( )内の日本語は訳者による加筆。
(1998年)5月12日にマサチューセッツ工科大学(MIT)で、イスラマバードのカイデ・アザム大学物理学科教授パルヴェーズ・フッドボーイ博士(当時メリ−ランド大学客員教授として滞米中)が行った講演のテーマは,5月11日のインドの核実験についてであった。(講演に先立ち)同氏は、「非宗教的で民主的な南アジアのための同盟(The Alliance For A Secular And Democratic South Asia)」のアブハ・スール(Abha Sur)博士によって紹介された。この講演は、「非宗教的で民主的な南アジアのための同盟」、MITパキスタン学生協会、MIT科学技術・社会プログラムからの支援を受けた。この講演は当初、インド・パキスタンの核ミサイル競争をテーマに、1カ月前に予定されていたものであり、インドの核実験とほぼ日程が重なったのは、まったくの偶然である。今やパキスタンもインドに追随しており、自制への呼びかけは聞き届けられなかったと見える。それにもかかわらず、フッドボーイ博士の以下の説得力ある議論は、核実験後の異様な歓喜に沸く状況でも通用する。以下は、フッドボーイ博士の講演の要旨である。講演の後に要請書が提案され、参加者のほとんど大部分の人がそれに署名した。<最後の文章は訳出せず>
今日のこのMITでの会合は、インド人とパキスタン人が共同で組織したユニークな会合です。このような会合が他に開かれた例を聞いたことがありませんが、こうした会合が今後増えるよう願うばかりです。昨日の出来事に対して、我々は共に悲しみ、不信とショックと怒りを共にして、ここに集まりました。我々がここに集まって対抗すべきは、憎悪と破壊の商人であり、何百万人単位の殺傷力を持つ兵器の製造者や奨励者であり、さらに偉大さは大量殺戮を行う力から生じると考える誇大妄想癖の人々です。我々は双方の政府によって確立され推進されてきた憎悪のイデオロギーに反対して、抗議のために共に立ち上がりましょう。そうしたイデオロギーは、マス・メディアや学校の教科書で培養され、国境線の双方で無垢の子供の心に容赦なく何十年も叩きこまれてきました。
昨日の核実験により、重大な新局面が始まったことは疑いようもありません。あの実験の震動は、今後数年間も数十年間もインド亜大陸を揺らし続けるでしょうし、インドとパキスタンの両国民はかつてない破滅の淵に立つことになりました。この歓喜が過ぎれば、大きな後悔があるのは確かです。しかし、現在我々は、核の破壊力を祝福するという、グロテスクで見たくもないような光景を目撃しています。今日、デリーでは乾杯のコルクが抜かれ、シャンパンが注がれています。「すぐにもパキスタンを屈服させてやる」と、BJP党首のクシャバウ・タクレ(Khushabau Thakre)が勝どきの声をあげています。つい1カ月前、ガウリ・ミサイルの発射成功に沸き返っていたのは、パキスタンの方だったのです。歓喜に酔った群集がカフタ研究所(Kahuta Laboratory)に巡礼し、パキスタンのガウハル・アユブ(Gauhar Ayub)外相は、ミサイル開発競争でインドを追い越したと豪語しました。これらを上回る愚劣さを想像するのは、難しいことです。
これから私は、今後どうなるのかを知るために、我々が考えねばならない5つの主要な論点について話していきます。
第1に、パキスタンはインドの核実験によって、本当に「屈服させられる」のでしょうか? もし、パキスタンの指導者がタクレ氏や彼のBJP一派が望むような対応をするならば、その答は「イエス」でしょう。もし、パキスタンが慎重で賢明に行動すれば、その答は「ノー」でしょう。パキスタンが罠に落ちて核実験をしようものなら、BJPのムスリム嫌いたちは、パキスタンが世界中から袋叩きにあって経済的に破綻するのを見て喜ぶでしょう。(核実験により)国際的な制裁がインドにあるのは確かですし、それらの制裁はかなりの痛みを伴うでしょうが、インドがそれで破綻することはないでしょう。しかし、パキスタンは違います。制裁があれば、その脆弱で従属的な経済は破滅的で、多分再起不能な、打撃を受けて、国家は今のインドネシアよりさらに恐るべき状態に陥ってしまうでしょう。