諏訪春雄通信116


 明年1月10日(土曜日)午後2時から予定されている最終講義にPOWER POINTを使用しようと考え、スキャナの操作と合わせて、一日悪戦苦闘した結果、だいたい思いどおりに取り込むことができるようになりました。ただ1回だけ、保存先を間違って相談窓口の指導を受けました。

 最終講義で私が話したいことの要点はつぎのようなものです。

  1. 近世以前の文学と近現代文学は本質を異にしている。その違いは、和風文化と洋風文化、アジア文化と西欧文化の違いに対応する。

  2. 本来異質なものを一つにくくって、そこに共通の研究方法が存在するとかんがえたことに、明治以降の国文学という学問の錯誤があった。

  3. 凋落がつづく国文学を再生させる道は、近現代文学と近世以前の古典文学は違うという認識のもとに、それぞれの本質を解明するための方法論を確立することである。

  4. 国文学の究極の目的は日本人と日本文化の本質をあきらかにすることである。

 この4点を、当日、豊富な図版を使って、具体例を挙げながら説明するつもりです。多数の方がお見えくださるよう願っています。

 現在の私の住まいでは、2室を専用に使っていますが、すでに書物に埋もれています。学習院を退職すると、現在、大学の研究室に収蔵してある図書がこれに加わりますが、その空間はまったくありません。そこで、学習院のすぐ近くの別のマンションに研究室を新しくつくることにして、書物の移動を少しずつ始めました。

 
新しい場所で、新しい研究生活を、というのが現在の心境です。

(質問)海幸彦山幸彦神話も東南アジア起源とかんがえてよいのでしょう。

 海幸彦山幸彦は、通常、
兄弟争いと復讐海神国訪問異類婚という三つの要素にわけて説明されています。このうち、兄弟争いについては、東南アジア系の類話が報告されています(『上代説話事典』雄山閣/1993
年)。

 インドネシアのケイ族に伝わる
アンとパルバラ兄弟の話はつぎのような梗概です。

 天上に兄弟がいた。ある日、弟のパルバラが釣りをしていて、兄のヒアンから借りた釣針を失ってしまう。兄は返せと責めた。弟は探しまわり、偶然出あった魚の協力で、のどに針の刺さった一尾の魚を見つけた。弟は兄に釣針を返したが、一計を案じて兄に油をこぼさせ、その油を返せとせまった。

 ほかにパラウ嶋の伝承も紹介されています(前掲『上代説話事典』)。こちらのほうは、海神国訪問が中心で、わずかながら異類婚の要素も認められます。

 釣針を魚にとられた族長の息子アトモロコトが父にしかられて海中アダックの地にゆく。そこで釣針を飲み込んで苦しんでいる女リリテウダウに会う。針を吐きだして痛みの治った女は、アダックの支配者であった。アトモロコトが自分の孫であることを知ったリリテウダウはなんでも欲しいものをもって帰ることを許す。

 このような説話が紹介されたことによって、インドネシア方面に源流をもつ「失われた釣針型説話」を原型として、婚姻や出産、通過儀礼などの伝承の要素がそこに加わってこの神話が形成されたという説が定着しました。

 この定説の形成に大きくはたらきかけた要因が、この神話が
隼人の服属神話として王権神話に組み込まれたという事実でした。隼人の故郷を東南アジアにもとめる視点はかなりの妥当性をもって承認されるからです(「特集日本人と日本文化の源流」『SCIENCE OF HUMANITY BENSEI 35』勉誠出版/2001年8月)。

 しかし、これなで検討してきました日本の王権神話の骨格を形成した神話が、ほとんどすべて中国長江流域の少数民族社会の神話を源流としていたという事実をもとに、考え直してみる必要がります。海幸彦山幸彦神話も、実は、
源流は中国中流域にあり、隼人の服属神話に組み替えられて、『古事記』や『日本書紀』の神話体系に取り込まれたと判断されるのです。

 大林太良氏は、
海幸山幸神話を海の原理をあらわす海幸と山の原理をあらわす山幸の闘争としてとらえ、中国江南地方につたわる呉越の戦いの伝説をその原型として紹介しています(『日本神話の構造』弘文堂/1974年)。

 江南の浙江省の大河銭塘江は満潮時におこる逆流の高波現象が天下の奇観として知られています。その逆流を春秋時代の呉と越の戦いいむすびつけた伝説が、後漢時代に呉越の歴史や伝承をまとめた
『呉越春秋』という書にのっています。大林氏はその伝説を山の原理をあらわす越と海の原理をあらわす呉との闘争の結果、山の原理が勝利する話として分析しています。

