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なんで、こんなことを書いたかというと、 今朝方、虫を見ることも殺すことも嫌悪する妻に、 台所のチビゴギブリを潰すように頼まれたからである。 ぼくは、必要とあらば(台所にいるというだけの理由でゴキブリの尊い生命を断つことが「必要」かどうかの議論はパス)ゴギブリなどの虫を潰すのは一向に平気で、小さい奴なら(妻には内緒だが)咄嗟の場合に素手で潰すこともある。

だが、そんな冷酷無比な私でも、ヤモリは苦手だ。 ぼくらの住んでいる学習院のアパートの裏には、草木の繁茂する相当じめじめした斜面があり、そこから、ムカデとかヤモリとかが、まれにではあるが、ご来訪になる。 (一度、ぼくの家の裏に体長30センチを越す亀が出現したこともあった。) この数年間に、2回か3回か、家のなかでヤモリと出くわし、 裏山にお帰りいただく、 あるいは、しかたなく攻撃する、という対策をとったのだが、 (この文章が硬化していることからも、察知されるであろうやうに) こういったときは、 本当に身震いするほど気持ちが悪く、 全身鳥肌だってしまう気になる。 いま、思い出しても、ぞぞぞおおおっとする。

この生理的恐怖の原因は、 ヤモリの形態がわれわれに近いことに尽きると考えている。 四肢のある胴体と頭をもち、さらに、頭には二つの目。 兄弟とは呼びたくないが、相当に近いお仲間であることはたしかだ。 そして、ぼくは、自分に比較的近い存在であるところのヤモリを、 攻撃・排除しなくてはならないという状況に嫌悪しているのだと思う。 上の生物の「定義」に従えば、ぼくにとって、 ヤモリはゴギブリに比べて「より『生物』」なのである。

この推論を押し進めると、

たとえばゴキブリなどが偶然にもわれわれ人間に近い形態をしていたら、 ゴキブリの殺傷や(ゴキブリホイホイなどを利用した)大量捕獲は、 猛烈な生理的嫌悪感・心理的苦痛を伴うものになるのではないか
という吐き気をともなう妄想へと到る。 (「ぼのぼの」でいう「恐い考え」ですな。) 機能も知能もすべてゴキブリで、 かさかさと台所の隅を徘徊するのだが、 色は(黄色人種たるぼくの妄想ゆえに)肌色で、四肢と頭があり・・・・、 触ったときの感触は・・・、そして、潰すと・・・・・・・・・・・

と考えていたために、 朝のさわやかなはずのひとときに、 またしても全身鳥肌だつ恐怖感に襲われてしまった。 せっかくなので、 この鳥肌をネット上で一人でも多くの方と共有しようと、 この小文を書いたのであった。


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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp