諏訪春雄通信124


 この通信の121号で、私の著書の『日本の祭りと芸能―アジアからの視座―』海賊版として名古屋で刊行されたことを報じました。その後の経過について、吉川弘文館のほうから知らせてきました。

2月13日  新東海通信社宛、抗議書を配達証明付きで発送。著作権法違反、出版権侵害に対する抗議。
2月19日  新東海通信社社長H氏より速達便到着。病気のため上京してただちに釈明・謝罪できない由。
同日     同氏宛、配達証明付きで通知状発送。二月末日までに上京できないならば、文書で海賊版発行の理由などを回答するよう求める。
2月25日  同氏、夫人を同伴し詫び状および誓約書持参にて来社。既販売済み該当書籍の回収、および新聞公告による謝罪を求めるも、同氏は専ら金銭面による解決を要望される。
3月1日   同氏宛、再び配達証明付きで通知状発送。著作権法違反、出版権侵害に対する二百万円の損害賠償金を求める。
3月3日   同氏より前項を受諾する旨電話あり。
3月4日   同氏より振込あり。

 吉川弘文館側が、金銭面の賠償で妥協したのは、H氏の対応が比較的すみやかであり、ペース・メーカーをつけた八十五歳の病身であることを考慮した結果であった、という補足説明がついていました。

 学術出版が最近きわめてきびしい事情にあることは、ひしひしと感じられます。多くは、
自費出版か、一定部数の買取りを要求されます。そのなかで、吉川弘文館はもっとも良心的で健全な出版社といえます。それだけの使命感と自負があるから、同社はこのようにきちんとした対応を敏速にとれたのでしょう。自分の著書に関することでもあり、同社に改めて深甚の敬意を表します。

 4月の創刊をめざして「GYROS」の発行準備がすすめられています。私は
同誌のソフト面の責任者であり、原則としてハード面には口出ししませんが、ソフトとハードの境界は微妙に交錯していますので、私にとってもいそがしいこのごろです。

 
原価計算が終わって採算のとれる最低販売部数もきまりました。企画概要が作成され、営業による書店廻りもはじまりました。あらためて、この雑誌の基本性格についてかんがえる機会がふえました。

 一般誌は大きくわけて、
夢を売る雑誌情報を売る雑誌に大別できます。婦人雑誌やフアッション雑誌などは夢を売る雑誌の典型です。他方、各種の週刊誌は情報を売る雑誌の典型です。

 「GYROS」は情報を売る雑誌をめざしますが、その
情報に体系性と思想性をあたえ、最終的には読者に良質な夢を提供したいというのが私の根本のねらいです。

 第二号の特集は
「子どもの反乱」です。子どもによる凶悪犯罪と子どもへの攻撃的犯罪が増加しているという現状認識がこの特集の動機です。そのためにどのような対策をかんがえるべきか、というテーマで17人の専門家に執筆を依頼しました。

 ここまでなら、通常の雑誌の編集企画の範囲内です。しかし、新雑誌では
「子どもは神の子」という視点をすえ、そのテーマで30枚の文章を私自身で執筆しました。そこでは、七歳までの子どもがまだ人間世界の存在であるよりも、神的存在とみなされていたという認識のもとに、子どもの形で出現する神々、生育儀礼、よりましわらわ、捨て子、小正月の子ども行事などについてのべました。

 もっとも私が強調したのは、
童謡(わざうた)という形をかりて子どもが社会の警告者になっていたという事実です。童謡の研究は中国の方が早くからおこなわれ、日本よりもはるかに進んだ理論が提出されています。ただ、その結論は、何らかの形で大人の声が子どもの声に仮託されて世に流布したという合理的説明です。

 しかし、私はかならずしもその説明に賛成ではありません。子どもたちがその鋭敏なセンサーで感じ取った社会問題について
実際行動によって警告を発し、そしてその声を聞くことのできた大人たちが、現実に存在したのだというのが、私の基本的な考えです。

 「子どもたちがその異常な行動によって大人社会にうったえかけているものは何か。異変を察知した子どもたちのサインを読み解くすべを大人たちはもっているのか」という特集のための
リードはそうした考えで執筆しました。

 
子どもは神の子という観念には、近代の合理的子ども観が見失った子どもと大人の緊張した関係、日常をとりまく神の領域への敬けんなまなざしがあります。そのような現代人が失った感覚を発掘し、体系化・思想化したいというのが、この雑誌にかけた私の夢です。それがまた読者に提供したい真の夢でもあります。


