コーポレート・ガバナンスの日独比較論文


企業体制論の一分野であったコーポレート・ガバナンス論は、今や経営財務の重要なトピックになっている。以下では、やはりコーポレート・ガバナンス論でも重要な題材となっている、企業体制の日独比較に関する論稿を見て、考察を深めよう。なお、より詳しい解説は経営財務Ⅰの授業で取り上げられる。


コーポレート・ガバナンスの日独比較


1.はじめに



1-1 はじめに

 「コーポレート・ガバナンス」は、現在のところ、いわば経営学界の「流行語(はやり言葉)」である。このテーマは時に「企業形態とコーポレート・ガバナンス」というタイトルで採り上げられるようだが、内容的に、より正確なタイトルは、企業「体制」とコーポレート・ガバナンス、である。経営学の勉強を多少でもしたことがある方は、「企業形態」というコトバから連想するのは、有限会社とか、合名会社などの用語ではないかと思う。確かにそういったテーマを扱った本で、その中にコーポレート・ガバナンスのことを採り上げたものも最近はあるが、現代の経営学界において議論の対象となっているコーポレート・ガバナンスは、企業「形態」との関係ではなく、先取りして述べれば大企業、すなわち株式会社におけるトップマネジメントを取り巻くコントロール・システムの問題、言い換えれば、企業「体制」についての議論が、その中心である。


1-2 「コーポレート・ガバナンス」とは? 

1-2-1 企業体制論の目的としてのコーポレート・ガバナンス

 経営陣へのコントロールに関する考察は、「企業体制論」と呼ばれる分野でのトピックであり、ひとりでにトップマネジメント機構のデザインの問題へと帰着する。この意味では青木[1984]に見られる企業の法制的構造に関する分析は、わが国におけるこの分野での先駆的な研究と言えよう。そしてその場合、企業が一体誰のものか、あるいは更に、企業を構成する複数の利害関係集団それぞれの間の利害の対立をいかに収拾するかが次の問題としてクローズアップされてくる。これら利害関係集団のことを「ステイク・ホールダー」と呼ぶ。では、そもそも「コーポレート・ガバナンス(corporate governance)」とはどのように訳されるのだろうか。これが、残念ながら、「企業統治」と訳され、現在に至っているのである。筆者はこれを大いなる誤訳であると考えている。誰も企業を「統治」などしない。利益をフェアに分け合うための企業経営への関与、とでも訳せば、まあ正しいと言えよう。現在のところ、コーポレート・ガバナンスをわかりやすく説明するものとしては、「コーポレート・ガバナンスとは経営者行動のチェック機能であるとする考えは一面的なものであると考える。コーポレート・ガバナンスは経営者の適正な経営者行動を促そうとするものであるが、それだけでなく経営者の積極的な企業家精神をバックアップし、企業をして成長発展せしめ、ひいては経済社会の発展を促そうとするものである。(松村[1997]、p.255)」あるいは、「ガバナンス機構は、経営者の企業家精神を旺盛に維持するための制度、組織的枠組みにほかならない。(吉森[1993]、p.56)」などがある。いずれもコーポレート・ガバナンスをより包括的に解釈しようという意欲が見られ、建設的である。また、そこでの「ステイク・ホールダー」として株主だけを考えず、経営者を、単に監視されるだけのものとは考えていないところが特徴的である。ただし、そうは言ってもやはり結局は、現在の日本の大企業の経営行動を見ても、我が国特有の、経営陣による不透明な意思決定、不十分な情報開示などにかんがみて、コーポレート・ガバナンスに関する議論の中心は、経営者をしていかに他のステイク・ホールダーの利益をフェアに確保し、配分させるか、それを保証するための制度設計ということになるであろう。

1-2-2 コーポレート・ガバナンスとトップマネジメント組織(機構)設計論

こうして、コーポレート・ガバナンス論は、経営陣に対するコントロールをめぐる制度的な枠組みに関する議論となる。そしてそこで必ず採り上げられるのが、経営者を誰がコントロールするか、についての海外の制度である。これは、次の2つに分けられる。

(1)アメリカに代表される、資本市場などのマーケットを経由したコントロール
(2)ドイツに代表される、企業内に具体的な監視機構を設置することによるコントロール

このうちの前者は、経営者を動機づけ、あるいは規律づけるためには、絶えず株主やその他の投資家が、経営者が行う、事業活動に関する意思決定の善し悪しをモニターし、そのいかんによって、場合によっては所有株式を売却したりして経営者を淘汰する、という、いわゆるマーケットメカニズムの機能を利用してコントロールしよう、という考え方である。アメリカのように資本市場のみならず、財としての経営者に関する「経営者労働市場」をはじめとするすべての財に関する市場がオープンで、しかもフェアな競争が確保されている国においては、このような方法も有効たり得るだろう。実際、アメリカにおいては、大規模な資金を所有し、運用している年金基金などの機関投資家(カリフォルニア州のカルパースなどが特に有名)が大株主として株主総会などにおいて経営者の罷免などまで左右することも、現実に知られている。これに対して後者は、ドイツにおける株式会社に採用されている「共同決定制度」を代表とする方法である。いわゆる「経営参加」と呼ばれる制度の一つであると言える。そこでは、何らかの形で選出された株主代表と従業員代表が、経営者(陣)の意思決定をコントロールするように、トップマネジメント組織が設計されている。ただ、注意すべきはそこでの経営参加の主体としてはどちらかといえば従業員・労働者のほうが注目されることが多く、株主による経営陣へのコントロールはその陰に隠れがちであったということである。そこでは、経営陣が行う意思決定を、従業員代表や株主代表がモニターし、助言を与えたり、改変を求めたりする、ということになる。この制度は特にドイツで発達しており、わが国においてもドイツ企業の、共同決定法を構成する「事業所組織法」や「監督役会」への労働者代表の選任に関する紹介や言及は多いものの、株主という立場からの検討は数少ないと思われる。これに対し、やはりコーポレート・ガバナンス論においては、それが元来アメリカで初めて大々的に注目された議論であるということもあってか、「株主の利益」に関する議論が中心になっていると思われる。

