広島と長崎を焼き尽くそうという決断は、怒りから出たものではなかった。 灰色のビジネススーツや軍服に身をつつんだ白人たちが、討議を重ねた末、合衆国は「日本人にはいかなる警告も与えられない。 民間地域を集中攻撃目標にすることはできない。 しかし、できる限り多くの住民に深い心理的な影響を与えることを目指すべきであり・・・そのためにもっとも望ましい標的は、多くの労働者を雇っていて彼らの家に囲まれているような基幹軍需工場である[1]」と決断したのである。 核の魔神を解き放つことは、アメリカ人の命を守るために安くつくと彼らは論じた。 加えて、これは、ソビエトの指導者ヨシフ・スターリンに見せつけるには格好の出し物だった。
「ジャップの街は消えた (Jap City No More)」といった見出しが、歓びにあふれた国に、このニュースを伝えた。 群衆がタイムズスクエアに集って祝った --- もう敵はあまり残っていないのだ。 勝者が良心の呵責に悩まされることなどほとんどない。 大統領ハリー・トルーマンは、こう宣した。「獣を相手にしなくてはならないときは、そいつを獣としてあつかうしかない。 これはもっとも悲しむべきことだが、しかし、真実なのだ[2]。」 六十年の後、進歩的なアメリカ人でさえ、日本の二つの都市を核攻撃したことの倫理性について、今なお相反する気持ちを持っているのは、驚くべきことではない。 ノーベル物理学賞受賞者であり、マンハッタン計画の名士であり、軍備管理の代表的な唱道者であった故ハンス・ベーテは「原子爆弾は、われわれが日本人に与えることのできた最良の贈り物だった[3]」とはっきり述べている。
合衆国がその手の汚れを払い落として先へ進んでいこうと、別のところでは、死んだ都市の放射能をおびた瓦礫が、恐怖の念ばかりでなく、核兵器を求める取り憑かれたような欲望をも生み出していた。 シャルル・ドゴールが「核攻撃力(force de frappe )」を着想する一方で、スターリンは彼の計画によってこの競争をリードしていた。 毛沢東は、核爆弾を「張り子の虎」と馬鹿にしていたものの、やはり自分も核爆弾を持つべきだと秘かに決断した。 新たに独立したイスラエルでは、首相ダヴィド・ベングリオンは、明らかに「イスラエルが大量破壊兵器を持つ必要性について何の躊躇も持たなかった」とイスラエルの核爆弾の歴史家であるアヴネル・コーエンは書いている。 ベングリオンは、諜報員に命じて「大量の人々を殺傷する力、あるいは、大量の人々を治療する力を、高めることのできる」東欧のユダヤ人科学者を捜させたのである[4] 。
風が吹き、畏怖と羨望という有毒の雲を、他の第三世界の国々にまで運んでいった。 1948 年に、インドの核エネルギー省を創設するための議論のなかで、ジャワハルラル・ネルー首相は議会に対して「われわれは [核科学を] 平和目的のために開発しなくてはならない」と述べた。 しかし、彼はこう付け加えた。 「もちろん、われわれが国家としてそれを他の目的に使うよう強いられることがあれば、われわれの敬虔(けいけん)な心情は、国家がそれをそのように使うことを止めないだろう[5]。」 広島と長崎からたった三年の後、その「他の目的」が何かはあまりに明白であった。
1998 年 5 月のパキスタンの核実験の後、日本がパキスタンの外務大臣を広島の平和記念資料館を訪れるように招待した。 大規模な破壊のおぞましい痕跡を目にしたあと、大臣は見るからに動揺していた。 そして、彼の反応:まさしくこういうことが、パキスタンには決しておきないよう、われわれは核をつくったのだ。
ビンラディンと彼の同族たちがヒロシマから何を学んだかは気にかかるところだ。 ニューヨーク・タイムズは、ビンラディンがアメリカに向けた「ヒロシマ」を計画しているというアルカイダのメッセージを、合衆国が 9 月 11 日以前に傍受していたと報じた[6] 。 合衆国のアフガニスタン侵攻の直前に発表されたビデオのメッセージの中で、ビンラディンは日本への爆撃の記憶を呼び起こさせ、こう述べた。「地球の反対側の日本で、何十万人もが、幼い者も年寄りも、殺されたとき、それは戦争犯罪とはみなされなかった --- それは、正当化できる何かだったのだ。 イラクの何百万人もの子供たちも、正当化できる何かなのだ[7]。」
