核抑止の失敗に向かう印パ紛争

パルヴェーズ・フッドボーイa ・ ジア・ミアーンb

平和への展望が暗い時代である。1998年5月のインドとパキスタンの核実験で、両国が公然と核保有国になってから、印パ関係は目に見えて悪化した。危機が危機に続き、核兵器は一層突出した役割を果たすようになった。2002年春の大規模な軍事力動員と戦争の兆しのなかで、南アジアの核武装化の力学を形成する重要な特徴が露呈したが、なかでも核の脅威が繰り返し利用されたことや、核戦争の予想に直面しても、政策決定者や一般社会に恐怖心がないことが明白になった。

こうした展開は、南アジアの政治・軍事指導者の間で、変わってしまった現実に直面することを避ける傾向が、益々強まっているためである(原爆はすべてを変えてしまったが、われわれの思考様式だけは変えなかった、と言ったアインシュタインの有名な言葉のとおりである)。軍備競争は拡大する一方で、両国はそれを制御するのが精一杯である。両国の軍事ドクトリンは、核戦争に至るのが不可避になる方向に向けて、相互に連動している。貧困層は教育を受けておらず、情報も権力もない。富裕層は情報がないか、双方の国家を急速に変えている宗教的原理主義(イスラムとヒンドゥー)勢力に取り込まれている。これらの勢力は、今やナショナリズムと一体化しており、このままでは、以前の印パ戦争や危機で機能した抑制が、次第に無視され失われるかもしれない。われわれは、落ちていく底がまだ見えないような、急で滑りやすい坂を転がり落ちている。

核抑止の効力は、核兵器への恐怖心をもたらす力にあるとされてきた。その前提は、合理的判断をすることであり、行為者は、極度に緊迫した状況でも、感情より論理を優先させるという前提があった。最近の南アジアの事態では、これらの前提がすべて疑わしくなっている。それゆえ、核抑止論の教科書に、おそらくいつか新しい一章を加筆せねばならないのではないかと、われわれは憂慮する。

時間は少ない。アメリカの役割が鍵になる。アメリカは、南アジアの核戦争よりも、核武装化したイスラム勢力のテロの可能性を、より懸念し始めている。しかし、ブッシュ政権の抑制のない、単独主義的で帝国主義的な構想によって、抑制や諸条約締結の余地はなくなり、すべての人にとって平和と軍縮の可能性が損なわれている。

われわれが安全な道に戻るために、とるべきいくつかの対策がある。

危機に続く危機

南アジアの危機と核兵器には、根本的な関連性がある。1971年にインドに敗北した直後、ブット(Zulfiqar Ali Bhutto)首相は、パキスタンの核科学者をムルタン市に招集して、核兵器製造計画を策定するための会議を開いた。1974年5月のインドの核実験は、南アジアでのインドの力を一層磐石にするための手段と見なされたため、パキスタンは核兵器製造に一層駆りたてられた。

パキスタンは、1998年5月に5回にわたるインドの核実験で挑発されたが、国際的制裁を受けるのを恐れて、核実験を行うことに当初消極的だった。核実験後のインド指導者たちの好戦的な発言が功を奏して、パキスタンは例の丘で核実験に踏み切ることを余儀なくされた。しかし、成功は変化をもたらした。パキスタンは核兵器を、あらゆる危険を回避する護符と見なして、インドの核兵器に対抗することは、二次的なものになった。むしろ、パキスタンの核兵器は、インドのはるかに大規模な陸・空・海軍の通常兵力を中和させる手段になった。

パキスタンの軍人は、今や核兵器を外交政策の目的を達成する手段だと考えている。核の盾があるという発想から、彼らはカシミールで、息を飲むような冒険主義的作戦に出るようになった。ペルヴェズ・ムシャラフ陸軍参謀長の指揮で、パキスタンは、カルギル地区の山岳地帯に戦略的要塞を獲得するために、正規兵とイスラム武装組織を共に、停戦ライン(Line of Control)を越えて派兵した。その後のカルギル戦争(1999年)は、事実上核兵器によって勃発した最初の戦争であると、歴史家が記述するかもしれない。

インドが反撃し、パキスタンは外交的に孤立したため、深く憂慮したナワズ・シャリフ(Nawaz Sharif)首相は、1999年7月4日にワシントンへ飛んだが、そこでパキスタン軍を撤退させるか、さもなければインドとの全面戦争に備えろと、あっさり告げられた。クリントン大統領の特別補佐官ブルース・リーデル(Bruce Reidel)は、クリントン大統領がシャリフ首相に、パキスタン軍が核兵器を搭載したミサイル隊を動員したと伝えたとき、その場に同席していたと記している1。(それが本当なら、核兵器の配備命令と、おそらくそれを使用する態勢準備の命令を出したのは、ペルヴェズ・ムシャラフ大将自身であり、彼自身が出したにせよ、彼が他の陸軍首脳部と協議のうえで出したにせよ、彼が命令したと考えられる )。この情報暴露と惨事の至近性に愕然としたナワズ・シャリフは、パキスタン軍は攻撃者たちを統制できないと言っていた当初の体裁を捨てて、即時撤退に合意した。

