【リヒャルト・ゾルゲ
 1930年代からソヴィエトに対する日本の動向を綿密に研究するために来日(ラムゼイ報告)。日本人(尾崎秀実ら)を含めた活動組織を形成。1941年10月逮捕される。


  来日以前      ナチスに入党し、怪しまれずにドイツ大使館で活動する。
             日本政府の行動はゾルゲを通してソヴィエト中心部につつぬけであった。
  1939年     ベルリンから日独伊三国同盟を働きかける。ゾルゲは交渉状況を報告。
             「ドイツはソヴィエトに興味なし。」→独ソ不可侵条約締結
  1940年12月  「ドイツは東部国境に軍隊配置。」
  1941年     「独ソ開戦の可能性は高い。」


 ヒトラーは準備完了であり、独ソ戦不可避であることを知っていたにも関わらず、スターリンは無防備であり、日独伊ソ四国同盟の準備をしていた。なぜ、スターリンはゾルゲの報告を生かさなかったのだろうか。ゾルゲの情報源や、ドイツ、日本、ソヴィエトの行動を水面下で探りたいと思っております。欧州の推移で日米開戦が引き起こされたこと、一人の人間の行動が世界を変えることがあるということに興味を持ちました。

 【時代情勢
  1932年      満州国建国
  1935年7月    第7回コミンテルン大会
  1936年6月    スペイン内戦
  1938年9月    ミュンヘン会談
  1939年5月    ノモンハン事件
        8月    独ソ不可侵条約
  1940年9月    日独伊三国同盟
  1941年4月    日ソ中立条約
        6月    独ソ戦勃発
                ゼミ生紹介のページへ→
 畠山ゼミ4年卒業論文