ビンラディンの重要な支持者の一人は、これについて彼がどう感じたかを実に明確に表明した。 私自身と、イスラム主義の影響力のあるリーダーであり、この国の統合情報部 (ISI) の前長官ハミード・グル大将の討論が、最近、テレビで全国的に放映され、多くの人々が視聴した。 その討論の中で、わが論敵は私に歯を向いた。「おまえのご主人様(つまり、アメリカ人たち)は、ヒロシマに核爆弾を落としたのとちょうど同じように、われわれムスリムに核爆弾を落とすぞ。 おまえのような連中は、世界をむさぼり食おうとしている獰猛な獣の目の前で、われわれを非核化して無力にしたがっているのだ。」 そして、グルは、パキスタンの核爆弾に反対する --- 私のような --- 連中は、アメリカの代理人であり、背信者であり、イスラムとパキスタン国家の敵であると怒りをぶちまけるのだった。
この過激論者の将軍に対する私の返答をわざわざ読んでいただこうとは思わない。 しかし、彼の論点は、倫理的な観点から核兵器に反対しているすべての人々に対する抗弁として、地球全体で言い尽くされてきたものであった。 合衆国は 1948 年以来、二十一の国を爆撃し、最近では、イラクで大量破壊兵器を探すという口実で何万人もの人々を殺した。 合衆国は自らを民主主義と「法の支配」のための力であると称するが、合衆国には、もっとも血にまみれた独裁者たちを支え、国際刑事裁判所を拒み続けた長い歴史があるのだ。 そして、今や合衆国は、その敵対者たち --- 核保有国も非保有国も --- を核兵器で脅かすのである。 ジョージ・ブッシュの「2002 年核戦略見直し報告 (Nuclear Posture Review 2002)」はありうる標的として中国、北朝鮮、イラク、イラン、シリア、リビアを挙げている。 この報告では、核爆弾製造のための新しい施設、バンカーバスター(地下施設破壊爆弾)の研究、2020 年の新しい ICBM をはじめとした多くの計画が推奨されている。
兵器を宇宙空間に設置したいという要求が、合衆国空軍から専門家にだされている。 前空軍長官は「われわれは、宇宙空間から機銃掃射したり爆撃したりという段階には達していない・・・それでも、われわれはそういった可能性を考えている」と説明した[9]。 陸、海、空、そして宇宙空間における全面的な優位が、惑星全体をコントロールするというゴールの達成に必要なのである。
冷戦後の合衆国の外交政策は、1997 年に創設されたワシントンを拠点とするネオコンのシンクタンク「アメリカ新世紀プロジェクト (PNAC)」に多くを負っている。 合衆国が世界を支配しなくてはならないということについて、PNAC の態度ははっきりしていた。 「[新しい世界秩序の] ゆるぎない基盤は、合衆国の軍事力が疑問の余地なく傑出していることによらなくてはならない。 ・・・ 転換のプロセスは長いものになるだろう --- 新たな真珠湾のような、破滅的で物事を大きく変えるような事件がなければ[10]。」 期せずして、まさしく真珠湾のような出来事が 2001 年 9 月 11 日におこったのである。
911 の後、アメリカ帝国はスポークスマンに事欠くことはなかった。 アフガニスタンに反ソ連のジハードを創設したズビグニュー・ブレジンスキーは、臆面もない帝国主義的な調子で、合衆国は「従属国どうしの共謀を阻止し、彼らの互いの依存関係を維持する。 属国を従順に保ち、保護下におく。 そうやって、野蛮人たちが結託しないよう」つとめるべきだと書いている[11]。
「野蛮人たち」を封じ込めておくべく、ペンタゴンの計画立案者たちは、この惑星の至るところでアメリカの統制を確固たるものにするという任務をゆだねられている。 情報担当参謀次長室において将来の戦争のあり方を考える役を担っているラルフ・ピーターズ少佐は、なぜ彼の国が闘わねばならないのかという点については明解である[12]。
