いったい、どのくらいの学校で使っているのかは、わかりません。 大阪の MBS がテレビ番組(MBS voice 2006年3月24日放送)の中で、西宮市の小中学校に電話での聞き取り調査をしたところ、64 校のうちの少なくとも 14 の学校で「水からの伝言」を使ったことがあるとわかりました。 これは、ごく小規模な調査ですが、決して、きわめて特殊な現象でないことは、はっきりすると思います。 私の子供は、もう小学校には通っていませんが、私の知り合いだけでも、幼稚園の父母会で本が回覧されたという方、小学校の PTA 会長のお話に取り上げられていたという方、また、ご自分のお子さんの通う小学校でそういう授業があったという方が、いらっしゃいます。
後でも触れますが、こういった授業は、インターネットを通じても、広まったようです。 2005 年くらいまでは、「水からの伝言」を使った授業を報告するホームページを、たくさん見ることができました。 今(2006年11月)、調べてみると、ほとんどのページが削除されているようです。
そういったページで知った、「水からの伝言」を使った道徳の授業の流れを紹介しましょう。
以下の先生と生徒のやりとりは、特定のページを写したものでありません。 あくまで、いくつかの報告を読んで、私が脚色して(この話を信じている先生になったつもりで)書いたものです。 そのつもりでお読み下さい(「しっかり者のお母さん」風の人気者の女の先生を想定して書いてみました)。
なお、先生が見せている結晶の写真は、グーグルのイメージ検索(「ありがとう 水の結晶」でイメージ検索、「ばかやろう 水の結晶」でイメージ検索)で簡単にみつけられます。
先生:きれいな写真でしょう。これ、何だと思う?
生徒:宝石?
先生:そういう風に見えるよね。でも、違うんだ。もっと、みんなの身近な物なんだよ。わかるかな?
生徒:??
先生:ちょとむずかしいね。実は、これは「水」なんです。 ただし、ちょっと特別な実験をして、凍らせて「水の結晶」にしたんです。
生徒:へー。
先生:びっくりでしょ。 水なんかでも、こんな宝石みたいなきれいな結晶になるんだね。
「『ばかやろう』の結晶」の写真を見せる
先生:じゃ、こっちの写真をみてみよう。これは何だと思う?
生徒:きたねー。
先生:汚いね、でも、これも、さっきと同じ実験方法で水を凍らせた写真なんだよ。
生徒:えー、うそー。
先生:信じられないよね。でも、本当に、同じ水道の水なんだよ。
ただし、一つだけ、大きな違いがあります。
さっきの水とこっちの水と、それぞれに、別の言葉を書いた紙を見せたんです。
さ、どんな言葉だったか、わかるかな? まず、きれいな結晶になったさっきの写真の水の方からいこうか。
どんな言葉かわかるかな? 先生も、大好きな言葉です。みんなも、きっと、よく使う言葉だよ。
生徒:「ありがとう」かな?
先生:正解! 「ありがとう」を見せた水は、あんなきれいな結晶になるんだね。
じゃ、汚い方は、なんだろ? 先生は、使わない言葉だし嫌いだけど、君たちの中には使っている人もいるなあ。わかる?
生徒:「しね」とか? 「うざい」かな? 「ばか」?
先生:はい、○○くん、正解です。こっちの水には、「ばかやろう」を見せました。 ただの水なのに、「ばかやろう」という言葉を見せただけで、こんな風になっちゃうんだよ。 こわいよねえ。
さて、ここでちょっと問題です。 私たち人間の体のなかには、水が、たくさんあります。 だいたい、どのくらいの割合が水だと思いますか?
生徒:半分くらい?
先生:そう思うでしょ。実は、もっと多いんです。 私たちの体の70パーセントは、水でできているんです。 偉そうにしてても、みんな、水ばっかりなんだね。 (注:体の中に水がたくさんあるというのは、事実です。)
ところで、みんなは、人から「ありがとう」って言われると、どういう気持ちがする?
