担 当 者 | 単 位 数 | 配当年次 | 学 期 | 曜 日 | 時 限 |
荒川 正明 教授・他 |
2 | 第1学期 | 火 | 2 |
1 | 担当教員全員によるガイダンス |
2 | 「自然」と日本の工芸品(荒川 正明・美学美術史系) やきものや漆器など日本の工芸品は、土や木材、金属、水、火などの自然の材料や燃料を活かし、そこに匠の技が加わって、様々な造形が展開してきました。そして出来上がった工芸品は暮らしの折々のなかで使われ、日本人の生活に彩を加えてきたのです。私の2回連続の講義では、日本で生まれた工芸品の魅力に触れていきたいと思います。 |
3 | 〃 |
4 | 自然(ピュシス)と人間(小島和男・哲学思想系) プロメテウスの神話におけるヘシオドスの所謂「自然観」とプラトンにおけるミクロコスモスとしての人間について詳述し、自然(ピュシス)と人間について考えてみたいと思います。 |
5 | ヨーロッパ絵画における海と山と森の表現をめぐって (有川治男・美学美術史系) ヨーロッパの人々は自然とどのように向き合い、自然をどのように受け止め、自然をどのように理解し、そして自然をどのように支配してきたのでしょうか。そうしたヨーロッパ の人々と自然との関わりについて、この1コマの講義の中で考えてみます。 |
6 | 「しぜん」と「じねん」(松波 直弘・哲学思想系) 「自然」という語は、現在では〈しぜん〉と読むのが通例になっていますが、仏教などの場合には〈じねん〉と読むこともあります。こうした二つの読み方があるのは、それぞれに意味の違いがあったり、共通する部分があったりするからです。この二つの読み方から、「自然」という言葉をめぐって、思想史的な考察をしていきます。 |
7 | 作られた「自然」―山水画・庭園・盆仮山 島尾 新(美学美術史系) 日本の風景に、人の手が全く入っていない「自然」は、ほとんどありません。人々は「自然」と対話しながらそれを作り上げ、また造形の世界に表してきました。この講義では水墨の山水画や、枯山水の庭、そして盆栽などの「作られた風景」を見ながら、「人」と「自然」との関係を考えてみたいと思います。 |
8 | 「内なる自然」の考察-近代ブリテンのHuman Nature論-(下川潔先生・哲学思想史系) 「自然」というと私たちはすぐに美しい山や川、青い空や桜の花など、私たちの外にある自然を思い浮かべるかもしれませんが、私たちはときおり、「内なる自然」についても語ります。ふだんの生活で皆さんも自然な感情について語ることがあるでしょう。実は、ホッブズやヒュームのような17,8世紀のブリテンの哲学者たちは、人間の自然な心の働きについて、幅広く深い哲学的考察を加えました。彼らとともに人間の自然(human nature)について考え、そこから認識や道徳の問題にはいりこんでみたいと思います。 |
9 | 「自然は芸術の師」か ――西洋美術史における両者の関係(高橋裕子・美学美術史系) 西洋の伝統的美術理論は「自然」こそ美術家の手本と説きましたが、自然を写す 風景画の登場は意外に遅いのです。その食い違いに注目してみたいと思います。 |
10 | やまと絵と四季(佐野みどり・美学美術史系) 日本美術において、自然はどのように捉えられ表されてきたでしょうか。やまと絵屏風を対象に、四季の表現を辿り、文学との相関を解析していきます。 |
11 | カント美学における「自然」(酒井 潔・哲学思想史系) カントは『判断力批判』(1790)において、「美」を「美的判断力」による判定としてとらえ直そうとし、「快」、「自由な戯れ」、「天才」などを論じます。そこに見据えられているのは「自然」(Natur)であり、カントにとって自然こそ「美」や「崇高」がそれについて語られる原点にして理想です。カントを手引きに「自然とは何か」について考えてみたいと思います。 |
12 | 現象学における「自然」の問題(酒井 潔・哲学思想史系) 20世紀の現象学では、「自然」はもはや「もの」ではなく、「現象」(Phaenomen)です。すなわ¥ち、自然は「延長」(デカルト)でも「空間」(ニュートン)でもなく、「現れの生起」を意味します。授業ではハイデッガー の芸術哲学を取り上げ、彼のゴッホ、クレー、セザンヌ解釈を手掛かりに「隠れなさ」、「真理」、「現前性」等について考察します。 |
13 | 担当教員全員によるコンクルージョン |
14 | 予備日 |
15 | 〃 |