日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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6/1/2000(木)

ひょんなことから、とある物理学科の学生さんの掲示板を訪れたら、 以下のような疑問を述べていた。

Dulong-Petit の法則によれば固体のエネルギーは U = 3NkT であり、 他方、理想気体のエネルギーは U = 3NkT/2 であるという。 だが、前者が後者より大きいのはおかしいではないか。 固体が昇華して気体になるときには昇華熱が必要なのだから。
ここには、いくつかの混乱(下を参照)があるのだが、ローカルな知識を統合しようとするときに当然生じてくる正当な疑問である。 かれがこの点について高校のときから悩んでいろいろな人に質問していたにもかかわらず納得のいく答がえられなかった、と語っているのは残念。

この疑問に答えるための初歩的な例題はないかな、と思って、以下のレポート問題を作成。 もう少ししたら、ぼくの講義で配る問題に使う予定。

今期の統計力学の講義では膨大な数の問題を作って印刷して配布する予定なのだが、それも公開しようかな? 上のような形で公開すれば、万人に利用可能なのだろうか?(万人がみたいと思わないことは知っているけれど。)

上の疑問に関連するいくつかの点。


6/3/2000(土)

来週の「解析力学」の講義で中間テストをすることになった。 学生さんの希望を入れての大サービス。 (ある雑誌の執筆者紹介で趣味を書けといわれて 「会議と試験の採点以外の今やっていることすべて」 と答えたくらい試験の採点は嫌いだというのに。)

今日は問題つくりに頭を悩ませて過ごしてしまった。


6/4/2000(日)

Lieb が Princeton に戻ってきたので、Physics Today の記事について質問しておいたら、さっそく答えてくれた。 (かれには休日はない。(ぼくは家で仕事の mail を読み書きしたり論文を読んだりしていたとはいえ、数カ月ぶりで自動車にワックスをかけたし、お夕飯のカレーを作ったし、ちゃんと休日していた。))

どうも意味が取りきれなかった最後の方の文章

it is challenging to figure out how to turn the frozen whiskey/water block into a glass of whiskey and a glass of water without otherwise changing the universe, except for moving a weight, but such an adiabatic process is possible. (重りを動かす以外は宇宙を変えることなく、凍ったウィスキー+氷の かたまりをいかにしてグラス一杯のウィスキーとグラスのなかの氷に変化させる かをみつけだすのは挑戦に値する問題だが、 このような断熱操作は可能なのである。)
については、 「一般論からいっても可能だし、実際、がんばればそういう操作を考えることはできるぞ。(やってみろ。)」という感じの意味のようだ。 伝わるように訳すのはむずかしい。
6/5/2000(月)

本の執筆などで一年ちかく休んでいた FF8 (ゲームです。通じない人は無視してください)をすこし前から再開していたが、ついに昨晩、エンディングを見ることができた。 感無量、とはいかないが、まあ楽しめるエンディングではあった。

しかし、このゲーム、途中までは攻略本なしで(ただし、知人からの情報はあり)やったけれど、再開してからはあまりのことに攻略本を適宜参照してしまった。 ご存じの方はご存じのように、このゲームには「じっくりやれば自然とわかる」というのを超えた細かい情報が必要で、それを知るか知らないかで、話がまったく変わってしまうのだ。FF9 が発売されようという時期ですが、以下ネタばれです、念のため:ライオンハートがないと4枚目の CD で苦労する、とかいうのも聞かなきゃわからない。まして、(これは昨日攻略本で知ったのだが)バハムートのカードを変化させてラストエリクサー100個っていうのはなんじゃ!このくだらない知識のあるなしで、最終ボス戦ががらりと変わってしまうではないか!)

なんか、こういう風に「攻略本に頼るのが当たり前」の世界がはびこるのは悲しい。 かつての Mac の Myst や、任天堂 64 のマリオは、攻略本なしでこそ最大限に楽しめる配慮があり、こちらは、純粋素朴に仮想世界に身を置いて謎解きや技の修得に励んだものである。 牽強付会だが、どちらかというと、ほんものの科学研究のスタイルにも似ている。 攻略本当たり前の世代が研究を始めたらどうなるのか?

