諏訪春雄通信 60
アジア文化研究プロジェクトへようこそ。
今週の木曜日(7日)、金曜日(8日)の両日、学習院創立百周年記念会館正堂で、「日韓越三国古代文化の比較研究」という講演とシンポジウムの会を開催します。中国の古代文化が左右対称に東南アジアと朝鮮や日本にせりだし、両端に類似の文化現象がのこっているという、私のかねてからの持論を実証するための研究会です。
そのために、中国からは研究者をおよびせず、ベトナムと韓国から旧知の学者たちをお招きしました。8日の夜の懇親会へは、会員の皆さんを無料招待します。どうぞ多数お見えになってください。会場でお逢いできれば幸いです。
今回は「日中霊魂観の比較」のうち、「霊魂」ということばについてかんがえてみます。霊魂ということばは、日本人も中国人もおなじ意味で使用します。漢語の熟語は、中国からはいってきたことばがほとんどですから、日本と中国でおなじ意味でつかうのは当然とかんがえられますが、しかし、かならずしも、すべてがそうではありません。たとえば、多少という語を日本人はすこしという意味でしか使用しませんが、中国人は逆に多いという意味でつかうことがあります。日中で意味のちがうことばを、アットランダムにあげてみます。カッコ内は中国語の意味です。
茶壷(急須、土瓶) 茶房(給仕、ボーイ) 感触(感動) 学徒(見習い、内弟子) 汽車(自動車)
このような例はいくらでもあがります。しかし、霊魂のような複雑な内容のことばの意味が、日中でほぼおなじということは、「日中霊魂観の比較」という問題の設定が、ことばとしても成立し、私の恣意的な問題意識ではないということをしめしています。
中国最大の辞典である『漢語大詞典』で「霊魂」をひいてみます。
これにたいし、日本の『日本国語大辞典』は「肉体と区別され、肉体に宿りながら心の働きをつかさどり、生命を与えていると考えられている非物質的実体。肉体を離れても存在し、肉体の死後も存在すると考えられることも多い。人間以外の動植物、また物にも存在するとする考え方もある。」ときわめてよく似た説明をあたえています。
『漢語大詞典』の初版は1993年に刊行されています。日本の『大漢和辞典』や『日本国語大辞典』の初版などがその解説に参照されているふしがあります。三つの辞典をあわせて使用していて、用例や説明がきわめて類似していることに気づくことがしばしばです。
中国人はいつごろから霊魂の存在に気づいたのでしょうか。それをかんがえるためのよい事例があります。皆さんは北京原人をご存知とおもいます。北京近郊の周口店の竜骨山の丘陵地帯の洞窟から発見された人類の遺骨で、学名をホモーエレクトゥスーペキネンシスといいます。四十体あまりが発掘されており、石器と火を使用した痕跡もあり、その生存年代はいまから20万年まえから50万年まえと幅をもって推定されています。
この北京原人の遺骨は散乱したままで放置されてあり、彼らに死者をとくべつに葬るという意識はなかったのではないかとみられます。
ところが、おなじ竜骨山の山頂のほうからよりあたらしい山頂洞人(化石新人、ホモサピエンス)とよばれる、いまから約1万八千年ほどまえの人類の八体の遺骨が発見されていますが、こちらのほうは、遺骨のまわりに赤い粉末がまきちらされ、また上下二室に区切られた墓地の洞窟のうえの部屋からは労働のための素朴な工具なども出てきています。
赤い粉末つまり酸化鉄は、日本の縄文時代の人たちの遺骨からも発見されており、邪悪なものをふせぐ力があると信じられているものです。つまり、中国人はこの化石新人の段階になって、死者には霊魂が存在し、死者も死後の生活をいとなんでいると認識したのではないでしょうか。日本人もそれにおくれて、縄文時代早期、1万3千年ほどまえには、死者の霊魂の存在をみとめていたのではないかとかんがえられます。
人類がどのようにして霊魂の存在を認識したのかという問いについては、おそらく、動物と人間とをふくめて、死者にたいする観察が重要なきっかけになったとみられます。生きているときは、動物も人間も眼をあけ、口から音を発し、鼻や口で呼吸していますが、死ぬとすべてとじられてしまい、その働きはとまります。死ぬということは、何かたいせつなものが、動物や人間の頭蓋骨からぬけだしてゆくことらしい。
