パキスタンの首にかかる核の縄

パルヴェーズ・フッドボーイ

30年前、インドが新たに保有した核兵器におそれを抱き、パキスタンは核兵器国への道を独自に模索し始めた[訳注1]。 堅実な技術的基礎がなかったため、同国は必要なものを得るべく世界の先進工業国に秘かに探りをいれた。 世界でもっとも死に近い技術の買い手が、これほどすばやく売り手へと変わることを、当時想像できた者はほとんどいなかったろう。

しかし、昨年末にイランから始まり、後にリビアで行なわれた劇的な暴露によって、パキスタンの大統領パルヴェーズ・ムシャラフ大将は、核兵器に関する重大な情報や装置のイラン、北朝鮮およびリビアへの秘密裏の流入にパキスタンが関与していた件の調査に着手せざるをえなくなった。 「私的貪欲」から核の秘密を売り渡したかもしれない「闇市場」がパキスタンに存在することを、ムシャラフは認めたのだ。

この危機の中心にいる人物は、パキスタンでもっとも有名な核兵器製造者で国民的英雄のカーン(A.Q. Khan)博士である。 彼は、パキスタン首相の科学顧問の職を、去る土曜日に罷免された。 その全盛期には、カーンは追従と崇拝に慣れきっていた。 彼が、いかなる手段を使ったにせよ、1970年代半ばにオランダの企業から遠心分離器の極秘の設計図を獲得したことは、パキスタンの核化の成功のためには決定的であった。 限りない政府の資金を自由に使い、会計監査の制約も受けず、冶金学者 --- しばしば誤って核科学者と呼ばれる --- のカーンは、規制されている物品を、それらを正価で売りたがる欧米の企業から、何の質問も受けずに購入することができた。 この過程で、彼は裕福になった。

今日、彼と何人かの近しい同僚たちは、大国の法律は、彼らが防衛すると主張してきた国家の法律のようにやすやすとは足蹴にできないことに気づいている。 国際社会(アメリカの意)の圧力により、パキスタンはカーンとその協力者たちに解雇の通告をしたのだ。 国際原子力機関(IAEA)によるイランの核施設査察で、遠心分離器と高濃縮ウランの痕跡が見いだされ、イランはパキスタンが出所であると名指した。 IAEAのイラン査察に最近同行したイギリス人の専門家は、イランの遠心分離器がカーンが密かに入手したオランダの設計と同一であると確認している。

それでも、カーンがパキスタンの法廷で有罪になるとは考えにくい。 有罪となれば、カーンによる核兵器の開発がパキスタンの安全保障を確立したと信じ込まされてきた、国内の宗教政党や大衆と正面から衝突することになるからである。

IAEA とアメリカの情報局は核拡散の発生源を発見した功績を主張するかもしれないが、カーンは、過去数十年にわたって、彼の商品を広範にかつ公然と宣伝してきたのである。 核拡散をめぐる論争がすでに熱くなっていた2003年も含めて、毎年、イスラマバードは、パキスタンでのウラン濃縮の中心施設である A. Q. カーン研究所(カフタ研究所としても知られる)が主催する「高速回転する装置における振動」や「先端物質」に関する国際ワークショップを宣伝する色とりどりの垂れ幕に飾られていたのだ。

何年間にもわたって、カーンとその共同研究者たちは、遠心分離器を分解することなく超音速で回転させることを可能にする技術に関する多くの論文を出版してもきた。 これは、原爆に使える品質のウランの製造には不可欠な技術である。 これより派手にやることは、なかなかできなかったろう。 だが、絶対確実に派手であるべく、カフタ研究所ではご立派なパンフレットを発行していたのだ。 これは、機密に関わる組織に向けたものだったが、カフタのウェブからも容易に入手できた。

