東洋文化研究所の東アジア関連資料
(1)友邦文庫
友邦文庫は朝鮮総督府の政務総監や各局長などの朝鮮統治政策決定上の枢要な位置にあった旧朝鮮総督府官僚が持ち寄ったメモ、報告書等をも含む資料群である。また、満洲・蒙古に関する資料も多く含む。1983年、財団法人友邦協会および社団法人中央日韓協会より学習院が寄託を受け、2000年に学習院が購入した。
検索方法はリンク先参照。一部(『朝鮮問題雑纂』(M4-12)、「渡辺忍文書」(B201~265)、「半島近世年表」、『朝鮮社会経済写真集』(602-21))の閲覧が東アジア学バーチャルミュージアムで可能。
- 左は『友邦文庫目録』(勁草書房、2011年)。
右は友邦文庫が収蔵される書庫の一部。
(2)広開土王碑拓本
- 高句麗の国王である広開土王(374~412年)の業績をたたえた石碑(中国吉林省集安市に現存)の拓本で、全部で甲乙2種類、各4幅ある。画像の閲覧が東アジア学バーチャルミュージアムで可能。
(3)磯野文庫
法社会学者の磯野誠一氏(1910~2004年)の寄贈による戦前を主とした蒙古関係資料のコレクション。氏は1944年に張家口(現在の中国・河北省)に開設された西北研究所の所員として調査活動を行った。西北研究所には今西錦司所長を初めとして、藤枝晃・石田英一郎・中尾佐助・梅棹忠夫氏と磯野氏の妻・磯野富士子(1918~2008年)らが所属していた。学習院大学OPACより検索が可能である。
左は『成紀七三五年五月調査資料第七号 白契彙集(続一)』の表紙で蒙古自治連合政府の発行。右はその見開きで謹呈とあり、発行者から磯野氏に直接寄贈されたものと思われる。成紀はチンギスハン紀年。
(参考事例:『白契彙集』)[目録資料1参照]
(4)旧東亜経済調査局所蔵回教関連資料(東文研)
東亜経済調査局旧蔵のイスラム教(回教)関連資料群。すべてに東亜経済調査局の所蔵印と分類番号が残っている。2002年に古書店から購入した。東亜経済調査局は当初は南満州鉄道株式会社の下部組織として発足したが、その後、財団として分立した。
左は『真功發微』出版地は北平(北京)。右は本書の見開きで、右上には「南満洲鉄道株式会社東亜経済調査局之印」、右下と左上には「東亜経済局」の印と図書整理番号がふられている。
(参考事例:『真功発微』)
(5)海南島軍政資料
日中戦争時に日本海軍が占領し、軍政を布いた中国海南島関係の研究資料群である。古書店より購入した。
(6)末松保和関係資料
東洋文化研究所初代主事で朝鮮史研究者の末松保和(1904~1992年)旧蔵の文書類である。史の死後、図書類は東京大学文学部に寄贈されたが、文書類は学習院大学五十年史編纂のため、学習院大学史料館へ寄贈された。内容は末松氏の旧蔵ノート、手帳、書簡、原稿、写真などである。2011年に史料館より東洋文化研究所へ移管され、整理ののち目録が調査研究報告56号『学習院大学東洋文化研究所所蔵資料紹介―末松保和資料』(2012年)として刊行された。
(7)上甲米太郎関係資料
植民地朝鮮で普通学校教員を務めた、上甲米太郎氏(1902~1987年)の関係資料で、2003年に上甲米太郎氏の遺族、上甲伊利一氏より関係資料を寄託された。保管の資料は目録(「上甲米太郎関係資料目録」『東洋文化研究』17、2015年)の通りであるが、1920年代の日記、戦後の書簡、パンフレットが中心である。日記の内容については青木敦子氏により紹介が行われている(青木敦子「ある日本人の朝鮮体験: 「上甲米太郎日記」史料紹介」『東洋文化研究』8、2006年3月)。
(8)池田佐忠関係資料
植民地期の朝鮮慶尚道で実業家であった池田佐忠氏(1885~1952年)の関係資料で、釜山や蔚山などの築港関係の写真が130枚ほど含まれている。遺族から2014年に寄贈された。目録として「池田佐忠関係資料目録」『東洋文化研究』17、2015年がある。
(9)澤口文庫
澤口文庫は、澤口剛雄氏(1902~1995年)旧蔵の書籍およびその他資料からなる資料群である。澤口剛雄氏(号:子毅)は学習院大学文学部教授として長年にわたって教鞭を取り、主に中国文学関連や漢文の講義を担当した。1952年には学習院東洋文化研究所設置立案委員を委嘱されており、東洋文化研究所の発足にも携わった。
澤口剛雄氏の旧蔵書については、漢籍270点(うち和刻本77点)、洋装本220点、その他資料(レコードや草稿など)62点から構成されている。このうち漢籍は澤口氏の専門を反映し、四部分類でいうところの経部詩類(詩経関連)や集部(詩文・小説などの文学関連)が主要な部分を占める。詩経の注釈書や戯曲関係の漢籍を中心にまとまりがあり、こうした分野のコレクションとしては国内でも有数のものと言える。(10)小倉進平関係資料
小倉進平関係資料は、2012年に当研究所が小倉進平氏(1882~1944年。元東京帝国大学教授、京城帝国大学教授。言語学者)の令息、小倉芳彦氏(元学習院大学学長)から受け入れた、書簡やカード、ノート、原稿など約3000点の資料群である。