諏訪春雄通信 66
アジア文化研究プロジェクトへようこそ。
新年1月11日(土曜日)午後2時から開催される公開研究会の講師がつぎのようにきまりました。会場は学習院百周年記念会館小講堂です。
中国古代演劇の誕生 京都大学教授 金文京
歌舞伎と中国演劇 学習院大学教授 諏訪春雄
また、おなじ百周年記念会館正堂ホワイエで、1月9日(金曜日)午後、10日(金曜日)終日、11日(土曜日)終日と、開催する
外山達志写真展「渡来の文化」
の展示作品の選択も、外山さんと私とのあいだで終了し、すでに引伸ばしを業者に依頼しました。みごとな写真展になるとおもいます。多数お見えくださることを期待しています。
この通信の45、55でふれたことのある『新日本古典百選』(仮題)の企画にようやくゴーサインが出ました。出版社は、教科書出版の最大手、東京書籍です。長期間、慎重に何段階もの審議をかさねていただき、そのために必要な資料を、私も幾度か提出してきました。最初の構想とやや異なり、性格は大きな辞典のようなものになるとおもいますが、日本人がぜひ読まなければならない古典百種を新しくえらびなおし、最新の研究成果を付したうえで、もっとも読みやすい形で提供するという根本の精神はそのままに生かされています。
東京書籍からは、以前に私は『芸能名言辞典』を刊行してもらったことがあります。会社の本郷分室という、ちょっとしたシティホテル並みの設備をもった宿泊施設に、院生、卒業生などと何度か合宿して、編集作業をおこなったなつかしい思い出は忘れることができません。
しかし、夢よふたたび、ではなく、新しい夢を創造するために、この企画にとりくむつもりです。今回の古典百選の内訳は文学作品50点、宗教・思想・科学などの作品50点となります。その選択もほぼ終わっています。これから、大勢の方々の協力をあおぎながら、長期にわたる、きびしい作業になるとおもわれますが、私にとっては研究者冥利につきる、真にやり甲斐のある仕事です。
よい書物はよい著者とすぐれた編集者の共同作業が生みだすものです。私以上にこの企画に情熱をかたむけ、企画をすすめてくださっている東京書籍編集部の植草武士さんに出会えたことは、私にとっての大きな幸運でした。
通信64につづいて、今回も「浮世絵」についてのべます。浮世絵は、通常、土佐派、狩野派、琳派などなどとならぶ日本美術の一様式とかんがえられています。しかし、このような考え方では浮世絵の本質をとらえることはできません。
近世の初頭、美術の世界では、前記3派のほかにも、初期風俗画派、初期洋風画派、漢画などの有力諸派がひしめきあって活動していました。浮世絵はその各派と同列の一派とみなすことのできない性格をもっています。浮世絵は、画題や画風では土佐派や狩野派、漢画、初期風俗画派、琳派などとかさなり、絵師は初期風俗画派と、活動時期と地域ではほかの全流派とかさなっています。つまり、浮世絵はほかのすべての絵画流派の特色をそなえ、しかもほかの絵画流派ではありえないという、奇妙な性格をもった絵画なのです。
このような浮世絵の本質を規定するためには、通常の美術史の範疇論や様式論を超えた思考法が必要になります。わかりやすく一言で浮世絵の本質を規定するなら、《浮世絵は美術における江戸文芸である》ということができます。
江戸文芸がことばという手段を使用した江戸時代の表現形式であるのにたいし、浮世絵は形と色を使用した江戸時代の表現形式です。ともに江戸時代文化の全容をそれぞれの手段で表現しています。
浮世絵と江戸文芸の共通点をあげてみましょう。
第一に多様なジャンルの特色の統合です。