などと書きつつ、大学時代の物理学科での演習などを思い出してみると、 多くの連中が攻略本=演習書を調べてきて、標準的な解法を披露していたなあ、と思い至る。 ぼくは、演習書をみるのを毛嫌いして買いもせず、あえてオリジナルな解法を追求していたつもりである。(だから解けないことが多かったのだが。) そのときの攻略本派の同級生のうちの何人かは、物理学者になっている。


6/6/2000(火)

6/1 に書いた相転移話のつづきで、 8 個の剛体粒子の運動をシュミレートして相転移の雰囲気を見せてくれるアプレットのことを教えてもらった。 とても綺麗にできています。 見ていて愉しく、ずっと見ていても意外性があって飽きない。 ほかにも、いろいろなアプレットが公開されています。 こういう努力をしてくださっている方にはひたすら脱帽。 ありがとうございます。

念のためにコメントしておくと、 ここで見えるのは、 相転移というよりは(ぼくの例題と同じく)局所的なポテンシャルに捉えられたり、そこから自由になったりする現象とみなした方がよいでしょう。 これに対して、 多少の熱ゆらぎがあっても 固体がしっかりしているのは、(無限個とはいかなくとも)膨大な数の粒子の協力現象のたまものであって、それが、ある温度で一気に崩れるのが昇華や融解といった相転移現象です。 よって粒子の数が相当に大きくないと、真の相転移は見えません。

無論、このアプレットの解説は、正確で、 これを書かれている方はこういったことを正しく認識されています。 (相転移という言葉は使っていない。) このシュミレーションの眼目は、絶対零度への緩和の途中で、気体、液体とみなしうる状態を経るということです。

ならば、「真の相転移は粒子が何個くらいあれば見えるのか?」 との疑問があるはず。 杓子定規な答は、「真の相転移は無限系のみ」だけど、 これは物理的には無意味。 有限系の場合は、現象をみる時間スケール、量を観測する精度等々に応じて、「どこから相転移」が変わると思うべきです。(主観主義ではないことに注意。データ処理に依存する、というべきか。)


昨日は話が攻略本にそれたので、FF8 ネタでもうちょい。

昨日も書きかけたけれど、このゲームには 「それさえ身につければ攻略が猛烈に楽になってしまう必殺技」 がある。 それは、もう、知ると知らないでは話が全然ちがう。 エンドオブハートという究極技が初めてでたときは、誰しも、あまりの強力さにあほらしくなってケケケケと力無く笑うしかないというほどのものなのだ。 でも、いったん身につければ、使わない手はないので、 そこから先はそれを使ってひょいひょい進んでしまう。

こんなのが当たり前だという世界観をもって育つといったいどうなっていくんだろう?

またしても、牽強付会に物理の研究の話と結びつけるが、 なにか、どこかに究極の必殺技的な理論や数学の方法があって、 それを身につけさえすれば、難解な問題もばんばん解けるようになる、 とか思うようになるんだろうか?

たしかに、初歩的な解析も知らなければ、ほとんどの問題に手はでない。 でも、そういうのは「必殺技」というより「必須技」であって、 問題を解き始める出発点に立つために必要なものだと思う。 そして、本当の問題の難しさ、というのは、小手先のテクニックを変えたくらいでは、決して増えも減りもしないのだ。 アプローチを変えれば、たしかに、個々の局面での困難の度合いは変わる。 また、数学の過去の蓄積のお陰で、あるステップが簡単になる場合もある。 しかし、「困難な問題のもっている困難さの総和は変化しない」という根性保存の法則はかなりの精度で成り立っていると、ぼくは信じているのである。

殊に若い理論物理志望の学生さんは、「××解析を使えば××の理論で言われている困難は解消するのでは?」といったことを考えがちだ。 それについては、「英語で出題されて難しい問題をフランス語に翻訳して簡単になるか?そんな FF みたいな話はないぞ」と答えたいのだ。

あ、しかし、「×の理論をつかえば×××の分野の×××の問題がスイスイ解ける」 みたいなノリの人はぼくらより上の世代にもいらっしゃいますね。 彼らも、FF 世代か?


