経営分析のインプリケーション |
前節で考察した経営分析は、それでは現実の世界の企業経営を見るにあたっては、どのようにして使われる、あるいは検討のフレームワークたりうるのだろうか。以下では、そのような現実の考察へ経営分析の考え方を利用した典型例としての「効率重視経営」という論稿を見てみよう。
効率重視経営とは何か―――財務指標重視による経営の意義 |
1.はじめに
いわゆる「日本的経営」という名で呼ばれ、世界各地で称賛されてきた、他分野にわたる様々な経営技法のうちのかなりの部分は、バブル経済の崩壊後、徐々に姿を消さざるを得なかったことは、我々の記憶に新しい。特に「人本主義」(あるいは従業員人本主義)という名で流布していた経営指針は、現今のような不況、景気低迷に伴う合理化・リストラの嵐の中で、基本的に滅び去ったというのが定説である。もっとも、この「人本主義」自体が、必ずしも額面通りの実体を伴って行われてきたかどうかは大いに議論の余地があり、事実上は常に企業中心・経営者主導で行われてきたと言っても過言ではない、とさえ言えよう。これは、世界の中で日本経済が大幅な拡大傾向にあり、日本企業がその中で、あるいはそれに完全に便乗して高成長の波に乗っていた頃に、そのような成長企業に「同居」していたもの、あるいは少なくともそのような成長に対応して、その解釈に使われていたものが「日本的経営」、そして「人本主義」と呼ばれるものであったことを、最近の研究者が気づき始めたことによるところが大きいようである。それは、当時存在していた、「従業員中心主義」という用語が、今や、場合によっては「とんでもないこと」とみなされかねないこと、そして、今なお「人本主義を維持する」と明言している(あるいは明言できる)のが、トヨタという、例外的に景気と関係なく好業績を維持できる超優良企業だけであることを見ても、十分に理解できるのである。(ただし人本主義自体についてはここでの検討対象ではなく、他の論稿を参照していただきたい。)こうして、現在の企業経営のバックボーンとして、そこで特徴的なのは「暗黙体制」の終焉である。
以下で考察の対象となる財務の分野でいえば、バブル経済崩壊まで、他に、より安価な資金調達手段があっても、日本的経営の重要な構成要素であった「企業グループ」の存在のゆえに、同一グループということでグループ内資金調達に頼り、暗黙のうちにお互いをかばい合っていた「暗黙体制」はもはや通用せず、純粋に目に見える「効率主義」による資金調達に移行せざるを得なくなっている。さらには厳しい競争を勝ち抜くために、他の企業グループとの協力が必要となって来ている。実際、伝統的な企業系列複数にまたがる銀行の合併が起こったことは記憶に新しく、今やビジネスに携わる者すべてが意識と認識をできるだけ早く入れ替えなくてはならない時期となっている。
2.効率重視経営の実際―――ROE、EVAR等の経営指標が必要となった経緯
高度成長期を中心とした、放っておいても日本経済全体が常に右肩上がりの高成長を続けていた頃には、前述のように「人本主義」と称して、目に見える合意なく、事実上は終身雇用制、年功制に基づいた事業活動を、暗黙のうちに行っても、目立った不都合を感じることはなかった。そしてそこでは、たとえば人件費の無条件の漸増を、暗黙のうちに認めていたが、バブル経済の破裂・崩壊に伴ってそれも見直されざるをえなくなっている。いわゆるリストラによる大量解雇は、否応のない人本主義との訣別を意味することとなった。すなわち、「人本」主義ではなく本来の資本主義に戻った、効率性重視による支出の見直しなどの傾向が顕在化していると言えよう。これらの状況に共通する、あるいは必要となっているのが、情報開示あるいは内実のガラス張り化、特に株主に対するそれの明確化である。そして、ROE、EVAR等の経営指標が注目されることとなった経緯も、その原因の一因はそこにある。ROE、EVARともに、少なくともバブル経済の崩壊までは、ほとんど取り上げられない、あるいは少なくとも重視されることはほとんどなかった指標である。ここで、この2つの指標についてレビューしてみよう。
ROEはいうまでもなくReturn On Equity、すなわち株主資本利益率のことであり、(当期利益/株主資本額)×100%で定義される。それは、株主持分である株主資本に対応して企業が計上している利益の程度を意味し、それが高いほど当該企業は将来の成長が見込まれることになる。これが更に企業価値の増加を促すのであるが、このこと自体は今さら言うまでもなく、すでに高度成長期からわかっていたことである。それが最近見直されてきた背景には、日本企業に往々にしてみられた、「株主軽視」という傾向が再考されるようになったことが挙げられる。津森(1999)にも述べられているように、日本企業のROEは長期的傾向としては1970年代以降一貫して低下して、1960年代後半、一時は20%近かったのがここ数年は5%を切るほどまでになっている。そして、バブル経済の崩壊後、日本企業はようやくその問題点に気がつくことになったとされる。本来、株式会社は経営者のものでも、従業員のものでもなく、株主のもののはずである。もっともこれは米国で特に強調される考え方であるが、原則として考えれば、株主へ報いることがない限り、企業の発展はあり得ないし、そうすると経営者にも、従業員にも幸福はあり得ないことになる。この意味でROEが低下することが問題であることは間違いない。だとすれば、経営管理指標としてROEが取り上げられ、その向上がさけばれることは、当然の結論であるとも言える。
