一年の後 ─ 9 月 11 日の忌まわしき収支決算

イスラマバードから

パルヴェーズ・フッドボーイ (Pervez Hoodbhoy)

胸に殺意を抱いた狂信者たちが、人々を満載した旅客機をアメリカのもっとも高いビルの二つへと飛び込ませた。 崩れ落ちるツインタワーの粉塵はまたたく間に地球を覆い、ある者たちには災厄を、しかし、ある者たちには思いがけぬ好機をもたらした。 誰が、いったいどれほど得をしたのか?  一年の後、清算と会計報告の時である。

私にもっとも近いところから始めよう。 ここから西へ 2 マイル、カラスの飛び交うところに、砂糖をまぶしたかのような装飾を側面に施したケーキ型の建物がたっている。 この大統領のためのケーキのなかに安座しているのは、パルヴェーズ・ムシャラフ大将、二年前にクリントン大統領がしぶしぶ訪問したものの公衆の前で握手することを拒んだ人物である。 クリントンの後継者であるジョージ・W・ブッシュは、合衆国大統領選挙の際にこのパキスタンの指導者の名前を思い出すことができなかった。 軍事クーデターで権力を奪取した指導者についての不愉快なイメージは、ある程度もっていたのだが。

しかし、9 月 11 日は、ムシャラフ大将とパキスタン国軍をアメリカの貴重な同盟者へと変容させることになっていた。 それは、ソヴィエトのアフガニスタンからの撤退ののち激しく落ち込んでいたパキスタンのアメリカにとっての戦略的な重要性を回復させた。 この転換は劇的で素早いものだったが、痛みを伴わないというのとはほど遠かった。

二十年来、パキスタンは地球規模で盛んに行なわれた産業としてのジハードの中枢であった。 1980 年代にはジア・ウル・ハック将軍の救世主的熱意に追い立てられ、また、合衆国とサウジ・アラビアから十年にわたって経済的援助をうける中、アフガニスタンから悪の帝国を駆逐しようというアメリカの戦略のため世界各地からのイスラム勢力を結集させる必要があった。 パキスタン国軍はこの動きに熱狂的に参加した。 新兵募集センターの横断幕にはすぐに「イスラム、パキスタン、ジハード」という標語があざやかに書かれ、あごひげを伸ばす人がふえ、敬虔な人が昇進するようになり、金曜日の礼拝を欠かす人はほとんど見られなくなった。 パキスタンのためだけの軍隊にはならず、いたるところのイスラムの敵と戦うための軍隊になるのだ、という新たな気風が生まれつつあった。

ソヴィエト連邦が撤退し、そして自ら崩壊した後、ジハードは一時的に忘れ去られることになった。 しかし、あらゆる軍事=産業複合体と同様、ジハード産業も自らを消滅させないための格好の理由をみつけだしたのだ。 当初 CIA とパキスタンの機密機関に雇われた人たちにとって幸運なことに、パキスタン国軍にはまだジハードの使い道がたっぷりとあった。 軍は、アフガニスタンに自らの「戦略的厚み」(友好的な裏庭)となる勢力を欲していたし、総力戦にでることなくカシミールをインドの支配からもぎとることを模索していた。 これら双方のためには、国内を自由に移動できる戦闘的なイスラムグループの複合的なインフラストラクチャー ─ ただし、その存在は公式には否定できる ─ を作る必要があった。 これらのうちのいくつかは、アルカイダやタリバンと深く関わっていたのである。

そこへ 9 月 11 日がやってきた。 血塗られた復讐に精力を傾ける合衆国と直面し、パキスタンの軍事体制は、あわてて、合衆国主導の連合に参加し、自らがかつて作りだしたタリバンとアミル・ウル・モミニーン (Amir-ul-Momineen)(敬虔なる指導者、ムラー・オマル)と敵対することになった。 オサマ T シャツは、ペシャワルのバザールから姿を消した。 この正真正銘の裏切りに抵抗したのは、イスラム色のつよい数人の高官だけだった。 彼らはすみやかに影響力のないところに追いやられた。 ムシャラフ大将は、もう一つの選択をすればどうなるか知っていたのだ。 きわめて見込みの高かったのは、ある外務省高官が 9 月 11 日の翌週に私に認めたように、アメリカが「イラクにしたのと同じことをパキスタンにする」ことだったのである。 彼はたぶん正しかった。

パキスタン国軍は、即座に、その新しい役割を果たし始め、トラボラでの交戦の後、アルカイダとの血塗られた衝突がはじまった。 パキスタンは合衆国の同盟者であると言明され、それまでの制裁はすべて解除され、国際的な金融機関から資金が流れ込み、外貨準備高は華々しい 700 パーセントの上昇をとげた。 成功に力を得て、ムシャラフ大将は、むこう五年間、大統領と国軍参謀長を兼任することを自ら宣した。 彼がパキスタンの憲法にほどこした修正は、彼によれば、いかなる将来の国会においても承認される必要はないという。

まさに、独裁。 しかし、ワシントンにパキスタンでの「政権交代」を議論しようという気配はない。 Deng小平のかつての有名な言葉どおり「黒い猫でも、白い猫でも、ネズミをとるのがよい猫」なのだ。

イスラマバードから、ミサイルでほんのひとっ飛びの距離に、ムシャラフが心の底から嫌っている人物がすわっている。 彼もまた勝者である。 インド首相アタル・ベハリ・バジパイと、彼の右派ヒンドゥー原理主義政党 BJP は、モハメド・アタと彼の殺人仲間に多くを負っている。