しかし、核についてのカーンのむこうみずな行動は、パキスタンの文民・軍人いずれの政権にとっても、さしたる関心事ではなかった。 事実、数回の地下核実験を実施した1998年5月以降、パキスタンは世界の他の核兵器国とは全く異なるやり方で、その核保有国としての地位を誇示してきたのである。 歴代の政権が核爆弾をパキスタンの高度な科学的達成と国家的決意と自尊心の象徴として、また新たなムスリム時代の先駆けとして、強烈に宣伝するにつれて、核ナショナリズムは時代の風潮となった。 公の資金でつくられた核の聖堂が、今もこの国に散らばっている。 それらのひとつ、核実験で爆破されたチャンギ丘陵をかたどったファイバーグラスの模型は、イスラマバードの入口に据えられ、夜になると派手なオレンジの灯りに照らされている。 パキスタンの政党は、非宗教政党もイスラム政党も、核実験の後、こぞって成功は自分たちの手柄だと主張した。 エリートも大衆もみな、核兵器をパキスタンが何かに関して成功できることの象徴とみなした。 威風堂々とした儀式を経て、核兵器製造者たちは国家的英雄となったのである。

核拡散への国際的な怒りが増してきた今、原爆は首にかかる縄となってパキスタンを脅かしつつある。 ムシャラフ政権にとって、カーンの過去15年間におよぶメガトン級のエゴと逸脱行為は、今や悪夢である。 イランの暴露により、パキスタンに世界から疑惑の目が向けられるようになってもなお、カーンは先月のテレビ・インタビューで「誰が原爆を作ったか? 私が作った。誰がミサイルを作ったか? 私があなたがたのために作ったのだ」と宣言して開き直った。 核兵器製造者たちを擁護しようというイスラム諸政党の呼びかけに応じて、先週、パキスタンの都市では数千人が街頭に出て、カーンらの活動を調査することに抗議した。 ジャマーアテ・イスラーミー [訳注2] の指導者であるカジ・フセイン・アフマッドは、カーンがたとえ「何百万ドル稼いだとしても、彼はパキスタンを救ったのだから」として彼の赦免を要求した。

今回の調査では、解決される問題よりも、提起される問題の方が多いであろう。 ムシャラフは、「政府関係者や軍関係者が関与していたという証拠は何もない」と言うが、すべての悪事を一握りの強欲な科学者個人のせいにしようとするこの試みを、真に受ける人はいないだろう。また、真に受けるべきではない。 

その発端から、パキスタンの核計画は明確に軍の管理下におかれてきた。 何段階にも及ぶ機密保護体系は中将1名(現在、2名)の監督下に置かれ、すべての核施設とその職員は、考えうるもっとも厳重な監視下にあった。 外交特権といえども、数年前に濃縮施設の数マイル手前まで出かけたパキスタン駐在フランス大使への暴行を止めることはできなかったのだ。 カフタ研究所は、機密上きわめて重要とみなされていた。 ベナジール・ブット元首相が、在任中でさえその研究施設を訪問する許可を得られなかったと語っているほどである。 そうした極度に厳重な環境にあって、上級科学者、技術者、行政官の国外渡航や外国人との会合を把握していないとか、遠心分離器そのものでなくても、技術的な機密文書と部品の運搬および譲渡を掌握していないとすれば、それは驚きである。

個人的利得も動機の一部にあるかもしれないが、その本質的な動機は別のところにあるのだ。 核兵器計画の発端から、パキスタンの体制は、その核への野心と成功をより大きな利得へ転化させようとしてきた。 ひとつには、ムスリムの成功物語をもたらしたと主張することで、世界中の数億人のムスリムの支持を得ようとした(そして、それを得た)ことがある。 (その物語が開発から60年が経過した大量破壊技術の模倣に関するものであったことは、ムスリム世界の現状を悲しくも明らかにしている。) もうひとつ、核開発計画によって、パキスタンはアラブ産油国から相当額の財政支援と政治的利得を得ることが可能になったことがある。 たとえば、リビアはパキスタンに資金を提供し、原料のウラニウムも提供したと伝えられている。 6年前のパキスタンの核実験の後、サウジの政府はパキスタンが国際的制裁による苦境をしのげるように、5年間にわたり40億ドル相当の石油を非公式に贈与した。