生徒:いい気持ち。
先生:そうだよね。じゃ、そのとき、みんなの体の中の70パーセントの水は、どうなってると思う?
生徒:きれいになってる!
先生:そう。さっきの実験の写真みたいに、「ありがとう」っていう言葉を聞いた水は、きれいになるんだね。だから、私たちも、気持ちよく感じるんだ。
じゃあ、「ばかやろう」ってお友達に言うと、その人の中の水は、どうなると思う?
生徒:きたなくなる!!
先生:そうです。
人に「ばかやろう」と言われると、悲しい気持ちになるよね。その時には、私たちの体の中の水も悲しくなって、こんな風に汚くなってるんだよ。
先生たちは、いつも、「いい言葉」を使いましょうって言ってるけど、「ばかやろう」なんていう「悪い言葉」を使うと、みんなの体の中の水が、こんなに汚くなっちゃうんだよね。
「悪い言葉」がよくないってことがわかったかな?
もちろん、先生の意図を反映した感想が載っているわけですから、「言葉のパワーに、びっくりした」、「水でも、よいことと悪いことが見分けられるのに、それができない人がいるのは恥ずかしい」といった素直な感想ばかりでした。 実例報告を見るかぎりでは、このような「水からの伝言」を使った授業は、スムーズに進んで、子供たちも引き込まれていっしょうけんめいに聞くようです。
もちろん、「イソップ寓話」みたいに、お話だと分かり切っていることを授業の題材として使うのは普通のことです。 しかし、「水からの伝言」を授業に使う場合は、「これは、実験をした結果、わかった事実です」と言って写真を見せるから効果があるのだと思います。 そもそも、物語としておもしろいわけではありません。 最初から「お話」ですと言ってしまっては、授業にならないでしょう。
つまり、ちょっと過激な言い方をすれば、「水からの伝言」を使って道徳の授業をしようと思ったら、どうしても、生徒たちに「ウソ」を教えなくては、ならないのです。 道徳の授業で、先生が「ウソ」を教えるのは、とても、とても困ったことです。
生徒たちの中には、授業で話を聞いただけで、「おかしいぞ」と思う子もいるだろうと思います。 また、その場ではなんとなく信じていても、後になって、自分で考えたり、他の人と話したりして「やはり、この話はおかしい」と気づく子は多いでしょう。 そういう子たちは、「先生が明らかなウソを言った」という事実に直面することになります。
もちろん、人間にはまちがいがあるわけですから、先生だからといって完璧に正しいことだけを言えと主張しているわけでは、ありません。 でも、やはり、まちがっているとわかったら、どんどん改善していってほしいと思うのです。
「『ありがとう』は、よい言葉、『ばかやろう』は、悪い言葉」という結論が仮に正しいとしても、「体の中の水が汚くなるから」といった、事実ではない理由をくっつけて教えてしまうのは、危険なことです。 「ばかやろう」がいけないとすれば、その本当の理由は、相手のことを思いやらない言葉や行ないが、相手の心を傷つけてしまうからでしょう。 その本当の理由のかわりに、ありもしない「水の性質」を教えていたのでは、たとえ「ばかやろう」を使わなくなったとしても、本当の道徳が伝わったことにはなりません。
仮に、ある子供が「水からの伝言」を信じたために、「ばかやろう」を使うのをやめていたとしましょう。 「水からの伝言」は本当ではありませんから、いつの日か、その子供も、水が「ばかやろう」を見て汚くなったりしないことを知るでしょう。 そうなったとき、その子供にとって、「ばかやろう」と言ってはいけない理由は消えてしまうのです。 そんな「道徳」でいいのでしょうか?
事実でないことを根拠に教育するというのは、子供にとって、とても害のあることです。 その場では効果があるかも知れませんが、長い目で見れば、たくさんの問題が生じてくるはずです。
そもそも、「きれい」なら「いい」、「汚い」なら「悪い」というのは、どういうことでしょう?