カルギル戦争で敗退したにもかかわらず、パキスタンの政治・軍事指導者は、パキスタンがこの紛争で優勢であり、核兵器があったから、インド軍が停戦ラインまたは事実上の国境線を越境するのを防止した、と主張した。この信念は、とりわけ軍部に強かったようだ。そうしなければ、彼らのとっておきの兵器は軍事的に無益だと認めねばならなかったであろう。

瀬戸際への後退

2001年12月13日、イスラム武装組織がデリーのインド国会議事堂を襲撃して新たな危機が発生し、それはまだ終わっていない。インドのバジパイ(Atal Bihari Vajpayee)首相は、カシミールのインド部隊に、犠牲を覚悟して「決定的勝利」に備えるよう煽りたて、広域に警戒態勢を取った。インドはカシミールのパキスタンが管轄する地域で、イスラム武装勢力の陣地を掃討するための「限定戦争」に備えているようだった。

世界的にイスラムの戦闘性に対する深い敵愾心が広まっているのを察知して、インド与党のBJPは、アメリカの「テロとの戦い」のスローガンを取り入れ、カシミールでのインドの軍事作戦に国際的な支持を演出しようとした。窮地に立たされたムシャラフは、インドの国会議事堂襲撃には関与していないだろうが、インドはパキスタンとの通信を切断した。イスラマバードのインド大使はデリーに召還され、道路や鉄道は遮断され、パキスタン航空がインド領空を飛行することは禁止された。

こうしたインドの反応は、パキスタン国家機関からほぼ自立した第三勢力として活動していたカシミールのジハード(聖戦)主義者には好都合であった。(この行動上の自立性は、そうした大規模で秘密裏の作戦には典型的にみられるもので、それらの勢力が何か特定の行動をおこした場合、国家の庇護者は、もっともらしく責任を否定することが政治的要件であった。アメリカがニカラグアでコントラスを支援した例や、1980年代にアフガニスタンでムジャヒディンを支援した例は、こうした関係の古典的な事例である)。ジハード主義者が、たとえばインド民間人の大量殺戮といった大規模な蛮行をする可能性は、現実にあった。実際に、彼らの目的は、インドとパキスタンの間に全面戦争を勃発させて、ムシャラフ政権を揺さぶり、アメリカに対する恨みを晴らすことだった。

核戦争の脅威は、あらゆる方面で飛躍的に高まった。2002年5月、戦闘機がイスラマバード上空を旋回していた頃、われわれの一人(Pervez )との公開討論会で、前パキスタン陸軍参謀長ベグ(Mirza Aslam Beg) 大将が、「われわれは第一撃もできるし、第二撃も、第三撃すらできる」と豪語した。核戦争の致命性は、彼には関係なかった。「道路を横断していても、死ぬことはある」と彼は言った。「それとも、核戦争で死ぬかもしれない。いずれにしても、いつかは死ななきゃならん」。パキスタンのジュネーブ国連代表部大使アクラム( Munir Akram)は、同国が「核の先制不使用」政策を否定することを、何度も繰り返した。

核戦争の脅威は、あらゆる方面で飛躍的に高まった。2002年5月、戦闘機がイスラマバード上空を旋回していた頃、われわれの一人(Pervez )との公開討論会で、前パキスタン陸軍参謀長ベグ(Mirza Aslam Beg) 大将が、「われわれは第一撃もできるし、第二撃も、第三撃すらできる」と豪語した。核戦争の致命性は、彼には関係なかった。「道路を横断していても、死ぬことはある」と彼は言った。「それとも、核戦争で死ぬかもしれない。いずれにしても、いつかは死ななきゃならん」。パキスタンのジュネーブ国連代表部大使アクラム( Munir Akram)は、同国が「核の先制不使用」政策を否定することを、何度も繰り返した。2 。インドのナライン(Yogendra Narain)防衛局長は、アウトルック誌のインタビューで、さらに具体的に「外科手術的な攻撃が、その答だ」と語り、もしそれで問題を解決できない場合は、「われわれは全面的な相互破壊に備えねばならない」と付け加えた3 。インドの安全保障分析官チェラニー( Brahma Chellaney)は、「インドはパキスタンの隅から隅までどこでも攻撃できるし、パキスタンの核の脅しに十分に対処する用意がある」と主張した4