以上を別の言い方で述べれば、企業経営の目的は企業価値の極大化であり、企業価値の極大化とは、企業の市場価値の極大化と同じ意味である、ということになる。それにより、企業は所有者である株主に報い、利益を出して納税することによって社会への貢献、すなわち最終的には社会に報いることができるからである。昨今頻繁にとりあげられているEVARは、そのような「社会への貢献」の程度を表す一つの指標たりうるとされる。EVARは、本来、Economic
Value Addedの略であり、邦訳では経済的付加価値額であるが、米国の経営コンサルティング会社のStern
Stewart & Co.の登録商標であるため、誰もが勝手にその名を使うことができるわけではない。それは「企業が株主のために価値を創造しているか、あるいは、株主の価値を破壊しているか」を判定する材料であり、EVARの追求は企業価値を極大化し得ると考えることができるからである。それは、資本コストを織り込んだ経営管理指標であり、税引後営業利益から資本コスト相当額を控除したものということができる。EVARの定義は以下の通りである。
EVAR=NOPAT(Net Operating Profit
After Tax)−資本コスト相当額
ここで重要な概念は、「資本コスト相当額」である。それは株主資本と有利子負債のコストの合計であり、各資金調達源の個別資本コストを、対総資本利用額の比率によって加重平均した総コスト、すなわち加重平均資本コスト(いわゆるWACC,
Weighted Average Cost of Capital)を使用総資本額に乗じた金額となる。そして、バブル経済の崩壊後この指標が注目されるようになった一因もここにある。すなわち、戦後長い間、日本企業には株主資本のコストという概念が希薄だったため、資本コストという問題意識は事実上ほとんどなかったと言っても過言ではないからである。
バブル経済の崩壊後、以前はおおむね「物言わぬ資金提供者」だった株主たちは、コーポレート・ガヴァナンスに関する議論の勃興と相俟って、企業経営の遂行の実態や、その成果に対する評価に関して、次第に「物言う利害関係者」になってきている。
株主が満足できる利益獲得の努力なしには、企業の存続が危うくなってきていることは事実である。
3.効率重視経営のめざすもの
―――高い株式価値、高い企業価値、競争力強化、高い成長性等のための財務改善
投資家・経営者双方の立場から、広い意味での「企業評価」は常に行われているが、特に昨今のように景気低迷の時代になると、それは、より厳しい目で行われるようになる。ただ、それが我々の身の回りで最も目に見える形で行われているものを挙げるとすれば、「債券格付」と呼ばれる、AaaとかBBB+などの符号によるランキングが挙げられるであろう。格付機関による格付結果は、投資家、経営者、経済マスコミのすべての目にとまり、注目されるものである。そしてその格付が高いということは、高い株式価値、高い企業価値、競争力強化、高い成長性という、望ましい条件をより多く満たしている証拠と言える。言うまでもなく、債券発行にあたって高い格付が得られれば、低金利で多額の資金を債券市場から調達することができる。これは、戦後長い間続いてきた、銀行借入を中心とした間接金融優位の時代が、バブル期最後のエクイティファイナンスの流行を経て、昨今のように債券発行による資金調達を好例とする、直接金融中心の時代へと変身せざるを得ない時代には、効率よく資金調達を行うための大前提となる。
●
それでは、そのような高い格付を得るにはどうすれば良いか。その実現のための手段が「効率重視経営」である。財務の分野で見れば、資本効率の向上による、格付機関による評価の変動は、それを確認するためのわかりやすい例である。たとえば佐藤(2001)では、具体的に格付向上との関連で次の3つの財務戦略に注目し、その効果を、独自のモデルによって計測している。@保有資産の売却による手元流動性の向上、A借入返済によるバランスシートのスリム化、B自社株消却。
結論としては、自己資本比率が低い企業ほど、これらの戦略による格付向上への効果が高いことが確認されている。すなわち、財務内容の良否とその向上のための意思決定が格付に如実に反映されているのである。これに限らず、Moody’sやS
& Pなどの米国の格付機関では、格付にあたって重視される財務内容、そしてそれを判断する際の指標についてインタレスト・カバレッジ・レシオ(=営業利益+営業外利益−営業外費用)/支払利息)やフリーキャッシュフロー比率(=フリーキャッシュフロー/債務合計)などが明らかになっている。わが国でもR
