日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

一覧へ
最新の雑感へ
タイトル付きのリスト
リンクのはり方

前の月へ  / 次の月へ

茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


10/1/2002(火)

おお。十月になってしまった。

別に、月がかわったからといって、どうということはないのだが、今月から駒場でも非常勤もはじまってしまうし、少しすると大輪講もはじまるし、なかなか大変そうなのである。

ついでなので、駒場の講義の情報

現代物理学 --- マクロな系の物理学
月曜日 2 限 (10:40-12:10)
723 教室
内容は、ええと、ええと、内容は、ですね、ま、田崎カラーの強いものになるでありましょう。 もっとも広い意味での統計物理学が主要なテーマとなります。 (といわれても、ほとんど内容はわかりませんな。)

ところで、お送りいただいた資料をいい加減に見た範囲では、この 723 教室というのがどこにあるのか書いていない気がするのですが、この地図にある 7 号館の二階にあると思えばいいのでしょうか? 駒場教務の方? (読んでないか。)


今日は、夕方から生物物理のセミナーを聞く。 「戦後最大級」の台風が近づいているのだが、大丈夫かね?

セミナーへの精神的準備を兼ねて、ずっと読もうと思って机の上に置いてある

Gerald H. Pollack
Cells, Gels and the Engines of Life: A New, Unifying Approach to Cell Function
を少し読もうかな。

(以下、十分後に加筆) と、思ったが、まずセミナーへの物理的準備を兼ねて、コーヒーをのみ菓子パンを食べる。


10/2/2002(水)

昨夜は台風直撃。

セミナーがおわり、正門にむかって歩いていくと時々傘が壊れそうな突風が吹く。

さらに、正門へとつづく煉瓦で舗装したこぎれいな小道の真ん中に、折れた木の大枝が落下して、道を完全にふさいでいる。 思わず、中ボスが出てきて闘うのかと思ってしまった。 (最近は、 RPG とかからもすっかり離れてしまった。なんか、なつかしい。)

正門までがたいへんだったわりに、そこから先は、風も雨も大したことはなく、普通に家まで歩いて帰る。


今日は、午後から、O さんに来ていただいて、最近のお仕事について話してもらう。たいへん、おもしろい。

スケーリング、くりこみ群、臨界次元。

最近は、すっかり離れてしまった世界である。なんか、なつかしい。

すぐそこに中ボスがいる。 思わずいっしょに闘いたくなるが、これは、O さんたちの闘いだから、今ぼくが出る幕じゃないだろう。 もし、加勢が必要になったら呼んでくれ。 (しかし、ぼくが入っても大した足しにはならないか。)

大ボスは、この業界に入った頃から知っていた強敵。 さあて、風景の見え方が少し変わったところで、倒せそうかな???


10/3/2002(木)

732 号室は、7号館2階であると複数の方からご回答いただきました。 ありがとうございます。

ついでですが、著者の一人が宣伝されていたのを見て、 Nakano-Makino 論文をダウンロードしてみた。 パッとみただけですが、確かに、面白そうな話みたい。 こういう話については常識ゼロなのだが、今度時間のあるときに、この r^{-1/2} のふるまいが出てくるからくりを理解してみよう。


新学期のはじめは、夏休み前の一学期の期末試験を受け取りに来た学生さんたちでぼくの居室がにぎわう。 今年はとりたてて物議をかもすようなこともなく9/4/2001 参照。あ、もう一年以上になるんだねえ)、学生さんが訪れるピークも過ぎ去ったようだ。 それにしても、不本意な結果におわってがっくりしている学生さんと接するのは、教員をやっていて、つらい瞬間のひとつである。 (逆に、試験をもらって大喜びする学生さんをみるのは楽しいですね。 ちなみに、もっともうれしそうにするのは、100点とかを取った人ではなく、猛烈に危ない橋をわたってぎりぎりで50可を取った人です。)

さて、試験を返していてうれしかったのは、今年の一学期、新たな教え子となった化学科の学生さんたちのなかにもこの「雑感」の読者がいらっしゃると知ったこと。 化学科のみなさんとは、授業でお会いすることは(単位を落としていない限り)もうないでしょうが、なにせご近所なので、実験なんかをしていてもしょっちゅう顔をあわせることになると思います。 どっかで出会ったら挨拶でもしてやってください。


せっかくなので、一学期に化学科の電磁気を教えた感想とかを少し書いておこう。

まず、よく言われることですが、物理学科と比べると、化学科の方が男女の存在比が生物学的に自然な比率にずっと近いという事実があって(←女の子が多いってことだけどさ)やっぱり雰囲気がちがう。 さらに、こちらが知っている学生さんももちろんいないし、学生さんたちもぼくのことはあまりご存じないようだし、で、最初はかなりかたい感じであった。 なんとかぼくのペースに持ち込もうとギャグとかをとばしてみても、最初の頃はほとんどが不発に終わってしまう。 やたら縦に長い教室の(そうそう、ぼくの嫌いな縦長の教室で、うしろの学生さんたちとの距離がやたら長いんだ)奥の方に不発のギャグがしいいいんと染み込んでいくのがひしひしと感じられるんだなあ。