 『呉越春秋』の巻三がつたえる伝説はつぎのようになっています。

 呉と越が一進一退の戦いをくりひろげていた時代、呉王夫差は越との和解をかんがえ、越王の提示した講和の条件を呑むことにした。しかし、父の時代から呉に仕えていた臣下の伍子胥(ごししょ)が講和に激しく反対したので、夫差は伍子胥に死罪を科した。その死体をなまずの皮の袋に入れて、銭塘江に投げ込んだ。それ以来、子胥の亡霊はこれを恨んで、潮を逆流させ高波で人々を悩ましたという。

 また、『呉越春秋』巻六では、以下のような伝説も伝えています。越王勾践も家臣の文種に死を命じて、その死体を三峰の下に埋めました。その一年後に、子胥が海上から山に穴をあけて、種を連れ去り、共に海上に出現して人々を悩ましたといいます。

 このような銭塘江の逆潮に関わる江南地方の伝承をいくつか紹介されたのち、「わが国の海幸山幸神話には、失われた釣針というモチーフのほかに
、海と山の対立によって洪水が起るというモチーフがある。ところがまさに浙江潮の起源伝説も、このモチーフの一変種にほかならない」と大林氏は結論づけておられます。

 いりくんだ理論操作をしていますが、江南地方の伝承に海幸山幸神話の源流をさぐっている点は高く評価されなければなりません。

 この呉越の伝えよりも、もっと海幸彦山幸彦神話に接近した伝承を紹介したのが、
伊藤清司でした(「日本と中国の水界女房譚」『昔話―研究と資料21・日中昔話の比較』三弥井書店/1993年)。湖南省の土家族のあいだにつたえられている「格山と竜珠」という話です。

 ある村里に二人の兄弟がいた。兄は格路、弟を格山といった。兄夫婦が格山につらく当った。堪えられなくなった格山は、ある老人のすすめに従って家を抜け出し、さまよい歩く途中、大蛇に襲われて呑み込まれそうになった一羽の黄鶯を助けた。すると、その鶯は美しい人間の娘に変わり、竜王の三女であると名のり、格山と夫婦になって、竜王の国に赴いた。
 格山は竜宮で連日歓待をうけたが、やがて望郷の念が昂じ、女房を相伴って地上へ戻った。帰郷に際し、竜王が金銀財宝を土産に与えたが、格山はそれをことわり、
「郷里は水が不足し、田作りもままならず、人びとは暮らしに困っている。水を自由にできるものが欲しい」
と願い出た。
 そして呪宝の竜珠を貰い受け、竜王の娘と故郷に戻った。そこで二人は山の上に登り、頂から竜珠を傾けると水は奔流となって噴出し、たちまち村の田という田は潤い、おかげで土家の人びとは裕福になった。

 この話の後日談を伊藤氏が紹介しています。

 如意宝珠である竜珠を土産にもち帰った格山は、それから立派な御殿を出し、その御殿で竜神の娘といっしょに暮らし、幸福な日々を送った。意地悪な兄夫婦はそれを知って妬み、二人を焼き殺そうとするが、格山は竜珠を用いて逆に兄夫婦を焼き殺し、他方、その呪宝から水を噴出させて灌漑の水に悩む土家族の田畑を潤し、立派な耕地に変えた。

 伊藤氏はこの伝説と海幸山幸神話の類似点として、

  1. 兄弟の争い

  2. 水界訪問

  3. 水界の女との結婚

  4. 水界よりの呪宝

  5. 呪宝による水の支配

  6. 兄への復讐

という六点をあげ、弟の山幸彦が呪宝を得て、最後に日本の統治者になったという結末と、弟の格山が海神からあたえられた呪宝によって土家族の世界に楽土を実現したという結末とは共通すると主張しています。
 
 この土家族の伝承と日本の海幸彦山幸彦神話の類似性はうたがうことができませんが、
「失われた釣針」というモチーフがないのが気にかかります。今後精査する必要があります。長江流域には海幸彦山幸彦神話につうじるような伝承が数多く存在しています。つぎにあげる話は、釣針を魚網にかえただけの同一モチーフです。

むかし、ひどく貧しいが人に親切な漁夫がいた。ある日、大河の堤のほとりで網で魚を獲っていると、一人の老人が大きな岩の上で泣いているのに出あった。漁夫はすぐにその老人にわけを訊ねた。老人は
「自分の娘が奇妙な病気に罹って治すことができません。どうか家にきて娘の病気を看てください」
とたのんだ。承知した漁夫は老人に随って堤をあるいた。
 すると老人はどんどん水の中に入っていった。漁夫が老人に向って
「水の中には入れない」
と訴えると
「急がずにわしについて来てください。水の中でも地上を行くように進むことができます」
とこたえた。
 漁夫は不思議に、地上を行くように水の中を歩くことができた。
 まもなく一軒の美しい家がみえてきた。その家の一室に娘が全身を魚網にからめられて横たわっていた。漁夫がその網を取り除いてやると、娘はすぐに元気になった。父と娘は感謝してたくさんの金銀を礼としてさしだしたが、漁夫は断って、代わりに刀と鋤を望んでその二品をもらった。
 漁夫がその家を去ろうとすると、門の横に黄牛と白牛が繋がれていた。老人は袋に多量の牛の糞を入れて漁夫に背負わせ、
「野菜を作るときに肥料になさい」
といった。
 漁夫が家に帰ると、不思議にも黄牛の糞は金、刀は金刀、鋤は銀鋤に変わった。漁夫は農夫となって幸福に暮らしたという。 