ものごとや人を、見た目の美しさ・汚さで判断してはいけないというのは、道徳で、まず教えるべきことなのではないでしょうか? 美しく整然とした形が「よいこと」のシンボルだと、あっさり受け入れてしまうというのは、とても困ったことだと思います。
そして、もっともっと大切なこととして、何が「よいことば」で何が「悪いことば」なのかを、水に判断してもらおうという考えは、まったくまちがっていると思います。 そもそも、「よいことば」対「悪いことば」という単純な区別ができるとは思いませんが、いずれにせよ、何が「よくて」何が「悪い」かというのは、私たち人間の心のあり方、人と人との関わりあいについての、むずかしく、重要な問題です。 それについては、私たちが、自分の人生を通して、真面目に考えながら、答えを探して行かなくてはならないはずです。
「水の結晶」に答えを教えてもらおうというのは、人の生き方・考え方として、何かがおかしいと私は思います。
写真集も、関連する書籍も、全国で売られていますから、授業のための題材は誰でも簡単に入手できます。 あとは、基本的なアイディアさえ知れば、授業に使うことはできるはずです。 先生どうしの直接の会話、ネットを通じた情報交換などで、この授業のアイディアが広まっていったのでしょう。
授業の進め方ははっきりしていますし、結晶の写真などみばえのよい材料もありますし、これなら、よい授業ができると思った先生がたくさんいらっしゃったのでしょう。 さらに、子供たちに「いい言葉」を使ってもらいたいと強く思うために、このような、効果の高い(ただし、その効果はその場かぎりのものだと私は思いますが)授業の方式に、とびついたのかも知れません。
TOSS は、Teachers Organization of Skill Sharing(直訳すれば、「技術を共有するための教員の組織」といったところでしょう)の略称で、日本語では、「教育技術の法則化運動」といいます。 TOSS のホームページにある説明によると、
教師が一人だけで苦しまず、優れた教師とても授業の技量を秘匿せず、先生方みんながそれぞれ持っている得意な教育技術、教育指導のスキルを、互いに情報交換しようという運動だそうです。 いろいろな先生が授業についてのノウハウを交換し合おうというのは立派な考えだと思いますし、そのために、インターネットを積極的に利用しようというのも、すばらしいことだと思います。 TOSS のホームページにリンクをはりたいのですが、どうもリンクするには許可がいるという方針のようです(私は、こういう「無断リンク禁止」という方針は、まちがっていると思うのですが、それは、また別の話題ですね)。 リンクはしませんので、ご興味のある方は、Google で「TOSSランド」と検索してみてください。
TOSS は、(やはりホームページによると)「日本で最大の教育研究団体」だそうですから、そこで紹介された効果は大きかったと推測できます。
ただし、今では、TOSS のホームページには、「水からの伝言」を使った授業にかかわる記述は、まったく、ありません。 出版物は残っていて、「TOSS女教師の読み聞かせシリーズ2教室がシーンとなる“とっておきの話”100選中学年編」の中に「水も感じる『ありがとう』の言葉」という文章が掲載されています。
もし、本当に、あなたのクラスで授業がはじまってしまったら、困ってしまいますね。 あなたは、このホームページの、こんなところまで読んでいるくらいですから、「水からの伝言」がただの「お話」だということを、よく知っているはずです。 それなのに、目の前で、先生が「本当でない話」を一生懸命にはじめたら、どうしていいか、とまどってしまうだろうと思います。
もちろん、その場で、「それは違うと思います」と言うという考えもあります。 ただし、先生も、信じていらっしゃるからこそ、授業に使われているのでしょうから、授業の場で「まちがっている」と言われても、すぐには、どういうことかわからないかもしれません。 ですから、無理をして、その場で意見を言わなくてもいいと思います。 困ったなあと思いながら、どういう授業になるかを見ていてください。 どこが本当のことで、どこは「お話」なのかなと考えながら、聞いていてください。
そして、授業のあとで、たとえば、おうちの方に相談してみるのが、いいと思います。 このホームページをおうちの方に見ていただき、どういう授業があったかを説明して、どうするのが一番いいかを相談してはどうでしょうか?
