも、この神が主として活躍するのは天孫降臨神話や神武東征説話です。つまり、天と地をむすぶ神としての性格がつよく、天地往来の宇宙木としての本質をもっていました。
前章で紹介したヤオ族の水仙姫の神話では、天地の交通が自由であったときに樹木がその交通路の一つでした。これはタカミムスヒの本質に通じます。さらに、中国南部の少数民族社会では、樹木の信仰が、太陽信仰、稲魂信仰、女神信仰、祖神信仰と結びついていました。
これまでたびたびトン族の祖先の神である薩歳についてふれてきました。日本のアマテラスときわめてよく似た性格をもっている神です。この神がまた樹木として表現されてもいます。
トン族の部落にかならず存在する薩歳の祭壇である聖母壇には御神体として樹木が植えられています。また同じく御神体として崇められる傘は樹木信仰に太陽の信仰、祖先の信仰、山の信仰などが合体したものであり、各部落に一基は建設されている鼓楼はこの傘を拡大したもので、やはり樹木信仰を基礎に他の各種信仰が併せられています。以前にも触れたように、貴州省黎平県述洞村に現存する五層の鼓楼が、はじめ一本の大きな杉の上に作られた棚から変化していった過程を観察した報告も提出されています(劉芝鳳『中国?族民俗と稲作文化』人民出版社、1999年)。
樹木の信仰が各種の信仰と結びついている例は中国南部の稲作民社会では一般的にみることができます。たとえば、雲南省のハニ族調査を続けている欠端実氏は、聖樹が穀霊を守護する信仰を彼らが持っていることを報告しています。ハニ族最大の祭は田植えまえに行われる聖樹祭であり、このとき稲魂を庇護する天神が聖樹を伝わって降臨すると考えられています(「ハニ族の新嘗―アジア稲作の古層」アジア民族文化学会秋季大会発表要旨、二〇〇一年、共立女子短期大学)。タカミムスヒとホノニニギの関係がよくわかります。このような例は数多くあげられます。
中国南部の原タカミムスヒと原アマテラスの神話の日本への伝来ルートは、稲作の伝来ルートに対応して、朝鮮半島経由と、直接中国からの伝来という二つがありました。王権継続の神器をさずける降臨神話が朝鮮経由であったのにたいし、神器を授与せずマドコオウフスマにつつまれた穀霊としてホノニニギを降臨させる型、『日本書紀』の正書、一書四、一書六などは、直接に大陸からわたってきたものとかんがえることができます。
〈質問〉天孫降臨のさいに道案内としてあらわれる猿田彦も中国南部と関係があるのでしょうか。
この質問には次回でお答えします。
今回はこの辺で失礼ます。