 こうしてみると、アメリカ型、ドイツ型の如何を問わず、結局は株式会社での最高意思決定機関であるはずの株主総会が、経営者を規律づけ、コントロールする究極の機関のはずである。しかし、もはや言うまでもなく、我が国株式会社の株主総会は、形骸化して久しく、何らその本来の機能を果たしてはいない。そしてその背後には、我が国の株式会社における取締役会制度の欠陥がある。


1-2-3 現代日本におけるコーポレート・ガバナンス論

 我が国には「日本コーポレート・ガバナンス・フォーラム(Corporate Governance Forum Japan、略称CGFJ)」という産学協同の研究組織があり、オリックスの宮内社長をはじめとするビジネス界の中心人物と、大学の商法学者、経営学者が共同で、より良いコーポレート・ガバナンス形態を、特に、いわゆる「日本的経営」に見合った適切なものを探そうという試みがなされてすでに3年以上が経つ。我が国の場合、従来からその機能の有効性に大きな疑念が投げかけられていた監査役の立場について、いったいそれは今後どのような役割を担うべきか、について活発な議論が戦わされた。そこでは(1)監査役(会)の機能を強化し、拡大すべきだ、という議論と、(2)むしろその機能を縮小し、思い切って外部取締役制度を強化し、業務監査を行うようにするべきではないか、という2つの真っ向から対立する意見が出された。後者では、その主張のプロセスで、監査役不要論までが飛び出したため、議場にいた多数の現役監査役諸氏から激しい反発を受けたりしたが、現在まとまりつつあるこのフォーラムによる提言では、傾向として後者の方向へ進みつつと思われることだけを記しておこう。

 ところで、一体コーポレート・ガバナンス論の究極的目標は何だろうか。植竹[1994]によれば、コーポレート・ガバナンスに関する問題領域としては、大体次のようになりそうである。

①集団の形態(Collective Form)で事業を遂行していくことのコストに関わるもの
 つまり、事業を集団の形態で、いいかえれば株式会社の形態で遂行することのコストの問題であり、いわゆるエージェンシー・コストの問題である。すなわち、集団(組織)という形態で事業を遂行するには経営者の活動を監視するためのコストなどの様々なタイプのコストを新たに発生させることになる。それらをいかに削減していくかという形で、株主ほかの利害関係者と経営者の利害をいかに調整させていくかということがコーポレート・ガバナンス論の中心的なテーマのひとつとなっている。

②取締役会に対して支配を行使(もしくは受託責任を確保)していく上での株主の適切な役割に関するもの
 経営者を監視し、責任を持たせるようにするための株主の役割に関するもので、そこでの議論には、極端に言えば、株主のみを会社の唯一の所有者とみなし、彼らはもっぱら自己の経済的利益を極大化すべく所有権を気ままに行使するだけで、自らは他のそれに伴うべき責任は何ら負わない、というものさえありうる。ただし、最近ではこれら、株主のみに注目する議論はだんだんと疑問視されつつあるという。株主のみを会社の唯一の所有者と見るのはあまりに狭い見方であること、また「株主は経営に無関心」という前提も、昨今の機関株主の経営に対する関心の増大により、疑問視されつつあることによる。

③取締役会の機能と構造に関わるもの
 取締役会の運営機構、ないし、組織機構の改善に関する問題で、そこでの議論の多くが現状に対する代替策というよりも補完策という意味あいが強い。最高経営者と取締役会議長の兼任関係の是非、非常勤取締役の活性化、各種の委員会の設置など、いわば取締役会のリストラクチャリングにあたる議論である。


2.「コーポレート・ガバナンス」の規定(影響)要因



 以下では、「コーポレート・ガバナンス」の規定(影響)要因についての議論を鳥瞰する。その際重要な視点を形成するのは、Spitzenorganisationの構造、報酬システム、株主構成、IR活動、そしてそこでの利害関係者間の相互関係、すなわちエージェンシー関係であり、それは経済分析の対象となる。

2-1 利害関係集団間の関係---エージェンシー関係

 企業が広い意味で人的集団であると考えたとき、まずそれがもつ目標はどのようなものであろうか。複数の利害関係者からなる集団、現代の大規模な株式会社などにおいては、そこでの利益にまつわるコンフリクトは非常に複雑なものになるであろう。個々の株主が好む利益のフローの時間的な構造は、互いに異なるであろうし、不確実性に対する好みにも差異があるであろうと思われるからである。一般的には現代の大企業(株式会社)には8つの異なった重要な利益グループがあり、それらが持っている、投資や資金調達に関する目標というものは、決定的に重要であろう。典型的には、彼らの間では目標や利益に関してコンフリクトが存在するからである。そこでのグループとは、次の8つである。

①大株主、あるいは、より一般的に言えば、会社の経営に直接の影響力を持った株主
②小株主、あるいは、より一般的に言えば、会社の経営に直接の影響力を持たない株主
③企業経営を導く者、すなわち経営者
④労働者、従業員
⑤債権者、特に銀行
⑥顧客、取引業者
⑦収税者としての国家
⑧いわゆるその他の公衆

