諏訪春雄通信 32


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 3月31日(日曜日)午後1時半から千代田区麹町のTOKYO−FMホールで、小学館『東洲斎写楽』刊行を記念して、私の講演会「写楽 人と作品」がありました。300名限定の会場に一杯つめかけてくださった当日の聴衆の皆さんにお礼を申します。

 終了後のロビーで、「こんなに充実した講演ははじめてです」と声をかけてくださった初老の紳士のことばがわすれられません。ありがとうございました。

 浮世絵はまちがいなく芸術作品ですが、それ以上に日本の文化をつたえる情報媒体です。写楽の作品についていえば、寛政6、7年の歌舞伎の舞台と役者についての情報がそこにはつめこまれています。その情報を読み解かなければ、写楽の作品をただしく鑑賞したことにはなりません。

 こうしたコンセプトは、私たちがいまから4年まえに国際浮世絵学会をあたらしく発足させたときの基本理念でもあります。

 そのような視点から、私はあらゆる資料を使って、写楽のえがいた歌舞伎の舞台を復元し、舞台の進行にしたがって作品を排列しなおしました。

 これまでの編纂者の恣意的な排列では、一枚一枚が孤立したにしかならない作品群が、この排列で、つらなってになりになり、立体になって、新しい作品の魅力をしめしてくれました。そしてまぎれもない寛政歌舞伎の生命を現代につたえています。

 手前味噌かもしれませんが、『東洲斎写楽』で、浮世絵研究の最新、最高の成果をしめすことができました。

 当日、会場にきてくれた10名ほどの教え子の院生や卒業生と、講演終了後、桜の散りかかる夕方の千鳥が淵を散歩し、貸切りの居酒屋で痛飲し、ホテルのバーでカクテルを飲みました。〈この教え子たちのなかから私の学問をうけつぐ者があらわれる〉そんなおもいで飲む酒は最高でした。教師にとってもっとも幸せな時間かも知れません。


 今回は「遊女」についてかんがえます。

 前回の通信で、神人通婚は伝承であって史実ではないと断定しました。じつは、このとき、私は、宗教学者や文化人類学者の大多数を敵にまわしてしまったのです。

  ジェイムズ・フレイザー『金枝篇』
  ミルチア・エリアーデ『永遠回帰の神話』
  中山太郎『日本婚姻史』
  折口信夫『神の嫁』
  赤松啓介『非常民の民俗境界』
  山上伊豆母『巫女の歴史』
  倉塚曄子『巫女の文化』
  五来重『中世女性の宗教と生活』
  佐伯順子『遊女の文化史』
  大和岩雄『遊女と天皇』

などなどです。この顔触れは壮観です。

 すべて、神婚を、神とみなされる現実の人(神官、王、天皇など)と巫女との事実上の性的結合とかんがえ、のちの遊女を巫女の末裔とかんがえる通説を形成している人たちです。神婚を伝承といいきった柳田國男ですら、じつは、〈売娼は派生的に生じた小さな偶然〉にすぎないという条件をつけながらも、巫女から遊女が生まれたことをみとめています(『巫女考』)。

 ごく少数意見として〈巫女→遊女〉説に反対する学者がいないわけではありません。

  滝川政次郎『遊女の歴史』
  服藤早苗「遊行女婦から遊女へ」『日本女性生活史・第一巻』

などです。滝川は、渡来人や山部・海部の婦女や、社会の落伍者が遊女になったと主張し、服藤は、遊女の成立は、十世紀以降の家父長的家族=家成立の歴史的現実を背景としたものであり、「女性の性が男性に従属する歴史の成立でもある」といいきります。

 しかし、こうした二人の主張も、巫女説論者からは、「右翼と左翼の両極に立つ」論(大和岩雄『遊女と天皇』173P)ときりすてられてしまいます。滝川説と服藤説は、弱者を生みだした歴史的現実が遊女誕生の基盤になったという点では共通性があるのです。

 一つの学説を主張するときは当然対立するほかの学説をきびしく批判します。滝川は先行する巫女説を批判し、巫女説の佐伯は滝川を糾弾しています。そして、服藤は巫女説を批判し、あわせて滝川説を断罪します。その服藤も巫女説の大和に手きびしく論難されています。その入り組んだバトルは長大な遊女研究史を形成できるほどです。

 しかし、これまで遊女の誕生に関して提出された二つの説、巫女説非巫女説=社会的弱者説は、それほど対立し、相手を非難しあわなければならない考えなのでしょうか。

「性は聖であった」という巫女説の論拠はみとめなければなりません。ただ、私はその聖の本質を巫女説論者のように、神の妻だけで説明できるとはかんがえないのです。

 性が神聖である理由は、性が神とかかわる行為だからです。そしてその神との関連はつぎの三つのばあいがあったとかんがえます。

  1. 神の妻
  2. 供犠
  3. 神の教え

 1はシャーマニズムの憑霊型に由来する神との合一です。この1については、前回の通信でくわしく説明しました。

 2はもっとも貴重なものを神にそなえて加護をいのることです。人間の性も貴重なものであり、それを神にささげて神と合一します。一夜官女、一夜妻(夫)、「初夜権」などとよばれる民俗がその具体例です。

 3は性の聖性は、世界の始まりの時間に、神が人間におしえた行為だからとかんがえることです。通信2030で紹介した中国の膨大な数の洪水神話をかんがえてみれば納得がゆくはずです。人類の祖先である原始の人間にたいして、ただしい結婚の方法をおしえたのは神か神の使いでした。また、中国の来訪神儀礼で、季節の変り目に子孫のもとにおとずれた祖先の神たちは、始原の時間に教示した各種の文化を確認します。その教示した文化の中には結婚もあります。

 性の聖性は神の嫁だけで説明できるものではありません。すくなくとも、以上の三つを考慮しなければ全容はとらえられません。世間におこなわれている遊女の起源論が、巫女=神の嫁論一色に統一されていることは、大きな偏りです。

 そしては時間の経過のなかにに接近していきます。その過程を説明する理論が社会的弱者説なのです。

 聖性説だけでは、日本の平安時代末期ごろに売春がはじまった歴史的事情が説明できません。社会的弱者説だけでは、たとえば近世の江戸吉原などの遊郭が神社の境内と類似の空間構造をもち、揚屋での初会の儀式が結婚式の形式をとっていた事実の説明がつきません。

 両者はいがみあって角をつきあっている仲ではけっしてないのです。

 なお、性の聖性についての私のかんがえは、「春画の思想」(諏訪春雄編『アジアの性』勉誠出版・1999年)、「日本春画の特色を中国春画と比較して明らかにする」(『浮世絵芸術135』国際浮世絵学会、2000年3月)そのほかで詳述しています。

 では、今回はこの辺で失礼します。


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