& I(滑i付投資情報センター)をはじめとする格付機関について、キャッシュフロー指標、収益力などの、格付にあたって重視される財務指標があるとされる。これらの財務比率を適切に向上させることによって得られる状態は、高い効率性による無駄あるいは隙のない経営である。
4.効率重視経営の意義と必要性―――効率重視経営が求められる背景とその将来
このように以前よりも効率重視の経営が重視される理由は、さらに存在する。その典型は、従来行われた「含み経営」が、幅広い時価主義の導入の中で通用しなくなったことである。すなわち日本企業は株式や土地の含み損益を都合よく利用して財務の体制を整えてきたのが、厳粛な時価会計の導入により含み損益の先送りができなくなる。このような事態の最大の原因として挙げられるのは、わが国の企業会計制度への、国際会計基準の導入である。前述の「含み経営」ということばも、いわばバブル経済という時代の落とし子とさえいえよう。従来言われてきた「含み経営」とは、株式の含み損益を都合良く利用して財務諸表の体裁を整える手法一般をいう。たとえば、保有株式に含み損が発生していても、その価格がまた回復する見込みがあると認められるならば、強制評価減の対象にする必要はないということになっていたため、その含み損は損失計上しなくても良いとされて、よほどひどい(多額の)株式の含み損が発生(たとえば時価が帳簿価格の半分)していても、「回復する見込みがある」ということにすれば、表面には出さずに済んでいた。一方、逆に含み益のある株式については、かりにその会社の本来の事業で業績が厳しく、赤字になってしまった時、それらの株式を一時売却して有価証券売却益を計上し、利益を膨らませることによって見かけ上は赤字を隠すことができたのである。このような「含み経営」は企業にとってまさに便利な経営手法であり、その最も典型的な例はクロス取引である。これは、含み益が発生している株式が、取引先との商売の関係上お互いに所有している、いわゆる持ち合い株であるときがその典型である。こういう場合、わが国の取引慣行上、そういう持ち合い相手の株式を売却し手放してしまうことはできない。株式持ち合いという行為の目的がお互いの認知、及び目に見えない相互信頼の意思表示ということなのだから、売り切りにしてしまうわけにはいかないからである。しかし旧会計制度のもとでは、それらの株式が取得時よりも値上がりしていて、含み益が発生しているならば、まず売却して同一会計期間内に買い戻しておけば、有価証券売却益を計上して、表面上は利益を膨らませることができたのである。これは、株式が一度売られ、すぐに買い戻されるという、相互の取引であることから相対(あいたい)、クロスのイメージがあり、「クロス取引」と呼ばれている。
これが新基準、すなわち「金融商品に係る会計基準」では、保有株式の時価が帳簿価格の3割以上下落すると、回復の可能性を検討することになり、5割を上回った場合には原則としてもう回復の見込みはないとして損失処理をすることになっているのである。一方、含み益が出ている場合には、その相当額だけ有価証券と剰余金を増やすが、それがクロス取引の場合、買い戻し条件付き売却とか、購入後売却するという一連の取引が、契約に基づいたものの場合には、その売却処理は認められなくなったのと、そのような売却直後の再購入を、5営業日まで「直後」とみなす規定が明確になるなど、事実上クロス取引はできなくなったといえる。更に、従来このようなクロス取引は、手間と時間の節約もあって、市場を通すことなく相対取引でやりとりしていたことから、ますますできなくなったのである。
バブル経済絶頂の頃、「財テク」なることばが一時流行していたものである。それは「余資の運用」などという、今になって考えてみると、まさに本質を見誤った極みの発想であり、本業に関係のない事業、具体的に言えば不動産や株式などを、本業で得た利益を元手に買いあさるという、今となっては誠に胸の痛む所業が流行していたのである。当時は、「一億総不動産屋化」などとも呼ばれていたようである。考えてみれば、製造業の会社に「この土地は将来必ず値上がりするから買っておけ」などという情報が流れ、その資金を銀行が融資して、結果として不良債権化したのが、現今の銀行の苦しみの根源的な種のひとつだったといえよう。
企業が持つものは建物であれ、人材であれ、すべてが重要な「資産」である。それらの資産利用の効率性を高めることは、何よりも企業の活動にとって優先するはずのものである。これからは、様々な資産利益率を慎重にチェックし、株主や投資家に「実態で売り込む」、真の財務の時代である。効率重視経営の意義と必要性はまさしくそこに見られ、本業を首座に据えた、計数的な把握を基礎とした効率重視経営が求められる理由がそこにある。企業経営の将来の明暗も、これにかかっているのである。
(参考文献)
1. 小山 明宏『「人本主義」は敗れたか−−−因習的な「日本的経営論」の終焉』、「企業診断」 2000.8.
2. 佐藤 秀晶『格付向上のための財務戦略』、「証券アナリストジャーナル」
2001.8
3. 津森 信也『企業財務――戦略と技法』、東洋経済新報社 1999.8