第六十一回物理学会年次大会(2006 年 3 月)シンポジウム「『ニセ科学』とどう向き合っていくか?」概要
田崎晴明(学習院大理)
科学と非科学の境界が曖昧であろうと、科学の成果の多くが現実の世界を(理論の適用範囲内で)正しく記述していることを疑う余地はない。 これに対して、「水の結晶の形が言葉の影響を受ける」とか「Geは32度以上になると電子を放出し体を整える」といった「一見すると科学的な主張」が正しくないことは、やはり疑う余地がない(それぞれ、http://d.hatena.ne.jp/hal_tasaki/20051217, http://www.mm-socks.co.jp/chioclean/chioclean.html 参照)。 これら、ほぼ確実に正しい「白の」主張と、ほぼ確実に誤った「黒の」主張のあいだには、広い「グレーゾーン」があり、様々な信頼度の主張が連続スペクトル的にずらりと並んでいる。 ここで「ニセ科学」と呼ぶのは、このスペクトルの末端近くに位置する「ほぼまっ黒な」主張たちのことである。 現時点で真偽の微妙な主張、結局は間違いだった科学の仮説は、「ニセ」ではない。
日本の現代社会でも、様々な「ニセ科学」が生まれ、無視できない悪影響をもたらしている。 いくつかの具体例を、これまで積極的に「ニセ科学」批判に取り組んできた主要講演者の講演から知ることができるだろう。
多くの場合「ニセ科学」を批判するには、相手の主張を丁寧に分析し周辺分野の知見を詳しく調べる必要がある。 これは、様々な負担やリスク(これについては、特に天羽氏の講演・概要を参照)に比べると見返りの少ない大変な仕事である。 できれば、多くの物理学者がそれぞれの「得意分野」を分担しあう共同体制を作るのが望ましい。 批判の範囲についても熟考が必要だ。「サンタクロースは非科学的」などと発言することに意味はないが、「水に『ありがとう』という文字を見せると美しい結晶ができる」とする小学校の道徳の授業を看過できないというのは多くの科学者の共通の感想だろう。 情報発信は基本的には個々の物理学者が行なうことになるだろうが、そこに物理学会が適切な形で関わることができれば、情報の社会的影響力も大きくなるだろう。 そういう意味で、佐藤会長の「ニセ科学を批判し、社会に科学的な考え方を広めるのは学会の重要な任務の一つだ」というコメント(朝日新聞、1月4日(九州版)5日(関東版・関西版)夕刊)の意味は大きい。
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