 雲南省のラフ族が伝えている「漁夫の故事」という伝承です。水界の王の娘をたすけ、莫大な宝を得るという話です。その王、竜王、の娘は魚網にからめられており、漁夫によってその網をとりのぞいてもらっています。「失われた釣針」と同一のモチーフです。しかも主人公は漁夫から農夫に変わっています。大林氏のいう海の原理と山の原理の争闘ということの真の意味はこの生業の戦いではないでしょうか。海の原理に野(高地では山)の原理が勝利を占めています。日本の海幸彦山幸彦神話で、海と山の争いとは、漁労民にたいして狩猟民や農耕民が勝利を得る話であったことがあきらかになります。

 このほかにも、私は中国南部の各民族に伝えられている竜王の娘と人間の若者の結婚の伝承をすくなくとも
三十話ちかくあつめています。

 中国南部は沼地や河川の多い土地です。ここで数々の水界訪問譚や水界報恩譚が生まれました。それらの話は
中国南部を基点として、左右対称に東と西にひろまってゆきました。日本の伝承と東南アジアの伝承が類似するのはそのためです。

 なかには、源流地の中国で失われてしまったか、存在のあきらかでなかった文化があります。そのために、東南アジアと日本にだけ類似の伝承や信仰がのこったかの印象あたえ、日本の残存文化は東南アジアの影響をうけたという主張がなされてきました。

 海幸彦山幸彦神話のほかにも、
仮面の来訪神儀礼お(を)なり神信仰などが、これまで、そうした扱いをうけてきた典型例ですが、これらすべて、中国南部に数多くの原型となる伝承や信仰が保存されています。これらの伝播については新しく考え直す必要があります。 

 ながくお送りしてきた王権神話の通信はここで
終了します。明年の1月12日までこの通信はお休みをいただき、また新しい構想で再出発します。お送りする内容は、GYROSの編集にかかわる文章が中心になると思います。

 私の同誌の編集意図を知っていただく見本として、2号の
「子どもの反乱」の編集企画の文を紹介します。

「特集のねらい」
 子どもの犯罪が激増しています。本年(2003年)7月に長崎市でおきた男児誘拐殺人の加害者は12歳の少年であり、11月に大阪府河内長野市でおきた一家三人殺傷事件の犯人は同家の18歳の長男でした。彼と交際中の十六歳の少女もまた自分の家族の殺害を計画しており、共謀の殺人予備容疑で逮捕されました。少年たちが集団でホームレスを襲撃、殺人に及ぶような事件も跡を絶ちません。
 
 他方で子どもへの攻撃的犯罪の増加もすさまじいものがあります。池田小事件に代表される殺傷事件、さらに頻発する家庭内暴力、子殺し、性犯罪などの犠牲に子どもたちが無防備でさらされています。
 
 民俗の世界では
「七つ前は神の子」といわれ、七五三行事に代表されるように子どもの生育には細心の注意がはらわれました。神々はしばしば幼童として出現し、作者不明で世に流布した童謡(わざうた)は神々の警告とうけとられました。世間の異変はまず京わらんべの口を借りて世にひろまりました。
 
 今こどもがあぶない。子どもたちがその異常な行動によって大人社会にうったえかけているものは何か。異変を察知した子どもたちのサインを読み解くすべを大人たちはもっているのでしょうか。子どもからのメッセージの有効な解読法をお示しください。

「執筆テーマ」
T

居場所のない子どもたち        
子どもの反乱
−今子どもに何が起っているかー  

U
キレル子どもたち          
子どもが危ない            
子どもの脳がこわされている

V
昔の子ども、今の子ども        
大人の理解を超える子どもたち     
子どもへの見方が変わった       
戦後、親子関係が変わった

W
能科学医の赤ちゃん診断        
共働き夫婦の子育て法         
子育てに今こそ父親の力を

X
少年法について考える         
子ども犯罪の報道はどこまでゆるされるか 

Y
子どもは神の子―民俗社会の子どもー  

 今回はこの辺で失礼します。どうぞ好い年をお迎えになられますよう。


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