核の否認

インドが停戦ラインのパキスタン側にある武装勢力の陣地に、越境攻撃することを真剣に検討し始めたため、そうした攻撃を主張する人々にとっては、パキスタンは核兵器を使用する意思も能力もないと言って、その核兵器保有化を否定するほうが好都合だった。こうした認識が語られたのは、これが最初ではなかったが、今回はインドの権力エリート層の間で驚くほど広範にそれが語られ、核戦争に至るような誤認を招く危険性が深刻化した。

1998年5月のインドとパキスタンの核実験より2ヶ月前に、パグウォッシュ会議の代表団がインドのグジュラル(Inder Kumar Gujral)首相とデリーで会談した。その代表団の一員であった本稿共著者の一人(Pervez)は、亜大陸の核破壊に対する懸念を表明した。グジュラル首相はペルヴェズに、公的な場でも私的な機会でも、パキスタンに原爆を製造する能力はない、と繰り返して念を押した。首相だけではなかった。チャリ(P.R.Chari)のようなインドの防衛分析専門家も、1998年5月以前に同様の趣旨の論文を発表していたし、インド原子力エネルギー庁の前長官ラマナ(Raja Ramana)博士もそうだった。

パキスタンの核実験で、こうした能力への疑念は一掃されたが、インドの軍高官や政治指導者たちは、パキスタンの保有兵器の操作能力と利用可能性について懐疑的意見を表明し続けた。さらに深刻なことは、多くのインド人が、パキスタンはアメリカの庇護国であるから、その核兵器はアメリカの管理下にあると信じていることである。彼らは、高度の危機になれば、アメリカがパキスタンの核兵器使用を抑制するだろうし、または必要ならば、それらを破壊するだろうと予想している。今年(訳注2002年)1月のドバイでの会合で、インドの分析担当高官は、パキスタンの核の脅威説に「飽きている」し、それらをもはや信用していないと語った。インドの核保有化を10年以上前から提唱してきたタカ派の大物であるスブラマニャム(K. Subrahmanyam)は、インドは「枕を高くして眠れる」と信じている。

核保有するパキスタンに対して、恐れを知らずに挑戦するには、現実を否認する必要があり、一部のインド人にはその用意ができているようだ。アメリカがパキスタンの核を破壊する意図またはその能力があると予想するのは、度を越した信用である。核兵器を搭載した移動ミサイル数機を追跡して破壊することですら、容易な技ではない。キューバ危機の際、アメリカ空軍はソビエト製ミサイル設置場所の航空写真を撮り、それは空軍機から数分の距離しかなかったが、それでも奇襲攻撃で90パーセント以上の効果があげられるという保証はなかった。より最近の事例で、アメリカがイラクのスカッド・ミサイルの破壊を試みたが、その成果は限られたものであった。他国の核爆弾を除去しようとする国家など、ありはしないのだ。そうするには、100パーセントの成功が必要であるから、法外な危険を伴うであろう。それにもかかわらず、インドはパキスタンを圧倒できると感じられるところまで、その軍事力の優越を吹聴している兆候がある。

軍備競争の拡大

11998年の核実験以降、インドの軍事支出は大幅に増加している。2001−2002年のインドの国防費は6300億ルピー(130億ドル)とされた。これはパキスタンの国防費のほぼ3倍であり、その後まず28パーセント増額されたが、その増額分はパキスタンの軍事費総額より大きかった。さらに、4.8パーセントの増額が予定されており、それは戦闘機、潜水艦、高度警戒システム(イスラエル製のファルコン機上搭載早期警戒システムを含む)および第2の航空母艦の購入に充てられる。

『2020構想』と題するペーパーで、インド空軍はそれに必要な要件を提示しており、それは2020年までに飛行中隊を39から60隊に増やすことや、旧式のミグ21戦闘機を、ロシア製のスホイ30型戦闘機やフランスのミラージュ2000型またはラファエル戦闘機のような、より近代的な戦闘機と取り替えることを提案している5 。 このインド空軍の内部文書は、第一撃能力の形成についても提案していると言われる。

核搭載可能なアグニ・ミサイルを操縦するミサイル連隊が編成されようとしている6 。将校たちは核兵器を操作するための訓練を受けているところであり、アグニ・ミサイルに核弾頭を搭載することについて、高級将校たちが発言している7 。これらはすべて、いずれ核兵器が配備される方向にあることで一致している。 パキスタンの軍人はインドのこうした努力に対抗したいのではあるが、同国の経済は破綻しそうであり、そうした緊張に耐えられない。最近の世界銀行の報告書は、長いが引用に値する8

「1990 年代はパキスタンにとって、機会が失われた10 年であった。独立以来1980 年代末まで、パキスタンは他の南アジア諸国をしのいでいた。その後1990 年代に,発展は停滞した。貧困の比率は高く、経済成長は失速しており、諸制度の機能は劣悪で、深刻なマクロ経済の危機が発生している。」