 これらのグループでは、グループ間だけではなく、グループの内部においても利益をめぐるコンフリクトが発生している。特に企業に関連したこの8つの利益グループのうち、株主と経営者(陣)との関係を考えてみよう。前者は、いくつかの根拠があって自らではなく後者、すなわち専門経営者に経営を任せている。つまり、前者は後者に企業経営という仕事を任せる(依頼する)、逆に言えば後者は前者の依頼により、企業経営という仕事を代行している、と考えることができる。このような関係が第2章で述べた「本人-代理人関係」あるいは「プリンシパル・エージェント関係(エージェンシー関係)」であることは読者にはもはや説明を要しないであろう。そもそも人間の経済生活には契約関係がつきもので、そこには契約を与える者(プリンシパル)と、彼らのために意思決定を行う代理人あるいは契約を受け入れる者(エージェント)が存在する(エージェンシー関係)。ただしエージェントが自らの行動の結果得る成果は、将来の不確実性に左右されるし、一方プリンシパルはそのような環境状況およびエージェントの行動を完全には観察しえず、また、それらに関する情報についてもプリンシパルとエージェントの間には所有量および質に関する不平等(不均質、非対称)が存在するため、プリンシパルによる、エージェントに対する「誘因システム(incentive system)」、「モニタリング・システム(monitoring system)」の最適な制度的設計と実行がエージェンシー理論の目的となる。理想的状態では、情報が完全であり、コストのかからない契約締結が可能で、この「現実と理想的状態との隔たり」を表す金額が、『エージェンシー・コスト(agency cost)』と呼ばれるものである。代表的なエージェンシー・コストにはストラクチャリング・コスト(structuring cost)、ボンディング・コスト(bonding cost)、モニタリング・コスト(monitoring cost)、残余損失(residual loss)などがある。ただし、そこでの理論は国によって適用可能性に差異があり、それはKultur verbundenという考え方といえる。

2-2 誰のためのコーポレート・ガバナンスか

 こうして、企業体制論の最大のテーマとして、コーポレート・ガバナンス論は今や花盛りである。筆者も前記フォーラムのメンバーとして討論に参加した者であり、そこで感じたことをここに記してまとめとしよう。まず、「日本的経営に見合ったコーポレート・ガバナンス形態」の創出は、一時の迷走を経て今や危急のものになりつつあることである。周知の通り、古い日本的経営の柱だった「終身雇用」や「年功序列」は、不況の今、いわゆるリストラの波の中で完全に消し飛んでしまい、日本的経営なるものが一体何だったのかさえ問い直されている。長引く不況のまっただ中にあって、今まで以上の効率性、無駄の排除を要求される今、企業の意思決定システム、特にトップマネジメント組織におけるそれは、待ったなしの改革を余儀なくされている。同時に、このような今こそ、旧来のシステムを抜本的に改革するチャンスである、とも言えるのである。そして、過去の経験でも、何らかの目的で制度が必要となり、海外、特にアメリカの前例に従って制度を機械的に導入した結果、わが国の歴史や文化、精神的な風土に合致しない、適合しないということで、運用の段でぎくしゃくしたことは数え切れないほど経験しているはずである。
 さて先に述べたとおり、『コーポレート・ガバナンス』という単語自体が、「経営者に対する監視、あるいは締め付けのためのシステム」という意味だけを持つと考えるのはあまりに狭すぎる解釈であろう。同時に、「経営者をしてやる気を漲らせしめうるシステム」という意味合いを持つことが必要である。すなわち、

良いコーポレート・ガバナンス→→→当該企業の高いパフォーマンス

という矢印の存在を前提と考えるべきであると思われる。もちろんその場合、その成果をフェアに配分する、ということが前提になる。これはもうかなり昔から、著者はあちこちで主張していることであり、意外に顧みられないので若干不満である。
 そこで、誰のためのコーポレート・ガバナンスか、ということになると、月並みではあるが、ステイクホールダー達にとって、ということになる。

2-3 「良い」コーポレート・ガバナンスとは?

2-3-1 その定義の試み

 では、「良い」コーポレート・ガバナンスとは何か、ということになる。数年前に、コーポレート・ガバナンス・フォーラム・ジャパンが「コーポレート・ガバナンス原則」というものを公表した。これとともに、欧米のコーポレート・ガバナンス関連の研究書をあれこれと見てみると、中にはなかなか面白いものもある。そのうち、ケンドール(N. & A. Kendall):Real-World Corporate Governance, Pitmann 1998には、より建設的な観点から、次のようなことが書かれている。
 彼らによれば、コーポレート・ガバナンスは、過去の他の様々なモデルが示すような、取締役の株主に対する義務にかかわるものではない、ということが強調されるべきである。そして、国が違えば良いコーポレート・ガバナンスが何から成るかについての考え方も違うのである。こうして、現代のグローバルな企業に適用可能な、いかなる満足しうる定義も、すべての主要な国々に適用可能な何かへと、最大の経済力による最良の所業を統合するものでなくてはならない。
 本質的に、よいコーポレート・ガバナンスは、次のようなことをなしとげるために企業を構成し、活動させ、コントロールするシステムから成る、と我々は信じる。

活動の根本的な倫理的基礎、それは日常の地道な活動(「毛穴」)を通じて機能する
所有者の長期的な戦略的目標の達成、それは、勝ち抜いた後、株主価値の形成、優勢なマーケット・シェアの確立あるいは、選ばれた活動領域における技術的優位性の維持などから成る。

 これは確かに、すべての組織に共通ではないだろうが、すべての主たるステイク・ホールダーたちの期待を考慮したものだろう、特に
―過去、現在、将来の従業員の利益の考慮・世話、それはライフサイクル全体を構成する(将来のニーズの計画、リクルート、訓練、労働環境、解職と定年退職手続、そして年金生活者の世話まで含む)と考える。
―顧客・サプライヤ両方との良好な関係の維持、それは供給するサーヴィスの質、思いやりあるオーダーと会計決算手続等の見地から。
―環境や地域コミュニティのニーズを考慮に入れること、それらは共に、企業の活動が及ぼす物理的効果や、地域住民との経済的・文化的交流という見地から。
企業が遂行しているその活動がしたがっている、そこで適用されている法的及び取り締りの要件すべての順守。
 私たちの信じるところでは、首尾よく経営されている企業では前述の要件すべてが満たされるように組織が形成されていて、関係した利害関係グループすべてによって効果的に活動しているとみなされうる。そこでは、彼らが幅広い、金をかけた独自のモニタリング手続きに依存しなくてはならないことなしに、たやすく観察できるような、十分な透明性がなくてはならない。私たちの信じるところでは、そのような組織構造の下でオーナーの目標を達成する企業は、良い、効果的な形態のコーポレート・ガバナンスをもつ。