このような観察のつみかさねのなかで、人間は霊魂の存在を意識し、しかもその在り処を頭蓋骨とかんがえ、さらに霊魂の存在を人間や動物以外のものにもおよぼし、みとめていったのではないかとおもわれます。
自然界の諸事物に霊魂の存在を認識する信仰をアニミズムとよびます。霊魂の存在を人類が認識したということは、その段階で人類がアニミズムの信仰をもったということになります。
アニミズムは十九世紀の末に英国の人類学者のE.B.タイラーが、宗教の起源を説明するために提唱した概念です(『原始文化―神話・哲学・宗教・言語・芸能・風習に関する研究―』1871年)。彼はあらゆる宗教の根底に〈霊的存在への信仰〉が存在するとかんがえて、これをラテン語のアニマ(霊魂)ということばをもちいてアニミズムとよびました。
タイラーが、人間が霊的存在を認知するきっかけとしてあげたものは、死のほかに、睡眠、夢、幻覚です。これらの一連の生理現象のなかで、人間は、死人と出あい、時所を超越してなつかしい人や物に再会することができます。そうした体験をとおして人間は肉体とは異なる霊的存在をかんがえだしたといいます。彼がいう霊的存在は、死霊、精霊、悪鬼、神性、神々などをひろくふくんでいましたが、要約すれば広義の霊魂です。
日本人も中国人も個体がもつ霊魂は複数であるとかんがえていました。中国の漢民族はすくなくとも霊魂には二種類あると信じていました。魂と魄です。人間の霊魂のうち、陽の働きをし精神をつかさどるものを魂といい、陰の働きをして形骸をつかさどるものを魄といいました。『春秋左氏伝』の「昭公七年」の条に有名なつぎのような説明があります。
人間が生まれて、最初に動き出すのを魄といいますが、魄ができますと陽、すなわち霊妙な精神もできますもので、それを魂といいます。さまざまな物を用いて肉体を養うのに、そのすぐれた精気が多いと魂も魄も強くなります。そこでその魂魄が精明になると天地の神々と同じはたらきをするようになります。(『新釈漢文大系』明治書院、1977年)。
中国文学者の永沢要二氏によると、魂の鬼は死人であり云は呼吸の気を意味するといいます。それにたいし、魄の白は白光であり死体の発する戦慄の情を表現しているといいます(『鬼神の解剖』汲古書院、1985年)。
これにたいし、語源分析で大きな業績をあげた白川静氏は、魂は「雲気となって浮遊する存在」であり、魄は「ドクロ」だといっています(『字統』平凡社、1994年)。説明の方法はちがいますが、魂が陽で精神、魄が陰で形骸という点は一致しています。しかも前者は身体から離れ、後者は身体にとどまっているという点に注目しますと、動く霊魂と動かない霊魂という対比になります。
他方、古代の日本人はすくなくとも四種の霊魂をかんがえていました。荒魂・和魂、幸魂・奇魂の四つです。いずれも『日本書紀』に出てきます。前者の二つは「神宮皇后摂政前紀」に、後者の二つは「神代上」の第六の一書にみえます。霊魂の働きを、勇武・柔和、幸福・霊妙と対比的にとらえていたようです。
このような霊魂の働き、作用に注目した複数の霊魂観とはべつに、古代の日本人も、じつは中国人とまったく同様に、動く霊魂と動かない霊魂という観念ももっていました。前述した『日本書紀』に記述される四つの霊魂は、いずれも大神(おおみわ)神の遊離魂です。つぎの歌に詠まれている魂もそうした遊離魂です。
なげきわび空に乱るる我が魂をむすびとどめよしたがへのつま(『源氏物語』葵)
その一方で、古代の日本人は人の身体や事物にやどって動かない霊魂の存在も信じていました。つぎの例は死者の身体をはなれない、動かない霊魂です。
うしろめたげにのみ思しおくめりし亡き御魂にさへ瑕やつけ奉らんと(『源氏物語』椎本)
私はこの諏訪春雄通信の56で、動かない神と動く神という神を二分する定義を提出しました。同様に霊魂にも、動かない、動くという二分法の提示が可能なのです。中国人と日本人の霊魂二分観が共通であるだけではなく、じつは、この二種の対比は人類に普遍的な霊魂観なのです。一般的には、身体霊・自由霊などとよばれる霊魂の区分がそれです。
動と不動ははじめから共存したのか、どちらかが先行したのかは、むずかしい問題ですが、私は不動が先行し、のちに動がこれにくわわって共存するようになったとかんがえています。
霊魂と非常によく似ていて、しかも霊魂とは異なる内容をもっていることばに精霊がありあます。次回はこの精霊についてかんがえます。
今回はこの辺で失礼します。