もし、パキスタンがインドと張り合って、爆弾には爆弾を、ミサイルにはミサイルを、戦車には戦車を、と対等を求めるなら、ガラスの花瓶がコンクリートの床に落ちれば割れるのと同じぐらい確実に、破滅するでしょう。 「前からそう言っていた」と敢えて言わねばならないのですが、それでもなお繰り返しますと、パキスタンの平和活動家たちはこの15年間、インドと核開発競争をしないように絶えず政府に訴え続けてきました。これはパキスタンに勝ち目のない競争です。それが正しかったことは、今や疑う余地なく証明されています。我々は、パキスタンの本当の脅威は内部にあると、すなわち何年も前に崩壊した教育制度とそれに連動している生産性の低さにあると、いつも主張してきました。ですから、パキスタンで最大の権力者であるジェハンギル・カラマト(Jehangir Karamat)大将がつい1週間前に、パキスタンの最大の問題はインドではなく、その経済と国内状況であると発言したことに、私は驚きましたし、うれしく思いました。過去何年も「異端」であった我々の意見が、ついに「正統派」の真理として繰り返されたのです! この啓蒙効果がインドの核実験後も持続するでしょうか? もしそうならば、希望があります。
第2に、インドは今や超大国になったでしょうか? 核実験をした後、核兵器をその兵器庫に収める作業を始めたことで、今までよりも安全になるでしょうか? 餓えて困窮する4億人を抱え、ボンベイやカルカッタ(訳注:現在インドでは、Mumbai(ムンベイ)、Kolkata(コルカタ)と表記されている。)には何百万人もの路上生活者がいて、インドが今や超大国になったと思うのは、ただの幻想です。たとえ、3個の爆弾でなく、300個の爆弾を爆発させたとしても、インドが超大国になることは不可能です。もちろん、国家安全保障のためというのが、核実験の公式な理由です。しかし、インドの国家安全保障は、核実験を実施したことで、はるかに不安定化したと思います。
ひとつには、中国を不必要に挑発することになりました。他方では、パキスタンが重大な警戒態勢を取ることになりました。パキスタンは長年核開発計画を進めてきましたし、おそらく核兵器も保有しているでしょう。現在パキスタンが使える核兵器をもっていないとは考えられないのですが、(もし、そうだとしても)インドからこれほど直接の脅威を受けたのですから、今後数年間でパキスタンは使える核兵器を確実に保持するでしょう。核実験は今後数日または数週間で行われるかもしれませんが、それが実際に行われるかどうかに関わりなく、パキスタンがこれから、相当量の核兵器とその運搬能力を確保するために総力を結集するのは事実です。
インド当局者のなかに、パキスタンが核兵器開発能力をもつ可能性を否定する人たちがかなり多くいるのは、注目すべきことです。インドのそういう人々が核開発を自制するよう説得しても、多くの人は、私も含めて、彼らにどれほど確固たる信念があるのかとあきれます。インドの政策決定者たちがそうした自己欺瞞にひたりたがることを示す事例は、数多くあります。もはや否定しようがないほど複数の情報源で確認されるまで、インドの多くの人がガウリ・ミサイルの打ち上げ成功を信じようとしませんでした。インドが、パキスタンは使用できる核兵器を持っていないし、すぐに持てる能力もないと考えるのは、悲劇的な誤りです。
第3に、世界に核兵器保持を公言している5つの国があるから、インドも核兵器を所有する「権利」があると言えるでしょうか? その答は、「ノ−」です! 核兵器は悪であり、大量殺戮兵器であり、道義的に許されないものです。いかなる国もそれを保持すべきではなく、自国がこうした戦慄すべき兵器を保持しないように努力することは、世界中の市民の道徳的責務です。アメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランス、そして今やインドに対しても、自国の核兵器を廃棄させるようにせねばなりません。イスラエルとパキスタンには、その開発計画も同様に、破棄させねばなりません。
そう言った矢先ではありますが、インドとパキスタンには、核兵器保有5カ国よりもなお一層、核保有の「権利」がないと私は思います。なぜなら、この両国は双方に対して核兵器を使う機会が、非常に、非常に現実的にありうるからです。何千万人もの命が実に現実的に死の危機にさらされている時、漫然とこれを議論するのは愚かなことです。学問的に「善」や「悪」を議論すれば切りがありませんが、この印パ関係の危機は、現実に正真証明の危機なのです。インドとパキスタンの良識ある人々は、インド亜大陸の核武装化に反対する声を上げねばなりません。
第4に、インドとパキスタンの核戦争は、警戒論者たちが言うだけのものでしょうか? 何事かが起きるまで、どちらとも証明できません。もちろん、それが本当に起きてしまえば、この設問を議論することはかなり無意味になります。しかし、この点を議論していて気付いたのですが、南アジアで核戦争が起きることはまずありえない、と考えている人は多いのです。そういう人々は、愚か者のパラダイスに住むことにしたのでしょう。確かに、インドとパキスタンの指導者が戦略的に熟考した結果として核戦争が始まることは、まずありえないでしょう。おおいにありうることは、誤算や偶発による核戦争であり、自己発生的ダイナミクスによる危機なのです。
歴史から学べることを、振り返ってみましょう。 1965年にアユブ・カーン将軍は、インド支配下で不満がくすぶっていたカシミール人の反乱を助長する目的で、カシミールに送った投下部隊に対するインドの対応を読み違えて、印パ戦争を起しました。インドが国境線を越えて報復攻撃を行い、全面戦争になったのです。1987年にスンダルジ将軍がインド軍のための軍事演習としてブラスタックス作戦を開始した際、両国とも望んでいない戦争があやうく勃発しそうになり、その危機はかろうじて回避されました。1990年5月、カシミールをめぐって両国が激昂したため、インド軍は猛烈な移動を始め、それを見てパキスタン人はインド軍の侵攻が近いと信じました。多くのパキスタン人は、パキスタンがラワルピンディ近くのチャクララ空軍基地で待機中のF16戦闘機に核兵器を搭載し始めたから、インド軍が後退したのだと思っています。実際には、そうしたことは一度も起きなかったでしょうが、この神話は生きています。他にも、間違った機密情報や誤算から紛争や紛争直前の危機に至った事例は、おそらく多いでしょう。こういうこと(誤算や偶発性の危険)を踏まえると、現状は深く憂慮すべきものです。
第5に、これが最後ですが、このインドの核実験による直接の影響は何でしょうか? まず、何は変わらないか、ということから考えてみましょう。カシミールでの戦闘がこの核実験によって物質的に影響を受けることは、まずないでしょう。カシミールでの恐るべき残虐行為は続くでしょうし、負傷による流血も続くでしょう。BJP政権は残酷な鉄拳以外に、何も見せるものがありません。パキスタンは武装勢力がその領土からインド側に越境攻撃するのを許し続けるでしょうし、これらの治安部隊と武装勢力との間で、カシミール人が犠牲になり続けるでしょう。印パ代理戦争の場にされたカシミール人の悲哀が減ることはないでしょうし、インドとパキスタンの一般国民は、この軍事化と紛争の費用を負担させられるでしょう。そして、彼らの生活はこれまで同様に続いていくでしょう。
変わるのは、両国の経済的安定と経済成長でしょう。インド人は自国に対する制裁に苦しみ、パキスタン人は、その防衛費が確実に増えるでしょうから、生活が苦しくなるでしょう。なにより重大なのは、我々両国がいつの間にか戦争に向かっていくということです。これは勝者がなく、敗者しかいない戦争です。
これは実に困難な時局です。戦争屋たちは、平和を訴える人に対する勝利を、大声で喧伝しています。しかし、理性が味方するのは我々であって、彼らではありません。そして、結局は理性が勝つのです。我々両国は地勢的に分かちがたい運命を共有しているのですから、一方の国の破壊が他方に甚大な危害を及ぼさないはずがありません。我々は、まったくの偶然から、つまり何か偉大で壮大な計画によるのではなく、国境線の反対側に生まれたということを認識していますし、紛争が不毛だということも理解しています。我々は少数ですが、今この会場に我々が集まったことだけでも、結局のところ平和と協調が戦争と対決に勝るということを、世界に向けて、そして我々自身に向けて、語るに十分な事実だと思います。
1998年5月12日 MITにて
パルヴェーズ・フッドボーイ
(訳:首藤もと子)
本稿は SAY NO TO INDIAN & PAKISTANI BOMBS! (by Pervez Hoodbhoy) の全訳である。