2-3-2 良いコーポレート・ガバナンスの実現のために必要なものは何か
 ここでのアプローチは、’Stakeholder-in-strategy approach’と呼ばれ、良いコーポレート・ガバナンスの実現のために必要な条件として、次の5つがあげられている。

5つのゴールデンルール

1.倫理
ビジネスに対するはっきりとした倫理的基礎
2.目標の調和・整合
適切な目標(ゴール)、適当な(suitable)ステイクホールダーによる意思決定モデルの創造により到達するもの
3.戦略的経営
ステイクホールダーの(所有)価値を取り入れた(具体化する)効果的な戦略プロセス
4.組織
良いコーポレート・ガバナンスをもたらすために、適切に形成された組織
5.報告
透明性とアカウンタビリティを供給するための報告システム

この中で、前述のCGFJが現在とり上げているのは、
4.組織
良いコーポレート・ガバナンスをもたらすために、適切に形成された組織、具体的には、首尾良く機能するコーポレート・ガバナンス・システムを支えられる意思決定構造、すなわちトップ・マネジメント組織の設計。
5.報告
透明性とアカウンタビリティを供給するための報告システム、具体的には投資家への十分な情報の提供、すなわち「良いインベスター・リレーションズ(Investor Relations、IR)」のためのシステムの設計。
の2つが中心となっており、さらに、2.も加えられるであろう。すなわち、企業が高いパフォーマンスをあげられるために必要な、
 「良い(望ましい)」株主の姿(株主構成)
 「良い(望ましい)」経営者報酬システム
 「良い(望ましい)」IR活動
 「良い(望ましい)」意思決定構造(トップマネジメント組織、ドイツ語では、‘Spitzenorganisation’ということになる)
はどのようなものか、ということである。この問題の答えは容易に出るものではないが、前述の通り、欧米企業のコーポレート・ガバナンスとその実現のための仕組みをそのままわが国の企業に持ち込むだけでは、今までと同じように、失敗するだけである。すなわち、欧米のやり方を表面的にそのままなぞって導入するのではなく、わが国の歴史や文化、精神的な風土に適合した柔軟なシステムを設計・くふうして作り上げる必要がある。
 そのためのアプローチとしては、たとえばわが国に関して言えば、執行役制度、外部監査役、委員会制度などの、いわゆるシステム改革を行っている企業について、ある程度気長に観察し、高いパフォーマンスに結びついているか、あるいはいかに両者が結びつくのかを、ポジティブ、あるいはヒューリスティックに計測する、そして確認することであろう。
 現在のところ、良いコーポレート・ガバナンス、高いパフォーマンスの両方を達成している優良企業として広く知られているのは、オリックス、ソニーの2社であるが、共通していることは、共にコーポレート・ガバナンスに対する経営者の意識がはっきりと確立していることである。そしてそれは、良いコーポレート・ガバナンスを確立するためのいかなるうまいシステムが考案されようとも、不可欠の要件と言えるであろう。


3.意思決定構造の見地からの分析

―――日独米3国でのコーポレート・ガバナンス・システムの違いとエージェンシー理論によるその解釈

3-1 トップマネジメント組織の類型の検討

3-1-1 日独米3国でのコーポレート・ガバナンス・システムの違いとエージェンシー理論によるその解釈

 非対称な情報の分布の問題に対する解決方法の探求は、企業内における組織・制度の設計の問題にあたる。それは、株主-経営者、従業員-経営者という2つの接触面に共通したテーマでもある。
 このような場合に、経営者(陣)を監視し、規律づけるためのメカニズム、あるいは手段としては、どのようなものが考えられるであろうか。青木(1984) によれば、それは次のようなものになる。

(a) 退出(Abgang)、(b) 発言(Stimme)、(c) 番人( Wachman)、(d) 法律的対抗手段 

 これを、市場を経由したメカニズムという見地から考えると、
1) 経営者労働市場 2) 会社のコントロールに対する市場 3) 生産物に対する市場
というものが主要なものとして挙げられる。では、そのための手段としてのドイツ、及び日本の現在の制度は、以上のようなフレームワークからは、どのように位置づけられるであろうか。

 まず(a)は、すでに青木(1984)でも再三述べられている通り、その有効性は限定条件つきのものと言わざるを得ない。次の(b)と(c)が、ここでの分析に有用である。(c)がここでの「制度」に対応し、(b)はその後ろだてになるものだからである。この(b)は、ドイツ、日本に限らず共通に存在する手段であるが、そのために、企業の内部にビルトインされた「装置」を通じて、匡正的な示唆、または提案を行うことができる。
 この、企業の内部にビルトインされた装置が、ドイツと日本では違う、ということである。後述の通り、ドイツの場合は「経営参加モデル」であり、日本の場合は「裁量的経営主義モデル」にあたるものである。
さて、株主をプリンシパル、経営者(陣)をエージェントと考えたとき、そこでの問題は、経営者が完全に、あるいは本当に株主のために、株主のことを考えて意思決定を行っているか、ということである。一般に企業を構成する重要な利害関係集団、あるいは有力な行動主体としては、前述の8つのうちの①+②、③、そして④を考えることが多い。(時には⑤も含める)。すなわち、株主、経営者(陣)、そして従業員の3つである。この3つの利益集団の関係がどうなっているか、力関係や影響関係がどのように表されるかは、実は世界的に見ると、国によって異なる。図3-1は青木[1984]による、この関係を表すモデルの説明である。各モデルには次のような名称が付けられている。

