諏訪春雄通信95
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通信92でとりあげた寄贈本の後にいただいた本を紹介します。
中野三敏氏『本道楽』(講談社・2003年7月)
「半自伝めいた書物を此方から御送りするなど、甚だ以て無礼千万の所業であること、十分に承知しているものではありますが、本書中、御名前を用いさせて戴きました諸兄姉諸先輩の方々に限っては、やはり御礼の意味において、まずは御送りすべきかと存じ…」という丁寧な手紙が添えられていました。
恐るべき博覧強記、学識の書物です。国文学の世界で愛書家といわれる人たちは多くいました。愛書家とは、内容はもちろんですが、物としての書物そのものを愛する人です。私もかなり和本の類はもっていますが、私の場合はまず内容であって、書物の形体、紙質、刷りなどは二の次です。私には愛書家といわれる資格はありません。中野さん(九州大学教授を経て現在福岡大学教授)は、国文学界最後の愛書家とでもいうべき人です。専門は近世の中期文芸ですが、その蒐集範囲は近世の和漢書から一枚刷り版画などのすべてにわたっています。
本書にあらわれる氏の収蔵書には、私など名前も知らなかった本が多数あります。三万点におよぶという、それらの和本の蒐集の過程で氏が出会った多くの古書店の主人、収蔵家、そして研究者が、思い出とともに登場してきます。ほとんどは、私も知っている方々ですが、古書店主だけは知らない方々のほうが圧倒的に多数です。
中野さんは、国会図書館の近世関係の和本のすべてに眼をとおすという大願を立て、それを実行したという伝説のある人です。国文学という学問がまだ輝きをうしなっていなかった時代に、その王道を歩んだ人の生涯の記録として、この書は記憶されなければならない一冊です。
姜春愛氏『儺と仮面戯劇文化』(中国戯劇出版社・2003年6月)
姜さんは韓国人で、台湾の大学を出られたのち、北京の中央戯劇学院で文学博士号を取得し、現在は韓国東国大学兼任教授、韓国シャーマニズム研究学会副会長などをつとめています。韓国、中国両語のほかに片言の日本語も話せ、中国での儺戯学会によく出席されて、私もしばしばお逢いしています。
あまりうまくない日本語で一生懸命話しかけてくるのが印象にのこっています。彼女は学会に出席されても発表などもされませんでしたので、研究者としてこれだけの書をまとめられる人とはおもいませんでした。不明のきわみです。
本書は、1988年にはじまった儺戯学会関係の研究成果をじつによく蒐集整理し、儺とそこから発展した芸能、演劇の歴史がみごとに整理されています。中国の関係文献はもとより、韓国、日本の研究も必要十分なものが引用されていて、私がこの学会で発表した論文など、私自身の記憶が定かでないものまでが整理、紹介されています。
とりわけて新しい見解が披瀝されているわけではありませんが、儺にかかわる精神、祭祀、芸能を、儺之意、儺之礼、儺之戯の三者に区別してその展開をあきらかにするなど、並々ならぬ整理能力が感じられます。
15年を超える、中国における儺の研究史の集成であり、現在の研究水準をしめしております。きわめて便利な書が刊行されたものです。
大阪音楽大学音楽博物館『年報 音楽研究19巻』(大阪音楽大学 音楽博物館・2003年7月)
義太夫浄瑠璃の三味線としてその名をうたわれた二世鶴澤道八師(1879〜1970)が収集していた1600点あまりの浄瑠璃関係書は、現在、大阪音楽大学の音楽博物館の所蔵になっています。本書には今回作成された、その詳細な目録がおさめられています。
丸本282点、段物集8点、稽古本1184点、床本75点、三味線譜本154点、浄瑠璃関係書46点、番付227点、他浄瑠璃26点に分類してあります。その多くはすでに知られて、研究者が利用していたものですが、このようにまとめられますと、関係者のご努力にあらためて頭がさがります。
早稲田大学演劇博物館『芝居絵に見る 江戸・明治の歌舞伎』(小学館・2003年7月)
図版中心、127ページの小冊子ですが、要領よくまとめられた歌舞伎の概観書です。歌舞伎誕生400年の記念出版として刊行されたもので、豊富なカラー図版が楽しい書です。若い研究者が解説を書いていますが、いずれもよくできており、ことに鈴木英一さん執筆の上方の歌舞伎の章が大坂歌舞伎の歴史を中心に出色です。監修者の一人内山美樹子さんが贈ってくださいました。
このほかに私も関係した『演劇界 歌舞伎の四百年』(演劇出版社・8月臨時増刊号)、『瓜生通信27号』(京都造形芸術大学学園通信、2003年7月)、権藤芳一『双蝶々曲輪日記 本朝廿四孝』(白水社、2003年7月)なども贈られてきました。
