茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
書評のページを久々に更新。
佐々さんと書いた SST の論文が、ようやく Journal of Statistical Physics に受理された。
重要なのは歴史のなかでこの理論がどうなっていくかであり、レフェリーに通るかどうかといった目先のことなど関心事ではないわ --- というようなえらそうな雰囲気を放っていたかもしれないが、やはり掲載が決定したのはうれしいことだ。
レフェリーたちはていねいに論文を読んでくれて、すなおに問題点や疑問をぶつけてきてくれた。ぼくらは、論文をやたらと丁寧に改訂して、それらの点に一生懸命に答えた。ただし、「長すぎるのでは」という指摘に対しては、短くすることで答えるのでなく、長さを正当化するだけの意味があるということをはっきりと示す形で答えた。そのため、改訂版は、さらに長くなったのだった。
ふつうはレフェリーに通ればそのままなのだが、今回にかぎり、もう一度全体を通読し、細かい「てにをは」の修正を含めた最後の微調整をする。さいごの修正がおわった最終版を preprint server に送ったら、ここで宣言します。
理学部忘年会。 グラスをもって歓談していると「日記、読んでます」とおっしゃっていただく。 ますます気を引き締めて、しかし、いつもどおりの自然体で日記を書いていこうと思います。
さあ、私が理学部全体のためにとりまとめる書類が各部署から集まってきた。とくに(決して読者の目を意識するわけではなく自然に述べているのだが)理学部図書館からはすばやく詳細な資料が届けられ、うれしいかぎりである。まとめ役としてもやり甲斐がある。責任から生まれる喜びというものを私はいま味わっているにちがいない。さっそく作業にとりかかろうと意気込んでいる私である。さあ、やろう、すぐやろう、今やろう、と思ったのだが、今日は、ちょっと、あれで、あっちの仕事をやろうかな。そうだ、そうしよう。理学部全体にかかわる仕事は体調と気合いを整えて心してやらねば。よし、そっちは、明日、いや、より体調が整うであろう明後日・・・
またしても新しい書評を公開。 はっきり言って、書いていてもまったく楽しくない書評であった。 一気に読んで、木曜と金曜の夜に作業をして、今日(論文の作業に疲れた後に)仕上げた。 その割りには、なかなか長いぞ。
いわゆる「水からの伝言」問題のまとめ的にも読めることをねらって書いた。また、本からの引用も豊富で、「水からの伝言」関連の本をわざわざ自分で読まなくても、それなりの批判ができるようになる --- というお買い得な企画である。
批判の基本的な趣旨は、菊地さんや天羽さんなどの「先人」の受け売りに近いところが多いが、いちおうぼく自身の責任で書き下ろした。 大部分の読者はわれわれと同じ批判的な立場の人たちだろうと思うが、そうでない人も念頭に置いて書いたつもり。 ビリーバーを説得するための役に立つとは思わないが、半信半疑な人たちや、まだ「水からの伝言」に触れていない人たちが、まともに考えるため少しでも役立てばうれしい。
今日から冬休みなのだが、統計力学と物理数学を一回ずつ休講にしてしまったので、補講をする。 よく考えると、ぼくは補講をするのは初めてなのだ。 これまで、決してさぼっていたわけではない。全然と言っていいほど休講がなかったかのである。 昨年くらいからの「方針転換」の結果、学会にでる、などいくつか行動のパターンを変えたため、ついに、今学期は休講してしまったということだ。
3時限目と4時限目と、久々に2コマ連続で教えるので、休憩時間には事前に用意した缶コーヒーやあんパンでカロリー補給をはかる。どちらの講義もかなりの集中力かつハイテンションで楽しくできたと思う。みなさん、休み中なのに申し訳ありませんでした。
mixi の話題が出て、ぼくがなぜ mixi に入ったかを説明して「水からの伝言」の話に。
さすがに、事実たり得ないことを説明する必要はないので、道徳としても困りものであることを説く。
ぼく:「きれいな結晶」すなわち「よい言葉」というのは、まずいでしょ。「美人が言っていることはいいことだ」っていうことになっちゃう。相手に応じて比喩を選ぶべきであることを学んだ。真○:そりゃそうなんだから、しかたがない。やっぱり、美人が言えば。
ぼく:そうですねえ。じゃ、比喩を変えよう。「イケメンの男が言ったからそれはいいことだ」っていうことになっちゃうのは、まずいでしょ。
○野:まったく、そのとおりだ。けしからん道徳だ!
