すこし前になるけれど、「黒木のなんでも掲示板 2」への書き込みのなかで、佐々さんがぼくのやっていることに触れてくれた。 (ちょっと、持ち上げてくれすぎで申し訳ない。) これを読むと、田崎はさぼって暮らしているのではない、ということがわかる気がしてうれしい。
佐々さんの記事に出てくるぼくの仕事のうちの二つ目は、
(量子)統計力学と(量子)力学から熱力学をだすという話になる。 できてみるとほぼ当たり前で、証明もきわめて初等的なのだが、結果がすっきりしているので、 ともかく、論文を書いているところ。
この仕事ができたのはおそらく7月の前半。 7/31 には知り合いに向けたノートも完成していた。 けれど、結果のもつ意義がなかなか把握できないまま、 論文を書かずにいたのだった。 最近になって、ようやく、示した結果のもつ意味がある程度みえてきた気がするので、新学期のごたごたの前にまとめてしまおう、という計画。
「統計力学の基礎付け」とか 「熱力学と力学・統計力学の関連」 みたいな抽象的な問題設定で研究していると、 どうも、この 「自分の仕事の意味がわからずに悩む」 という感覚がついてまわる。 問題設定が抽象的である以上しかたがないことかもしれない(だいたい、「統計力学の基礎付け」など、 なにをもって正解とするかという点からして答えようのない大問題なのだから。)けれど、どうも未だにしっくり来ないのだった。 もちろん、「しっくり来ない」というだけで撤退する気はないけれど。 ただ、かつて、量子スピン系やハバード模型を研究していた頃、 野生動物のように、解くべき魅力的な問題を嗅ぎ付けて、わき目もふらず全力で倒し、ほとんど動物的な快感を覚えていた(ように自分で感じていた)のを思い出すと、なんとなく懐かしくなってしまうのも事実なのだ。
(付記:以前に、「量子力学のみから熱力学をだす」という、 より過激な路線で、はるかに不完全なことを導き、 論文(←ミスもあるし、近く差し替えの予定。 このままの形では出版しないことにした。)まで書いたのだが、 じつは、この仕事の(はじめは自分でも不可思議で理解しきれなかった) 技術的なエッセンスを(また別のアイディアがきっかけになって)自分なりに消化したら、 今まとめている仕事ができていたのであった。)
大学はまだ夏休み(ただし、会議等はある)ですが、 小学校・中学校がはじまったので、 家庭人の私の生活は激変。 夜寝る時間はあまり変わらないのに、朝は6時代に起床。 子供といっしょに家を出て、朝早くから大学で論文を書いています。 当然ながら、ねむい、ねむい。 あまり眠いとモードの切り替えができないようなので、また論文を書きます。
ここ何日か、ふと雑用が途切れて (忘れているだけかもしれない(と書いた瞬間に三つほどやらずに放ってあることを思い出してしまった)けれど)、 物理学者としての仕事に専念できていてい、うれしい。
昨日は、この間ふれた論文の最初の草稿を仕上げて、 まずは謝辞にお名前をのせた人たちに送った。 一応、彼らに見てもらってから、頃合いを見計らって公開しようと思っている。 (研究を秘密にするという考えはまったくない。 ただし、 謝辞に名前をのせてほしくない人が万が一いた場合に、 その人の名前をのせたものを勝手に公開してしまうのは失礼にあたる、 とぼくは考えているので。 もちろん、謝辞に名前をのせることを拒否されたことはないけれど。 (ある日、雑誌を手に取ったら、見たこともない論文の謝辞にぼくの名前がのっていたことがあった。 もちろん著者は面識のある人だったが、 これには、 さすがに文句を言った。))
やはり、 昨日くらいから、非平衡統計力学で fluctuation theorem として知られている一連の結果の勉強をはじめた。 たまたまはじめに読んだのは(スタンダードなものでなく)、その量子版 quantum flctutation theorem 略して QFT を模索した仕事。 (QFT、なつかしい響きではないか。 (ずっと昔、QFT = quatum field theory を勉強していたことがあるので。)) 真面目な話、 その QFT もどきの効率的な導出などを工夫してみると、 たとえば、
二つの量子系を異なった温度の Gibbs 状態におき、 両者を相互作用させて時間発展させるといった問題で、 エネルギーの移動(もちろん、高温から低温に移動します) についての厳密な評価が、かなり簡単にできることを知った。 大したことではないのだろうが、 こんなことが簡単にできるとは夢にも思っていなかったので大いに驚いている。
今日は、さらに fluctuation theorem 周辺の論文をコピーしてお勉強をしているのだった。
ラッセル「西洋哲学史」1, p. 130 に出てくるエピソード。 (元ネタは、ジェイムズらしい。)
笑いガスを吸ってハイになると、いつも宇宙の秘密を完全に知った気持ちになるという男がいた。 しかし、残念なことに、ガスの効果が醒めて普通に戻ると、 その秘密のことを全く忘れてしまうという。 何度もそういう体験をした後、 その男は、すさまじい努力を払って、ハイになっているあいだに、その秘密を紙に書き留めることに成功した!