わたしたちは、絶えることのない衝突の時代を迎えた。さて、合理的にいって、合衆国は、気化爆弾、通常の爆破兵器、砲弾などを使って、十分に「それなりの規模の殺戮」をおこなうことができる。 それだから、なぜ合衆国が、所有しているすべての武器に加えて、核兵器に強くこだわらなくてはならないのかは理解しがたい。 なぜ合衆国は、他の国々もが核を切望するようにし向けたがるのか? そして、核を保有しない敵国をも必要に応じて攻撃すると宣言することで、合衆国は何を達成しようとしているのか?わたしたちは、新しいアメリカの世紀を迎えようとしている --- わたしたちは、より豊かになり、文化的にもより強力になり、そしてはるかに強大になるのだ。 わたしたちは、前例のないほどに、憎しみを燃え上がらせるだろう。
平和などないだろう。 わたしたちの人生のこれから先、いかなる時でも、この地球のどこかで様々な形での複数の衝突が起きているだろう。 合衆国の軍事力の事実上の役割は、世界がわれわれの経済活動にとって安全で、われわれの文化的な挑戦に対して開放的であるように維持することになる。 そのために、われわれは、それなりの規模の殺戮も犯すであろう。
答は明白だ。 それは、帝国のおごり、暴走した軍国主義、権力の傲慢だ。 ジョージ W. ブッシュのもとでの改められた合衆国の観点では、核兵器は戦争で用いるための武器とみなされる。 核兵器が第一撃に用いられる可能性もある。 もはや核は最終手段とは考えられてないのだ。
だが、これにはマイナスの側面もある。 核の独占が崩壊しつつある以上、長い目で見た帰結は、合衆国に有利にはならないだろう。 マンハッタン計画の時代に比べれば、核兵器 --- とくに、いい加減もの --- の製造は圧倒的に簡単になった。 基本的な知識は、世界中の専門の図書館で自由に得られるし、単にネット上を探すだけで、誰でもびっくりするほどの量の詳しい知識を手に入れることができる。 専門の教科書には、ほどほどに有能な科学者とエンジニアなら「速くて、いい加減な」核爆発物の設計ができるくらいの詳細が書かれている。 核爆発の物理学は、大学院生にごく簡単に教えることができる。 分解の予定になっている何千という旧ソ連の原爆の中にある核分裂性の物質を、あるいは、世界中の実験炉や貯蔵庫にある膨大な量の高濃縮ウランや分離プルトニウムのほんの一部を盗みだしてくれば、ウランの濃縮やプルトニウムの再処理といった複雑な過程を実行する必要もないのである。
イスラムの原爆という考えは、911 よりもずっと前からあった。 パキスタンの核計画の立案者ズルフィカル・アリ・ブットーは、1977 年に、ラワルピンジ刑務所の死刑囚監房から彼の親族に宛てて次のように書いている。 「イスラエルと南アフリカが完全な核の力をもっていることを、われわれは知っている。 キリスト教文明、ユダヤ人の文明、そしてヒンドゥー教文明がこの力をもっているのだ。 共産主義勢力も、これをもっている。 イスラム文明だけがこれをもっていなかったわけだが、その立場はまさに変わろうとしていた。」
イスラム世界全体に属するような原爆の必要性を強調したムスリムのリーダーは、他にもいる。 1992 年にテヘランで開かれたイスラムの会議において、イランの副大統領サイエド・ アヤトラ・モハジェラニは、「イスラエルが核兵器を保有し続ける以上、核拡散を阻止しようという国連の取り組みがあろうと、われわれムスリムは協力して原子爆弾を製造しなくてはならない」と演説した。
1998 年の核実験に続く祝賀行事の一環として、ジャマーアテ・イスラミー(イスラム原理主義政党)は、パキスタンのいくつかの都市の通りを、原爆とミサイルの複製をのせた車でパレードした。 彼らは、原爆の中に、運命の転換の確たる兆候と、イスラムの黄金期の終焉以来ムスリムを悩ませてきた病の特効薬を見ていたのである。 2000 年に、私は、マルアナ・カリ・ウル・ラーマンやマルアナ・サミ・ウル・ハクをはじめとした、パキスタンのいくつかのジハード主義の右派政党の指導者たちがイスラムの原爆の必要性を説くのをビデオに収録した[13]。
