諏訪春雄通信86


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 
幽霊学博士を他認された私(?)にまた幽霊についての質問がありました。NHK BSハイビジョンで、毎週土曜日の19時30分から21時00分まで放送される「迷宮美術館」を制作するテレコムスタッフ小林諭さんからのFAXでの質問でした。

 寡聞にして私には初耳の番組ですが、FAXの最初に番組の内容についてつぎのような説明がありました。

 『迷宮美術館』は、
謎を秘めた美術品ばかりを集めて展示する美術館です。当美術館の「館長」は、「キュレーター(学芸員)候補」達に美術品の謎解きをさせながら、美術の新しい見方、楽しみ方を伝えていきたいと考えています。そこで館長は、美術品にまつわる不思議なエピソードや作者の秘密、あるいは、絵画の中のファッションや音楽の推理に至るまで、次々に謎を提示していきます。キュレーター候補に扮するゲスト達は、館長が投げかける様々な美術の謎に答えながら、「ベスト・キュレーター」の称号を目指します。

 従来の美術番組の枠を超え、専門知識をふまえつつ、アートの見方や楽しみ方を紹介し、初心者でも楽しめる切り口でアプローチします。
 普段、「美術はちょっと……」と敬遠している人たちにも、その不思議で奥行きのある世界を楽しめる
アート・エンターテインメント番組です。

 おもしろそうな番組です。以上のような説明のあとで、質問はつぎのようなことでした。

 調べておりますのは、主に江戸時代に、
「幽霊画が何のために描かれ、どのような使われ方をされていたのか」ということです。私共で調べましたところ、百物語の趣向としれ使われた、泥棒よけのために使われた、魔よけ厄よけのために使われたとの説が伝わっているということでしたが、これを証明する具体的な資料が残されていないということでした。

 諏訪先生のこれまでのご研究の中で、幽霊画の描かれた理由についてご存知のことが御座いましたら、私共にご教授いただけませんでしょうか。

 以上のような質問でした。通常の研究書などにはふれられていないむずかしい質問です。これにたいし、私がFAXで返答した全文をつぎにのせます。

テレコムスタッフ 小林諭様
FAX拝見しました。幽霊画作成の目的についてのご質問ですが、私はつぎのようにかんがえます。
1 挿絵として
 江戸時代の幽霊画ははじめ書物の挿絵として作成されています。書物において、物語の内容の視覚的表現が最初の目的ではなかったかと思います。
2 絵解きの台本として
 幽霊画の大きなコレクションは、東京下谷全生庵、青森県弘前市久渡寺、大阪市平野区大念仏寺など、仏教寺院に所蔵されています。もちろん、ほかで収集されたものが寄贈されたものですが、全生庵が盂蘭盆に公開しているように、幽霊の供養という意味で寺に寄贈されたものとみられます。
 その背景には、寺院における地獄絵図の絵解き行事がありました。多くの寺で、お盆に、地獄絵をかけならべ、地獄の物語を信者に聞かせています。そういう行事をおこなっている寺はかなりの数になります。地獄絵にはきまって亡者がえがかれています。幽霊画もそうした目的に使用されたと思われます。
3 鑑賞用、教訓用として
 江戸時代の幽霊画は名の通った有名絵師たちが多く筆をとっています。それらの絵はパトロンからの注文制作でした。パトロンの個人的な鑑賞または教戒のために制作された絵が多かったと思います。
 絵本や浮世絵にえがかれて大量に売られた幽霊の絵も、個人の、または集団の観賞用、教訓用であったと思われます。
4 怪談ばなしの小道具として
 幕末になると幽霊話は寄席などで人情ロ出の一種として演じられました。そうした機会に、幽霊絵が小道具として使用されたと考えられます。ことに、全生庵幽霊画の旧蔵者三遊亭円朝は多くの幽霊話を創作して高座にかけましたが、彼は舞台で小道具をつかって演じました。彼のコレクションの幽霊画には彼の得意な演目を題材にしたものが目立ちます。舞台の高座で使用したものとみられます。
 今のところ、幽霊絵制作の目的としてかんがえられるのは、以上の四点です。あまりお役に立たないと思いますが、お答えとします。

 以上です。もう一つ、こちらは電話取材がありました。歌舞伎400年にちなんで、歌舞伎の連載をしている読売新聞大阪支社の文化部からの質問で、役柄の敵役についてでした。こちらのほうは、私が吉川弘文館から2000年に刊行した『歌舞伎の源流』の「役柄の誕生」の内容を読んでいて、その確認でした。

 私は、寛文時代(一六六一〜七三)までに誕生していた歌舞伎の敵役は、歌舞伎が神々の物語から人間のドラマへの第一歩をふみだしたことを明確にしめした事実であったとかんがえます。中世の能や狂言に代表される神々の物語や芸能では、この世に悪や災難をもたらすものは、悪鬼、邪神であり、それにうちかつことのできるものは人間の力ではなく、神や仏でした。敵役の登場は、悪をはたらくものが人間であり、それを制することのできるのも人間であるという観念の誕生をしめすもので、まさに、人間のドラマの始まりを告げるものでした。

 そのようなことを質問でこたえましたが、向こうもよく知っていて、電話は短時間でおわりました。

 諏訪春雄通信80でのべました
『智慧の海叢書 視覚革命 浮世絵』がスマートな装丁で刊行されました。時間をかけて検討しただけのことはあって、なかなかみごとな全体の出来栄えです。執筆の条件を出版社側とつきつめたうえで、通信65でお名前をあげた方々を中心に、私の著書を見本にそえて、執筆依頼が出されることになります。その節はよろしくお願い申します。

 今回はこの辺で失礼します。


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