6/7/2000(水)

「6月6日の参観日」と歌にまで歌われたほど6月6日は参観日日和らしいが、 今日は一日おくれで参観に行ってきた。 といっても、自分の子供の学校の参観(これもちょくちょく行く)ではなく、物理学科の卒業生が母校で教育実習をするのを大学から参観に行くというお役目であった。 何ヶ月かぶりで電車に乗り、郊外の N 市まで、じつに片道2時間近くかけて(その間、MD で椎名林檎を聞いたり、統計力学への Jaynes 流のアプローチへの批判の論点を固めたり、すこーと眠ったり、量子力学から統計力学や熱力学を導くくりこみ群的な方法(←月並みな着想だが)のアイディアを得てそれをぶち壊したり、と充実した時間ではありました)行ってきたのだ。

実習をした S 君は、ぼくだけでなく他にもたくさんの先生が見ているので、相当に緊張しているようだったが、がんばって粗い面の上の剛体をななめに引っ張る問題を丁寧に解説していた。 感心するくらいとてもよく準備してあった。 生徒たちも概して一生懸命に聞いていたし、 ひとり、本質を突くなかなかよい質問をした子(女子生徒)がいたので大いに感心。 思わず教壇にあがり、

「ナイス質問! たしかに、力の鉛直方向成分はこの式に出てきてないみたいに見えるよね? でも、確かに一生懸命に引っ張っているのに、それが出てこないんじゃ虚しすぎ。 じつは、この式もよーく見ると鉛直成分がひそかに入ってるんです。 どこでしょう? どこか、わかる?そこの君?」
と授業ジャックをしたい衝動にかられるが、そこは大人なので我慢。 (ただし、授業の後に、質問をした子とかに 「思わず『いい質問じゃない!』とか言って出ていきそうになっちゃたよ」 などと言って咄嗟にうけをとってしまったが。) 当初はあまり出しゃばらない方がいいかとも思っていたが、けっきょく 授業のあとに S 君に「俺ならこうやる」的アドバイスをいっぱいしてきた。 (別に S 君の教え方がまずいとかいうわけじゃない。 この段階としては、とてもいいと思う。 人に物理を伝えるということが好きだから、自然といろいろ言いたくなってしまうわけで、それを押さえることもなかろう、と思ったということ。)

行く前はとんでもなく面倒な仕事だと思っていたけれど、 行ってみればなかなか愉しい授業参観であった。 (やはり若者に何か(特に物理)を教えるというのは素敵なことなのじゃ、 と月並みだが素直な感慨を抱いた。) また、N 高校の先生方にもとても丁寧に対応していただき、恐縮してしまった。 どうもありがとうございました。


6/8/2000(木)

昨日は、二時過ぎに目白に戻ってきて、家に帰り、 半袖カッターシャツにスラックスという「営業」スタイルから、 T シャツにジーパンという「研究」スタイルに着替え、また出勤。 すこし雑用などをして、四時半からは物理学科の一年生との懇談会。 新入生に大学生活の感想やら不満やらを聞く恒例の会。 懇談会のあとには、学食の二階のちょっときれいな(当社比)ラウンジでお茶会をして学生さんたちとだべる。 (下宿をしている学生さんたちは、必死で焼きそばや肉などを食って栄養を補給する。)

とにかく、一年生のみんなが総じて、元気で楽しそうで仲良くしている様子なので、安心した。 なにをするにも、元気で楽しいのが、いちばん。

今は一年生の講義を担当していないので、すこし寂しい。 大学に入ってきたばかりで初めて本格的な物理に触れる一年生の講義をするのは、 わくわくする体験なのだ。 やりくりがつけば、また一年生を教えたいな、と思う。

懇談会で○○さんの講義がおもしろくてよい、という意見が出ていたので、 ○○さんに「わからなかったけれど、おもしろかったです」(5/26)の話をしたら、言いたいことはすぐに通じた。 誰しも悩みはおなじ。

要するに、 誰が聞いても「おもしろい」講義を目指すなら、ある意味で話は簡単。 いろいろと題材を練って、面白くてちょっと不思議そうな話をするのは、そんなに大変なことではない。 加えて、見せるべきデモンストレーションの実験やら「マルチメディア教材」なりを用意して、それを巧みな話術で盛り上げれば、かなりのことはできる。 そういう講義で、適当にレポートに感想を書いて単位をもらえるということになると、 学生さんにも受けることはほぼ間違いない。

しかし、それで本当に心底「おもしろい」か、というと、 きっとそれは違う。 せっかく物理学を志して大学の物理学科に入学し、 世間の人が学ばないような難しいことを次々と学んでいるのに、 はじめての人でも味わえる「おもしろさ」しか味わえないのでは、 悲しいのだ。 今までの蓄積によって、知識のない人には理解できない数理的な言語を解するようになり、日常生活とは異なった論理的な思考法をみにつけ、そして、なによりも、物理を本格的に学んだことで得られる世界を見る視点をもって、はじめて、わかるような「おもしろさ」を伝える講義をしたいのである。 (基礎的な技術や視点を伝えなくてはならないのはもちろんだが。)

じゃ、どうするか、というと、圧倒的な正解などない。 いまは、

などを巧みにブレンドすることを試みている。 が、 最後のみに反応している学生さんがいるのでは、という不安は残る。 模索はつづくのであった。
6/9/2000(金)

前に「J(角運動量ベクトル)を感じろ!」 (5/26)というのを書いたけれど、 今日の「解析力学」の中間テストの問題のひとつに、その簡単な考察を出すことにした。(残りの二問は、もっと計算をさせる普通の問題。)

地球ゴマのように枠のなかで自由に回転できるコマが、 図のように回転している。 (横向きの長方形がコマの断面。 その左右に回転方向が書いてある。 つまり、コマの左端はコンピューター画面手前から奥に向かって、右端は画面奥から手前へ動いている。 上から見れば時計回り、ということになる。)

ここで、回転軸の上端と下端に、図のような向きの力を加える。 回転が非常にはやいとき、このような力に対して、コマはどのように動こうとするか? (時間をおって運動を議論する必要はない。 単に、力に対してどのように反応するかを述べればよい。) 角運動量についての運動方程式に基づいて議論せよ。

要は、角運動量ベクトル J が下向きであり、 力のモーメント(トルク)のベクトル N が左向きであることを認識し、 J の変化が N で決まることから、 回転軸が右向きに倒れる、と答えてくれればいいだけのこと。

これを地球ゴマで試すとき(出題の際に、念のため実験した)は、 図をそのまま実践して軸の上下を押さえるとあまりよくない。 どうするかというと、コマが勢いよくまわった状態で、 コマの周囲にあたる枠の部分を両側から親指と人差し指ではさむように軽くもち、 親指を上向き、人差し指を下向きにわずかに押して枠全体をねじるようにする。 コマが枠と接しているのはあくまで上下の二カ所だから、 こうやっても、コマに働く力は図と同じになる。 こうすると、 コマは面白いほど見事にくるっと体をねじり、 われわれのお粗末な直観を裏切る動きをみせてくれる。 (今、またやってみたけれど、ほんと面白い。 理屈ではわかっていても、変な感じ。 デジカメの写真をのせるべきかもしれないけれど、 自分でやってみた方がはるかに楽しい。)

ぼくが宣伝した翌日にさっそく買ってきたという学生さんもいたけれど、 まだの人は是非とも買っ来てやってみよう。 たしか 1200 円か、1500 円。 東急ハンズ7階の南京玉すだれ横。

さて、 これから試験の採点をしなくては。 試験の直後に「二番(上の問題)なにかいていいか、さっぱりわかんなかったよ〜」 という声を聞いたので、やや不安ではある。


6/10/2000(土)

大学の物理学科の同級生だった○○と久々に話した。

といっても、今朝方見た夢のなかであった。 そんなことをここに記録することもないのだが、その夢がおわったあと、 引きつづく夢のなかで、「今の○○との会話の夢はぜひとも現実世界で記録しておかなくてはならない」という強い確信を抱いており、 一生懸命にその内容を黒板に書き写しながら 「こうして夢のなかで記録をとりながら(←夢だという自覚がある)、 同時に現実の紙にも記録されているはずだ(←夢の限界を自覚していない)。 こんなことができたのは初めてだ。(←いや、ある程度は自覚している)」 などと考えていたのだった。

日頃から、ずっと悩んでいた物理の問題が解決した、という夢をみることは多い。 そういうときは、頭のなかに証明や解法がはっきりある(つもりになっている)ので、書き留めようという気にはならないのだ。 でも、残念ながら、目が覚めると、なにも覚えていないか、 あるいは、くだらないアイディアだったと悟るだけなのであった。

対照的に(←翻訳調)、 眠る寸前まで問題を考えていて、あきらめて眠って、夜中に目が覚めて寝床のなかで考えていて解決した、ということはときどきある。 ことが重要なら、がばりと起き出して、ちゃんと紙に計算して、記録しておく。 (二次元 AKLT 模型の相関関数の評価とバンドが平坦でない Hubbard model の強磁性は、どちらもこのパターンだった。(後者のことをむかしちょっと書いた。)) ちょっとした思いつきの場合は、そのまま再び眠ってしまうのだが、ときには朝になってもそのことをしばらく思い出さないこともある。 考えてみると、そのまま忘れたままになっているアイディアもあるのかもしれない。

で、その必死で記録しようとした○○との会話の内容は、というと、 実際には記録の紙は残っていなかったし、すでにうろ覚えではっきりしない。 断片的に覚えているのは 「○○○○○数を最大化する対象として人の心を捉える」とか 「ニーチェも読んだことがなく、○○○○も知らないという哲学・政治の背景をもったやつがものすごいエネルギーでその世界を席巻する」 とかまったくアホみたいなフレーズだけであった。 でも、さいごに○○が見せてくれたスタニスワフ・レムの最後の作品『ジュノ』(ハヤカワSF文庫)の表紙は濃い紫の雲みたいなデザインですごく美しく、この本にはものすごく重要なことが書いてあるという確信があったのはよく覚えている。 (こんな本はありません。念のため。)


6/12/2000(月)

これを読んでくれた卒業生の S 君 (教育実習の S 君とは別人。 こっちの S 君は、学部そ卒業したあと企業の研究所でばりばりと研究に励んでいて、 論文が学術誌に掲載されるという報告をしてきてくれたのだ。すばらしい。 おめでとう!) から 5/26 に書いたことについて、

ぼくとしては,文系理系いっしょのキャンパスというのは メリットの一つ,なんてもんじゃなくて,それはもう特筆すべき, 超すごいことなんだと思いますが.いやほんとですってば.

そのわりにあんまり浮いた話はなかったんですが:-)

とのコメントをいただいた。 ううむ。 「猛烈なエネルギーで研究に取り組む第一線の物理学者と親しく接しながら生き生きと物理を学べる」 ことの次くらいに特筆すべき超すごいことだ、という意味かのう? 聞いてみよう。
6/14/2000(水)

昨日あたりから、先日の中間試験 (6/9) の採点をはじめた。

ううむ。 ああいう風に投げ出された問題をみて、 運動方程式を使いながら定性的に議論する、 というような習慣は身についていなかったことがわかった。 高校で微分方程式を教わらない時代になったのだから、 それを二年生で自在におこなうのは難しいのか。 でも、そういうことが出来るようになると極めて楽しいから、 がんばりましょう。

なにか書きたいことがあったような気もするが、 ともかく採点を終わらせよう。


6/15/2000(木)

今年は(学生さんからの要望がきっかけになって) 統計力学の講義をおこないながら、 かなりしっかりしたレポート問題を作って配布している。 (将来の活用法も考えつつ。)

今朝は(力学の中間試験の集計を終えてから)明日の講義の内容に関連し、 いわゆる「Gibbs のパラドックス」に関連する問題を作った。 つまり、

古典統計力学で議論していても、 エントロピーや自由エネルギーが示量的であるためには、 状態数を N! で割ってやる必要がある。 量子論であれば、この N! という因子は、 同種粒子は原理的に区別できないことを思い出すと、 自然に理解できる。 だが、古典論の範囲では N! は決して理解できない。
という標準的な話だ。 これはこれで美しく力強く示唆に富む話なのだが、 深く考え始めると、 仮想的に「正真正銘の古典論」というようなものを考えると話はどうなるのか、 あるいは、
たとえば、膨大な数のパチンコ玉が熱平衡にあるような仮想的な系では、 粒子はほとんどそっくりだが互いに区別できる。 (これは「粉体」ではない。) このような系の熱力学をつくりたいとき、状態数を N! で割るか? 割るとすれば、それをどう正当化するのか?
といった疑問が生じる。 おそらく「パラドックス」というのは、こういう疑問を指すのだろう。 (大野さんによると、Gibbs 自身は N! が「パラドックス」だとは思っていなかったそうだ。)

この「パチンコ玉」の問題は、大野さんの lecture note に課題として出題されていたものでここで、清水さんが同じ問題を議論されている)、実をいうと、はじめて見たときは満足のいく解答ができなかった。 (大野さんの例は「パチンコ」ではなかったけれど。 なにせ、イリノイ大の学生に配ったものだし。) 講義ノートには解答はついていないが、答を問い合わせるのも悔しいので、 なにも聞かなかった。 その後、熱力学を本格的に勉強し、 関連する「Gibbs のパラドックス」についても真剣に考えた (本には一行、 「パラドックスなんかじゃない」と書いただけだけど) ので、この統計力学の問の「模範解答」だろうと思うものもわかった気がした。 杓子定規すぎて面白みはないけれど、 ある意味で Gibbs の思考過程をそのまま辿った(そして、 そこから「ぶっとんだ」着想を消去した)ものになっているのだろう。

というわけで、以下の問題が、誘導形式でこの「模範解答」をまとめたもの。

(これは、「A 君の疑問」の問題 (6/1) などとともに、 次回に配るレポート問題集のなかに入る。)
ところで、先日 (6/12) の私の問い
ううむ。 「猛烈なエネルギーで研究に取り組む第一線の物理学者と親しく接しながら生き生きと物理を学べる」 ことの次くらいに特筆すべき超すごいことだ、という意味かのう?
への S 君の回答は、
うううむ惜しい.「おんなじくらい」にしときましょか:-p
であった。

うん。 正直でよい。

人生のそれぞれの局面で、いろいろな要素のバランスをとることは、 もちろん極めて重要。 「いっしょに物理の世界を歩いて、 普通では見ることのできない景色を共に見よう」 という部分は、ぼくらががんばって担当しよう。 この大学の環境が、 若者の人生に必要なほかの様々な要素を提供してくれているのは、 紛れもない(そして素晴らしい)事実。 在学生の (そして、将来入学される)みなさんは、是非とも (かつての S 君のごとく)上手にバランスをとって、 多様なメリットを享受してください。


6/19/2000(月)

金曜日は明らかに過労気味であった。 より悪いことに、腰痛の対策として欠かさず服用していたアリナミン EX をうっかりのまずに出勤して講義をしたら、(非)効果覿面、腰痛がひどくなってしまった。 (不思議ですが、軽度の腰痛にはアリナミンが効くのです。) けっきょく週末は完全にのびていた。 (小学校の父親参観日には行ったけれど。)

この日記的なものも、毎日ちょっとずつ書いていたら、かなり増えてきた。 なにも考えずに note.html という一つのファイルに書き足していたが、 これで定年まで書いていたら (コンピューターの技術は進歩するだろうけど、それでも) とんでもないことになると気づいた。 ちょっとだけ真面目に考えて、 月ごとにファイルをかえ、 年号の下二桁と月でファイルに番号をふることにした。 2100 年問題はクリアーできないが、 (医学技術は進歩するだろうけど、それでも) まあ、いいであろう。 日付のところがその記事自身を参照する自己言及的リンクになっているのは、黒木掲示板とおなじ。


「Gibbs のパラドックス」について、もうすこし。

調和振動子の系について:
「調和振動子の系では、N! で割らないときに、正しく示量的な自由エネルギーやエントロピーが出てくる。 これは、いったいどういうことだ?」 という質問があった。

これは、難しいことではない。 (調和振動子の系は量子力学ならボゾン系と等価であり・・・などと難しく考えてはいけない。) 話を決めるため、固体の格子振動のモデルを考える。 固体中の各々の原子が「平衡位置」のまわりで微小振動できる。 異なった振動子が相互作用していてもよいし、運動を古典的にあつかっても量子的にあつかってもよい。 この場合、明らかに、N! などのない分配関数から示量的な自由エネルギーが得られる。 (相互作用がない場合は自明。単一の振動子の分配関数を z とすれば、(N! を入れない)全系の分配関数は Z = z^N で、対応する自由エネルギーは F = N f となる。z や f は N に依存しないので、F はそのまま示量的。)

ここで N! が不必要な理由は、これが正直な多体問題でないからである。 各々の原子は、定義の段階で、各々の「平衡位置」から遠く離れられないことが定められてしまっている。 この段階で、粒子が区別できない効果は覆い隠されてしまう。

言い方をかえる。 もし格子振動の真正直な多体問題としての定式化をすれば、当然ながら、ある原子がふらふらと他の原子の「平衡位置」まででかけていったり、いくつかの原子が入れ替わる過程も入ってくるはず。 このような定式化(とうてい手には負えないが)では、たとえ各々の原子が「平衡位置」のそばにいるような配位だけを考えても、粒子が入れ替わる効果を取り入れなくてはならないので、場合の数が通常の計算の N! になる。 よって、この場合は、N! が必要になる。

まとめると、 調和振動子の系は、固体原子の低エネルギーでの挙動を記述する有効理論であり、 そこでは(高いエネルギーを要する)粒子の交換の過程が取り入れられていない。 そのために、この理論は既に粒子が区別できないことを「織り込んだ」ものになっており、これ以上 N! を導入する必要はない。

パチンコ玉の系について:
「パチンコ玉の系でも N! を導入するのは気持ちが悪い。 区別できると知っている以上、N! で割らないのがいさぎよい。」 というような意見(脚色しました)を耳にした。 もちろん、割りたくなければ割らなくてよいのである。 統計力学で期待値などなどを計算する際には、そんなことは何の問題にもならない。 ただ、熱力学関数を求めると、示量的でないのでどうも「使い勝手」が悪いという弊害があるだけだ。 (それでも、観測可能な物理量にはなんの影響もないことに注意。 (化学ポテンシャルの値そのものは観測量ではない!)

熱力学の構造というのは、 マクロな視点を指定したときにはじめて「現れて」くるものなのだ。 マクロな視点として、

といった幾通りもの視点が可能であり、 それに応じてもっとも便利な熱力学的な構造を選ぶのがよい。

また、熱力学がマクロスケールでの普遍的な構造であることを反映して、 そのミクロな力学とのつながり方が決していつも同じやり方に従うべきだとはいえない、 ということも強調したい。 ミクロな力学から素直に状態数や分配関数を求めて、そのまま S = k log W や F = - kT log Z に代入すればよい、という処方箋が美しいことに異論はない。 しかし、パチンコ玉の系に熱力学が「宿る」ときにも同じ処方箋がそのまま使えると思う必要はないのだ。

清水さんの解答について:
ここで、 清水さんが、区別できる粒子の系についても N! を自然に導入する考え方を示されている。 おもしろい考察だと思う。 たとえば、粒子に非常に多くの内部自由度が許され、かつ、衝突のたびに内部自由度がわずかずつ変化する、というようなモデルを思えば、これが正当な扱いだろう。 しかし、許される粒子の種別すべてを一つずつ用意した系などを(仮想的に)考えてしまうと、この考えは破綻する、ないしは、一連の「いいわけ」を必要とする。 すぐ上にも書いたことだが、 S = k log W や F = - kT log Z といった表式にそこまでこだわらなくてもいいのではないか、というのがぼくの感想。


6/21/2000(水)

量子ホール効果というのは、本当にすごいもので、 猛烈におもしろそうだ、とようやく実感してきた。

それにしても、ホール電圧が 0.7 V という馬鹿でかい値になっても量子ホール効果状態が壊れないというのは恐ろしい話だ。 線型応答どころの話ではない。 電子たちがとんでもない急斜面にしっかと張り付きながら横這いしているような感じ? いったい何でこんなことが起きるのか、彼ら(もちろん、電子たちのこと)の身になって理解できるような話ができたら素晴らしかろうと夢想する。


6/23/2000(金)

今日は午前中に講義をたっぷりとして、 午後から研究室の合宿で八王子へ。 日曜の昼まで缶詰で、ほぼぶっつづけで学生さんのセミナーを聞くという強行スケジュール。 ぼくと卒業研究をしている二人の明日の発表の準備もあまりできていないようだ。 徹夜で準備になるのかな? 朝六時代に起きて午前中に既に精根尽き果てているぼくとしては、今夜は寝るぞ。 (できれば。なるべく。)


6/26/2000(月)

昨日は昼過ぎに八王子のセミナーハウスより無事に帰還。 合宿中は夜できる限り睡眠をとったので体調もよし。 午後は公私ともに精力的に雑用をすませ、選挙にまで行った。

と、快調なはずだったが、夕方くらいから心なしか喉が痛いのが唯一の気がかりだった。 そして、今朝起きてみたら喉が猛烈に痛い。 要するに風邪なので、お医者さんに薬をもらって、活動中。 やれやれ。


6/29/2000(木)

風邪の諸症状からはほぼ回復したものの、どうも体がだるい。 体調が悪いと、夜中に講義の準備をしたり雑用をしたり、というわけにいかなくなるので、昼間から明日の講義の準備や雑用をしているのだった。

なんと早いもので、講義はあと2週間しかないことに、ついこの間気がついた。 (人に教わった。) さて、統計力学は後期につづくものの、前期で終わる解析力学をあと二回でいかに軟着陸させるか。 工夫のしどころである。 要するに、計画性がないだけのことなのではあるが。 (ところで、計画と言えば、 今年は講義の「シラバス」なるものを書かされた。 だが、 講義というのは学生との共同作業だし、必ずしも計画通りにいくわけではない。 実際、教務課からの説明も、決して講義の内容を強く縛るものではない、 とのことであったように思う。 そもそも、「シラバス」というのが何語で何を意味しているのかもしらないが (意味不明なままカタカナ文字を使うのは本当に悪しき風習だと、 月並みながら、思う)、 われわれは秘かに「シバラズ」と呼んでいるのであった。)


6/30/2000(金)

前にアリナミン EX をのんでいると書いたところ、 講義の前には必ずドリンク剤を飲んでハイになるという薬物依存癖のある大学教員の話を紹介し、 「田崎さんもドリンク剤のとりすぎには気を付けて」 と心配して下さった方がいた。

ちがう。ちがう。 アリナミン EX は、ビタミン B 群を補給する錠剤で、 あやしげなドリンク剤じゃない。 俺はそんなものには頼ってないぞ。
とフォローするつもりだった。 しかし、ついに、今日は手を出してしまった。

前々からの体調不良の上に、蒸し暑さ等々のための睡眠不足、という悪コンディションで、今日の講義とゼミの過密スケジュールをこなすのは絶望か、と思った今朝、 妻が買ってきてくれたリポビタン D についつい手をのばしてしまった。 たかが、こんなもの、と思うけれど、みなさん、 これは効く効く! 二コマぶっとおしの講義もずっとハイテンションで(←これは薬剤に頼らなくてもいつもそうだけれど)、 部屋に戻ってきても元気なままで(←体調のよいときでも、普通はここでぐったりと来る)、すぐに進化 ML に初投稿をしてしまい、 さらにこの「雑感」を書く余裕さえあるのだ!

さて、この効果がどこまで持続するか、 実験結果は後日報告しましょう。

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言うまでもないことかもしれませんが、私の書いたページの内容に興味を持って下さった方がご自分のページから私のページのいずれかへリンクして下さる際には、特に私にお断りいただく必要はありません。
田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp