諏訪春雄通信 65
アジア文化研究プロジェクトへようこそ。
勉誠出版が刊行している月刊誌『アジア遊学』の責任編集者の高英さんが、先日、私の家へ用事でおとずれたときに、「先生、若い人むけの売れる企画をかんがえてください」といわれた。おなじような申し出を社長の池嶋さんからも、以前にうけていたので、真剣にかんがえてみることにしました。
といっても、この申し出には二つの困難があります。第一に売れる本ということ、第二に若い人むけということ。どちらも、出版関係者全員が悩んでいる難問中の難問で、私にもよい考えがあるわけはありません。
売れる本がなんらかの形でよい本であることは確かです。問題はよい本がかならずしも売れる本ではないことです。また、若い人たちが、本を読まなくなったという事態は出版サイドだけで解決できることではありません。
いま、書物をつくる側としては、悪い本が売れることはないが、よい本であれば売れることもあるという可能性にかける以外にありません。そのよい本とは、人文関係にかぎったばあい、多くの人が関心をもつようなテーマであること、高度な内容がわかりやすく表現されていること、の二つだと思います。
そんなことをかんがえながら立てた企画の内容をつぎに紹介します。分量は400字の原稿枚数で100枚から150枚くらい、見本原稿は私が現在執筆中です。その見本刷りと執筆要領を添えた依頼状が各執筆者に発送されます。これはあくまでもまだ机上の企画の段階です。なるべく、大勢の執筆者の方々にお引き受けいただければ幸いです。叢書の内容はこれからもどんどん増やしてゆく予定ですので、よいアイデアがあったらご教示ください。この智慧の海叢書が多数の人たちに愛されて永くつづくことを心から願っています。
勉誠ブックレット 智慧の海叢書
浮世絵の方法 諏訪春雄(学習院大学教授)
ハリー・ポッター物語 辻丸純一(写真家)
日本のアニメ 高畑 勲(アニメーション映画監督)
歌舞伎と浮世絵 藤澤 茜(学習院大学文学部助手)
愛して笑って―当代歌舞伎役者物語― 中山幹雄(学習院大學講師)
日本語を叱る 北原保雄(筑波大学学長)
ノーベル賞 若林文高(国立科学博物館主任技官)
江戸の異文化体験 白石宏子(歴史研究家)
小栗街道―ハンセン氏病の道― 乾 武俊(伝承文化研究家)
私の沖縄 外間守善(法政大学名誉教授)
古代の天皇 黛 弘道(学習院大学名誉教授)
差別 寺木伸明(桃山学院大學教授)
古典物語創作法―理論と実作― くすのきあや(作家)
上海OL日記 森万土香(上海中国企業勤務)
神と仏 鈴木正崇(慶応大学教授)
太陽の神話 松村一男(和光大学教授)
パロデー源氏物語 木下聡子(古典文学研究家)
私の愛する中国少数民族 松岡正子(愛知大学助教授)
今回は通信63につづけて、「日中霊魂観の比較」のテーマでのべます。
さかのぼって通信の60で、世界的に霊魂を動く霊魂と動かない霊魂にわける二分法がおこなわれているとのべました。動く霊魂は自由霊、動かない霊魂は身体霊ともよばれ、中国では魂、魄といわれています。ここでかんがえてみたいことは、幽霊や妖怪になるのは、自由霊なのか、身体霊なのか、それとも両方なのか、という問題です。この問題について参考になる文が、以前に通信60で引用した『春秋左氏伝』の「昭公七年」の記事です。この文の内容はつぎのようなものです。
春秋時代のこと。鄭の人たちは彼らが殺害した伯有という人物の亡霊になやまされていた。ある人の夢に武装した姿であらわれた伯有は二人の人物の殺害を予告し、その予告どおりに二人の人間が死んだ。事態を心配した鄭の宰相の子産が後継者を立てて伯有の霊をなぐさめると、祟りはやんだ。人々の質問にこたえて、子産はつぎのように説明した。「霊魂はおちつく所があれば祟りはしないものだ。人が生まれて最初にはたらきだすのを魄という。魄のできたあとで、陽つまり霊妙な精神の働きが生まれ、それを魂という。肉体をやしない、精気がつよくなると魂魄もつよくなる。魂魄が精明になると神々とおなじになる。いやしい男女でも非業な死をとげたときには、その霊魂が他人にとりついて、みだらな祟りをする。伯有は鄭に三代つかえた家柄で、その身をやしなうものも豊かであり、非業の死をとげたのだから、祟るのは当然である」