経済が活性化し始めるとき、そして今活性化し始めているゆえに、パキスタンの軍部指導層は確実に、この軍拡競争を再開するであろう。

戦争に向けて

パキスタンの軍人は、なぜ核兵器を欲するのかを理解している。彼らは、敵対行動が起きた場合、重装備の装甲車や空爆に不向きな区域で、インドが損害を蒙ると予想する。そこで、インドは交戦区域を移して、領域的な拡大を図るだろうが、核施設は攻撃しないだろうと想定されている。そこで、インドには次のような選択肢があると考えられる。

パキスタンの軍人は、インドにこれらの目標を達成させないように戦略を模索してきた。彼らは、核兵器使用の一連の条件を明言してきた。パキスタン戦略作戦司令部のキドゥワイ将軍によれば、「国家としての存続が危機にさらされた場合」にのみ、パキスタンは核兵器を使用するとされ、それは次の場合だと彼は特定する9

  1. インドがパキスタンを攻撃して、その領土の大部分を占領した場合
  2. インドがパキスタン軍の大部分を破壊した場合
  3. インドがパキスタンに経済封鎖を課した場合
  4. インドがパキスタンの政治的不安定化を工作するか、またはパキスタン内で大規模な撹乱工作をした場合

インドも、それに続いて、軍が戦場で核兵器による攻撃を受けた場合に、その戦争を続行するための準備を開始した。「完全な勝利(Poorna Vijay)」と題するインドの大軍事演習は、過去10 年で最大規模のものであり、核戦争での陸軍と空軍の訓練に照準を当てていたと伝えられた10 。これらを総括すると、インドの軍事的選択肢とパキスタンの軍事作戦から、大きな印パ紛争が起きれば、核戦争に至るのは不可避だろうと思われる。

恐れ知らずの核の賭け

2002 年初頭に、100 万の軍隊が動員され、印パ両国の指導者が核戦争の危機を示唆していたとき、世界の世論は、猛烈で自滅的になりかねない戦闘が始まるのではないかと震撼した。外国人は両国から退避して、その多くはまだ戻っていない。しかし、この危機が頂点に達したときですら、よく眠れなかったインド人やパキスタン人は、ほとんどいない。株式市場は点滅していたが、人々が銀行に殺到したわけでもなく、買いだめのパニックもおきなかった。学校や大学は、一般に危機を最初に反映するのであるが、通常通り授業を行っていた。核による全滅の危機に対するこの驚くべき無関心ぶりを、どう説明すればよいのだろう?

ある意味で、その答は、インドもパキスタンも、経済や社会の変容が急速に進んでいるとは言え、いまだにその大部分が伝統的な農村社会だという事実に関連している。そうした社会の根本的な信条体系は(それは決して変化しそうにないのであるが)、雨や良好な天候に依存する農業の現実的諸要件を反映して、より大きな勢力への服従を促している。会話や議論はしばしば、「なるようになるさ」という文句で終わり、そのあと人々は肩をすくめて、他の事を始める。彼らは見えない力に逆らえないと感じているので、危険を冒す度合いは極端に低い。しかし、このことよりも、別の理由のほうがより重要であろう。

インドとパキスタンでは、ほとんどの人に核の危険に関する基礎的な情報が欠けているのだ。1996 年のエリート世論調査によると、パキスタンが使用可能な核兵器を所有することを支持したいと答えた人の約80 パーセントが、情報を得るのは「難しい」か「ほとんど不可能」と思っており、核兵器に反対する人の約25 パーセントが、同様の懸念を示している11 。インドでは、1999 年11 月の選挙後の全国世論調査によると、その人口の半数強の人々が、1998 年5 月の核実験を知らないと回答した12 。2002 年春の危機の最中にBBC は、パキスタン社会では、核の危機に対する意識のレベルが「底なしに低い」と報道した13 。インドでは、「多くの人にとって、核戦争の脅威は想像するのが困難である」と、BBC は伝えた14

直接入手できる証拠も、こうした判断を裏付けている。教育を受けた人々ですら、基礎的な核の現実を把握できていないようである。本稿共著者の一人(Pervez )が教えている、イスラマバードにある大学の学生に質問すると、何人かは、核戦争になれば世界の終わりだと答えた。核兵器は、より大きな爆弾でしかないと考えている学生たちもいた。多くの学生は、それは彼らに関係のないことで、軍の問題だと言った。核の火の嵐( nuclear firestorm )がおきる可能性、残余放射能の問題、それが遺伝子に及ぼす問題については、ほとんど誰も知らなかった。パキスタンの公衆広場や十字路には、ミサイルや核実験場にあるファイバーグラスのレプリカが設置されている。大衆にとって、それらは死と破壊の象徴ではなく、国家的な栄光と達成の象徴なのである。