『瓜生通信』は巻頭に田口章子さんの『江戸時代の歌舞伎役者』の合評が掲載されています。その最後は、
団十郎かぶいて夏の入日かな 芳賀 徹
見巧者つどふ今日の客席 諏訪春雄
という連吟の名(?)句でむすばれています。
以上がいただいた書です。私自身でこの数日に購入した書をつぎにかかげておきます。
工藤隆『四川省大涼山イ族創生神話調査記録』ならびにビデオ(大修館書店・2003年7月)
湯本豪一『江戸の妖怪絵巻』(光文社新書・2003年7月)
高牧 実『馬琴一家の江戸暮らし』(中公新書・2003年5月)
森本達雄『ヒンドゥー教―インドの聖と俗』(中公新書・2003年7月)
購入時には斜め読みしておいて、のちに必要なときにとりだして精読するというのが私の最近の読書法です。
前回の通信につづいて中国の幽霊についてのべます。
伝奇小説にみる中国の幽霊の特色
ここで、日本の幽霊と比較するために中国の伝奇小説や志怪小説にあらわれた幽霊の特色をみておきます。はじめはすべて東洋文庫(平凡社)におさめられている書からの引用です。
古代の方術士や道士は死者の霊魂をよびもどし現世の人にあわせることができた(『捜神記巻二』)。亡霊は人を殺害することができたが、黒い鶏を膏薬にして身体に塗ると殺害をまぬがれることができた(『捜神記巻二』)。亡者は天帝にうったえてこの世の人間をいざりにすることができた(『捜神記巻三』)。
幽鬼はこの世の人間に赤い筆をあたえて寿命をのばすことができた(『捜神記巻五』)。亡霊は生者の夢枕に立ちさまざまな願いや意志をつたえた(『捜神記巻十他』)。幽鬼は疫病を流行させるが、好意をもつ亡霊からおくられた、方相氏の脳みそでつくった丸薬を門の戸にぬっておくとその害からのがれることができた(『捜神記巻十五』)。
幽霊は現世に出現して幽霊の存在を否定する人と幽霊の存在について議論した(『捜神記巻十六』)。幽霊はしばしば自分の家にかえり生前と同様な生活をした(『捜神記巻十六』)。死者の顔に墨をつけると幽霊になってからも墨のついた顔で出現した(『捜神記巻十六』)。幽霊は集団であらわれ現世の人の石弓で撃退された(『捜神記巻十六』)。幽霊は琴を上手にひくことができた(『捜神記巻十六』)。
また酒を飲んで酔っぱらった(『捜神記巻十六』)。幽霊は体重がかるく、ほかのものに化けることができたが、人間の唾によわく、唾をつけられると化ける能力をうしなった(『捜神記巻十六』)。幽霊の女は現世の男と結婚し、子どもを生むこともできたが、定めによって結婚生活は三年が限度であったが、三年正体を見破られなければ人間になることができた
(『捜神記巻十六』)。毎晩男のもとへおとずれ、切りつけられて傷を負った女の幽霊もいた(『捜神記巻十六』)。
幽霊も恥ずかしがって顔を赤らめることがあった(『幽明録』)。魂呼ばいの声に死者はふりかえりふりかえり天へのぼってゆく(『幽明録』)。家族のもとにあらわれて生活の面倒をみながら長期間いっしょに暮らす幽霊もいた(『幽明録』)。亡者に魂をぬすまれたために死んだ老人が、亡者から魂をかえしてもらって生きかえった(『幽明録』)。一度死んだ男がこの世にのこした子が心配で閻魔にたのみこんで三〇年の寿命をもらって生きかえることができた(『幽明録』)。
幽霊の姿を見る能力をもつ人間がいる(『幽明録』)。危険な井戸の在り処をおしえて、息子の命をたすけてもらった恩返しをする幽霊がいた(『幽明録』)。娘が首をつろうとするとその縄をひいて力を貸す幽霊もいた(『幽明録』)。妻の幽霊が生きている夫があたらしい妻をめとったことを怒り墓作りをさまたげる(『幽明録』)。幽霊はいやがらせをしたり恩恵をほどこしたりする(『幽明録』)。男性の幽霊が欲情して侍女の夢にあらわれた(『幽明録』)。腹のへった幽霊はこの世の人間にいやがらせをして食物にありついた(『幽明録』)。
公金横領の汚名をきせられて死んだ男の亡霊が白昼に役所にあらわれ、書類を計算しなおして名誉を回復する(『列異伝』)。
夫が下女を後妻にして自分の子どもたちを虐待しているのに怒った先妻の亡霊が、旅の男を味方につけて後妻に油断させ、後妻を殺害する。そのあと亡霊は男に絹を礼にあたえる(『志怪』)。幽霊は首をはずして喉から直接食物をつめこむことができた(『異苑』)。幽霊は烏山椒の香と木靴の音をおそれた(『異苑』)。幽霊は姿をみせずにこの世の食物をぬすんでたべることがあった(『述異記』)。