北朝鮮への流出はもっと平凡な話だ。 核兵器を開発したので、パキスタンはそれを運ぶミサイルが必要だった。 北朝鮮は、ある見返りのため、ミサイルを提供したがっていた。 オランダの遠心分離器のときと同様、カフタがすべきなのは、二つをくっつけて、それに星と三日月のマークを貼り付けることだけだった。

こうした技術の取引や移転は、1987年ごろから1995年まで明らかに行なわれていた。 ムシャラフは、アメリカのコリン・パウエル国務長官に対して、現在そうした取引が行なわれていないことを「400パーセント保証した」と伝えられている。 ムシャラフがアメリカのアル・カイダ掃討作戦を堅く支持している以上、今はこの保証で十分かもしれない。

動機が金であれ信念であれ、パキスタンの核兵器製造者たちは、核兵器そのものと同様、この国の国際的立場と安全に重大な危害をもたらした。 2年前、イスラム的連帯感に奮い立ちアフガニスタンを訪れ、オサマ・ビン・ラディンやタリバン指導者と会談したのは、パキスタン原子力委員会の科学者たちだったのだ。 そういう気持ちにかられていたのが彼らだけだったとは信じがたい。

パキスタンは、その核の家を整頓しなければならないだろう。 地位や名声の有無に関わりない厳密で完璧な説明義務がわずかにでも守られなければ、運試しを企てる者や、信仰の炎が内面で人よりも強く燃えている者に、その家の扉は開かれたままになろう。 私の国の杜撰な核は、すでに制御不能になっているかもしれない世界的な危機を、さらに深めているのだ。

核兵器が権力と威信の通貨としての価値を持つ限り、核の秘密は漏洩し続けるだろう。 人類が生き残るための最良の道は、生物兵器や化学兵器については既にあるようなタブーを核兵器についてもつくり出し、核兵器の世界的な廃絶に向けて早急に行動することにある。 原爆、原爆製造技術、そして、それらの拡散の脅威を取り除くためには、世界唯一の超大国であるアメリカが、自らの核兵器庫を縮小することで、世界を先導する必要があるだろう --- その同盟国であるイスラエルも含めた、すべての核拡散国を対等に扱うことは言うまでもなく。

(2004年2月1日付「ワシントン・ポスト」)


著者のメールアドレス:Author's e-mail: hoodbhoy@isb.pol.com.pk

パルヴェーズ・フッドボーイは、パキスタン、イスラマバードのカイデ・アザム大学の原子核物理学の教授である。


訳注 1: インドは1974年5月18日、パキスタンに隣接するラジャスタン州のポカランで地下核実験を実施した際、これが「平和目的」の実験であり、核兵器製造の計画はないと発表した。 (本文へ

訳注 2: (Jamaat-e-Islami)1941年に創設されたパキスタン最大のイスラム政党で、原理主義志向が強い。ラホールに本部がある。 (本文へ


これは、THE NUCLEAR NOOSE AROUND PAKISTAN'S NECK (by Pervez Hoodbhoy) の全訳である。 翻訳は、首藤もと子、田崎晴明による。 (英語版 2/1/2004、邦訳暫定版 3/16/2004、最終更新日 3/18/2004) 翻訳について有益なコメントをくださった、舘博之、田崎眞理子、山形浩生の各氏に感謝する。

リンク、引用、印刷、複製、ファイルのコピー等は自由に行なってよいが、 ネット上での引用等の際にはインデックスページ(日本語、ないしは、英語)へリンクをはっていただけるとありがたい。 (なお、本論説はワシントンポストに掲載されたが、著作権は著者のフッドボーイ氏にある。 以上の断りは著者の了解にもとづいている。)


日本語版インデックスへ | 英語版インデックスへ