インドもまたイスラムの好戦性の犠牲者だったのだと申し立てることで、バジパイは、カシミールでの、占領されていると訴える反体制派のムスリム系住民に対する血塗られた軍事行動への国際的な支持を手にしたのである。 容赦ない圧力のもと、ムシャラフは不本意ながらもカシミールでインド軍と交戦している武装勢力をパキスタンは支援しないことを認めた。 それと同時に、インド軍はイスラエルと合衆国からの先端兵器の供給という強い後押しを得た。

9 月 11 日の影に覆われて、他の犯罪が看過されてしまったのは確実である。 ことに、その被害者がムスリムのときには。 実際、バジパイの政府は、インドのグジャラート州における州が組織したムスリムの虐殺を監督したにもかかわらず、厳しい国際的な非難にさらされることはなかった。 一週間にわたって放置された暴動と放火 ─ 警官はあらぬ方を見ているか、積極的に参加しているかだった ─ は、二千人を越すムスリムを死に追いやり、十万人から住む家を奪ったのだ。 外の世界は反応を示したが、それは微々たるものだった。

9 月 11 日から生じたより大きな思いがけない幸運がアリエル・シャロンに舞いおりた。 彼は、ジョージ・W・ブッシュとアメリカ議会を、イスラエルの占領に対するパレスチナ人の抵抗を排除するための大義名分として担ぎ出すことに成功したのだ。 ツインタワーの崩壊を見て歓喜に舞った一部パレスチナ人たちの無思慮な愚かさと、自爆者たちの残虐行為に巧みに乗じて、シャロンは、本来ならパレスチナ人たちのアパートが空爆されるのを見て不愉快に思ったであろう人々の口をふさいでしまった。 今や、イスラエルの戦車やブルドーザーは ─ アメリカ人から、軽い不平を聞かされる程度で ─ 家々を打ち壊し、歩道を引き裂きつつ、その後ろに死体の道を残していくことができるのだ。

明らかに、パレスチナ人たちは、虐げられ、侮辱されてきた。 もっとも悲惨な敗者である。 だが、彼らを代弁してきたと、不正にも、主張するアルカイダはどうなのか?  これについての審判は未だくだされていない。 爆撃され、追い立てられ、間断なく攻撃され、彼らは明らかに弱体化させられた。 ビン・ラディンは、たぶん、死んでいる。 しかし、アルカイダの最大の強さは、忍耐強さであり、永遠性と天国での褒美への信仰なのである。 だから、彼らは、影で待ち続けること、生では決して得られないものを死で獲得することに、不気味なほどに満足できるのだ。 アルカイダとその支援者は、ブッシュのような人物をみると安心する ─ ともに善・対・悪の単純な言語で話し、問題解決には武力を用いるからだ。 (訳注:この一文は、原著者の指示に従って大幅に意訳した。) もし合衆国が、イラクというアルカイダとのもっともらしい関連が何一つない国への大量虐殺を敢行すれば、アルカイダは確実に利益を得ることになるだろう。 それによって、結局は、彼らのところに大量の兵員の募集が来ることになるからである。

9 月 11 日の最大の勝者は、疑いの余地なく、ブッシュ=チェイニー=ラムズフェルト=ウォルフォヴィッツのチームである。 彼らにとって、9 月 11 日は、変化の契機であり、アメリカの原則を根本的に変えるための好機であった。 国際政治における構造的な変容は今や明白になった。 合衆国は、いかなるライバルも認めはしないし、特にアメリカの国益を増進させない限りは、いかなる国際法にも従わないだろう。 四百八十億ドルの大当たりを手にしたペンダゴンは、今やアメリカ帝国が勝利するために同盟者は必要ないことを保証してくれるのだ。 意図的に漏らされた Nuclear Posture Review(核戦略見直し報告)には、合衆国はいかなる国をも意のままに攻撃できることがはっきりと書かれている。 その気になれば、核兵器を用いても。

これから先、アメリカ帝国の傲慢さがイスラムの宗教的原理主義と闘うにともなって、幾多の苦しみがあるだろう。 わたしたちは、9 月 11 日は歴史のほんの一コマに過ぎないこと、そして、歴史とは人類が自らに対して犯した犯罪の絶えざる展示であることを、忘れてはならない。 地球規模の、民主的で、非宗教的で、ヒューマニスティックな何物かが、ナショナリズムと宗教という対をなす悪とすぐにでも取って代わらなくてはならない。 さもなくば、われわれは死に絶えるだろう。


これは、One Year Later --- The Morbid Calculus Of 9/11 : A View From Islamabad (by Pervez Hoodbhoy) の全訳である。 翻訳は田崎晴明による。 (英語版 9/6/2002、邦訳暫定版 9/6/2002、邦訳最終更新日 9/13/2002) 翻訳について有益なコメントをくださった首藤もと子、katokt、原隆、佐藤大の各氏に感謝する。佐藤氏には外字(Deng)も提供していただいた。 リンク、引用、印刷、複製、ファイルのコピー等は自由に行なってよいが、ネット上での引用等の際にはインデックスページ(日本語、ないしは、英語)へリンクをはっていただけるとありがたい。

パルヴェーズ・フッドボーイ (Pervez Hoodbhoy) は、パキスタン、イスラマバードのカイデ・アザム大学の物理学の教授である。
E-mail: hoodbhoy@isb.pol.com.pk

日本語版インデックスへ | 英語版インデックスへ