亡霊はこの世の人間の生気を皮ぶくろで吸いとりころすことができた(『述異記』)。現世の人間にだまされてこわがらせる積りでお金を家になげこむ幽霊もいる(『述異記』)。碁をうちたくてまだ生きている碁の相手をあの世につれ去った幽霊がいた(『述異記』)。亡者は生者の耳から体内にはいり、ひきがえるのような形の魂を体外におしだしてころすことができる(『述異記』)。
以下は『中国古典文学大系』(平凡社)によります。
結婚式をあげることなく死んだ娘の亡霊が、妹の身体をかりて出現し、男と一年あまり同棲したのち、妹と男を結婚させてあの世へかえる(『剪灯新話』)。死んだ女が現世に出現して男と毎晩契りをかわし、正体を見破られたのち、男をあの世へつれさる。のち、法力にすぐれた道人の使役する符吏によってとらえられ、男とともに地獄へおくられる(『剪灯新話』)。
旅に出た夫の留守中、貞操をまもるために自害した女が夫のまえに出現して、自分が男の子に生まれかわることを知らせる(『剪灯新話』)。遠国で亡くなった女が手紙で父をよびよせて対面するが、父が故郷に墓をうつそうとすると、愛人とともに葬られた墓をはなれることをことわる(『剪刀新話』)。
幽鬼の存在を否定していた男が幽鬼のすむ鬼谷へつれさられてなぶりものにされたあと、二本の角のある鬼の姿でこの世にもどされる。そののち死んで天帝にうったえ、あの世の裁判官になることができた(『剪灯新話』)。道教、仏教をそしる儒学者が死んでホウ都につれてゆかれ、さまざまな地獄を案内され、心がけの悪さをさとされてこの世へもどされる(『剪灯余話巻一』)。
以下は平凡社版奇書シリーズ(1973年刊)によります。
人間に噛みつかれて逆ににげだす幽鬼もいる(『聊斎志異』)。河で溺死した幽鬼は代わりに一人の女が溺死すれば人間に生まれ代わることができるはずであった。しかし幽鬼がその女をあわれんで助けたところ、その思いやりが天帝に達して土地神になることができた(『聊斎志異』)。
亡霊が恩人とともに恩人の郷里におもむき、恩人の子を教育して進士の試験に合格させる(『聊斎志異』)。鬼卒の誤りで寿命がまだあるのに冥途へつれてこられた男は、死体が腐敗していたために蘇生できず、鬼卒の判断で現世の鬼仙(死者の仙人)になり、のち天帝によって冥途の役人に任命される(『聊斎志異』)。
はじめは自分の死んだことに気がつかなかった死者が、家にのこした妻の再婚が気にかかり、亡者の護送車に書かれていた自分の名を唾でけして、あの世の望郷台から逃げだして蘇生する(『聊斎志異』)。この世にのこした老妻の身を案じた夫が、いったん蘇生して妻をともにあの世につれ去る(『聊斎志異』)。
幽鬼と狐がともに美しい婦人となって交互に男のもとへ夜な夜なおとずれる。幽鬼の女のために男は精気をうしなったが、狐妻が丸薬を飲ませて男をすくった。そのののち、幽鬼は他人の身体を借りて蘇生して男につくし、狐妻もなくなったがその子が男に再会した(『聊斎志異』)。虎にさらわれた腹違いの弟をたずねる兄は死んであの世にゆき、弟の行方をたずねたがゆきあわず、菩薩の慈悲で再生し、この世で弟に再会できた(『聊齊志異』)。
十七年前に死んだ女の亡霊がこの世の男と契りをかわしたが、生前罪なくして死に、死んでなお経をわすれなかったために冥土の王によって王家の姫に生まれかわらせてもらう(『聊斎志異』)。
以上、中国の小説に登場してくる幽霊の特色を整理するとつぎのようになる(竹田晃『中国の幽霊』東京大学出版会・1980年参照)。
人間の唾や小便をきらい、桃や小豆、グミなどを恐れる。
幽霊には体重がない。死んだばかりの幽霊は大きく、時がたつにつれて小さくなる。
死んだばかりの幽霊は、冥界のしきたりに慣れていないし、幽霊特有の習性や属性を完全にはそなえていない。
道教や仏教の法力によって幽霊の害をふせぐことができる。道教や佛教をそしる儒学者はしばしば地獄へつれさられた。
幽霊には人間と同様な生理や知覚がある。
明清時代の幽霊のほうがそれ以前より執念や怨念がつよい。
以上のうち、1から3までの三つ以外の特色は、日本の幽霊にも共通しているものがあります。中国で死者の管理に佛教以上に深く関わっている道教の影響を除くと、日本の幽霊は中国の幽霊とよく似ているといえます。
次回以降は日中の鬼についてのべます。
夏季休暇を利用してアメリカから帰国している孫のお供で、明日(27日)はディズニー・ランドへゆきます。私はすでに10回近く、この行楽地を訪れていますが、すべてこの、今は小学生一年になった元気よすぎる孫とその母のお供です。群集の一人と化して、何も考えずにただひたすらついてまわるという体験もたまには悪くありません。そのためにこの通信本文は26日中に作成しています。
今回はこの辺で失礼します。