にもかかわらず、合衆国やイスラエルから「ウンマ(イスラム共同体)」を防衛するための「イスラムの原爆」をもっていると宣言するイスラム国家がでてくるとはとうてい想像できない。 (しかし、このような、いわゆる「拡大抑止」は、キューバ危機のあいだを含めて、冷戦下で二つの超大国がきわめて積極的に実践してきたものであることを思い出しておくべきだろう。) パキスタンが、危機に瀕したアラブ諸国に「核の傘」を差し出すのではないかという推測が、しばしば報道されている。 しかし、パキスタンの歴史のなかで、この国が汎イスラムの大義に本格的に肩入れした事例はみあたらない。 今のところムスリムで唯一の核保有国であるパキスタンが、中東で用いる核兵器を提供することで、イスラエルや合衆国から手ひどい報復を受ける危険をあえておかすことはありそうにない。 パキスタンとイランの核開発での秘密の協力 --- 公式には、アブダル・カディール・カーン博士と彼のネットワークの茶番劇ということになっているのだが ---- は、十年前に終わりを迎えている。 その後のリビアとの同じような取引は、2003 年にネットワークの存在が発覚するまで、継続した。 ネットワーク発覚に続いて、カーンは 2004 年初頭に公然と罪を認めることになる。
私の意見では、核による戦闘の危機は、ムスリム諸国家からではなく、これらの国々の中の急進的な個々人からもたらされる。 9 月 11 日の後、パキスタン軍事政権はイスラムの過激派組織が彼らの核兵器を乗っ取る危険性はまったくないと力説していたが、それは運を天に任せての主張ではなかった。 いくつかの武器は、北部の山岳地帯ギルギトなど、国内のより安全で孤立した場所に空輸されたと伝えられている。 このように神経質なやり方をする意味は実際にあったのだ。 ムシャラフ大将の近しい朋友であった、極めてイスラム主義的な二人のパキスタン軍の将軍が、ちょうど解雇されたばかりだったのである。 軍の内部には、パキスタンがタリバンを裏切ったことへの強い不満があった(そして、今もある)。 アメリカからの強烈な圧力の下、パキスタン政府は、ほぼ一夜にして、自らが生み出した組織と縁を切り、彼らを殲滅するための戦争を遂行することを約束したのである。
パキスタンの核への恐怖は、その後、地位の高い核技術者シード・バシルディン・マフムッドと材料の専門家チャウドリー・マジードが 2000 年に何度かアフガニスタンを旅行していたことが暴露されたことによって、よりいっそう高まることになった。 この二人の科学者は急進的なイスラム主義を信奉していることで有名だったのだ。 マフムッドは、オサマ・ビンラディンといっしょに写真におさまってさえいる。
核攻撃の可能性は、核保有国の兵器庫から盗み出された、いわゆるスーツケース爆弾だけに限られるわけではない。 実際、はるかに簡単なやり方は、爆破してしまうその場所に、高濃縮ウランを使って即席で据え付けの核兵器を作り、そのまま爆発させてしまうことだ。 より可能性が高いのは、無防備な核反応炉や使用済み核燃料貯蔵庫への攻撃だろう。
何人かの核兵器の専門家(その名前を明かすことはできないのだが)は、問題は、核攻撃はおこりうるか否かでなく、核攻撃がいつおこるかだと個人的に信じている。 これはあまりに悲観的に過ぎるだろうが、核物質および核兵器についての知識の厳重な警戒と監視をおこなうこと(そして、核物質の貯蔵量を急激に削減すること)が第一歩であるのは確実だ。 これは微塵の遅れもなく実行に移さなくてはならない。 しかし、これだけでは十分というにはほど遠い。 核兵器保有国が、核兵器は抑止あるいは戦争のための合法的な道具であると認めつづけるなら、地球規模での --- 他の国家または非国家主体への --- 核の拡散は、どんなにうまくいっても、減速できるだけだ。 強制的な核不拡散は、核への要求を駆り立てるだけである。 合衆国がその核兵器格納庫を維持し改良していくことに躍起になっているかぎり、協力と合意による核不拡散は成功しえない --- いったいどんなまっとうな理屈で、他の人たちに、核兵器を放棄するように、あるいは、獲得しないように説得できるというのか?
