自治体の政策決定者 - それは、担当者のときもあれば、部長課長のときもあり、市長や知事のときもありますが - が、地域の政策課題に直面したとき、どのように解決策を創り出し、政策として決定し実施していくのでしょうか。たとえば、自動車公害への対策を最初に打ち出すのは、大気汚染が最もひどい地域でしょうか。公害反対運動が激しく起こっている地域でしょうか。答えは、イエスでもあり、ノウでもあります。解決すべき課題が深刻である地域で、新たな政策が早く採用される傾向にあることは確かですが、それほど深刻でない地域でも同じような政策が採用されることもしばしば観察されます。
本書は、こうした自治体が管轄する区域内の諸条件だけでなく、それ以外の要素が自治体の政策採用に関っているのではないかと考えます。それ以外の要素とは、他の自治体がどう動くかということです。隣の自治体がやるから自分たちもやる、逆に、あそこがやらないからうちもやらないという判断が、政策決定に占める割合が大きいと考えます。一般に、横並びという言葉は、どこをとっても変わらない金太郎飴的な、自治体の独自性のなさを非難するために使います。しかし、本書では、必ずしもそうではないと考えます。
自治体が新しい政策を打ち出そうとする場合、政策決定者はさまざまな可能性を考慮しなければなりません。「この政策は、期待どおりの成果をあげるだろうか。」「議会にかけたら、議員の先生たちが反対しないだろうか」「もしかしたら、国から待ったがかかるのではないだろうか」。こうした、結果がどう転ぶかわからない状態を不確実性と呼びますが、不確実性が高い状況で政策決定をする際に役に立つのが、他の自治体の行動です。よその自治体がすでに政策を実施していて、成果をあげていれば、自分たちが同じような政策を採用して失敗する可能性は下がりますし、反対者を説得するのも容易になるでしょう。また、あまりに多くの自治体が採用してしまえば、国も反対できなくなる、いやむしろ、国も積極的に取り組まざるをえなくなるでしょう。
ですから、自治体はほとんど常に、他の自治体がどのように動くかに気を配っているわけです。これを本書では、相互参照と呼んでいます。相互参照は、自治体が新たな政策課題に直面して新政策を作り出す際に、不確実性を減らすための知恵なのです。もしかすると、一番最初に政策を採用するところはどうするのだと反論されるかもしれません。一番乗りの自治体は、非常に深刻な政策課題に直面し、住民運動などに突き動かされて - これを内生条件と呼びますが - 政策を採用することになるでしょう。しかし、この先駆者も、他の自治体に照会をかけて、何か対策を講じていないか調べたり、検討の予定がないか尋ねたり、共同で取り組もうと誘ったりするのです。これらも相互参照の一形態です。先駆者もまた、後続があることが確信できれば、安心して先陣を切ることができるわけです。
自治体が相互参照をしながら、政策を採用するかどうかを決定するということは、ある自治体がある政策を採用すると、いずれ同じような政策を多くの自治体が採用することを意味します。これを政治学者は政策波及と呼んでいます。政策波及の例は、古くは公害防止条例、自然環境保護条例、最近では、情報公開、景観条例、福祉のまちづくり、政策評価などなど、非常にたくさんのものがあります。これは、自治体発の政策イノベーションが社会に定着することを意味します。
一方で、国がある政策を採用すると、県や市が雪崩をうって、同様の政策を取り入れる場合もあります。これを横並び競争と呼びます。国の政策採用は、行政がその課題に取り組むべきことを示すGOサインですから、自分だけが遅れるのはまずいわけです。(じゃあ、相互参照と横並び競争はどう違うんだという人がいますが、そこまで言う人は、拙著を読んでください。たぶん、私なりの区別は書いてあると思います。)
以上のような観点から、自治体が政策を策定し採用する過程を理論化し、4つの政策 - 情報公開条例、環境基本条例、環境アセスメント制度、福祉のまちづくり条例 - に適用して、理論が現実を十分説明するかどうか検証したのが本書です。
ところで、この本の元になった論文は、同名の博士論文です。かなり圧縮して、平易な表現を心がけたつもりですが、主な読者は、地方自治や政治・行政を専門に研究している人、大学院生などを想定しています。直接実務に役立つように書いたものではありませんし、誰が読んでもわかるとは言い切れません。それでもお読みいただける方に、ひとこと述べておけば(余計なお世話ですか?)、第1部は手ごわいかもしれません。ただ、実務に携わっている方には、実感としてわかっていただける部分があると思っています。事例研究(第5章から第8章)は読みやすいと思います。統計分析 ― データを公開しました - は、わからない人は読み飛ばしてください。大勢に影響ありません。
それにつけても思い出されるのは、私が自治体職員だったとき、新しいことをやろうとすると必ず上司や先輩から言われたことです。
「国はなんと言ってるんだ!」「よその県はどうしてる?」
この本の出発点は、もう体に染みついてしまっているこれらの言葉にあります。