日本史演習
中世の記録の講読(『広橋兼宣公記』講読)

担 当 者 単 位 配当年次 開講期間 曜 日 時 限
家永 遵嗣 助教授 4 D/M 通年 5

授業の目的・内容

14世紀末から15世紀前半にかけて、室町殿と朝廷との仲介者として大きな影響力をふるった公家政治家、広橋兼宣の日記を講読する。
広橋兼宣は鎌倉初期に日野の一流として頼資が立てた勘解由小路家の継承者で、父仲光の代より家名「広橋」を称するようになった。弁官より公卿にのぼる家で、朝廷政務の実務面を担うとともに、学者の家として、院・摂関家などの私的家産官僚を務める家として、公家政治の土台を支える位置にあった。
兼宣は、後小松天皇の父後円融天皇の生母にして足利義満の叔母でもある崇賢門院広橋仲子に対しては義理の甥。一貫して崇賢門院の女院司を務め、足利義満の「公家化」を指導した二条良基の家司、さらに足利義満・義持二代の武家に家司の中核メンバーとして参画、朝廷側では後小松上皇の伝奏として朝幕の間の周旋に当たる。問題の多い当該期の朝幕関係を検討する上で最重要人物のひとりである。
武家の首班足利義満が同時に公家として朝廷政務をも総裁するという特異な時代背景のなかで、本記は義満・義持に仕えた公家衆の首脳が自ら記したものであり、室町殿(北山殿)の内情を内部にいる者としての立場から記録していることになる。義満の家政機構が院庁としての体裁を備えていたこと、現代の研究者から朝廷の役職としての伝奏と理解されている者も、実態としては義満の家礼・家司など私的家産官僚として政務に携わっていたことなど、これまでの議論では看過されている当時の実態を把握するためには、本記によるのが捷径である。また、対朝廷関係について義満・義持交替の間に生じた変化も、家産官僚制内部の実務の変化として観察できる。
一般的に抱かれている武家政治・公家政治の感覚とは相当に異質な世界・時代の存在を教えてくれる本記を熟読することで、参加者が中世政治史の理解に何らかの新しい視点を得られるものと期待している。

授業計画

『史料纂集 兼宣公記 第一』にそって、最初の嘉慶元年から逐次講読してゆく。
翻刻の点検のため、担当者は歴史民俗博物館現蔵『広橋家旧蔵記録文書典籍類』に収める兼宣の自筆原本(写真で可)と『史料纂集』の翻刻とを照合すること。

授業方法

講読を基本に、適宜発表者の関心のあるテーマについての発表を交えて進めてゆく。

成績評価の方法

出席状況と講読・討論への参加、発表によって評価する。

教科書

村田正志校訂『史料纂集 兼宣公記 第一』続群書類従完成会を使用する。

参考文献

明徳以降については『大日本史料』第七編を参照のこと。
概説としては、田中義成『南北朝時代史』初出1922年明治書院、同『足利時代史』初出1923年明治書院、いずれも1979年講談社学術文庫、臼井信義『足利義満』1960年吉川弘文館人物叢書、佐藤進一『足利義満』初出1980年平凡社、のち1994年平凡社ライブラリー、今谷明『室町の王権』1990年中公新書。
政治・制度については、小川信『足利一門守護発展史の研究』1980年吉川弘文館所載伝奏奉書表の他、伊藤喜良『日本中世の王権と権威』1993年思文閣出版、富田正弘「室町時代における祈祷と公武統一政権」1978年日本史研究会史料研究部会『中世日本の歴史像』創元社、同「室町殿と天皇」1989『日本史研究』319号、柳原敏明『室町政権と陰陽道』1988年『歴史』71輯、「安倍有世論」1994年羽下徳彦編『中世の政治と宗教』吉川弘文館、今谷明『日本中世政治史論』2000年塙書房、家永『室町幕府将軍権力の研究』1995年など