江戸文芸は、漢詩文、和歌、連歌、儒学、国学、随筆、物語などの伝統文芸を継承しながら、さらに、小説、俳諧、歌謡、戯曲、舌耕文芸などの江戸時代に誕生した新興の文芸形式もあわせて包括しています。しかし、漢詩文以下の伝統文芸は、江戸文芸にはおさまりきれない内容をもち、独自の歴史を形成しています。
これと同様に、浮世絵も、狩野、土佐、風俗画などの伝統絵画様式と、近世にあたらしく誕生した洋風画、琳派、写生画などの新興絵画様式の二つの系統をあわせて統合しています。しかも、これらの各様式は、けっして浮世絵には包摂しきれない画風と絵師をもち、独自の歴史も形成しています。
第二に大小伝統の再生と利用です。
江戸文芸も浮世絵も、ともに江戸時代に生まれ、江戸時代の独自の雰囲気に染めあげられた性格をそなえています。そのなかで、もっとも基本となる性格は伝統の再生と利用です。
近世文芸の新しいジャンルの形成は、すでに成立していた先行文学形式の権威のもとに、その応用や俗化としておこなわれました。ジャンルがゆきつまったときの再生も伝統の力を注入することによって可能になりました。
たとえば、俳諧は近世に新しく誕生した文学ジャンルですが、その母胎になったのは、中世までにすでに形成されおわり、権威をほこっていた連歌とその変容した俳諧連歌でした。井原西鶴によって創始された浮世草子は、そののちの近世小説の展開の源流に位置する小説群です。しかし西鶴自身に新ジャンルをつくりだそうなどという自覚した意図があったのではなく、たんに先行する仮名草子の新版をこころざし、平安文学や中国文学の趣向を多量にとりこんで第一作『好色一代男』を執筆したのです。
中世以前の古典文学や中国古典を大伝統とよび、浮世草子に先行する仮名草子のように近世の先行ジャンルを小伝統とよぶなら、俳諧も浮世草子も、ともにそのような大小の伝統を継承し、再生させることによって誕生しました(諏訪春雄著『江戸文学の方法』勉誠社・1997年)。
浮世絵もこれと類似の誕生の仕方をしています。浮世絵の直接の母胎となった絵画様式は、通信64でくわしくのべたように近世初期風俗画です。近世初期風俗画の成立は16世紀にまでくだりますが、その前提となった風俗描写は、奈良時代の落書き、平安時代以降の四季絵、月次絵、名所絵、中世の絵巻や奈良絵本などの伝統にまでさかのぼることができます。浮世絵のなかには、近世初期風俗画をとおして間接に、あるいは直接に、こうした中世以前の大伝統がながれこんでいます。
浮世絵内部の各様式や流派の消長もまた江戸文芸と相似の形式をとっています。浮世絵の内部に美人画とよばれる表現形式があります。菱川派、鳥居派、懐月堂派、西川派などの主要派閥がひとしく手がけ、個人でも喜多川歌麿、鳥文斎栄之、渓斎英泉などの名手を生んでいます。この形式も、けっして浮世絵が創始したものではありません。中国絵画、平安時代以来の大和絵、近世初期風俗画派などの大小伝統をうけつぎ、それらに利用と再生の手がくわえられることによって、浮世絵の美人画は誕生し、その後の変遷の歴史をきざんでいます。
浮世絵各派の歴史も大小の伝統の継承によって形成されました。鳥居派は17世紀後半の初代鳥居清信にはじまって現代にまでつづく浮世絵流派最大、最長の派閥です。芝居絵、役者絵を専門として出発しましたが、美人画、風俗画などの分野にも進出してゆきます。その画風の基礎になったのは菱川、狩野、琳派、風俗画などの先行する伝統であり、流派の生命が枯渇しかかったとき、懐月堂派や漢画、写生画などの手法を大胆にとりいれて再生をはたしてゆきます。まさに江戸文芸のジャンル再生法と一致しています。
類似点はまだあげることができます。次々回にこの問題をつづけてかんがえます。
今回はこの辺で失礼します。