第六十一回物理学会年次大会(2006 年 3 月)シンポジウム「『ニセ科学』とどう向き合っていくか?」概要

科学と「ニセ科学」をめぐる風景

田崎晴明(学習院大理)


本シンポジウムでは、典型的な「ニセ科学」の事例を紹介してもらい、それらに対して物理学者がどう向き合っていくべきかを議論したい。

科学と非科学を区別すること

一見すると科学的に見える何らかの主張が正しい科学なのか誤った非科学なのかを判定することは、一般には容易でない。 「『科学の方法』に従うものが科学」という(よく耳にする)主張は大雑把には正しいだろうが、実際に「科学の方法」を一般的に規定するのは困難だ。 「実験・観察から仮説を立て、それを実験で検証し・・・」といったシナリオを描いても、多くの例外が出てきてしまう。 具体的な方法を離れて「反証可能性」によって科学を規定しようというポパーの試みは有名だが、これが決定版と言えないことは今日では多くの専門家の認めるところである(たとえば、伊勢田「疑似科学と科学の哲学」(名大学出版会)を参照)。

「ニセ科学」の位置づけ

このように科学と非科学の境界が確実でないというところから飛躍して、科学も、神話も、「ニセ科学」も、それぞれが適切な文化的背景のもとでは「真実」であるとするのが極端な相対主義である。 相対主義的な主張には様々なレベルがあるが(中には正当なものもある)、口当たりがよいためか社会に広く受け入れられやすく、反科学や「ニセ科学」を助長していると考えられる。 また、「科学は万能で誤らない」という誤解をもっていた人が「科学は決して万能ではない」という事実を知ったとき、一気に極端な相対主義に走るということもあるようだ。

科学と非科学の境界が曖昧であろうと、科学の成果の多くが現実の世界を(理論の適用範囲内で)正しく記述していることを疑う余地はない。 これに対して、「水の結晶の形が言葉の影響を受ける」とか「Geは32度以上になると電子を放出し体を整える」といった「一見すると科学的な主張」が正しくないことは、やはり疑う余地がない(それぞれ、http://d.hatena.ne.jp/hal_tasaki/20051217, http://www.mm-socks.co.jp/chioclean/chioclean.html 参照)。 これら、ほぼ確実に正しい「白の」主張と、ほぼ確実に誤った「黒の」主張のあいだには、広い「グレーゾーン」があり、様々な信頼度の主張が連続スペクトル的にずらりと並んでいる。 ここで「ニセ科学」と呼ぶのは、このスペクトルの末端近くに位置する「ほぼまっ黒な」主張たちのことである。 現時点で真偽の微妙な主張、結局は間違いだった科学の仮説は、「ニセ」ではない。

日本の現代社会でも、様々な「ニセ科学」が生まれ、無視できない悪影響をもたらしている。 いくつかの具体例を、これまで積極的に「ニセ科学」批判に取り組んできた主要講演者の講演から知ることができるだろう。

物理学者への期待

今回、シンポジウム開催の案内をweb上に公開したところ、二つの新聞と二つの雑誌から取材の申し込みがあり、国外を含む幅広い立場の方々からシンポジウムに賛同する旨のメールをいただいた。 企業の研究所に長年つとめながら「ニセ科学」の蔓延に苦い思いを抱いていた方や、企業が研究所にもちこんだ「ニセ科学」製品の性能評価に携わったことのある方からのお便りは貴重だった。 何人かの方たちと意見を交換する中で痛感したのは、彼らが物理学の専門家による適切な情報発信を求めていることだった。 明らかに「ニセ科学」と考えられる製品説明への批判記事を書こうとしたとき、拠り所とすべき専門家による情報が圧倒的に不足しているというご意見もいただいた。 物理学の専門家への期待は、われわれが思っていた以上に大きいようである。

多くの場合「ニセ科学」を批判するには、相手の主張を丁寧に分析し周辺分野の知見を詳しく調べる必要がある。 これは、様々な負担やリスク(これについては、特に天羽氏の講演・概要を参照)に比べると見返りの少ない大変な仕事である。 できれば、多くの物理学者がそれぞれの「得意分野」を分担しあう共同体制を作るのが望ましい。 批判の範囲についても熟考が必要だ。「サンタクロースは非科学的」などと発言することに意味はないが、「水に『ありがとう』という文字を見せると美しい結晶ができる」とする小学校の道徳の授業を看過できないというのは多くの科学者の共通の感想だろう。 情報発信は基本的には個々の物理学者が行なうことになるだろうが、そこに物理学会が適切な形で関わることができれば、情報の社会的影響力も大きくなるだろう。 そういう意味で、佐藤会長の「ニセ科学を批判し、社会に科学的な考え方を広めるのは学会の重要な任務の一つだ」というコメント(朝日新聞、1月4日(九州版)5日(関東版・関西版)夕刊)の意味は大きい。


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