先の危機もまた、核兵器使用の脅威に関する恐れの欠如を露呈している。危機が起きるたびに、政治的抑制は少なくなり、核の瀬戸際政策が強まっているようである。鍵となる要因は、政治・軍事指導者を監視し、彼らが核兵器を振りかざすのを抑制するような、知識のある制度化された世論が欠落していることである。特にパキスタンでは、国営テレビを政府が厳しく管理しているため、核兵器や核戦争に関する批判的な議論が放送されることは、まずない。インドで、そうした批判的討論がないのを理解するのは、もっと難しいことである。

核戦争は遠い抽象的な話であると思われているため、両国とも市民防衛策は存在しない15 。インドのラムダス(Ramu Ramdas)提督は、今は退役して平和活動の指導者であるが、「この国では人間はいくらでも使い捨て可能なので、デリーに空襲用のシェルターはない」と痛烈な批判をした。イスラマバードの市民防衛予算4万ドルは噴飯ものであり、しかも今年の予算はまだ配分されていない。非常時用の計画があれば、避難ルート、放射能で汚染されていない食料や水の供給について、迅速な情報を提供して、何百万人もの生命を救うことになるであろうが、そうした真剣な計画はない。

南アジアの大都市で、核攻撃に対する十分な保護を数百万人に提供するというのは、想像もできないことである。平時においてすら、極めて多くの人に、家、食料、水や健康管理を提供できていないのだ。それでもなお、できるだけ多くの人命を、指導者の愚行から救うために、信頼できる避難計画の作成について、何か議論がなければならない。そうした計画の進展やそれについての議論は、それ自体が、おこりうる恐怖を人々に確信させ、生き残るために抗議しようと思い立つ一助となるだろう。

アメリカと南アジアの核兵器

冷戦期に両超大国は、世界の他の諸国を事実上無視することができた。超大国の戦略や政策は、他国の懸念や嘆願をほとんど考慮せずに形成された。南アジアでは、アメリカや、アメリカほどではないが国際社会は、大きな存在である。これは重要な差異であり、カルギル戦争や2001年から02年にかけての危機が示したとおり、この差異は決定的なものになりうる。

1974年のインドの核実験に続いて、核拡散の脅威と印パの核開発競争の帰結が懸念されたため、アメリカはさまざまな制裁手段を用いて、パキスタンの核兵器開発能力を封じようとしたが、成功しなかった。1990年代初頭までに、クリントン大統領はこの両国の核開発計画を凍結し、最終的に破棄させようと説得工作をしたが、効果はなかった。

1998年の核実験の後、この両国に包括的核実験禁止条約(CTBT)を調印させることに希望が託された。2000年初め、インドとパキスタン両国はこれに署名する寸前までいっていた。しかし、クリントン政権の努力は、共和党優勢の上院が同条約の批准を拒否したことで挫折した。同条約は死文化して、アメリカやいずれは南アジアも含む他の核保有国が、核実験を行なう可能性が残された。ブッシュ政権の諸政策を見ると、この可能性は大きくなった。

ジョージ・ブッシュ大統領の下で、アメリカは自国に明白に有利であるものを除けば、あらゆる軍備管理条約を無効にしようとしているようである。CTBTはその最初の犠牲になった。生物兵器禁止条約がそれに続いた。アメリカが弾道弾迎撃ミサイル制限条約を破棄したのは、国家が同条約を破棄した初めての事例であり、恐るべき前例となった。これらの措置により、より攻撃的な核政策に向けて道が開かれてしまった。

ブッシュ政権が2002 年1 月に発表した核態勢見直し報告(Nuclear Posture Review : NPR )【訳注:これは米国防省が作成し「2001年12月31日に議会に提出」と記されているが、一般に2002年1月8日に議会に提出したと報道されている。国防省は翌9日に同報告を公表したが、発表されたのは序文のみだったため、その後メディアで非公開部分が暴露され、注16、17にあるように、9・11テロ後に結成された安全保障政策研究を目的とするNPO「グローバル・セキュリティ」も抜粋を公開した。その日本語訳もある。http://www.peacedepot.orgは、核兵器や化学兵器、生物兵器等の大量破壊兵器を保持しない国に対しても、アメリカが核兵器を使用することを許可する実戦戦略の作成を要請している。同報告は、敵国にアメリカの国益や同盟国および友好国の国益を脅かす軍事的計画や作戦(著者による強調)を実施させないために、アメリカが核兵器を含めてその軍事力を行使することを提案している16 。深貫通兵器(バンカー爆弾)のような特別の目標を持つ新核兵器がすでに開発されている。

