パルヴェーズ・フッドボーイ (Pervez Hoodbhoy)
「衝撃と畏怖」の作戦で、アメリカはパキスタンから恐怖と敬意を獲得したかもしれないが、好意や憧憬はあまりない。テレビに毎日映るのは、巡航ミサイルや爆弾を空から降り注ぐように浴びるバグダッドの破壊、潰れた身体や被弾した子どもたち、爆撃された病院、海兵隊員のいる検問所で撃たれて死んだ女性や子どもたちの映像であり、それらは強烈な感情をかきたててきた。数十万人がパキスタンの都市の路上にあふれ出た。やり場のない怒りから、ジョージ・ブッシュやトニー・ブレアの人形が燃やされ、コカコーラやケンタッキー(KFC)のようなアメリカ商品のボイコット運動が空しく試みられた。
そうした感情の強さからすれば、今ごろはもうパキスタンの宗教指導者たちが、アメリカのこの戦争はイスラムと不信心者との戦争だと宣言していてもおかしくなかった。わが国のあごひげのある宗教指導者たちは、日ごろ聖戦を宣言する時期を逸しないのだから、ムスリムが標的となっており、不信心者と戦わねばならないと、とっくに宣言しておくべきだった。事実、ジョージ・ブッシュとその仲間は福音伝道派クリスチャンとしての倫理的イデオロギーを持ち、その言葉遣いを惜しみなく利用しているのだから、パキスタンのムスリムはこの「テロとの戦争」を、イスラムに対するアメリカ・クリスチャンの聖戦だと考えたに違いなかった。そうだろう?
驚いたことに、そして私の当初の予想とは正反対に、そうはなっていない。ほとんどの抗議では、人道的で普遍的な観点のほうが宗教のそれを凌いでいる。スローガンや旗や演説の大部分は、「石油のために殺すな」、「平和を」、「ブッシュとブレアの人道に対する犯罪行為」など、世界の他の場所でみられるのとほとんど同じである。むろん、あからさまにイスラム的な性格をもっていて、聖戦を呼びかけ、ユダヤ人やクリスチャンを非難するなどの抗議もある。しかし、それらは思っていたより、はるかに少ない。
その理由を考えるのは難しくない。パキスタンの民衆は、ロンドン、ワシントン、ローマ等世界の数百の都市で、数千万の人々が街頭で抗議する姿に心を奪われ、感動したのだ。彼らは安保理で果敢にアメリカに挑戦するクリスチャンのフランスを見たし、この戦争を罪だと非難するローマ法王や、イスラエル軍のブルドーザーの前に立ちはだかり、それにひき殺されたレイチェル・コリー、そして数千人がアメリカで逮捕されていく姿などを見たのだ。
本当に正直なところ、こうした海外の抗議がわれわれのイスラム尊師に大きな影響を及ぼすとは、私は思っていなかった。所詮パキスタン人は生来の外国人嫌いで、敵に包囲されていると信じるように教えられており、学校では戦慄すべき有害な教科書にさらされている、と私は思っていた。しかし、今回は私の間違いであったことを嬉しく思うし、これは私に希望をもたせてくれる。なお一層私が嬉しく思うのは、パキスタンでクリスチャン社会に対する過激派の襲撃が再現していないことだ。以前の数カ月間、アルカイダのメンバーが逮捕された後の反米感情から、パキスタンでは脅かされ無防備なクリスチャンの少数派が殺害される事件が時々おきていた。
しかし、この戦争によるこうした嬉しい影響は、喜ばしいことではあるが、付随的なものである。より大きな意味は、パキスタン政治に与える影響である。今ですら、敗者と勝者を明白に示すことができる。前者に含まれるのは、ベナジル・ブットとナワズ・シャリフ前首相たちである。両者とも目下亡命中の身で、ワシントンの後押しを得て彼らの権力と役得を何とかして取り戻したいという、空頼みをしている。しかし、彼らはこの戦争を毅然と非難しなかったために、彼らに対する社会の関心は一層低下している。