そして、ガスから醒めてから、その紙を読んでみると、
石油の臭いがいたるところに立ちこめている。とだけ書いてあったそうだ。 幻視などによる主観的確信があてにならないことの例だけれど、 なんか迫力があって笑える。
Higgs 粒子がみつかったかもしれない、 というニュースが流れ、 いろいろなところで話題をよんでいる。 われわれ理論物理研究室の廊下の掲示板にも、 Higgs の徴候を示す実験データのグラフがいちはやく貼りだされた! (ぼくが貼ったんだけど。 じつは、何のグラフかもわかっていないのだった。 元ネタは、公開されているセミナーの OHP らしきもの (2Mbyte 強あるので注意だそうです。 Thanks to Yujit.))
場の量子論 (quantum field theory = QFT) については、 (とくに物理的の内容に関しては)素人の横好きのレベルの知識しかないのだけれど、 それでも、 ゲージ+物質の場の理論は形式的にきわめて美しいのに、Higgs の部分だけが汚く、かつ、理論的に稚拙だと強く感じる。 しかし、(今回の実験とは無関係に)種々の粒子に質量を持たせるには今のところ Higgs mechanism しかないことになっているので、 汚いというだけの理由で Higgs を捨てるわけにはいかないのだろう。 (「僕にもわかる最先端科学:ヒッグス粒子と質量」なんてのが、あった。 Thanks to Yagi san. しっかし、Higgs mechanism の説明が難しいのはわかるが、「水中で抵抗を受けるのと同じで重くなる」っていう説明はありかな? 昔のエーテルの話と同じで、 それだと、地球なんかもだんだん減速してしまう気がしてくるんではないか? (めずらしく、誰にでも言える月並みないちゃもんをつけてしまった。))
それにしても、Higgs 関係の理論のことなどを思うと、大自由度量子系の自発的対称性の破れなんて人類には全然歯が立たないというのが実状だということを思い知らされる。 あれほど洗練された理論のはずが、肝心の Higgs mechanism による対称性の破れの解析は、本当にお粗末な平均場理論で、局所ゲージ不変性の深い意味など、どこかへ忘れ去られてしまう(ように思う)。 対称性の破れを、もう少しまともにあつかえるようになれば、 いろいろと学ぶことがあって、 Higgs mechanism などについても再考の余地が出てくるのではないか、 とか思っているが、 問題は異様にむずかしい。
実験で Higgs がみつかるかどうかは、 やはり気になる。 でも、あっさりみつかってハッピーになってしまうより、 できれば、予言した範囲にみつからず、「これは何かおかしいぞ、考え直そう」 という方向に話が進んだ方が、ぼくとしては何となく嬉しい。 (とは言っても、Higgs の質量の予言にはやたら不定性があるらしいが。)
(この段落は、自分が数年後に読んで楽しければいいというノリで書いているので、読まないで下さい。)Quantum Fluctuation Thoerem と呼んだ(ぼくが命名したわけじゃない)ものの本質は、どちらかというと、Quantum Jarzynski relation の側面にあるな、と思うことにした。 この4,5日で、かなりいろいろなことがわかり、 Jarzynski の方法が、きわめて「使える」ということを実感した。 (巧みな技術ということをこえて)物理的な本質があるのかどうかは、未だわからない。 この方法が、(ひねりを加えない限り) canonical 分布にしか使えないというのもひっかかるところ。 canonical 分布は、情報理論からみても特権的なものだし、 なにか数学的偶然があるのかもしれない。 ぼく自身の本質的な貢献はないけれど、 話は整理されてきたので、 また unpublished note をまとめて公開しようかな。
To understand irreversibility observed in macroscopic world from microscopic mechanics is one of the unsolved fundamental problems in physics.と書くはずだったのが、 unsolved を、おそらく unsloved とかうちまちがい、 それをスペルチェッカーにかけて、 むこうが示唆してきた候補を適当に OK していたら、
マクロな世界にみられる不可逆性をミクロな力学から理解することは、 物理学における未解決の根本的な問題のひとつである。 (へたっぴな直訳。)
To understand irreversibility observed in macroscopic world from microscopic mechanics is one of the unloved fundamental problems in physics.になってしまっていた。 読んでくれた人に、「マジですか」と聞かれてしまった。
たしかに、基礎的な問題が unloved なことを日頃から嘆いてはいるのですが・・・
月並みですが、それにしても、昨日の豪雨はものすごかった。 多くの人が被害にあわれたようで、心配です。
ちなみに、ぼくの新しい論文では、ぜんぜん違う方法で、 単純系のエントロピー増大則を示しているが、 こっちは初期分布はカノニカル、ミクロカノニカル、などいろいろ取れる、という点でつよい。 今、最後の仕上げをしているので、明日くらいに雑誌と preprint server に送りたいものだ。
というわけで、(きわめて創造的というのとはほど遠いが)けっこうよく働いている。 講義がはじまると、集中して仕事をする時間もなくなるので、 今のうちにがんばろう。
なにか書き忘れていると思ったら、 きのう論文を仕上げられなかった主要な理由が抜けていた。
昨日の午後は、理学部周辺で、消防車も出動して、大々的な防災訓練があったのだ。 ぼくは、普通こういうのは出ないのだが、 今回は、気付いてみると理学部自衛消防団かなんかそういう名前の組織の、 なんと、
警備班班長になっていたので、仕方なく出席して消火訓練とかをみながら仕事のことを考えていたのだ。
それにしても、ぼくのような、強そうには見えない(そして、実際つよくない)人をそんな役にしていいのか?