(1)株主主権=団体交渉モデル
(2)経営参加モデル
(3)コーポラティヴな経営主義モデル
(3a)裁量的経営主義モデル

 このうち(1)はアメリカとイギリスにおける団体交渉制度の法制的規定と現実の運用、(2)はドイツの共同決定法の法的枠組み、(3)はアメリカ、イギリスおよび日本における会社法とその実際、とりわけ(3a)は、我が国の企業のトップマネジメント組織をイメージしながら考えられたものである。この中で、今問題となるのは(3a)である。ここでSは株主、Eは従業員そしてMは経営者である。それぞれは別に一人の人間を表すわけではなく、「集団」あるいは「チーム」をイメージすればよい。そしてそれぞれを結ぶ矢印は、その影響力行使あるいは要求の方向を表している。こうして見ると、(1)は、株主が最大の影響力を持ち、その影響下で経営者が従業員へ影響力を及ぼすこと、(2)は従業員と株主が同格で、経営者をコントロールすることがわかる。次の(3)は青木[1984]では現代の日本企業の実態にあたるとされていたものだが、その後の様々な議論の後、今では(3a)が我が国の企業のトップマネジメント組織の実態に対応するものとして認められている。前述の通り株主、経営者、従業員は現代企業においてその構成メンバーのうち、最も重要な利害関係者集団である。この3者の関係がどのようにデザインされているか、すなわち企業の主要利害関係集団間の制度的な配置が「企業体制」と呼ばれる問題であり、それが制度的および実質的にどうなっているか、を研究するのが「企業体制論」と呼ばれる分野である。こうしてみると、会社は本来株主のものであったのが、所有と経営の分離の結果、経営者が実質的に会社の運営を牛耳ることとなり、それを本来の持ち主たる株主がいかにうまくコントロールするか、一方、19世紀以来政治経済を支配してきた「資本家」の支配をはねのけることから始まった労働者の闘争、そしてその延長線上にある、従業員による経営者への要求、交渉等を含めた、彼らの側からの経営者へのコントロールという2つが、そしてそのための影響(力)関係のデザインが、企業体制論における直感的かつ身近なテーマとなるのである。

図3-1







3-1-2 経営者を規律づける「装置」としての企業内制度―――トップマネジメント組織の理論

 コーポレート・ガバナンスのスタイルには普遍的モデルは存在しないといわれるが、そうとも言い切れない。経済構造・金融システムなど、各国の事情に従った、企業の存立にかかわる様々な条件によって規定され、それによる多様な形態をとっているのは確かであるが、しかし、その目標は共通して、ステイクホールダーの集合利益の極大化である。それでは、具体的に「日独のコーポレート・ガバナンス」スタイルはどのように特徴づけられるだろうか。以下では日独におけるトップマネジメント組織の概念を整理する。図3-2は、この考察の大前提となる基本図である。*6 まず、取締役会(Board)を円で表す。それはガバナンスを担当し、その中に位置する人々は、企業経営の監視に携わる。次に、この円の下に書かれた三角形は、マネジメント(Management)を意味する。すなわち企業経営の執行にあたる人々が、この三角形の中に位置することとなる。これは経営組織(Management organisation)である。このモデルは、様々な取締役会の構造を区別し、その長所短所を識別するのに使うことができる。

*6 この図も含めて、以下ではTricker(1994)より引用している。Tricker(1994),pp.44-45参照のこと。


図3-2




このようなモデルにより、アメリカのコーポレート・ガバナンスシステム(アングロサクソン型)、ドイツのコーポレート・ガバナンスシステム(大陸型)、そして日本のコーポレート・ガバナンスシステムをTricker (1994)に従い、比較していこう。BoardとManagement Organizationの関係において、トップマネジメント組織の構造は次の四つのモデルに図式化(分類)できる。

図3-3






この四つは「ガバナンススタイル」であり、図3-3は日本型ガバナンス構造、図3-4はイギリス型ガバナンス構造、図3-5がアメリカ型ガバナンス構造、そして図3-6はドイツ型(独仏型)ガバナンス構造である。上記の「アングロサクソン型」「大陸型」「日本型」の三つのコーポレート・ガバナンスモデルとの関連で、(4)(5)は「アングロサクソン型」として捉えアメリカコーポレート・ガバナンスとされる。(6)は独仏型といえるが、多くの大陸ヨーロッパ諸国にみられるガバナンススタイルである。

①日本企業のトップマネジメント組織
 図3-3は’The All-Executive Board’と呼ばれる、我が国の典型的なモデルである。ここでは、各取締役が同時に執行役会のメンバー、マネジメントである。マネジメントの役割と責任は、労働法と雇用契約で定義される。取締役に関しては、会社法や定款で定められる。 マネジメントが事業のオーナーに支配されるオーナー企業などではこのモデルがその典型であろう。この場合所有者とトップマネジメントの分離がないことから、株主の利益はこの場合、自動的に取締役会で決められる。100%所有された子会社などの場合オーナーとマネジメントの分離はない。結果として、取締役会は執行役会と同じになり、そのグループの組織とマネジメントが下す経営政策とガイドラインにしたがって活動することになる。
図3-4







図3-5






日本型コーポレート・ガバナンスでは、株主を外部者と認識しており、そのトップマネジメント組織は最高意思決定機関と最高執行機関が一体化する純粋な内部機構である。しかも、その階層的秩序構造においては、株主総会も取締役会もチェック機能の役割を持つ組織として形骸化している。監査役機能もトップ機能への有効なチェック機能とはなりえないどころか、現実にはトップへの賛同者としての立場にある。まさに内部監視機能が実質的に機能しないシステムである。また、日本企業の経営機構は資本市場による外部監視においても、1965年の『資本の自由化』諸外国企業による企業買収)に対抗するために独禁法の大幅緩和などを通じて「安定株主工作」を促進させ、いわゆる「株式の相互持合い」が金融機関を中心として進んだ。その結果、外部監視機能もほとんど存在しないに等しいコーポレート・ガバナンス構造を構築して、経営者は株主による監視(証券市場からのチェック)からも相対的に解放されることになっている。日本型企業システムは、環境としては、資本市場の規模と影響力の無さ、銀行の役割等の点でドイツ型企業システムと多くの環境的な類似点を持つ。だが、ガバナンス構造における細部ではそれぞれの特質がある。ドイツのコーポレート・ガバナンスの検討はその意味で意義がある。