疑いようもなく、イラク戦争から真に得をするのは、パキスタンのイスラム原理主義政党の同盟である統一協議会同盟(MMA[訳注1])であろう。案の定、MMAは対米非難の甲高い声をあげて、ムシャラフ政権にアルカイダ掃討作戦での対米協力を中止するよう要求している。MMAは大規模な人的動員ができる唯一の政党である。しかし、これまでのところ、アメとムチの微妙な組み合わせが奏効していると見え、彼らは国会でこのアメリカの侵略を正面から非難する決議採択のために突進していない。
MMAはパキスタンの4つの州のうち2つの州で政権党となることに成功し、穏健派のイメージを培うことで連邦政府の権力をも狙っている。しかし、それは確実にパキスタンのタリバン化を企図している。それが政権内に入るのとほぼ同時に、新政府は公共交通機関での音楽を禁止し、一日五回の祈りの時刻には公共バスの完全停止を要求し、ビデオ店と映画館の閉鎖を命じた。フォーク歌手は脅迫され、誘拐され、公的な場で歌うことを禁止された。ケーブルテレビのオペレーターからは、仕事場が奪われた。[訳注2]
ムシャラフ大将は、これまでのところ、イラク戦争反対の社会的心情と、彼の政権の経済的、政治的な重度の対米依存との間の綱渡りをこなしている。2ヶ月前ムシャラフは、典型的に軽率なものにみえる声明で、パキスタンがアメリカの爆撃リストの次の標的になりうると公言した。彼はイラク戦争に強硬な立場をとることを拒んでいる。脅威からか報償への期待からか、安保理の非常任理事国であるパキスタンは、1441決議に毅然と反対表明することを拒んだ。もし投票せざるを得ない事態になっていたら、まず確実にパキスタンは棄権していただろう。
現在、ムシャラフ大将は、世界を変えるという救世主的使命に着手したアメリカが直面するだろう難題のほんの一例を提示している。MMAに対する支持の広がりと反米主義のかつてない高まりから明らかなのは、アメリカが大部分のムスリム国家で代議制民主主義を確立することは、とてもできないし、そういう方向に事態は進まないということである。イラクでの公言された目標は、民主国家の樹立だといわれているが、パキスタン、エジプト、シリア、ヨルダン、イラン、またはサウジ・アラビアにおいて大衆から選出された政権をアメリカが容認できるとは考えがたい。 実際、ワシントンが獲得できるのは、今のところ、よくしても恐るべき軍事力に支えられた王政と軍事独裁政権の復活である。
帝国アメリカの基本計画は、イスラム世界のどこであれ必要なら国境線を再画定し、言うことをきかない国家は抵抗する意思を失うまで力づくで占領することを要求している。しかし、征服し服従させるという単一の目標のための、このむき出しの力の行使は、高くつくだろう。それは、12隻の航空母艦の艦隊を維持し、かつ100万の兵力を五大陸に配備し続ける費用よりも、はるかに高くつくだろう。
代償のひとつは、ここパキスタンに早速表れている。パキスタン政府がアメリカと堅い同盟関係にあるという事実にもかかわらず、ほとんどのアメリカ人がこの国を去った。残っているわずかの人々は、姿をくらますか、防弾用擦りガラスで特別に防護された車に乗って移動している。私は個人的にはこの事態を申し訳なく思う。アメリカ人は、それぞれ個人としてはとてもいい人たちであるし、私はアメリカにはなじみがある。私は、白人のアメリカ人である友人や物理学の同僚たちを、私の国に再び招待できないことが悲しい。彼らの多くは、この戦争に反対している。彼らの安全が保障されるのかどうか、またそれはいつのことなのか不明である。悲劇的なことだが、世界は、アメリカ人も含めて、ワシントンの帝国主義的冒険に対する代償を払うことになるだろうし、それも繰り返して払うことになるだろう。
(首藤もと子 訳)
訳注1: 2002年10月の選挙でイスラム原理主義の6政党が連合した組織。1997年の選挙でイスラム政党は2議席を得たのに比べ、2002年の選挙でMMAは45議席を獲得して第3党に躍進した。
訳注2: これに続く一段落は訳出しなかった。