 鶴屋南北の稿をつづけます。

 『四天王楓江戸粧』は四天王の世界に取材した作品である。前太平記の世界ともいい、平安時代の源頼光とその部下の四天王、渡辺綱・坂田金(公)時・碓氷貞光・卜部季武
(うらべ・すえたけ)らが、京都の治安をおびやかす謀反人を向こうにまわして活躍する物語である。謀反人平将門の子どもたち、相馬太郎良門(よしかど)と滝夜叉(たきやしゃ)の二人が父の遺志をついで、天下の騒乱をたくらむという大筋に、足柄山の山姥、盗賊袴垂(はかまだれ)の保輔(やすすけ)、歌人和泉式部、土蜘蛛などの人物や妖怪がからんでくる。

 この作品の構成はつぎのようになっていた。

     序開き
 第一番目三建目
        愛宕山の場
        岩倉山の場
     四建目
        三島明神の場
        足柄山の場  浄瑠璃雪(むつのはな)振袖山姥 常磐津連中
     五建目
        一条戻橋の場
        平井保昌館の場
     六建目
        暫の場
 第二番目
     紅葉ケ茶屋の場

 これらの場面配置で、主演役者と筋の展開の特色、さらに当時の顔見世狂言の分担執筆の慣習などから、南北じしんで執筆した場を推定すると、
岩倉山の場  一条戻橋の場  紅葉ケ茶屋の場
の三場になる。いずれも松助中心の場で、彼の特色を十分に発揮させた南北らしい場面作りになっている。
 
 岩倉山の場は、修験者石蜘法印が招魂の秘法によって尾上松助扮する辰夜叉御前を墓石のなかから蘇生させる筋が重要な見せ場になっている。

 法印が印をむすぶと、ドロドロの音楽になり、法印が数珠で五輪の塔を打つと、ばらばらにくだけ、辰夜叉がなかに横たわっている。そのとき、蜘蛛が下りてきて傍らの松の木の根元に消え、煙が立って、陰火がもえあがり、辰夜叉がむっくと顔をあげる。

 一条戻橋の場に松助は出ていない。しかし、蘇生した辰夜叉御前によって御所を追い出された公家たちが生活にこまって、街にあらわれて男の夜鷹になって春をひさぐといった奇抜な趣向は、南北以外にはかんがえつけない場面運びである。

 第二番目の紅葉ケ茶屋の場は、南北得意の世話場で、松助は古金買い七面の伝七実は相馬太郎良門として縦横に活躍している。落語の三人上戸の趣向がとりこまれ、役者のせりふは駄洒落や地口を連発している。

 本作は、むずかしい条件のなかで南北が立作者として指揮をとった作品であったが、「大評判大入り、三座一の当り」(『歌舞妓年代記』)といわれたほどの成功を得た。この作によって、南北は狂言作者としての基盤をきずくことができたといってよい。

四 南北の時代

1 二日替りの夏狂言『彩入御伽草』

 鶴屋南北は怪談狂言の作者として知られている。のちにみるように、南北の作者としての特色は怪談にかぎられるものではないが、怪談が彼の作品世界を代表する特色の一つであることは確かである。

 文化5年閏六月、市村座の立作者の地位にあった南北は夏狂言『彩入御伽草
(いろえいりおとぎぞうし)(正しくは艸)』を発表した。当時の市村座には、南北のほかに、松井幸三、清水正七、村岡幸治らの作者が助作者として顔をならべていたが、この作品は全体にわたって南北の指導のゆきとどいた怪談狂言となっている。南北とは絶妙なコンビをつくっていた尾上松助が例によって縦横の働きをした作品である。

 一番目は「天竺徳兵衛」の世界に、「小幡小平次」と「播州皿屋敷」をない交ぜにして、二日替わりの交互上演にし、二番目に「お妻八郎兵衛」を追加上演したが、この二番目は一番目とは筋のうえではつながっていない。

 小幡小平次は江戸時代後期に流行した怪談に登場してくる人物である。各種の随筆類によると、役者であったが旅先で自害または殺害され、亡霊になって妻のもとにもどったとされている。多くのバリエイションを生んだが、享和三年(一八〇三)に山東京伝の読本(よみほん)『復讐奇談安積沼(あさかのぬま)』が刊行されると、この小説の評判によって、小平次は幽霊役を得意とする旅役者であり、妻と密通していた友人によって旅の途中でころされて安積沼にうめられ、亡霊となって妻とその相手の男のもとに出現したという話に整理された。南北の作品はこの整理された筋によっている。

