諏訪春雄通信89


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 中国の妖怪と日本の妖怪を比較したときに、日本の妖怪の形態の素朴さにたいし、
中国の妖怪の複雑・怪奇さにおどろかされます。天狗、河童、鵺などは、日本の妖怪のなかでも比較的複雑な形態をしていますが、それでも、その原型となった複数の自然物を復元することが可能ですが、中国の妖怪になると、復元すら不可能な妖怪が少なくありません。

 龍、麒麟、饕餐(ごうてつ)、鎮墓獣、天禄、辟邪、垂獣などなど、中国を代表する妖怪群は、その原基の形態を想像することが困難です。その原型や形成の仕方について、中国の研究者のあいだで定説がないのは当然です。

 この諏訪春雄通信82で、龍についてのべたさい、龍の形態の形成について、「化合による変形」「混合による組合わせ」という
二種の芸術的手法で説明しようとする理論があることを紹介しました。

 芸術的合成の理論で妖怪の形態を説明することは可能でしょうが、問題は、そうした合成をうながした
精神要因です。古代の中国において、まさか、娯楽的、商業的デザイン思考が存在したとはとうていかんがえられません。

 古代の妖怪が神として、あるいは悪獣として、
広義の信仰の対象であったことは確実です。とすれば、その信仰とは何であったか、ということが説明できなくてはなりません。

 私は、南米ペルー郊外のアマゾン流域で長いあいだ
脱魂型のシャーマンをつとめていた男性の日常を撮影しためずらしいビデオをもっています。この男性はシャーマンを廃業したのちに、シャーマン時代に、トランスの最中に魂がぬけだして見聞してきた神々の世界を絵にえがくことをはじめました。

 その彼の
絵に登場する神々は、まさに、アマゾン流域の森の動植物を原基として、合成、変型させられた怪奇な形態そのものです。

 妖怪の形成の仕方は単純ではないとおもいますが、古代の妖怪の重要なものを生み出した精神要因は、
脱魂型シャーマンの見神の体験ではなかったかとかんがえます。

 
神や妖怪を認知し、それを告知する役は、古代においてはシャーマンでした。かりに、個人が神や妖怪を見たとしても、それらが公的な存在として一般に流布するためにはシャーマンの承認が必要でした。

 自然神や自然の妖怪は、シャーマン、それも脱魂型シャーマンが最初の認定者であったと断定できます。

 前回の通信の訂正をしておきます。幽霊が足をうしなったのは円山応挙の幽霊画からであるという俗説をしるした文献は、1829年(文政12年)の藤井高尚の随筆『松の落葉』だとのべましたが、正しくは、明治44年(1911年)の
省庵長房『松の落葉』でした。テレコムスタッフの小林諭さんからのご教示でした。氏の調査能力に脱帽です。

 『演劇界』(演劇出版社)八月号の特集「彼女の場合の事件のきっかけ」に依頼されて執筆したエッセーをつぎにのせておきます。


おさんと小春
      
 
「あんまりじゃ治兵衛殿、それほど名残惜しくば誓紙書かぬがよいわいの。一昨年の十月、中の亥の子に、火燵あけた祝儀とて、まあこれここで枕ならべてこの方、女房の懐に鬼が住むか蛇が住むか、二年といふもの巣守にして、やうく母様、伯父様のお蔭で、むつまじい女夫らしい寝物語もせうものと、楽しむ間もなく、ほんにむごいつれない。さほど心残らば、泣かしゃんせく、その涙が蜆川へ流れて、小春の汲んで飲みやろうぞ。エヽ曲もない、うらめしや」

『心中天の網島』中巻紙屋内の場のおさんのせりふである。このせりふとの付き合いは長い。最初の出逢いは大学四年のときの卒業論文であったから、半世紀に近い年月が経過している。そのとき、私はこのせりふを
華麗な比喩表現として読んだ。

 鬼、蛇、涙、流れる、汲んで飲む、とならべられる
隠喩をひろいあげ、鬼と蛇にたとえられる女房おさん、涙、流れると表現される治兵衛、そしてその涙を汲んで飲む小春というように読み解いてゆく。鬼、蛇のもとをのがれた治兵衛の思いは蜆川を流れて小春に受け入れられる。

 
イメジャリー(心象)研究という方法が、ことにシェクスピア研究などでさかんにおこなわれていた時代であった。比喩表現を検討して、その作品の主題にせまるという方法である。私はそれを近松の世話浄瑠璃の作品に応用して「近松世話浄瑠璃の心象研究」という題の卒論を執筆した。この読み方は今もまちがっていないとおもっている。

 昭和三十年代のはじめ、ちょうど私が大学院にすすんだころ、日本文学協会に拠った研究者を中心に、
歴史社会学という研究法がさかんになっていた。作品の背景となる歴史的、社会的条件に比重をかけた配慮をしながら作品を読んでゆこうという立場である。