宗教的狂信者たちが核攻撃を計画しており、いずれ彼らは成功するだろうと認めるとすると、いったい、その先に何があるのか? 世界は、報復と再報復のくり返しの、底知れぬ奈落にまっさかさまに落ちていくであろう --- その奈落のおそろしさは人間の理性には理解しえないものだ。 合衆国は誰に対して報復をおこなうのだろうか? メッカを核攻撃するのか? それともムスリム諸国の首都を? 国民がさらなる攻撃を恐れるようになると、合衆国とその同盟国は何をするだろう? 合衆国やヨーロッパからムスリムを追放するのか、それとも、第二次大戦中に日系アメリカ人たちにしたように、彼らを収容所に集めるのか?
ヒロシマは、アメリカだけでなく、人類そのものの失敗の徴(しるし)であった。 技術の進歩はわれわれがそれを賢明に使いこなす能力をはるかに凌駕(りょうが)してしまった。 まるでダイナマイトで武装した諍(いさかい)いあう猿の集団が、水漏れしている船に乗り合わせているかのように、われわれは今、不確かな航海に乗り出している。 人類が生き残るための最良の道は、生物兵器や化学兵器については既にあるようなタブーを核兵器についてもつくり出し、核兵器の世界的な廃絶に向けて早急に行動することにある。 われわれは、残忍な共食いの世界に生きるわけにはいかない。 そうではなく、われわれは、普遍的で、慈悲深く、人間的で、非宗教的な価値観にもとづいた未来 を強く夢見て、その実現にむけて早急に動かなくてはならない。 そのためには、文明世界は、アメリカ帝国主義とイスラム急進主義という双子の鬼を退治しなくてはならないのだ。
[1] Notes of the Interim Committee, May 31, 1945, in Martin Sherwin, A World Destroyed: Hiroshima and the origins of the Arms Race, (Vintage Books, 1987), Appendix L, p.303.
[2] Martin Sherwin, A World Destroyed: Hiroshima and the origins of the Arms Race, (Vintage Books, 1987), p. xvii.
[3] 憂慮する科学者の会(the Union of Concerned Scientists)がコーネル大学で 1997 年 6 月に開いた会議の席で、ベーテがこう述べるのを、私は聞いた。 この発言は一部の参加者の強い怒りを買った。 ベーテは、都市への通常爆撃が続いていたらより多くの日本人の命が失われていただろうと返答した。
[4] Avner Cohen, Israel and the Bomb (Columbia University Press, 1998), p. 11.
[5] Cited in e.g. Zia Mian, "Homi Bhabha Killed a Crow", in Zia Mian and Ashis Nandy, The Nuclear Debate- Ironies and Immoralities (RCSS, 1998), p. 12-13.
[6] James Roisen, Stephen Engelberg, "Signs of Change In Terror Goals Went Unheeded", The New York Times, October 14, 2001.
[7] Anthony Shadid, "Bin Laden Warns No Peace for US", Boston Globe, October 8, 2001.
[8]William Arkin , "Not Just A Last Resort? A Global Strike Plan, With a Nuclear Option", Washington Post Sunday, May 15, 2005.
[9] Tim Weiner, "Air Force Seeks Bush's Approval For Space Arms", The New York Times, May 18, 2005
[10] Rebuilding America's Defenses: Strategy, Forces and Resources for A New Century, Project for A New American Century, September 2000, p.51, On the web at http://www.newamericancentury.org/RebuildingAmericasDefenses.pdf
[11]Charles William Maynes,"Two blasts against unilateralism", in Understanding Unilateralism in US Foreign Policy, RIIA, London, 2000.
[12] Ralph Peters, US War College Quarterly, summer 1997. http://carlisle-www.army.mil/usawc/Parameters/97summer/peters.htm
[13] Pakistan and India Under the Nuclear Shadow, a video production of Eqbal Ahmad Foundation, 2001, available from zia@princeton.edu 日本語版「核の影に覆われたパキスタンとインド」については、http://www.gensuikin.org/pak_in_shadow.htmを参照。
リンク、引用、印刷、複製、ファイルのコピー等は自由に行なってよいが、 ネット上での引用等の際にはインデックスページ(日本語、ないしは、英語)へリンクをはっていただけるとありがたい。