 皿屋敷は江戸時代前期をとおして流布した幽霊物語である。小幡小平次よりもはるかな広がりをもっていた。典型的な筋はつぎのようになっている。
ある屋敷に若い女が女中奉公をする。彼女はあやまって主人が大切にする十枚の皿の一枚をわり、その過失をとがめられ、虐待されて自殺する。そののち、毎晩、女中の亡霊があらわれ、皿をかぞえる声がする。主人の家には凶事がつづく(『本朝故事因縁集』)。

 しかし、この伝説には変型があり、大きく、
  A 皿のモチーフのあるもの
  B 皿のモチーフのないもの
に二分される。
 
 A型は、さらに、女中は家宝の皿をわり、虐待されて自殺し、亡霊になる(『本朝故事因縁集』)、女中がねたまれて皿をわられたりかくされたりして、その罪をきせられる(『当世千恵鑑』他)、女中に横恋慕した男性が恋のかなわない恨みから皿をわったり、かくしたりし、女中は自殺する(『久夢日記』他)、お家騒動にまきこまれた女中が、皿をかくされたりわられたりして自殺する(浄瑠璃『播州皿屋敷』他)、女中が恋人の真意をためすためにわざと皿をわり、斬られて亡霊になる(『彦根市長久寺縁起』他)の五種になる。
 
 B型は、主人の食物のなかにはいっていた針の咎めをうけた女中が自殺する(『諸国百物語』)、主人の妻や同輩の嫉妬から、妻の食事のなかの針の咎めをうけてころされる(『古今犬著聞集』)の二種になる。A型はほぼ全国にわたって分布しているが、ことに、島根県、高知県、鹿児島県などに濃い密度で分布している。これにたいして、B型は群馬県、埼玉県などのかぎられた地域にしか分布していない。
 
 皿屋敷の伝説は仏教の僧たちが法力宣伝の材料にもちい、縁起としてこの伝説をつたえる寺は各地にあり、宗派としてはことに浄土宗が多い。
 『彩入御伽草』では以上の二つの怪談が菊地家のお家騒動の筋にからめられ、二日替わりの筋としてつぎのように展開する。
 
初日  山城の国蛍ケ沼の場
 小幡の百姓小平次はもと九州の菊地家につかえた下部であった。諸国をめぐる巡礼から帰国した折、蛍ケ沼で、流浪中の若君月若丸とその乳母敷波と出あい、主家の一大事をつげられる。悪人浅山鉄山の密書を手に入れ、自分の女房おとわがじつは鉄山の妹であったことを知ったが、おとわとその恋人多九郎によって殺害されて沼にしずめられた。
     
    小幡の里小平次住家の場
 小平次は亡霊となって出現し、おとわの首をかき切る。多九郎は修行者となってとまりあわせた菊地家の忠臣弥陀次郎によって殺害された。
 多九郎じつは天竺徳兵衛と鉄山の謀略によって、菊地家は滅亡し、行方不明となっ
たお家の重宝の行方をもとめて忠臣や若君が流浪するという大筋のなかに、右の筋が展開する。この二場と交互に上演された二日目はつぎのような展開であった。
   
二日目 界川
(さかいがわ)辻堂の場  
 天下の将軍東山義政の調伏をたくらむ浅山鉄山は、巳年、巳月の生まれの弥陀次郎の姉幸崎
(こうざき)をとらえ、毎晩、指を一本ずつ切りおとし、その血をまぜた土で、義政に酒をのませるための十枚の盃をつくろうとしていた。今宵も幸崎をひきだし、九本めの指を切りおとした。幸崎は再会した弟の弥陀次郎に鉄山の悪事をつげ、界川に身をなげて死んだ。
       
    播州皿屋敷の場
 将軍宣下の儀式に使用する十枚の酒盃をうけとるために将軍の使いが鉄山の播州の屋敷に到着する。浅山の先祖は将軍家に唐絵の写しの皿を献上した功績により、播州に領地をもらい、その屋敷は皿屋敷とよばれていた。
 幸崎の亡霊は、菊地の姫に十枚の皿の一枚をぬすんで、鉄山の悪巧みをさまたげるよう指示し、さらに鉄山の身体にはいりこんで正気をうしなわせる。
 
 初日と二日目は、弥陀次郎、義政の臣下無礼
(むれ)一角という重要な二人の人物が共通に登場し、本人の姿はみせないが初日でも浅山鉄山が事件の糸をひいている。連続して見るだけの筋のうえのつながりはもっている。しかし。他方では、初日は九州菊地家のお家騒動が中心となっているのにたいし、二日目は将軍を呪詛する陰謀事件が展開し、それぞれが十分独立して観覧するに足る独立性もたもっている。練達な立作者南北の劇作法がうかがえる。

 今回はこの辺で失礼します。


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