②ドイツ企業のガバナンス構造

 図3-6はドイツのトップマネジメント組織を表すモデルである。ここでは執行役と取締役が完全に分離している。ここでは執行役会と取締役会では共通のメンバーはいない。取締役会の役割は、執行役会の計画や成果を監視することで、その構成や議決権などについても、所属産業や企業規模などに従って、規定がある。*7 ただ、重要な点を述べれば、ドイツ株式法では原則として株主総会が、アングロサクソン型の株式会社における「取締役」たる「監督役(Aufsichtsrat)」を決め、その中で互選で議長が決まる(なお、Aufsichtsratを監査役と訳すことも多いが、わが国の株式会社の監査役と混同しないために、ここでは監督役という呼称を用いる)。そしてそこではじめて執行役(Vorstand)が選任される、という流れになっている、ということである(なお、Vorstandを取締役会と訳すことも多いが、わが国の株式会社の取締役会と混同しないために、ここでは執行役会という呼称を用いる)。これが誤解されて、往々にして、執行役会が監督役会を決める、とか、執行役会議長は監督役会のメンバーである、などというとんでもない誤解が主張されることもあり、ドイツ企業研究の未発達さがここにも現れていると言えそうである。両者の兼任はドイツ株式法第105条で厳しく禁止されており、ありえないことである。 *8


*7 ドイツの株式会社のトップマネジメント組織の構造に関する文献は、枚挙にいとまがない。たとえば、村上・マルチュケ(1996)Ⅶ参照。

*8 伊丹[1993]、p.78に、「社長は監査役会のメンバーで、株主側監査役の選任プロセスで大きな影響力を持つだろう。」という誤った記述があり、話題となったのは記憶に新しい。


図3-6






このようなドイツの株式会社のトップマネジメント組織の形態は、その厳密さの利点と共に、場合によっては不都合な点が出てくることも考えられる。それは、ドイツの典型的な企業グループと考えられる、コンツェルンの経営に際しても、注目すべきポイントとなるであろう。すなわち、ドイツのコンツェルンについて考察するには、以上のような、ドイツの株式会社のトップマネジメント組織の諸側面にも常に目を配らなくてはならないことを意味していると考えられるのである。

3-2 経営者への影響モデル

 以上のような議論の展開から、プリンシパルの側からエージェントへ影響を及ぼすそのルートについて、理論的なものを概観してみよう。

3-2-1 エージェンシー・コストの削減のための方法…経営者を規律づける「装置」としての、企業内外の制度

 では、企業内のエージェンシー関係の場合、経営者(陣)を監視し、規律づけるための「制度」としてのメカニズム、あるいは手段としては、どのようなものが考えられるであろうか。
 この点については、青木(1984)、およびシュプレーマン(1990)に、興味深い分類がみられる。本稿では、ドイツとの関連ということから、後者を採り上げ、検討する。
 シュプレーマンによると、経営者をコントロールするメカニズムが有効に機能すればするほど、エージェントとしての経営者とプリンシパルとの間の関係は、より簡素にかつ余分な責任関係をそぎ落として形成されうる。個人的かつ主観的な行動様式が客観的な規則やメカニズムによって排除され、置き換えられれば、契約というものの市場性が高まる。すなわち市場を経由した解決方法が有効になる。
 そのようなメカニズムとしてつぎの7つが挙げられている:

(1)報酬(Belohnung)、(2)発展(Evolution)、(3)法的規制(Gesetz)、(4)労働市場(Arbeitsmarkts)、(5)集団による意思決定(Fuhrungsgruppe)、(6)名声(Reputation)、(7)族意識(Clan)
 これらのうち、先回りして述べてしまうと、ここでのテーマに直接関係し、重要なのは(1)、(3)、(5)、(7)の4つ、特に(3)、(5)の2つである。ただし他の項目も、当然無視することはできないが、たとえば (7)の希薄化が今、問題となって、ここで採り上げられているようなテーマが検討の対象となっている、と考えることができるのである。こうして、ここでは(3)、(5)が主テーマとなる。以下順次検討してゆくこととする。

(1)報酬(Belohnung)

 プリンシパルの目標に沿った行動をエージェントにさせるべく報酬体系を形成する、という常套的かつ古典的な議論である。利益分配、ステイタス・シンボルの供与など、ごく常識的なものである。

(2)発展(Evolution)

 製品市場での競争が経営者を規律づけるために貢献するという、超古典的かつ西ドイツではなぜか広く信じ込まれている議論である。自社の生産技術の向上、新技術の開発、製品の改善、原価の低減などが、資本提供者へ向けた経営者の「努力の証し」となり、また、これに成功しないことが「創造的破壊」のプロセスへ当該企業が巻き込まれることを意味する、と主張している。このような競争プロセスへの経営者の「巻き込み」は、まったく無力なものではないであろうが、これ自体は特に新たに始まった事態ではなく、とりわけ拘束力のあるファクターとは言い難いと思われる。

(3)法的規制(Gesetz)

 客観的な自社の情報を定期的に準備する義務の存在は、経営者のコントロールに「疑いなく」貢献する、という主張である。ドイツ株式法では、第162条から第169条までで、外部の複数の監査人、および第170、171条で監査役会(der Aufsichtsrat)により決算を監査する包括規定が組み込まれており、また第177、178条では株主総会後に、承認された決算書類が遅滞なく所定の書式で公表されねばならないことが規定されており、それを、その根拠として挙げている。この制度の本来の目的からいえば、なるほどそのとおりであるが、周知の通り実はこれらの規定が「空洞化」しているところに、経営者をコントロールする「装置」の議論が端を発しているのであり、話が振り出しに戻ることになる。

