第六十一回物理学会年次大会(2006 年 3 月)シンポジウム「『ニセ科学』とどう向き合っていくか?」概要

「ニセ科学」入門

菊池誠(阪大サイバーメディアセンター)


ここでは、「科学を装っている」あるいは「(科学者以外からは)科学とみなされている」にも拘わらず、科学者の目から見るととても科学とは呼べないものを「ニセ科学」と呼ぼう。ちなみに、疑似科学・似非科学などの言葉も使われるし、英語ではPseudoscienceと呼ぶのが一般的である。たとえば、アメリカでは創造論「科学」対進化論の闘いが長い歴史を持ち、現在も Intelligent Design説と名(と見かけ)を変えて論争が続いている(驚くべきことに、日本にも進出しつつある)。また、政治と「ニセ科学」が互いを利用し合った例としてルイセンコ事件はあまりに有名である。翻って、日本の例を探すなら、まっさきにオウム真理教が思い浮かぶ。彼らが「科学技術省」なる部門を持ち、その長であった故村井秀夫が大学院で物理学を専攻した経歴をもっていたことを我々は忘れてはならない。実際、オウムはオカルト的言説に加えて「ニセ科学」的な物言いを積極的に利用した集団だった。ほかにも「ニセ科学」が政治的に利用された例や市民運動と結びついた例なども含め、多数の実例が見つけられる。

そのようなニセ科学が、現代の日本社会で大きな影響を持ちつつあるように思える。本講演では、最近の日本での事例の中から、物理学者にとって重要と思われるふたつをとりあげ、物理学者が「ニセ科学」にどのように対応していくべきかを議論するための材料としたい。

マイナスイオンから何を学ぶか

物理学者なら誰しも一度はマイナスイオンについての解説を求められたことがあるだろう。その際にもしも普通の陰イオンとして説明したのなら、あなたは失格だ。ひとことでマイナスイオン製品といっても、その「発生方式(と称するもの)」はさまざまなので、当然発生する物質もまちまちと考えられる。何かが出ているとは思えない製品もある。そんなものを統一的に説明することなど不可能。最大限好意的な解釈は物理学辞典にも出ている「大気イオン」だが、そう解釈したところで物質が特定できるわけでもなく、全体としては「なんだかわからない」ものと断言していい。そして、そのマイナスイオンにまつわる最大の問題は、それが「身体によい」とする根拠がない点である。

関連文献がまったくないわけではない。しかし、引用される日本の文献は戦前のものだし、海外の文献には「大気イオンの微妙な効果」についての報告があるのみ。ところが、いつのまにやら「マイナスは身体によく、プラスは身体に悪い」という科学的事実があるかのように世間に認知されてしまった。松下やサンヨーなどの「一流」家電メーカーも臆面もなくマイナスイオン製品を出したが、効果の有無さえわからないものをあたかも科学的証明があるかのように売るのは詐欺と明言して構うまい。しかし、とにかく、我々がぼんやりしている間に世間はマイナスイオン製品を「科学の成果」として受け入れたという事実は確かにあるのだ。この問題は、科学者がきちんと対応しなければ「ニセ科学」が科学として認知されてしまう例として、よく検討しておくべきである。

水が答を知っていると信じること

『水からの伝言』をご存じだろうか。「水は人の言葉の善し悪しを理解する」という主張である。「ありがとう」という言葉をかけた水は綺麗な樹枝状結晶を作り、「ばかやろう」ではそのような結晶ができないのだという。そんな馬鹿な? そんな馬鹿な主張を展開する写真集や書籍がベストセラーになっている。それどころか、今や海外版も作られ、Barnes & Nobleのインターネットショップでは新年のお薦め本のひとつに挙げられる始末。

しかし、ここまで馬鹿馬鹿しい話を真剣に取り上げなくてはならないのにはもっと深刻なな理由がある。小学校の道徳授業で教材として使われているからである。筋書きはこうだ。「水は言葉の善し悪しによって結晶形を変えることが実験で明らかになった。人間の身体は大部分が水でできいる。体内の水は言葉の善し悪しに影響を受ける。だから、よい言葉を使いましょう」このような授業のシナリオはTOSS(教育法則化運動)という教師集団の中で数年前に生まれ、現在ではTOSS以外の教師にも広まっている。どの程度広まっているかの感触を知りたければ、お子さんを持つ知り合いに片端から尋ねてみることをお薦めする。ちなみに、私の直接の知り合いだけで三例あった。 何人かの小学校教員に直接・間接にお話を伺ったところ、完全に科学的事実と信じ込んでいたかたもいれば、少しは怪しいと感じていたかたもいたのだが、まったくの「ニセ科学」だとは思わなかったからこそ授業で取り上げたわけだ。 「ニセ科学」が「科学的事実」として初等教育に浸透している。我々はこの現実を直視しなくてはならない。

物理学者は語らねばならない

「ニセ科学」は馬鹿馬鹿しい。しかし、あまりにも馬鹿馬鹿しいからといって科学者が相手にせず放置してきたツケが今、まわってきたように思える。 どうやら、「ニセ科学は所詮ニセだから、すぐに収まる」などと傍観的な態度をとっていてはいけなかったようだ。 マイナスイオンにしろ『水からの伝言』にしろ、「科学的事実」として受け入れられていることには特に注意を払う必要がある。 科学者なら「マイナスはよくて、プラスは悪い」などという単純な二分法的説明にはすぐさま疑いを抱くはずなのだが、その二分法がむしろ「科学」として受け入れられている。 我々にとってどれほど明白な「ニセ科学」でも、専門家以外には科学と見分けがつかない場合が多々あることを頭にいれておこう。 その違いをきちんと説明できるのは科学の専門家だけである。 物理現象にかかわる「ニセ科学」であれば、専門家とは物理学者にほかならない。

なお、私のウェブサイト中のテキストとブログで、より詳細な議論を行っている。


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