あるいは、学校にいる別の先生で、話がわかりそうな先生に、相談してみるのも、いいと思いますよ。
いや、もちろん、気が進まなければ、大人と相談しなくてもいいのですよ。 気の合うお友達なんかと、「あれは、あやしいらしよ」などと気楽に話すだけでも、いっこうに、かまいません。 ともかく、「水からの伝言」は、ただの「お話」だということを知っておいてください。 (でも、「ばかやろう」を使いまくっていいということではないです。)
学校での教育に、保護者が口を出すのは、それなりに面倒なことです。 しかし、少なくとも、お子さんとは、「水からの伝言」について話しあっていただきたいと私は思います。 なぜ「水からの伝言」が信頼できないかは、このホームページで、しつこいくらい詳しく説明したつもりです。 そういった内容を、かいつまんで、お子さんに伝えていただければと思います。
学校に対して、どのように対応するかは、むずかしい問題です。 学校の雰囲気によっても、なにが一番よい対応かというのは変わってくるでしょう。 残念ですが、何もしないことが、お互いにとってベストという場合もあるだろうと思います。
私も、小学校や中学校の実情には詳しくないのですが、何人かの現場の方にいただいたアドバイスによると、あえて抗議をしようという場合は、授業をされた先生に直接に話しに行くのは、あまり得策ではないそうです。 やはり、先生ご本人にもプライドや信念があるでしょうから、ご自分がおこなった授業について、非を認めるのは、容易なことではないということのようです。 それよりも、校長先生や、教頭先生といった先生方に疑問をぶつける方がよいだろうという話です。
どうも、あまり、パッとしたことが書けずに、申し訳ありません。
くり返しますが、もっとも大切なのは、お子さんとごいっしょに、いったい何が本当かをじっくりと考えていただくことだと思います。
仮に、このような授業をおこなってしまったとしたら、それは、間違ったことだったと認識すべきです。 この話を信じて授業に取り上げてしまった先生方には、「いっけん、口当たりのいい話」にまんまとひっかかってしまったという事実を、受け入れていただきたいと思います。 先生方が、生徒たちの言葉遣いを正そうといった真剣な動機から、授業をされたことは理解しているつもりです。 しかし、動機がいかに純粋で立派でも、やはり、ダメなものは、ダメなのだと信じています。
もちろん、人にはまちがいがあるものです。 「水からの伝言」の授業をされた先生方を、しつこく非難する必要はないと思います。 偉そうな言い方になってしまって申し訳ないですが、そういった先生方に、ご自分のどこが甘かったかを感じていただき、次のステップに進んでいただければ、それが最良なのだと考えています。
「水からの伝言」は、教育に、「ニセ物」が持ち込まれた、一つの例に過ぎません。 これから先、もっと「口当たりのよいニセ物」が学校教育の現場に入り込んでくる可能性はあります。 新しい奇異な考えに出会ったとき、まず、自分の頭と常識でそれが信頼できるかを吟味し、必要なら専門家の判断も調べるといった冷静な態度をとれば、「ニセ物」の蔓延を防ぐことは確実にできると思います。
「水からの伝言」を取り上げてしまった先生方には、これを苦い体験として、冷静で批判的な態度を実践してもらいたいと、心から願います。 そして、何年か後に「実は、私も昔、お恥ずかしながら『水からの伝言』というのに、まんまとひっかかったことがあるのです」といった体験を後輩に話し、「え、○○先生でも、そんなことがあったのですか」などと言われるようになっていただきたいと思います。
偉そうな書き方になってしまいましたが、これは、教育者の端くれとして、私が真剣に願うことですので、どうか、失礼をご容赦ください。
このページの執筆者:田崎晴明