では、副班長には、頑強で機敏な人が抜擢されているかというと、 ちょっとちがう。 というより、すごくちがった。 実は、副班長は同じ理論物理研究室の K さん(←若い方だよ)なのだ。 どうみても、理学部教員のなかから、 弱そうでマイペースで(すぐに物理の話を始めて我を忘れるという)警備に向きそうにない二人を選抜したとしか思えない。 かつて K さんとぼくが書いた論文(K さんのお仕事で、ぼくは、 技術的改良に貢献)は、素晴らしいとぼくは思っていて、 今でもぼくのもっとも優れた論文の一つに数えている。 そういう意味では、われわれは名コンビだと思うが、 警備にはちょっと・・・
しかし、 警備班の実動的メンバーである職員のお二人は、 咄嗟の判断力、行動力、体力、機敏性、など警備班に必要と思しきものをすべて備えた優秀な方々だということを付け加えておきましょう。 くれぐれも、警備班班長の人選のみにもとづいて、 学習院大学理学部は非常時における警備がぐすぐすだから、 火事場泥棒のターゲットにしよう などと思わないように。 (それに、あまり盗む物もないよね。 高価な物がないとはいいませんが、実験装置とか盗んでもしょうがないでしょう?)
第二法則の論文の公開版。 すっきりとまとまっていると思います。 ここで言っている Quantum Jarzynski relations についての unpublished note も、 昨日 preprint server に送りましたが、週末なので、なかなか載らないかも。
先日、試験の答案を取りに来た学生さんとのやりとり。
田崎:はい、どうぞ。
×君:あ、どうも。
田崎:じゃ、これからも頑張って下さい。何かあったら来てね。
×君:(答案をしまいつつ)そういえば、最近、ホームページの方・・・
田崎:あ、読んでくれてる?
最初の頃は、読んでるのは外の人で、中の人(←学習院大学物理学科の人という意味)はほとんど読んでないみたいだったけど、最近は、かなり読んでくれてるみたいだね。
(←アクセス解析の類はいっさいしていないので、当てずっぽうで言っている。)
×君:あ、ぼくも友達に聞いて。
そしたら、ぼくの事が書いてあって・・・
田崎:あ、そうそう。これ、ネタにさせてもらったんだ。どうも。
これからも、
ぼくの前で面白いことをすると載るからね!よろしく。
×君:え・・・・・・・・・・あ、・・・・・・じゃ、どうも・・・・・・・
(いっさいの特別の動きや言動がないように細心の注意を払いつつ、
部屋をでる。)
それでも、載った。
unpublished note の方も preprint server に登録されました。 (随分のろい。) ここです。 (特に感心のある方以外はみる必要なし。(あたりまえか。))
ドラクエ7。CD 1枚目半ばを過ぎたあたり(?)でやたらフリーズすると思ったら、ディスク裏面に傷が・・・。 (知っている人はみんな知っているが)CD のデータは、裏ではなく、文字や絵が印刷してある表側に書き込まれているので、裏が多少傷ついてもデータは読めるようになってはいるのだが。(ぼくは、宮岡さんにじきじきに教わりました。)
まえに pdf のつくりかたを教わったと書きましたが、 早速(でもないが)いくつかの日本語の解説の TeX file を発掘してきて (これに、時間がかかった!ハードディスクに入れといても、機械がかわればおしまいだし。)、pdf になおしたものを、 ホームページの「日本語で書いた文章」の「いくつかの解説」というところに置いておきました。 特に「スピンはそろう ― 強磁性の起源をめぐる理論」は、Heisenberg 以来の強磁性の起源の模索の歴史のなかに位置づけて、ぼくのこれまででの最高の仕事を(最後にちょろっと)紹介したというすごい解説。 田崎という奴はどういうことをやったのだろう、と思われる方が万が一いらっしゃったら、ちらっと見てやって下さい。 量子力学を知っていれば読めるはずですが、 たしかに、(ぼくの書くものはいつでもそうだが)密度の濃い読み物ではあります。
ほかの文章についても、気が向けば、ここで解説していきます。
熱力学については、 シラバスでも宣言したように、 自分の本を「脱構築」しつつ、 (「決定版的著作」に縛られることなく) 自由に生きのいい講義をしたいものだ。 とくに、平衡状態の導入などについては、 本のやり方が不満になってきたので第0法則を前面にだした定式化を採用する予定。 (ちなみに、本の英語版(書く暇があるのか?)では、こっちを使おうと思っている。)