宴もたけなわになったころ、○○くんが××くんに、いわゆる人生相談をしている。 聞くとはなしに聞きながらついつい茶々をいれてしまう。 いろいろ尋ねると、つい、ぼくらにも胸の内を語ってくれた○○くんだったが、とつじょ、「田崎さん、これを日記に書かないで下さいね」と言いだし、さらに、「○(←彼のイニシャル)くんが、・・・・」と日記に書くべき文章をその場で作文し、「などど、書かないで下さい」としきりに頼んでいた。 人生相談の内容の方は、ま、よくある話だと思うけど、このリアクションの方がおもしろかったので、日記に書いておこう。
午前中に会議。
働き者のおじさんたちである。
すっかり年末である。
どうも、本来の調子ではないのだが、それはそれでよいのだろう。
最近やったこと、やっていることを列挙すると;
仕上げとばかりに、Boltzmann の伝記
Carlo Cercignaniもゆっくりと読んでいるのであった。
Ludwig Boltzmann: The Man Who Trusted Atoms
Oxford University Press
Ludwig Eduard Boltzmann (1844--1906) は、いくつかの大学に籍を置いた後、1876 年に、家庭をもってグラーツ(オーストリアではウィーンに次ぐ大きな都市らしい)の大学に落ち着く(Boltzmann 方程式はこれ以前の仕事)。 グラーツでの十四年間は、最後の時期を除けば、学問的にも実り多く(1884 年には Sefan-Boltzmann 則の証明と統計力学の形式の完成という二つの偉大な仕事をしている)、個人的にも幸福な時代だったという。 しかし、彼自身は最高級の物理学者とみなされているのに、グラーツが超一流の大学でないことに、もどかしさを感じてもいたようだ。 そして、1888 年には、世界的にみても最高峰ともいえるベルリン大学から誘いがある。 Boltzmann は、最初、ベルリンに移ることに同意して契約も交わすのだが、その後、いろいろと弱気になって、けっきょくは、契約を反故にしてしまう。 このあたりから、一気に落ち着きを失っていく。 せっかくのベルリンからの誘いを断ったばかりなのに、なぜか 1890 年にはミュンヘンに移る。 この時期には、彼の名声はいよいよ高まり、1894 年には、オーストリアのもっとも権威ある大学であるウィーン大学に迎えられる。 普通なら、これで「出世街道」のおわりなのだが、1900 年には、ウィーンからライプチヒに移る。 しかし、けっきょくライプチヒにも落ち着かず、1902 年にはウィーンに舞い戻る(もちろん、いったん逃げたので評判は悪い)。 新しいところに移るたびに、移ったことを後悔し、すぐ次に移ることを考える、というモードに入ってしまっていたらしい。 環境が変われば、研究や教育の体制を立て直すだけでも大いに労力が必要だ。 まして、交通も不便な時代に、これほどに各地を転々とするのは、それだけでもすさまじい消耗だろう。 グラーツを離れてから悲劇的な死を迎えるまでの十数年間、Boltzmann にとって安住の地はなかったようだ。
「安住の地」であったグラーツを離れたことが不安定な日々を招くことになったのか、あるいは、彼の精神が不安定になったためにグラーツを離れて転々と移動することになったのか、そんなことを考えても意味はないだろう。 とはいえ、まったく勝手な話だけど、ぼく自身が経験してきた・見てきたいくつかのことを思い出しながら、学者の人生ということについて、いろいろと思いを馳せてしまうのであった。
Boltzmann の自殺について、Mach らの反原子論者との熾烈な論争に疲れたためのものとする説明をみることもあるが、Cercignai が淡々とつづる伝記を読むかぎり、少なくとも論争が自死の直接の原因でないことは確実のようだ。 論争はすでに長い年月にわたっていたわけだし、Boltzmann の支持者も多く、彼は圧倒的な名声を獲得していた。 また、最後の時期には、すでに Mach は大学を退いている。 一方、Boltzmann が精神を病んでいたのは周囲の知るところで、きちんと投薬して精神管理しなければ自殺してしまう可能性が高いことも多くの人が認識していたようだ。 最後の夏の静養の際も、Boltzmann はもう大学の仕事には戻れないのではないかという危惧もあったようだ。
いずれにせよ、1906 年 9 月 5 日に、Boltzmann は静養先の Duino で自ら命を絶った。
Einstein の「奇跡の年」の百年目がおわり、来年は、Boltzmann の死から百年目ということになる。
大晦日。
一年が終わるからといって特別なことはない --- と言いたいところだが、わが家ではきんとんを作る特別の日である。
妻に下ごしらえをしてもらったあと、息子と二人、 きんとんに音楽を聴かせて味をよくするため 退屈しないよう iPod をスピーカーにつないで音楽をガンガンかけながら、鍋のきんとんをひたすら練る。
お、今年のきんとんはなかなか秀逸かも。
みなさま、どうかよいお年を。