(4)労働市場(Arbeitsmarkt)

 経営者自身が、自らの経営成果の良し悪しで「経営者労働市場」で価格づけされ、それにより自らの収入まで決定づけられることから、経営者は努力せざるをえなくなる、というこれまた大変古典的な議論である。これについてはのちに再度言及することになるが、古くはFamaらに始まるこの「経営者労働市場」の概念は、他の経営者たちをも含めた相互の統制・監視という考え方がそのユニークさであったが、実はそれは「虚構的市場」であることも少なくない。また、各国ごとの実状に大きく左右される議論でもある。

(5)集団による意思決定(Fuhrungsgruppe)

 意思決定を行うのは経営者一人ではなく、執行役会(ドイツ株式会社におけるder Vorstand)という「グループ」であり、経営者はその中でコントロールされうるし、意思決定自体も切磋琢磨されうる、という極めて楽観的な主張である。

 ドイツ株式法第77条によると、執行役会が複数の人員から成る場合、執行役会構成員はすべて、共同でのみ会社の経営に携わりうることになっている。ただし、執行役会の職務規定や定款で、例外を決めることはできる。とはいっても、執行役会内部で意見の相違があった場合に、少数派が多数派を押し切って決めてもよい、という規定を作ることは、認められていない。たとえば、ドイツの銀行では、9000万マルクを越える融資は執行役会構成員の全員の承認を得た時にのみ行われることになっているという。ただし、次のようなことがあったのも事実である。すなわち、かつて、銀行ではないが、ある国際的に活動している株式会社の、執行役会議長が、事前に誰にも告げることなく10億マルクを投資してしまったことを、ジャーナリズムに告白したのである。

 よく取り沙汰される、執行役会議長が持つこのような強大な実質的権力は、監査役会がドイツ株式法第84条にもとづいて行う措置によって制約を受けることになっている。監査役会が、まず執行役会議長を選び、その(公開あるいは非公開による)推薦により、関連した執行役会構成員を任命すると、執行役会議長に対する執行役会構成員の従属性は退けられえないであろう。しかし、監査役会がそれに対応して、個々の執行役会構成員に直接的・非公式的な接触を行えば、それによって、執行役会内に、つりあいのとれた権力配分が成されうる。ただし、これによって執行役会議長が、そのような、ある意味で逆向きの動機づけ効果を持つ「合法的規制」のもとでのコントロールの強化により、自らが見捨てられているかのような認識を持ってしまったり、監査役会の信頼を享受しえないと感じるようになってしまってはならない、とシュプレーマンは説いている。

 ここで成されている主張は、一見して明らかな通りに、ごく建前的なことである。それは、極端に言えば、会社法の精神を「無菌的」に述べたものである。すなわちこのような議論は常に「建前論」と「実態論」に分かれてしまうものであり、シュプレーマンの議論は、言うまでもなく前者を感触的に述べているに過ぎないので、それ以上の洞察を与えるものではない。ただし、このような制度が実効をあげるようにするためにはどのような制度設計を行なえば良いのか、という議論に進むことは当然可能である。

(6)名声(Reputation)

 企業に対する大衆の尊敬の念は、名声のしるしである。名声は抽象的なものであり、会計数値化することはできないものの、すべての計画の促進に役立つであろう。数多くの、意見形成の元になる前例のもとでの安定的な立派な振舞いによって、さらに名声が形成される。そしてそのような、名声の持つ促進的な効果にもとづき、資本提供者は、経営者がそのような企業の名声作りにどれだけ貢献したかによって、経営者を判断することができるであろう。企業の名声を、必ずしも常に正確ではないにしても、たやすく確認することにより、経営者の評価を行いうる。そのような意見形成という意識のもとで、経営者は規律づけられるであろう、というのがこの議論である。

 ここでの議論は、さきに述べた「明文化されない規律制度」のひとつとして注目してよい。シュプレーマンは、このReputationに関連して、信頼(Garantie)という概念も提唱しており、これも内容としてはほとんど変わらないもので、やはり同様の発想によるものであり、従来からのエージェンシー理論における、ある意味で「固い」発想からは多少脱却したものとして、面白い。さらにそのような「財」の流通する「市場」に関する議論も興味深い。

(7)族意識(Clan)

 階層構造を成す社会というものは、組織論的には族意識のもとに理解され、そこでは新人の採用ならびに昇進というものも、ある基準のもとに決定される。そのような採用、ならびに昇進にあたり、社会の価値概念を個人がどれくらい同化しているであろうか。そしてこの場合の基準というものが、ここでいうコントロール・メカニズムとして機能しうる、という考え方である。たとえば、ある上役が部下を持ったときに、物質的な点に関しては申し分のない能力があったとしても、組織全体とは異なった価値概念を持っていたならば、そのコントロールには別途に膨大な官僚主義的規律が必要となるであろう。一方もし、上役が部下を選ぶときに、組織と価値概念を同一にするような人物を選んでおけば、彼が要する監視費用はおおいに削減されうるであろう。価値概念の共有という意味で、組織構成員は皆、個人的調和の義務を感じるようになる。資本提供者は、経営者の選択の際に、その専門家としての質のみならず、彼が持つ価値概念にも注意するようにしておけば、監視費用、すなわちエージェンシー費用を低くすることができるであろう。同じことは、監査役会構成員の指名の際にもあてはまるであろう。

 経営者に対する規律制度としてのこのような「族意識」という概念は、よく考えてみるとけっして目新しいものではない。しかし、実はこれは、いわゆる「日本的経営論」の重要なコンポーネントとなっているものである。この2つを結びつけた観点は、我々も注目すべきである。





図3-7 企業における階層構造とエージェンシー・コスト

 以上見てきた、シュプレーマンによる興味深い分類により、我々は次のことに気づくであろう。
 まず、経営者をコントロールするメカニズムには、大きく分けて
①企業内に構築される「装置」としての制度という形でのコントロール・メカニズム
②企業を取り巻く市場を経由したコントロール・メカニズム
の2つがあるということである。ただし、①は②のバックアップを前提として機能していることもありうる(たとえば、①の範囲内に留まることにより、②の中へ弾き出されることなく活動が進められる、など)という意味で、①は②と重なっている、あるいは①は②の一部分である、ということもできるであろう。そしてまたそれは、企業を一つの活動体としてとらえるならば、企業の、①内部的、②外部的、なコントロール・メカニズムということもできるであろう。
 われわれの分類では、シュプレーマンが挙げたファクターは次のように再分類されうるであろう。
①(1)報酬、(3)法的規制、(5)集団による意思決定、(7)族意識
②(2)発展、(4)労働市場、(6)名声
 もとより、これら諸要因にはまわりとの境界線がはっきりしないものもあり、たとえば、(6)などは、いったいいかなる市場が経営者をして直接規律づけるのか、若干の疑義なしともしないのであるが、経営者の経営成果、人となりが経済社会という「鏡」に投影され、それが当該企業の評価の一側面となって行って、ひいては資金調達の容易さなどへ反映されて行く、という意味では、企業外部からの規律づけ、一つの面として資本市場とつながったメカニズムである、いうことができるであろう。



4.「日本的経営」「人本主義」の終焉とコーポレート・ガバナンス



いわゆる「日本的経営」とよばれ賞賛されてきた様々な経営技法のかなりの部分がバブル経済の崩壊以来姿を消さざるを得なかった。特に「人本主義」の名で常に企業中心・経営者主導で行われてきた経営思想は基本的に滅び去ったというのが定説である。そこで特徴的なのは「暗黙」体制の終焉である。財務の分野でいえば、まず従来の、暗黙の了解によるグループ内資金調達が完全に見直された。すなわちより安価な資金調達手段が他にあっても、同一グループということでグループ内資金調達に頼り、暗黙のうちにお互いをかばい合っていた「暗黙体制」はもはや通用せず、純粋に「目に見える」効率主義による資金調達、厳しい競争を勝ち抜くために今や他の企業グループとの協力、さらには企業系列にまたがる銀行の合併が起こったことは記憶に新しい。こうして人本主義と称して目に見える合意なく、事実上は終身雇用制、年功制に基づき人件費の暗黙の漸増を認めていたが、それらのあっけない崩壊に伴ってこれも見直され、「人本」主義ではなく本来の資本主義に戻った、効率主義による支出の見直しなどの傾向が顕在化している。これらの状況に共通するのは情報開示あるいは内実のガラス張り化である。これはコーポレート・ガバナンスにとって大変重要な意味を持つ。
 コーポレート・ガバナンスという見地からは、現在ドイツで取り上げられているトピックは何か、ということになるが、バウムス(94)によると、次の3つの問題が取り上げられている。
 ①金融機関による企業の株式保有は制限されるべきか、
 ②寄託議決権制度は改変あるいは修正されるべきか、
 ③監査役会の機能を実質的、実体を伴うものへと持って行くにはどうすれば良いか、
 そして、次の二つも特筆すべきである。
 ④金融機関と企業の間の人的・資本的関連は問題にされるべきか、というテーマに関する公聴会が実際に開かれたこと(1993年11月8日)。
 ⑤子会社などの企業集団に関するコーポレート・ガバナンスについての法、あるいは規制への関心の高まり。
ドイツにおいても銀行にとっての環境変化(企業の銀行離れ)がかなり顕著に起こっており、銀行にとっては従来のように安閑としてはいられなくなりつつあるのは日独共通である。一方また、この④の議論に見られるように、問題が直視され、公の土俵の上に乗せられるということは、わが国との大きな差異であると言える。この点については、
Ⅰ 日独両国の国民性の違い(例えば、阿吽の呼吸、などという言葉に代表される高コンテクスト文化の日本と、正反対の低コンテクスト文化のドイツ、すなわち曖昧さを美徳とするかどうか、など)
から始まって、
Ⅱ 戦後の体制変革に対する姿勢の違い(ナチスに対する姿勢に見られるように、是々非々の態度を貫くドイツと、あくまで体制側の立場から戦後も一貫してその維持をねらい続けた日本、など)
Ⅲ 文化・地理的事情の違いによる開放性(あるいは閉鎖性)の違い(例えば、島国であるため国境の概念が希薄で、ドイツにおける対EC諸国との関係にあたる概念が、日本にはない、また、その意味で侵略という言葉に対する意識も異なる(希薄である)など)、
など、様々な定性的な側面を考慮する必要がある。5)
 たとえば、コーポレート・ガバナンスの見地からは、ドイツにおける銀行の企業に対する影響力の行使は、明文化された制度を直接利用しているところに特色がある。いわゆるハウスバンクにしても、わが国におけるメインバンクのように、陰伏的に、それとなく影響を及ぼそうという態様とははっきりと区別される。これには、前述の文化的あるいは民族的な差異も大きな影響を及ぼしていると考えられる。
 日独の「コーポレート・ガバナンス」の比較という見地から述べれば、建て前と本音を分け、実態と外見を区別するわが国の歴史的文化的体質から、日本の銀行がドイツのような役割を果たすのは不可能であると思われる。それはドイツにおける企業と銀行の関係に対する社会の目・規制にあたるものが我が国には全くないことにもよっているであろう。制度的な面に目を向けても、たとえば東京三菱銀行は、合併後、ドイツにおけるユニバーサル・バンクに類似した機能を備えつつあると言われているが、それは純粋に(すなわち機械的な意味で)業務が類似してきただけで、「リレーショナルな規制」を効果的に実行するために必要な倫理的バックグラウンドは、残念ながら備わってはいない。かけ声だけでない真の「企業倫理」が我が国でも着実に根付く土壌ができない限り、この問題に進展はあり得ない。 


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