アメリカは冷戦後の世界でその目的を達成すべく、さらなる軍事力の開発を優先しているため、インドとパキスタンが互いに何をしようが、それほど懸念しない。インドもパキスタンも、自国を支援してくれることをアメリカに求めているため、アメリカはすでに保険を掛けるのを止めたように思われ、いずれの国からの脅威もほとんど感じない。核態勢見直し報告にある「核攻撃能力の要件」には、「突然の体制変革により、現存する核施設が新たな敵対的指導者の勢力に掌握される場合」も含まれるとある17 。この点に関しては、9 月11 日の米国同時多発テロが示唆したように、アメリカはパキスタンを特別に懸念している。

パキスタンの杜撰な核管理

9月11日の同時多発テロの直後に、パキスタンの軍事政権は、その25−40発の核兵器が盗まれる危険性はないと強調したが、その保証にすべてを賭けようとはしなかった。一部の核兵器は、国内のより安全で隔離された場所に空輸されたと言われる18 。この神経質さは、理由がないことではなく、パキスタン軍人のなかでイスラム色が強い2人の軍人、統合情報部長アフメド(Mehmood Ahmed)中将とムシャラフ大将に近い陸軍参謀次長ウスマニ(Muzaffar Hussain Usmani)大将が解任されたばかりだった19 。 パキスタンがタリバンを裏切ったという不満は、軍内部に強かったし(今も強く)、パキスタン政府はほとんど一夜で、アメリカ政府の強い圧力に屈して、自ら育てた勢力を見捨てたのだった。

パキスタンの核施設の高い地位にあるマフード(Syed Bashiruddin Mahmood)とマジッド(Chaudhry Majid)の2人が、その前年に数回アフガニスタンに行っていたと暴露されたあと、パキスタンの核に対する懸念は、さらに強まった20 。この2 名の科学者は、イスラム急進派の見解を持つことで、広く知られていたからだ。

この2名のパキスタン人が、アルカイダ一派や世界の他地域にいる配下の勢力に、いずれ悪用されかねない重大な核情報や核物質を提供したとしても、ありえないことではない。もしそうだとしても、それは核情報が初めて漏洩した事件ではないだろう。1966年に米国核物質施設会社(U.S. Nuclear Materials and Equipment Corporation)のイスラエル信奉者が、イスラエルの核開発計画のために、100キロを越す高濃縮ウランを持ち出し、CIAの報告によると、「イスラエルの兵器製造に利用された」可能性が大きいといわれた21

パキスタンの杜撰な核管理は、すでに手に負えないグローバルな危機を、さらに悪化させる問題である。旧ソ連内には数千もの解体用爆弾に核分裂物質があり、世界中にある原子炉と核貯蔵施設には膨大な放射性物質があり、しかも核に関する情報は溢れているから、これらを使えば、破滅的な核使用が行われるのは、単に時間の問題である。

今後の道  ―― 必要とされる大胆な打開策

戦争から利益を得る人々がワシントン、デリー、イスラマバードで運転席に座っている。もし南アジアがよりよい時代を望むのであれば、この3 カ国すべてで抜本的な変化が絶対に必要であろう。

パキスタン:
50年にわたって、子供たちは学校で、カシミールはパキスタンの「頸静脈」であり、それなしにはパキスタンの国家形成は未完の事業であると教えられてきた。こうした国家的強迫観念は捨てねばならない。この強迫観念が過去3度の印パ戦争を支えてきたし、際限のない紛争をもたらし、ひいては大惨事をもたらすことになる。第一歩として、パキスタンは、それまで支援してきた戦闘戦力との関係をすべて断ち、かれらのために設置した軍事拠点をすべて閉鎖したことを、明白に示さねばならない。パキスタンは、カシミール人の民族自決闘争に連帯を示すための、もっと建設的な方法を見出さねばならない。
インド:
ニューデリーがカシミールの民主的手続きを継続的に無視し、鉄拳政策をとっているため、インドはカシミール人から道徳的に忌避されており、それは全面的で取り返しのつかない孤立かもしれない22 。インド軍の残虐さは、分離主義者や独立運動のような国家反逆行為に対して典型的に見られるものであるが、人権団体がその資料をよく集めている。インドは、カシミールの現実に対処することを固く拒否する立場を改めねばならない。その第一歩は、インド軍をカシミールから撤退させ、民主主義と平常の経済生活をカシミールに復活させて、カシミールが蒙った甚大な損害を修復し始めることを、現地の市民社会に対して許可することであろう。これは、インド憲法の第370条が、最終的解決を留保して付与している自治をカシミールに回復することになろう23
アメリカ:
インドとパキスタンの指導者は、大惨事の防止に対する自らの責任を放棄して、それをアメリカの外交官と役人や、時にイギリスの外交官に、任せてしまったようである。アメリカが南アジアの核惨事の防止に関心があるのは、疑いようもない。しかし、これは周辺的な関心にすぎず、南アジアの核問題に対するアメリカの主な関心は、アルカイダやそれに関連する集団、そして核コネクションといったグループへ、おそらく移っている。それは妥当な懸念であり、その第一歩として、核物質に関する厳重な管理政策と監視および情報が必要である。しかし、それだけでは到底十分ではない。もし、核兵器が核保有国により、抑止であれ戦争のためであれ、正当なものとして受容され続けるのであれば、核兵器が他の国家や非国家主体にグローバルに拡散するのは、よくて速度が遅くなるだけである。他の人々に同じまねをするなと説得できる道徳的根拠が、どこにあるだろうか?人類が生き残れる最善の機会は、核兵器のグローバルな廃絶に向けて早急に動くことである。アメリカは、世界の唯一の超大国として、それを率先しなければならない。