この文章から、
という二点がわかります。さしあたり、中国古代の人たちは、幽霊は魂と魄が一つになってあらわれるものと理解していたことが判明しました。そこから類推して、妖怪も人間から不当な扱いをうけた事物の、不動、動の二つの霊魂が一つに合体して変化した事物、またはそれらがおこす現象と理解されます。
しかし、妖怪や幽霊のすべてがこれであきらかになったわけではありません。
ことばの厳密な意味で、中国では、妖怪は事物や事象をさし、幽霊は人をさして、明確に両者を区別していました。しかし、日本の研究者のなかには、妖怪と幽霊をわけてかんがえようとする人と、区別しない人がいます。
民俗学者の柳田國男は妖怪と幽霊をわけた代表的な学者です。彼は昭和11年に発表した「妖怪談義」という著名な論文で、妖怪(柳田はお化けとよんでいます)と幽霊をつぎのように区別しました。
これをまとめとると、妖怪は宵と暁に場所に、幽霊は真夜中に人にあらわれるということになります。この柳田の定義はわかりやすいものですが、しかし、まちがっています。たとえば、江戸時代、日本の各地に数多くつたえらえていた代表的な幽霊の話に「皿屋敷」があります。ある家に奉公していたお菊という娘があやまって10枚ある家宝の皿を1枚わって、湯殿(あるいは井戸)で打ち首にされてしまいます。そののち、お菊の亡霊が毎晩出現して、皿をかぞえて9枚目になると泣きだすという話です。そのためにその屋敷の持主は何代も替りますが、お菊の幽霊はその屋敷を去らず、湯殿(井戸)にあらわれたといいます。あきらかに人ではなく、場所に出る幽霊です。
この逆に、人を追いかける妖怪の話もたくさんあります。紀州和歌山の道成寺につたえられる安珍清姫の伝説に登場する清姫は、自分からにげる恋人の旅僧安珍を追いかけ、日高川を大蛇になってわたります。あきらかに妖怪です。彼女は安珍のにげこんだ道成寺境内の鐘を何重にもとりまいて、鐘ごと安珍をとかしてしまいます。人を追いかける妖怪です。
妖怪と幽霊のあいだには、かなり明確な区別がありますが、しかし、両者を区別しない研究者も多くいます。柳田國男の弟子で、ともに日本民俗学の形成に大きな功績のあった折口信夫は、師とはちがって両方を区別しませんでした。折口ははっきりした形では妖怪と幽霊について論じていませんが、季節をさだめておとずれる来訪神〈まれびと〉を論じた有名な論文「国文学の発生」(第三稿)のなかで、まれびとは「祖霊であり、妖怪であり」とのべて、先祖の霊と妖怪とをおなじものとかんがえていました。先祖の霊というのは、人間の亡霊であり、幽霊に転化する存在です。折口は幽霊と妖怪を区別していなかったとおもわれます。
この折口の祖霊・妖怪同一説は師の柳田のきびしい批判をうけています。「私は折口氏などとちがって、盆に来る精霊も正月の年神も、共に家々の祖神だろうと思っているのである」(「山宮考」)とのべて、終生、折口のまれびと論をみとめようとはしませんでした。
妖怪と幽霊をいっしょにかんがえ、区別しない研究者はほかにもたくさんいます。東洋大學の創始者で、妖怪博士とよばれたほどに妖怪研究にうちこんだ明治の啓蒙学者の井上円了も、妖怪のなかに幽霊をふくめていましたし(『妖怪学講義』ほか)、最近では、文化人類学者としてオカルト研究に大きな業績をあげている小松和彦氏も、幽霊を妖怪の一つのタイプとみています(『妖怪学新講』小学館ライブラリー・2000年)。また、2000年の2月に亡くなった民俗学の宮田登氏も両者を分けませんでした(『妖怪の民俗学』岩波書店・1985年)。
妖怪が多様な形象をもち変化に富んでいるのにたいし、幽霊は一見類型的な印象をあたえます。この事実が、両者を区別して、幽霊に妖怪と同等の位置をあたえることを研究者にためらわせています。しかし、幽霊をささえる民俗現象は多様であり、母胎となった物語群は怪奇で複雑です。それらにまでわけいると、幽霊もまた多彩な相貌をわれわれにみせてくれます。
