公開: 2011年8月3日 / 最終更新日: 2012年1月9日
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放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説
落ち着いて考えてみれば、ぼくらの身の回りの物や、ぼくらの体が、「小さな粒」が集まってできているなどというのは奇妙な考えだ。 普通に暮らしていて、自分が「粒でできている」と感じることは決してないし、物質が原子の集まりであると実感することも決してない。
科学の世界でも、「物質が原子からできている」という仮説は昔からあったものの、原子の存在が本当にしっかりと確認されたのはなんと 20 世紀に入ってからなのだ。 19 世紀の終わり頃には「原子は存在するのか?」についての真剣な論争があり、「存在しない」とする人のほうが分がよかったこともあったくらいなのだ。 これは、当時の人たちが「非科学的」で馬鹿だったわけではなく、当時、知られていた証拠に照らし合わせて合理的に考えた範囲では、原子が存在すると断定できないと結論したということだ。 目に見えない物の存在を受け入れるためには、本当にしっかりとした証拠が必要だということである。 面白いことに、アインシュタインも若い頃にはどうすれば「原子が存在する」ことを証明できるかを一生懸命に研究しており、きわめて重要な貢献をしているのだ。
いずれにせよ、20 世紀に入って少ししたあたりで、原子があるべきだと考える根拠がしっかりと固まり、その存在を疑う科学者はいなくなった。
20 世紀の初めには、原子にもさらに内部構造があることは明らかにされた(右の図は、すごく気楽に描いた(ベリリウム原子の)模式図。実際にこんな風だと思ってはいけない)。
原子の中心には、大きさが 10-15 m 程度の原子核があり、そのまわりに、\(Z\) 個の電子が「まわっている」。\(Z\) は原子番号と呼ばれる正の整数。原子の種類は \(Z\) で決まる。 原子核の大きさは原子の大きさの 10 万分の 1 程度であることに注意しよう。すごく小さいのだ。 電子は(今でも)素粒子だと考えられており、それ以上の内部構造はもっていない(つまり、大ざっぱに言うと、大きさがない)。 また、電子の質量はきわめて軽く、原子の質量の大部分は小さな原子核が担(にな)っている。
電子は大きさ \(e\simeq 1.6\times10^{-19}\) クーロンの負の電荷を帯びている(\(\simeq\) は「ほぼ等しい」という記号)。
一方、原子核は大きさ \(Ze\) の正の電荷を帯びている。
原子核と電子の電荷を足し合わせるとゼロなので、原子全体は電気的に中性である。
原子のようなきわめて小さなものの性質を記述するためには、量子力学と呼ばれる物理学の体系を使わなくてはいけない。 量子力学は、20 世紀の前半に、まさに原子の構造の研究などをきっかけにして発見された。 今日では、原子核のまわりを電子がどうやって「まわって」いるのかなど、原子の様々な性質は、量子力学にもとづいて、ほぼ完全に理解されている。
量子力学がどういうものかということを、直感的に言葉で説明するのはたぶん不可能だと思う。 そういう非直感的なものだけに、ちゃんと学んで、理解できるようになると(一種異常なまでに)面白い。 今日では、大学の物理学科で学ぶような数学と物理を基礎からしっかりと学んでいけば、(もちろん、長い年月が必要だが)ほとんど誰でも量子力学を理解できるようになっている。
たとえば、ぼくらのまわりの空気は、だいたい窒素と酸素からできている。 ただし、窒素や酸素の原子がそのままふわふわと浮いているのではなく、それぞれ、窒素分子と酸素分子を作っている。 窒素分子(\(\rm N_2\))は窒素の原子(N)が二つくっついたもの、酸素分子(\(\rm O_2\))は酸素の原子(O)が二つくっついたものだ。 こうやって原子どうしがくっつくことを化学結合という。 原子の構造に照らして言うと、化学結合とは(原子核のまわりをまわっている)電子の軌道を組み替えたり変形したりすることで作られる原子どうしの結びつきだということがわかっている。
水素と酸素が反応して水になるといった物質の変化を化学反応という。 やはり原子のレベルで考えると、化学反応というのは原子の結びつきの変化だ。 だから、けっきょくは、電子の軌道の組み替えや変化だということになる。
特に分かりやすい(広い意味での)化学反応はイオン化だろう。イオン化とは、原子核のまわりにいた電子が何かのはずみで飛び出していなくなってしまう、あるいは、原子核のまわりによそから余分な電子がやってきて落ち着いてしまう(「まわり」はじめる)ことである。