南アジアの核の危険性を軽減するために

南アジアの状況はこのように危険であり、良識から考えて、核軍縮の道を模索しながら、核の危機を軽減させる移行措置をとることが焦眉の急務である。印パ間で核の危機軽減措置のための重要な提案が、2002年6月18日にデリーの「核軍縮のためのインド運動(Movement in India for Nuclear Disarmament :MIND)」によって発表されている24

南アジアで早急に取るべき技術的措置は多い。核兵器を組み立てた状態にしておかず、運搬手段にも装着しないこと、核兵器用の核分裂物質の生産を停止すること、核実験場を閉鎖することなどが、それに含まれる25 。もちろん、これらはいずれも核軍縮に代替するものではない。これ以外にも、核に関する外交、教育、政策、原則のレベルで、たとえば以下のような有益と思われる措置がある。

印パ間で核の危機緩和のための対話を構築すること。
そうした対話は、パキスタンが必ず持ち出す視角であるカシミール問題とは、完全に切り離す必要がある。核の危機管理を敵同士で支えるには、共通の理解が不可欠である。それには相互依存的な期待がある。すなわち、私はあなたが私にして欲しいと期待していることをするが、それはまた、あなたが私は何をしようと思っているかによるのである。
核兵器使用とその結果に関する研究体制を発足させること。
政策形成者や一般社会が、官民双方の研究体制を通して、核兵器使用の影響に関する理解を深める必要があり、そうした研究では印パ間で都市中心部、軍事基地、原子炉、ダム、経済的価値のある標的等が核攻撃を受けた場合の影響を査定する必要がある26。これは、核戦争によっておきる破局を明白に理解する一助になるであろうし、核戦争になれば、その後どちらの国も存在できないこの世の終末だ、という一般に信じられている間違った考えを捨てるのにも役にたつだろう。この核戦争の本質的な特性は、ソ連のニキタ・フルシチョフ元首相がうまく言い尽くしている。彼は「核戦争になれば、生存者は死者を羨むだろう」と言った。
両国の指導者層を標的にするのは互いの利益にならず、核司令部を都市部から離しておくという相互理解に到達すること。
核兵器の司令管理体系を破壊するために、政治・軍事指導部を攻撃することが、初期の核兵器使用の強い誘因になりそうである。(しかし:訳者)報復攻撃をする権限が事前に別の司令部に付与されている可能性があるため、そうした攻撃が報復攻撃を防ぐとは、まず考えられない。また、司令部を攻撃すれば、交渉が非常に難しくなり、核戦争が始まれば、その早期終結を協議することも非常に困難になる(核戦争は、すべての機能的兵器が双方で使い尽くされた後、ようやく終結するかもしれない)。そこで、核司令本部は民間人から遠く離れているだけでなく、 核兵器格納施設やその配備場からも離れているべきである。
都市を攻撃対象にしない政策を宣言すること。
非武装の国民を、それも核兵器を使って、意図的に攻撃対象にすることは、決して正当化できないことである。インドとパキスタンの人口稠密な大都市が核攻撃を受ければ、瞬時に数十万人の死者がでるのは確実である27 。 何としてでも、そういう事態は避けねばならない。

(首藤もと子訳)


著者所属:

a Department of Physics, Quaid-e-Azam University, Islamabad 45320, Pakistan (hoodbhoy@pierre.mit.edu).
b Program on Science and Security, H-216 von Neumann Building, Princeton University, Princeton, NJ 08544-5263, USA (zia@princeton.edu).


