※日本文学演習
魂から心へ——古今和歌集から夏目漱石まで——

担 当 者 単 位 数 配当年次 学 期 曜 日 時 限
兵藤 裕己 教授 4 4 通年 5

授業の目的・内容

だれかの夢をみるのは、自分がその人のことを思っているからではない。あいてが自分のことを思っていてくれるから、夢をみる。そのように考えたのが、中世以前、あるいは前近代の社会である。たとえば、神や仏がこちらを思っていてくれるから、夢のお告げというのもありえた。
むかしの記憶や物語というのも、自分のアタマのなかにしまい込まれているわけではない。それはふとしたはずみで、向こうからやってくる。
むかしということばの語源は、「向か」と、方向をしめす接尾語「し」の複合といわれる(『岩波古語辞典』)。それは、おなじく過去を意味することばでも、物理的に過ぎ去った過去の時間を意味する「いにしへ」(往にし辺)とはことなるのだ。
モノ語りのモノは、語源的には、モノノケのモノとおなじである。モノ語りは、「むかし」の時空からこちらへやって来る。そのさまを舞台化したのは、能舞台である。
夢や物語にまつわるそうした前近代的な感覚が失われたことは、たとえば、現代語で、「むかし」と「いにしへ」の区別が解消したことをみてもよい。そして夢や記憶(物語)が、すべて自分(無意識もふくめて)に由来するもののように考えると、詩や小説を書くことも、自分のなかにあるものを「表現する」(express=搾り出す)ということになる。そのような近代の「表現」と、在来の心性とのギャップに、明治以後の日本の文学がかかえた一つの困難もあったろう。
いわゆる私小説が主流となる日本の近代文学史のなかで、泉鏡花や宮沢賢治などの創作の秘密は、いまのわたしがもっとも知りたいと思っていることである。−−
以上は、この3月に、岩波書店のPR誌『図書』に書いた私の文章の一節です。授業では、このような問題関心から、日本文学における「こころ」「魂」「自我」「霊魂」の問題について考えたいと思います。英語でいえば、Soul、Mind、Heart、Spirit、Ghostの問題です。
たとえば、『古今和歌集』の序でいわれる「やまと歌は人のこころを種として…」の「こころ」とはなんでしょうか。それは、現代の私たちが考える「こころ」(ほぼ英語のマインドに相当します)とは、異質なものであることはたしかです。また、文学研究において「心理描写」ということがいわれますが、その種のタームを使う以前に、まず「心理」なるものの起源について考えておく必要があります。厳密にいえば、『源氏物語』などに「心理」描写なるものは存在しないのです。
こうした問題にまともに答えてくれる国文学の先行研究は、残念ながら皆無といってよいでしょう。事情は近代文学の研究でも、さほど変わりません。たとえば、19世紀の北村透谷が主張した「内部生命」は、おそらくソウル(soul)という英語の透谷流の翻訳と思われますが、それでは、夏目漱石のいう「こころ」となんでしょうか。英文学者である漱石のいう「こころ」は、英語のマインド(mind)に相当すると思われますが、現代の私たちは、漱石ふうの「こころ」のありようを、あまりにも自明なものとして考えているのではないでしょうか。
授業では、エドワード・リード『魂から心へ(From Soul to Mind)』などのテキストを読みながら、フロイト以前の19世紀西欧の心理学も視野に入れつつ、日本の近代・前近代の文学における「こころ」「魂」「自我」「霊魂」の問題について考えたいと思います。

授業方法

4月から7月は、エドワード・リード『魂から心へ』などの輪読を行います。
9月以降は、輪読で得られた知見をもとに、日本文学(古代〜近代)における「こころ」「魂」「精神」「霊魂」に関する論文を読み、また、受講者の研究分野に即した発表を行ってもらいます。

成績評価の方法

第2学期 (学年末試験) :試験を実施する
授業での発表と、学年末のレポートによって総合的に評価します。

教科書

エドワード・リード(村田純一他訳)魂から心へ−−心理学の誕生−−青土社2000
川嵜克哲夢の分析−−生成する<私>の根源−−』(講談社選書メチエ
教科書に指定した本は、現在品切れになっているものもあります。受講者は、なるべくAmazonなどでテキストを入手するよう努力してください。

参考文献

エドワード・リード(細田直哉訳・佐々木正人監修)アフォーダンスの心理学−−生態心理学への道−−新曜社2007
折口信夫霊魂の話』(折口信夫全集第3巻中央公論社
兵藤裕己ラフカディオ・ハーンと近代の「自我」』(『文学』2009年7・8月岩波書店
生方智子精神分析以前−−無意識の日本近代文学−−翰林書房