統計力学は、 順番をかえて、相転移を先にやるか、悩んでいる。 van der Waals 流体のまともな扱いをやりたいのだが、 どうも釈然としないんだよね。 あ、今年はまだ grand canoncial ensemble を導入していないんだっけか? そういう気がしてきたぞ。 うううむ。(例年通り)量子理想気体をものすごーくちゃんとやるためには、 時間がかかるし、 つらいところだ。
お。 あと、リポビタン D も購入しておかねば。
金曜の講義+ゼミで疲れ切って以来体調が悪く、 週末もノタノタ行動していたけれど、 いくつか理解すべきことが理解できた。
S. Nakano, Linear Response Theory: A Historical Perspective, Int. J. Mod. Phys. B 7, 2397-2467 (1993)のコピーを入手。 いろいろな意味で興味深い。 熟読せねば。
複合状態のエントロピー増大則の論文の草稿をつくって人に送った。 短いので、はやいのである。
それにしても、 この話は relative entropy の非負性と変分原理しか使わない実に「古典的な」証明なので、 これが知られていなかったとはちょっと信じがたい。 どこかに埋もれているかもしれないから、 捜したり人に聞いたりしてみよう。 Gibbs の教科書 (J. W. Gibbs, Elementary Principles in Statistical Mechanics, Chapter XIII (Dover, 1960))にも、カノニカル分布から第二法則を導くと称する議論があるのだけれど、基本的には、変分原理だけをつかった「緩い」もののように見える。
朝の7時半前からずっとこの部屋にいて仕事をしているので、 お腹が減った(いま、12時40分)。
唐突ですが(といっても、ここは、いつでも唐突かもしれない)、 有名な難問に
生物とはなにか、定義せよというのがある。
これについて深く悩んだ経験のない人は、 これが難問だという認識をもっていない事が多いので、 身近な人で試してみるとおもしろい。
「主として炭素の化合物からなり、 化学反応を用いた代謝をおこない、 自分と同じ物を再生産する能力をもち、・・・」と列挙していくのだが、かならずぼろが出る。 自分では子供を作れない一代雑種(という用語でいいのだっけ? ラバとかレオポンのような雑種は、子供を産めないらしい) は生物ではないのか、 あるいは、 何らかの理由で生殖能力を失った固体は生物ではないのか、 などなどと突っ込むことができる。 かといって、あまり条件を外していくと、 へんなぐちょぐちょした化学反応系(←ううむ。 無教養丸出し) も生物仲間に入れる羽目になってしまうのである。
そこで、 いっそのこと、こういった条件の列挙をあきらめ、 まず、「人間は生物である」ことを認めたうえで、
殺すときに罪悪感を感じる相手が生物であるといった「定義」をすれば、というような提案もあると聞く。 (ほかにも、「愛着」とか「生理的嫌悪感」とか。)
もちろん、 世の中には人殺しをしても罪悪感を感じない奴もいるらしいし、 いわゆる虫も殺さぬ優しい人もいるのかもしれない。 あるいは、計算機のプロであるぼくの知り合いは、コンピューターウィルスには生理的な嫌悪感を感じると明言している。 よって、人間の感覚をもとにした「生物の定義」が厳密な定義になりえないのはもとより自明なわけだけれど、 それでも、これはいろいろと考える出発点になる重要な着想だろうと思っている。 (たとえば、「生物学科で研究している対象を『生物』と呼ぶ」という凡庸な「社会学的」な「定義」と比較せよ。 後者には、生物の本質をめぐる想像を喚起する力はない。)
とこの先も書いて、一時は公開したのだけれど、 読み返すと(すくなくとも、ぼくには)生理的嫌悪をひきおこす文章なので、 読者を失わないために削除。 といっても、これだけだと、「きもくてもいいから、みたい」 という一部の読者に申し訳ないので、 「気持ち悪いよ」 とお断りした上で、こちらに置いておこう。 (といっても、ぼくが嫌がっているだけで、 web 上に氾濫しているおぞましい文章に比べれば何でもない、とは思う。)