日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2016/5/12(木)

近角聡信(ちかずみ・そうしん)先生が 94 歳で亡くなったという報せが入る。

近角先生は創設されたばかりの学習院大学にしばらくつとめた後、物性研にずっといらっしゃった磁性の実験家である。あるいは、ロゲルギスト同人の一人というほうがいいかもしれない。名エッセイの多い『物理の散歩道』シリーズの中でも、とりわけ素晴らしいものを書かれているお一人だ。不可逆性をテーマにした(たぶん)『覆水盆に返らず』というエッセイの中に出てくる近角先生の絶妙のコメントは今でもぼくの講義や講演でも使わせてもらっているくらいだ。 聡信(そうしん)という名前からもわかるように僧侶の家に生まれたのだけれど(お父さんは近角常観というたいへん有名な宗教家らしい)、四男だったので特にお坊さんになる必要はなかったらしい。関係ないだろうけど無類にお酒がお好きだったと聞いている。

いずれにせよ、これで、ロゲルギスト同人は全員が故人となってしまったということか。 時代は移って行く。

実は、ぼくの父は近角先生の学習院時代の大学院生(父は博士課程から東大に移った)で、その後もずっと先生とは親しくしていた。 なので、近角先生はぼくのことをそれこそ赤ん坊のころからご存知だったたらしい。 その後、ぼくが研究者になり(プリンストンに渡る直前だから、博士課程の 3 年の夏だな)茅コンファレンスというところに参加して偉そうに質問したりコメントしたりしている姿をご覧になって、「おまえが田崎の息子か!」と大変うれしそうにしてくださっていた(ちなみに、この会には早川幸男先生(←基研の早川さんのパパだよ!)もいらっしゃていた。近角先生と早川先生は(年齢は一つか二つ違うが)東大の同期らしい。その早川先生は二十年以上前に 70 歳前に早々に亡くなってしまったのだけれど)。 ぼくが学習院に着任した少し後にも大学でお会いしたけれど、ぼくが先生ゆかりの学習院にやってきたことを喜んでくださって「学習院は居心地いいだろ!」としきりに言われていたのを思い出す。 お会いしたのはあれが最後だったかもしれない。


母に電話をかけ近角先生のことをしばらく話す。

近角先生は年をとって調子が衰えてからは弟子や関係者たちの前には顔をださずひっそりと暮らす道を選ばれたそうだ。 世代の近いまた別の先生は、次第に記憶も定かでなくなり主だったお弟子さんの顔もわからなくなってもずっと研究室出身者の会合に顔を出し続けたし、人それぞれだねということで色々と話がはずむ。 そして、そういうことを話しながらも、自分自身は(研究室も弟子も持たない軽い立場とはいえ)どうやって学者人生を引退して行くのだろうかというようなことが頭を散らつくから、ぼくもやはり年をとっているのである。


実はめっちゃ久しぶりの日記だったけれど、ちょっと重くて渋い話題になってしまった。

ま、また書きましょう。


2016/5/25(水)

2 時限目は 3 年生向けの「量子力学 2」の講義。 一粒子系の量子力学の一般論をやっていて今日は不確定性原理のところ。 内容はほとんど完全に頭に入っている上に、鋭意改訂中の本十年後の読者への注:そうです。みなさんが「量子力学にガチ(って死語になってるかな?「本気で」っていう意味です)で入門するなら田崎一択だぜ」とか言ってるあの田崎量子力学はまだこの世に存在せず部分的な草稿だけが学習院の学生に配られていた、そんな時代の出来事なのです)の草稿も既に配布済みだし楽しく講義できるところだ。

普通に講義をしてすらすらと板書をして(←本人の主観では「すらすら」なんだけど教室から見ていてどうかは知らない)標準偏差についての不確定性原理が観測による擾乱とは無関係だということを説明しながら教室にいるみんなの顔を見ていると最前列にすわっている A 君(「あいういえお」で始まる人ってわけじゃないからね)の傍らの大きめの金属光沢を放つアルミ製のボトルが目に入った。 これまでも何度も教室を見回してみんなの顔や様子は見ていたが、これには気付かなかった。 相変わらずトークを続けながらそのボトルを見ると、大きく文字が書いてある。

あれ?

水 ○ 水
おい、待て、なんで物理学科の学生ともあろうものが水素○なんだよ。 混乱しながらも、黒板に向かいつつ「え? ○素水?」と一瞬、反応してしまう。

で、気付いた。

「あ〜、これは罠だな。わかった。おれをはめようとしてるだろう。ふん。その程度のことには引っかからないぞ。Twitter に書かせようと思ってるんだろうけど書かないぞ! 反応しないぞ。って、既に反応して時間を使っちゃってるじゃないか!」

と適当にネタとして消化し再び不確定性原理に集中してガンガン講義する。

ガンガンするんだけど、教室の前のほうを歩き回りつつ(←ぼくはよく歩く)A 君の前に来るとつい水○水のボトルが目に入ってしまう。

「あ〜、目にはいるじゃないか」と言うと、ぼくと目のあった A 君が、ふと、周囲や後ろの席を指し示すような仕草をする。なんじゃらほいと、まわりの学生たちのいる机の上を見ると、

水素○、○素水、水○水、水素○、○素水、水○水、水素○、○素水、水○水、・・・
B 君も、C 君も、本の草稿の誤りを片っ端から修正してくれる D 君も、教室の右側の前のほうの席では、みんな水素水のボトルを置いてるではないか! (コーヒーの人も一人いたけど。)

ったく君らは何をやっておるんだ。謎の付加価値で値段も無駄に高いだろうに、ネタ作りのために、みんなしてそんなの買って来て。 ていうか、飲んでるよ。その場で。

しかし、人間の認識というのは面白いものだと思う。それまでだって、講義時間の半分くらいは前をみて一人一人の顔を見ながら話をしていたんだけど、水○水のボトル群はぜんぜん目に入らなかったのだ。A 君のボトルを見たあとでも。 でも、こうやって、いったん認識してしまうと、前を見るたびに

水素○、○素水、水○水、水素○、○素水、水○水、水素○、○素水、水○水、・・・
が目に飛び込んでくる。 たぶん、水素パワーで健康になったと思うよ。

とは言っても、けっきょく、講義の後半になって最小不確定波束での計算なんかをどんどん講義していると頭から水素○のことなんか忘れてしまった。ま、水素パワーなんてそんなもんだ。

講義がおわっあとで A 君のボトルを見せてもらったけれど、本来、

水 素 ○  H2
と書いてあるのを、部分削除および加筆して
素 ○  H2O
と正しい表記に変えてあったことは評価したい。

というわけで、「Twitter には書かない」という講義中の宣言を守ってこっちに書いたぞ!

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

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