妖怪と幽霊は区別しなければならないし、区別することはけっしてむずかしくはありません。
まず、幽霊と妖怪は区別しなければならないという理由について説明します。理由は二つあります。
第一の理由は、伝統的に日本人も中国人も両方を区別してきており、両方を区別することによって、過去の日本人と中国人の文化と心情がよりよく理解できるということです。妖怪も幽霊も中国で成立したことばであり、中国においてすでに区別がありました。それをうけついだ日本人がことさらに両者を混同しなければならない理由はありません。
江戸時代の化物を多くあつめた絵本の類はほとんど両者を区別していません。しかし、この混交現象は、佛教の輪廻転生思想が一般に浸透した結果で、これをもって日本人が、本来、両者を分けていなかったという理由にはなりません。輪廻転生思想とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天道の六道と、胎生・卵生・湿生・化生の四つの生まれ方をくりかえして、一所にとどまることがないという思想で、この観念によれば、神仏も人も鬼も動植物も、おなじ存在の変化してやまない形となります。
第二の理由は、妖怪と幽霊の区別は人類に普遍的な神の観念の区別に対応しており、両者を混同することは、神の観念の区別をあいまいにしてしまうということです。神の存在証明は不可能であっても、人間が神の存在を信じてきた事実は否定できず、しかもその神についての観念が時代に応じて変化してきたことも疑いのない事実です。その神観念は大きくつぎの三つに分類できます。
自然神
日月星辰や風雷鳴などの天体・気象現象、木石山水や動植物など、自然現象や自然物に、超越的な力の存在をみとめ、これを神とみなしたものです。
人格神
人間を神格化した一群の神々をさしています。男神・女神、創造神・破壊神、英雄神・文化神、農業神・工業神・狩猟神・漁労神、守護神、祖先神などです。
超越神
現世を超越する絶対神です。キリスト教やイスラム教、佛教などの神仏をさしています。
この分類は人類の信仰や宗教の展開をかんがえるうえできわめて重要な分類です。そして妖怪はこの自然神であり、幽霊は人格神にぞくします。妖怪も幽霊も広義の神であるという点では共通しています。しかし、狭義の神とはつぎのように区別されます。
神…………………人間の本質を補完する霊的存在
妖怪・幽霊………人間の本質をあばく霊的存在
これが、私のいうプラスの働き、マイナスの働きの意味です。神は弱い人間が接触し、合一することによって、自分の弱さを神の完全さで補完しようとする霊的存在です。これにたいし、妖怪や幽霊は、多くのばあいに妖怪や幽霊のがわから人間に接触をもとめてき人間と交流することによって、人間の醜さ、弱さ、ときには崇高さを露呈させます。プラスといいマイナスといっても、ともに人間にとっては、生きてゆくためには欠くことのできない力なのです。このことを私たちはしっかりと認識しておく必要があります。
妖怪と幽霊は以上のように共通性をもっていますが、異質性ももっています。もっとも大きく異なる点は、妖怪が自然神であるのにたいし、幽霊は人格神です。人間はながいあいだ、自然の力には勝てないと信じ、そのまえにひれふしてきました。この段階では、自然が神々として信仰の対象になっていました。自然神です。妖怪はこの段階で、不当な扱いをうけた自然神が変化して誕生しました。
しかし、人間が徐々に自然を制御する力=文化に自信をもちはじめ、文化の創造に貢献した、えらばれた人たちを死後に神とあがめる時代がきました。日本では、前方後円墳が広範にいとなまれた4、5世紀のころ、共同体の先頭に立って原始蒙昧を打破してきた族長たちが、強烈な霊能の持主と信仰され、神とまつられるようになりました。人格神の段階です。幽霊は不当な扱いをうけた人格神の変化したものです。
このように妖怪と幽霊の本質をとらえれば、両者の区別はそれほどむずかしくはありません。次回はその問題から通信をはじめます。
今回はこの辺で失礼します。