注:

1 Bruce Riedel, American Diplomacy and the 1999 Kargil Summit at Blair House, Centre for the Advance Study of India Policy Paper, University of Pennsylvania, 2002. インターネットでも入手可能である。
http://www.sas.upenn.edu/casi/reports/RiedelPaper051302.htm
2 Michael Richardson, "India and Pakistan are not 'imprudent' on nuclear option ; Q&A / George Fernandes," The International Herald Tribune, June 3, 2002.
3 "A Surgical Strike Is The Answer: interview with defence secretary Yogendra Narain", Outlook, June 10, 2002.
4 "India Tests Nuclear-Capable Missile, Angers Pakistan," Agence France Presse, January 25, 2002.
5 Mohammed Ahmedullah, "Indian Air Force Advocates First Strike Capability", Defense Week, January 2, 2001.
6 'Agni Missile Group for Army Cleared', The Hindu, 16 May 2002.
7 Vishal Thapar, 'Navy, IAF Train in Handling Nukes', The Hindustan Times, February 15, 2002.
8 Pakistan Country Assistance Strategy, World Bank, July 2002, http://www.worldbank.org/pakistancas
9 Nuclear Safety, Nuclear Stability And Nuclear Strategy In Pakistan: A Concise Report Of A Visit By Landau Network - Centro Volta, http://lxmi.mi.infn.it/~landnet/Doc/pakistan.pdf
10 "Bracing for a Nuclear Attack, India Plans Operation Desert Storm in May," Indian Express, April 30, 2001
11 Zia Mian, "Renouncing the Nuclear Option," in Samina Ahmad and David Cortight eds, Pakistan and the Bomb - Public Opinion and Nuclear Choices (Indiana, University of Notre Dame, 1998).
12 Yogendra Yadav, Oliver Heath and Anindya Saha, "Issues and the Verdict," Frontline, November 13-26, 1999.
13/a> Jyotsna Singh, "South Asia's Beleagured Doves", BBC, June 4, 2002
14 Ayanjit Sen, "Indians Vague on Nuclear Terrors", BBC, June 3, 2002
15 最近インド防衛調査開発機構は、核戦争がおきた場合、核兵器や生物、化学兵器から所員を保護するための統合シェルターを開発したと公表した。このシェルターは、30 人の収容能力と96 時間の保護能力があるといわれる。こうした施設を大量に建設する計画があるか否か不明である。 "DRDO Develops Foolproof Field Shelters," Indian Express, May 24, 2002.
16 Nuclear Posture Review, http://www.globalsecurity.org/wmd/library/policy/dod/npr.htm
17 Nuclear Posture Review, http://www.globalsecurity.org/wmd/library/policy/dod/npr.htm
18 Molly Moore and Kamran Khan, "Pakistan Moves Nuclear Weapons," Washington Post, November 11, 2001.
19 Luke Harding, "Attack on Afghanistan," The Guardian (London), October 9, 2001
20 Kamran Khan and Molly Moore, "2 Nuclear Experts Briefed Bin Laden, Pakistanis Say," Washington Post, December 12, 2001.
21 Leonard Spector, Nuclear Proliferation Today (New York, Vintage Books, 1984), p.124.
22 カシミールに関する出来事の詳細な検討は、本稿のテーマではないが、読者には、中立的立場に立つインド人の学者ラマンが最近行った次の研究をふまえて、現状を評価することを勧めたい。 Akhila Raman, UnderstandingKashmir - A Chronology Of The Conflict, http://www.indiatogether.org/peace/kashmir/intro.htm
23 1949 年に制定された同憲法第370 条では、カシミールに特別に言及して、それに特別な地位と内政自治を付与しており、ニューデリーには防衛、外交政策と通信分野だけの権限を付与している。
24 http://www.mnet.fr/aiindex/nrrmMIND2002.html
25 Zia Mian and M.V. Ramana, "Beyond Lahore: From Transparency to Arms Control", Economic and Political Weekly, April 17-24, 1999.
26 自立的立場の科学者による公共問題の研究は、世間の討論に情報を提供し、平和運動への支持を構築するうえで重要な役割を果たしている。 M.V. Ramana, "Bombing Bombay," http://www.ippnw.org/bombay.pdf および注27の文献にあるマッキンジー、ミアーン、ナイヤー、ラマナ各氏の論説はその例である。古典的な研究文献としては、次のものがある。Sidney Drell and Frank von Hippel, "Limited Nuclear War," Scientific American, November 1976, pp.27-37; Kevin N. Lewis "The Prompt and Delayed Effects of Nuclear War," Scientific American, July 1979, pp. 35-47; Richard P. Turco, Owen B. Toon, Thomas P. Ackerman, James B. Pollack and Carl Sagan, "The Climatic Effects of Nuclear War," Scientific American, August 1984, pp. 33-43.
27 その被害予測については、たとえば次を参照されたい。 Matthew McKinzie, Zia Mian, A H Nayyar and M V Ramana, 'The Risks and Consequences of Nuclear War in South Asia' in Smitu Kothari and Zia Mian (eds), Out of the Nuclear Shadow, (New Delhi: Lokayan and Rainbow Publishers, and London: Zed Books, 2001) pp. 185-96.


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