 おさんは紙屋という小さな商家の女房であり、小春は北の新地の遊女屋紀伊国屋の抱えの女郎である。いずれも、
享保という停滞した時代に、それぞれの重圧にくるしむ下積みの階層の女たちである。治兵衛という一人の男をめぐっての対立と融和。下積み同士であるがゆえに、かえってそこに血のかよった連帯感が生まれてくる。

 このような読み方では、先のおさんの口説きよりは、そのあとにつづく

 「ヤアウハウ、それなれば、いとしや小春は死にやるぞや……わしが一生言ふまいとは思へども、隠し包んでむざく殺す、その罪も恐ろしく、大事のことをうち明ける。小春殿に不心中芥子ほどなけれども、二人の手を切らせしは、このさんがからくり。こなさんがうかくと死ぬる気色も見えし故、あまり悲しさ、女は相身互ひごと、切られぬところを思ひ切り、夫の命を頼むくと、かき口説いた文を感じ、身にも命にもかへぬ大事の殿なれど、引かれぬ義理合ひ、思ひ切るとの返事、わしやこれ、守りに身を離さぬ。これほどの賢女が、こなさんとの契約違へ、おめく太兵衛に添ふものか。女子は我人、一向に思ひ返しのないもの。死にやるわいのく。ア丶ア丶ひょんなこと。サアサアサ、どうぞ助けてくと」

というおさんの告白のほうが重視される。

 たしかに、このおさんの告白には、上巻から中巻につづく登場人物たちの謎めいた行動のすべてが説きあかされ、この作品の
劇的構造をも露呈させる。
 
 なぜ、小春は三年越しの馴染みをかさねた治兵衛と縁を切ろうとしたのか。治兵衛の兄孫右衛門が小春からうけとった二十九枚の起請文のなかにまじっていた女の文の差出人はだれであったのか。おさんの告白によってすべての謎は解明された。
 
 そして、本来は敵同士であったはずのおさんと小春は固い
女同士の義理感でむすばれた。義理ということばが、のちにもつようになった桎梏、束縛という意味はまだここにはない。そのような連帯が生まれたのは、夫の命を救おうとしたおさんの捨て身の働きかけのせいであり、また、小春はそのような働きかけの通じる女であった。
 
 このような読み方は現代にもりっぱに通用する。
 
 以上の二種の読みのそれぞれの価値をみとめながら、現在の私は、おさんと小春、そして二人の女と関わりをもつ治兵衛によって表現されるこの作品の
死生観に興味がひかれる。
 
 上巻に登場してきたとき、すでに小春は死を覚悟していた。この小春の死の覚悟には、表層と深層の二種がある。

 
表層の死としてすでに流れていた治兵衛との心中である。二人が心中の約束をかわしていたことは、小春の抱え主も知っており、治兵衛の肉親や親族もまた情報を得ていた。当然、小春の抱え主の側では客吟味をして、小春を治兵衛に会わせないようにする。治兵衛の兄の孫右衛門が侍客に化けてまで小春に会いにきたのも、またこの表層の死をくい止めるためであった。

 上巻から中巻にかけて、作品の大きな流れをつくってゆくのはこの表層の死である。中巻の最初、おさんの母と孫右衛門がのりこんできた真の動機もまたこの表層の死である。

 しかし、小春の死には、もう一つ、
深層の死があった。ただ一人で死んでゆくという孤独な死の選択である。表層の死が公然の噂となっていた死であったのにたいし、この深層の死に気づいたのは小春をのぞけばおさん一人であった。そのおさんこそがじつは小春の表層の死を深層の死に変えた当事者であった。

 深層の死を見ぬいたおさんは、その死を止めるために行動を開始した。みずからの懇願の手紙によって、小春の死を表層から深層に変えた。その責任をとった
おさんの自己犠牲によって事態は改善され、死そのものが回避されたかにみえたその瞬間、舅五左衛門が出現し、おさんの行動も水泡に帰す。深層の死は再度表層の死に変わったのである。

 下巻はその
表層の死の実現である。

 今、私は『心中天の網島』をつぎのように読み解く。
この作品を理解する鍵は
死と生である。死には表層、深層の二種があり、表層の死から深層の死へ、深層の死から表層の死へという前後二つの変化が作品の最高の山場と なっている。その二つの局面形成の原動力となった者はおさんと小春である。治兵衛もふくめて、それ以外の登場者はすべて脇役にすぎない。

 この作品は
死が生を規定している。二種の死への対応が、登場人物の生き方を決定している。表層の死にしかかかわれない者、深層の死を演出する者、そして表層、深層二つの死にかかわる者、の三群の人々が三様の生を生きている。

 
死へのかかわり方によって生の意味がちがってくる。深刻な死にかかわる者が深刻な生を生きることができる。

 すぐれた作品は多様の読み方を可能とする。 

 多様な読み方の可能性は作品自体が内包しているが、
読み手の人生がその読み方を決定する。次の機会に、この『心中天の網島』について、私はどんな読み方ができるのだろう。


 今回はこの辺で失礼します。


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