国際コミュニケーション演習ⅠR 近藤 沙緒莉
「メディアはなぜ真実を隠すのか。~赤ちゃんポストとメディア~」
昨年5月、熊本県の慈恵病院に赤ちゃんポストが設置されて約1年が経っ
た。当初は日本初のこの試みに世間は動揺し、賛否両論が沸き起こり大きな話題
となった。このポストは「死や虐待から救える命があるのではないか」と、子ど
もを何らかの事情で育てられない親の為の緊急措置として設置、運営されるよう
になった。慈恵病院は、「最終的にはポストを必要とされない社会が理想だ」と
いう逆説的な命題を掲げ、このポスト設置に踏み切ったのであるが、果たしてそ
の理想は現実になり得たのであろうか?
昨年の今頃、赤ちゃんポストの話題がテレビのニュース番組や各紙などで大き
く報じられ様々な意見が沸き起こった。その中には当然このポストの設置に反対
する意見も多数あった。例えば、このポスト設置によって「子捨て」の風潮が高
まってしまうのではないかとの非難や、育児放棄の助長、更には利用した親が保
護責任者遺棄罪に問われる可能性についても指摘された。それに対して慈恵病院
は、親が未成年であり経済力もなく、頼る相手もいない場合の子捨てや無理心中
を防ぐ意味で、今世の中に必要とされているシステムと説明した。また、このポ
ストが親にもう一度冷静になって考える時間を与えるシステムだと、肯定的に捉
える意見もあった。
このように、ポストの設置に対しては様々な意見が飛び交い、一時は広く議論さ
れた。だが現在ではどうであろうか。今では、ニュース番組や各紙でこの話題が
扱われることは滅多になくなり、わたしたち国民もポストの存在を忘れかけてき
ているということは否めない。皆さんは、ポストがどれ程利用されていて、今ど
のような状況なのかという報道がほとんどなされていないことに疑問を持ったこ
とはないだろうか。設置されるまではあんなにもニュースとして取り上げ報道さ
れていたのにいざ運営されてからは、その状況を報じることは少なくなったので
ある。
そんな中今年3月、共同通信の報道によってポストに男児が3人,女児が1人の
計4人が預けられていたこと、また、実はその中に障害児がいたことが判明し
た。しかし、他の大手の新聞社では、新たに預けられた乳児についての記事は
あったものの障害児については伏せられていた。また、記事自体を掲載していな
い新聞社もあった。朝日新聞に関しては、このニュースが発覚したずいぶん後に
障害児について触れている記事が見受けられた。しかしこれも、つい見逃してし
まいそうな社説の中のほんの短い文章に過ぎない。これは乳児のプライバシーを
守るという観点から報道を規制したとも考えられるし、各社がこのニュースを報
道する意義がないと判断したともとれる。あるいはポストについては前述の通
り、育児放棄の助長の可能性があるなどと前々から反対意見が多かったから、ポ
ストの利用を報道することにより、その利用数を増やしかねないと報道を自粛し
たのかもしれない。また、今回の場合は障害児がいたこともあり、それを報道す
ることによってこれから障害児の利用が増えてしまうと懸念したということも考
えられる。だが、いずれにしても、各新聞社はこの事実を黙殺しようとしたこと
にかわりは無い.
このように、各メディアは意図的に赤ちゃんポストについての報道を避けてい
た。だから、わたしたち一般人はポストの詳しい状況を知ることがあまりなかっ
たし、ポストについての意見や論議も現在では静まっている。メディアの勝手な
判断で報道されないばかりにこの大きな社会問題は人々にいつしか忘れられ、わ
たしたちはその問題意識を薄れさせている。こんなにも重大な問題がこのような
形で人々の意識から遠ざかってしまってよいのか。
それは本来決してあってはならないことである。メディアは、預けられた乳児の
プライバシーを十分に保護した上で、この日本社会が抱える親と子の生命の問題
についてもっと積極的に報道すべきだとわたしは考える。報道によってポストの
乱用が起こることを恐れているだけでは社会は何も変わらない。設置当初、慈恵
病院が掲げた「ポストを必要としない社会」へ近づく為にわたしたちはこの問題
についてもっと深く、真剣に考えなくてはならないからだ。今、メディアがして
いることはわたしたちが世の中の重要な出来事を知る権利や、それについて考え
るきっかけを失わせる行為である。わたしたちの元にもっと正確で詳細な情報が
伝わること、そしてポストへの関心が高まり、新しい生命にとってよりよい社会
が築かれることを切に願うばかりだ。