たとえば、水素(\(\rm H_2\))2 モルと酸素(\(\rm O_2\))1 モルが反応して(水蒸気の)水(\(\rm H_2O\))2 モルができるときに、約 480 kJ の熱がでる。 1 回の反応では水素分子 2 個と酸素分子 1 個が反応するわけだが、その際に出てくるエネルギーは、\(\rm480\times10^3\ J/(6.02\times10^{23})\simeq8.0\times10^{-19}\ J\) になる(1 モルの物質中には \(6.02\times10^{23}\) 個の分子があることを使った)。すごく小さな数値になってしまった。
実は、この程度の小さなエネルギーを表わすのにちょうどいい単位がある。 エレクトロン・ボルト(eV)といって、電子を 1V の電圧で加速した際に得られる運動エネルギーに相当する。 ジュール(J)とは、\(\rm 1\ eV\simeq 1.6\times10^{-19}\ J\) の関係で結ばれている。 この単位を使えば、水素分子 2 個と酸素分子 1 個の反応で出てくるエネルギーは、\(\rm8.0\times10^{-19}\ J/(1.6\times10^{-19}\ J/eV)\simeq5.0\ eV\) となる。これは手頃な数値だ。
これは一例だが、「化学反応の(原子レベルでの)エネルギーのやりとりは、eV という単位で測るとちょうどいいくらいの大きさ」と言ってよい。これを頭にとどめておいてほしい。
そして、これだけのことで、ぼくらの世界で起きていることのほとんど全ては理解できてしまう。 岩が壊れるのだって分子の結びつきの変化だし、山火事の業火(ごうか)が天を焦がすのだって、ただの化学反応だ(怖いけど)。 これだけで終わっても不便はなかったし、たぶん生命が活動していくのにも何の支障もなかったのだが、実は、この世界ではもっと色々なことがおきることがわかってきた。
陽子も中性子も、大きさは \(10^{-15}\rm\ m\) 程度で、質量もほぼ等しくて約 \(1.7\times10^{-27}\rm\ kg\)。 ただし、陽子は \(+e\) の電荷を持ち、中性子は(名前のとおり)電荷をもたず中性である。
いくつかの陽子と中性子が、核力と呼ばれる強い力で結びつけられて小さな塊を作って、原子核になっているのだ。 陽子と中性子の個数の合計を質量数と呼び、ふつう \(A\) と書く。 陽子の個数は原子番号 \(Z\) と等しいから、中性子の個数は \(A-Z\) 個ということになる。
原子核を表わすのに、右の図のように、原子の名称(元素記号)の左上に質量数を、左下に原子番号を書く流儀になっている。ただし、原子の種類がわかれば原子番号はわかるので、\(\rm{}^{137}Cs\) のように、質量数だけを書くことも多い(この解説の他の部分ではこの流儀を使っている)。
また名前で呼ぶときには「セシウム 137 」とか「ヨウ素 131」のように、元素名のあとに質量数をつける。
ヘリウム 4 の原子核は \(Z=2\), \(A=4\) なので、つまり、陽子 2 個と中性子 2 個ということだ。 普通のヘリウムはヘリウム 4 だが、わずかにヘリウム 3 というのもある。\(Z=2\), \(A=3\) だから、陽子 2 個と中性子 1 個だ。 それなら、いっそのこと陽子 2 個だけの「ヘリウム 2」という原子核があるのではないかというと、それは全く存在しない。 陽子はプラスの電荷をもっているので、陽子 2 個が近くにあると互いに強く反発し合うのだ。 あいだに電荷のない中性子を入れることで、うまくバランスがとれて安定な原子核が作れるのである。
一般に、原子核は陽子と中性子の個数が上手にバランスしたとき安定になることが知られている。 原子核が小さいときには、(ヘリウム 4 原子核のように)陽子と中性子がほぼ同じ個数のあたりが安定になる。 たとえば、普通の酸素は酸素 16(\(\rm{}^{16}_{\ 8}O\))だから、たしかに陽子と中性子はちょうど同数になっている。 原子核が大きくなってくると、陽子に対する中性子の割合が大きくなってくる。 たとえば、ニッケル 62(\(\rm{}^{62}_{28}Ni\))原子核は陽子 28 個と中性子 34 個、鉛 208(\(\rm{}^{208}_{\ 82}Pb\))原子核は陽子 82 個と中性子 126 個からできている。
アルカリ金属の一つ、セシウムの原子番号は 55 である。 安定なセシウムの原子核はセシウム 133(\(\rm{}^{133}_{\ 55}Cs\))で、陽子 55 個と中性子 78 個からでてきている。
ところが、この安定な原子核に比べると中性子の個数がずれてしまったような原子核というのもある。 たとえば、セシウム 137(\(\rm{}^{137}_{\ 55}Cs\))原子核は陽子 55 個と中性子 82 個からなる。中性子が 4 個多い。
このように中性子が多すぎるというのは、やはり「困った」ことで、この原子核は不安定である。 つまり、しばらくの間はセシウム 137 の姿を保っていられるのだが、確率的に崩壊し(短命な中間状態を経て)バリウム 137(\(\rm{}^{137}_{\ 56}Ba\))という安定な原子核に姿を変えるのである(右の図はものすごくいい加減に雰囲気を表わしたもの)。 このような不安定な原子核の崩壊の様子については、本文の「半減期について」とミニ解説「半減期の数学・ベクレルとモル数」で説明した。
セシウム 137 原子核が崩壊してバリウム 137 原子核になるときに、それに伴って、電子が 1 個と光子が 1 個、外に飛び出してくる。 原子核のほうでは、ちょうど陽子が 1 個だけ増えて中性子が 1 個だけ減る。だから、電荷の総量は変わらないことになる。 これはベータ崩壊と呼ばれる原子核反応の一例である。
セシウム 137 の崩壊で飛び出てきた電子と光子は、それぞれ平均で、約 0.2 MeV、約 0.6 MeV のエネルギーをもっている(電子のエネルギーは一定せず、だいたい、0 MeV から 0.5 MeV の範囲にばらつく)。
ここで、MeV というのはメガ・エレクトロン・ボルトのことで、\(\rm 1\ MeV=10^6\ eV\) である。
もちろんジュールに直せば小さな数値になるが、先ほど登場した、化学反応での原子一つあたりのエネルギーのやりとりと比べると、数桁大きいエネルギーであることに注意しよう。
化学反応で言えば何万個の原子の反応ででてくるエネルギーが、たった 1 個のセシウム原子核の崩壊の際にでてくるのである。
本文の「原子力発電所ってけっきょく何をやっているの? 」の「原子炉での核反応と放射性廃棄物」で説明したように、原子力発電の基本はウラン 235(\(\rm{}^{235}_{\ 92}U\))の核分裂反応である。 ウラン 235 原子核に中性子が衝突し吸収されると、すぐに不安定になり、二つのほぼ等しい大きさの原子核に分裂する。 このような一回の核分裂で、おおよそ 200 MeV 程度のエネルギーが放出される。
水素と酸素の一回の反応で放出されるエネルギーが 5 eV だったことを思い出そう。 200 MeV = 200,000,000 eV だから、これは 5 eV の 4 千万倍ということになる!
ぼくらに身近な化学反応と、やはりぼくらが利用してきた原子核反応の、基本的なエネルギーがまさに「桁違い」であることがわかるだろう。
以上が、本文でも強調した、「原子核が変化する際のエネルギーは化学反応に比べて桁違いに大きい」という事実の、より詳しい説明である。
マクロな物体の温度というのは、実は、物体を作っている原子や分子がどれくらいバラバラに運動しているかを測る目安だということがわかっている(これが、ぼくの専門の統計力学の出発点)。 物体の絶対温度が \(T\) なら、その中の原子はだいたい \(k_\mathrm{B}T\) くらいの運動エネルギーを持ってバラバラに運動している。 ここで \(k_\mathrm{B}\simeq1.38\times10^{-23}\rm\ J/K\) は、ボルツマン定数と呼ばれる基礎定数である(K は絶対温度の単位のケルヴィン)。 目に見えない原子の世界と、ぼくらが暮らしている大きな世界を結びつける根本的な定数なのだ(これについてぼくが本気で語りだせば、いくらでも話せる!)。
この事実を用いて、温度による運動エネルギーと反応のエネルギーを比較しよう。 そのため、単位をエレクトロン・ボルトに統一して、\(k_\mathrm{B}\simeq(1.38\times10^{-23})/(1.6\times10^{-19})\rm\ eV/K\simeq8.6\times10^{-5}\ eV/K\) であることに注意しておく。 すると、室温(\(T\simeq300\rm\ K\))程度では原子一つの温度による運動エネルギーは \(\rm300\ K\times8.6\times10^{-5}\ eV/K\sim3\times10^{-2}\ eV\) となる。 これは分子一つあたりの化学反応のエネルギーに匹敵する。 温度を \(T\sim1000\rm\ K\) くらいまであげれば、温度によるエネルギーも \(0.1\rm\ eV\) 程度になる。 われわれは、化学反応の進み方が温度によって変化することをよく知っているが、それは、化学反応でのエネルギーの出入りと温度によるエネルギーがだいたい同じくらいの大きさであることの現れなのだ。
では、原子核反応はどうか? 温度によるエネルギーが原子核反応のエネルギーと同等になるのは、 \(k_\mathrm{B}T\simeq1\rm\ MeV\) のときだ。 これを解けば、\(T\simeq10^{10}\rm\ K\) となる。 100 億度だが、ともかく、これは人類が制御できる温度ではない(太陽の中心温度でさえ 1500 万度とされている)。 つまり、「温度を上げて原子核反応を活発化させよう」といったプランは、もうこれ以上ないほど、全く不可能だということだ。
逆に考えて、原子核にとっては、周囲の何百度という温度は、絶対零度にも等しい「ものすごい低温」だと言ってもいい。 「放射性生成物の温度を下げれば崩壊を止められるのではないか?」という質問に出会うこともあるが、すでに、今の状況でも原子核のまわりは「これ以上ないほどの低温」なのだ。ここから温度を下げたところで、何一つ変わらないことがわかるだろう。
ここで出てきた放射線のうち、電子の流れの方をベータ線(β線)、光子の流れの方をガンマ線(γ線)と呼ぶ。 これらは、様々な放射線のうちの代表的な二つである。
代表的な放射線の素性(すじょう)と性質を簡単にまとめておこう (左の図は wikipedia より、Tosaka 作;ここでは原図の一部を利用)。 放射線には、アルファ線、ベータ線、ガンマ線とギリシャ文字のアルファベットが名付けられているが、これに深い意味はない。正体がわからなかった時代に、適当につけた名前がそのまま使われているのだ(個人的には、こういう命名をそのまま使い続けるのは好きじゃない)。
なお、放射線に関わる、ベクレルやグレイといった単位については、ミニ解説「ベクレル・グレイ・シーベルト」を参照。
アルファ線: アルファ線は、高い運動エネルギーを持ったヘリウム 4 原子核(上で見たように、陽子 2 個と中性子 2 個のかたまり)の流れである(ヘリウム 4 の原子核をアルファ粒子と呼ぶこともある)。 原子核がそのまま飛んでくるので、電荷を帯びた(この小さな世界の常識から言うと)かなり重い粒子が飛んでいることになる。 物質にあたると強く相互作用して電離する。
物質との相互作用が強いので、紙一枚あれば止められるとよく言われる(図を見よ)。 空気中でも数センチの距離で減衰してしまう。
そのため、アルファ線を出す放射性物質が体の外にあるときには、外部被ばくにはほとんど影響しない。 しかし、体内に取り込むとすぐ近くの細胞を強く電離するので、内部被ばくには大きく寄与する。
ベータ線: 上で書いたように、ベータ線は、高い運動エネルギーを持った電子の流れである。 やはり荷電粒子の流れなので、物質と相互作用して電離する。
アルファ線ほど強くは物質と相互作用しないが、それでも、数ミリのアルミ板で止められる(図を見よ)。 空気中でも数十センチの距離で減衰してしまう(空気中での飛距離はごく大ざっぱな目安。以下も同様)。
ベータ線を出す放射性物質が体外にあっても、ある程度線源から離れれば、空気で減衰して効果はなくなってしまう。 たとえ外部被ばくしても、皮膚のところで減衰してしまうので、人体にはほとんど害がない。 やはり、外部被ばくを考える際には考慮しなくてよい。 もちろん、ベータ線を出す物質を体内に取り込めば内部被ばくに寄与する。
ガンマ線: 上で書いたように、ガンマ線は高い運動エネルギーを持った光子の流れである。 光子というのは、電磁波(光)を量子力学的に記述する際に登場する素粒子である。 なので、ガンマ線はきわめて波長の短い(そして、エネルギーの高い)光の仲間だと言ってもいい。 レントゲンでお馴染みの X 線も、ガンマ線とほとんど同じ、エネルギーの高い光である。
荷電粒子の流れであるアルファ線やベータ線とは違って、ガンマ線はあまり物質と相互作用しない。 そのため、ガンマ線を止めるには 10 センチの鉛板が必要になる(図を見よ)。 空気中でも数百メートル程度の距離を飛ぶ。
そのため、ガンマ線は外部被ばくでの主役になる。
たとえば、地面に吸着したセシウム 134 やセシウム 137 から出る放射線は、数十メートル先まで届き、人の体を通り抜けて全身の細胞に(少しずつだが)影響を与える。
もちろん、ガンマ線は内部被ばくにも寄与する。