ま、それでも、一部に密かに目で受けてくれている人もいるし、ギャグとは関係のない講義の部分も(って、そっちが大部分だけどさ!)一生懸命うなずきながら聞いてくれている人もいるし、めげずに、ぼくはぼくのペースの講義をつづけていた。

そうしたら、いつ頃だったか、なんかのギャグが、二、三人の女の子にやたら受けて、それをきっかけに、クラスのリアクションが猛烈によくなってしまった。 リアクションがよくなると、こちらもよりリラックスして、自分のペースのトークができるようになってくる。 最初の頃は、物理学科の授業に比べると化学科の授業は反応がなくて寂しいな、とかぼやいていたのだが、こうなってくると、かえって化学科の方が反応がいいくらいになってしまったから驚き。

やっぱり、そうやってリラックスしてギャグをとばせるくらいになると、講義でのくたびれ方というか精神的負担はずっと軽くなるものです。 そうなると、やっぱり、講義の実質の方もよくなっていったような気がする。 いや、もちろん、ギャグに受けてくれようと何だろうと、やるからには、プロとしてつねに最高の講義をやろうと思っている。 でも、やっぱり人間だから、そういうメンタルな面に左右されるところが多少あるのですね。

というわけで、これからぼくの講義をとるみなさんは、講義の内容を高めるためにも、どうか、暖かく聞いてやってください。 (←自分勝手な強引な結論。)

肝心の電磁気学の方だけれど、例によって、既存の教科書の教え方は能率が悪いし不親切だと力説して、二、三、新しい試みを導入してしまった。 鏡像法の扱いについては、いずれここあたりに真面目に書いて議論しようと思う。


10/4/2002(金)

きのう、何を思ったかメールソフトの Eudora Pro を 3.1 (めちゃ古)から、4.2 (実は、これも相当古い。昔買ったままインストールしていなかったので、悔しいので入れた)にバージョンアップしたのだが、みごとに、送信メールの記録が消えてしまって、たまりすぎているから消してすっきりさせてくれたという真心だろうけど、やれやれと思っていたところ、今朝になって立ち上げようとしたら、なんか知らんが、シリアル番号とかパスワードを聞いてきた。 昨日はちゃんと入力してそれで動いていたわけで、まさか、毎朝あの馬鹿長いパスワードを入力させるという仕様でもあるまいし、なんだ、これは? おまけに昨夜家にマニュアルを持って帰ってうっかり置いてきてしまったので、パスワードわかんない。 他のソフトを設定すればいいのだろうけれど、あまりに面倒なので、今日は夜に家に帰るまでメールは見ないことになってしまいました。 昨夜11時以降、急ぎのメールを送られた方、申し訳ありません。 (ちなみに、理論的には、今夜から家のネットワークが ADSL 化されるので、気楽にメールの読み書きができるようになるのだ。 理論的にはだけどね。(←理論家だから、それで十分というわけにはいかない。)


と、書いた後、午前中は授業をしていた。 その間、これを読んだ人で Eudra に詳しい人から「あ、あのバージョンにはバグがあって・・」みたいなメールが来ていて対策とかわかるかも、とか思っていたのだが、考えると、メールは読めないんだよな。
「熱力学:現代的な視点から」 出版から二年半で第四刷。

「思ったより売れている」などと言っては、ばちがあたる。 予想だにしなかった成功だと思う。 支持して下さったみなさん、どうもありがとうございます。

いっぱい売れなくてもいいから、末永く入手可能な本でありつづけてほしい。


あっれえええ。

今やってみたら、何にもしないでちゃんと Eudora Pro が立ち上がったぞ。

さすがバージョンアップして、人間らしく、気まぐれになったのか。


10/5/2002(土)

私事で恐縮ですが、自宅の ADSL は、昨夕、理論どおりに開通。

「コンピューターでの物事は、かならず理論どおりにはいかない」という「理論」どおりにはならなかったわけだ。 (だから、・・・以下略

それにしても、自宅にいて、ネットワークにつなぎっぱなしでメールの読み書きやファイルのやりとりができる --- というのは、猛烈に便利ですね。 これほどの感動は、自宅の MacPlus を 1200 baud のモデムにつなぎ、電話回線で某大学の計算機に接続して、メールを読み書きできるようになった時以来か。 あのころは、それでアメリカとメールを頻繁にやりとりできるようになって、メールで共同研究をすすめ、Kennedy-Tasaki の「量子スピン液体における隠れた対称性の破れ」の理論が完成したのだ。 今度は、どうよ?


10/7/2002(月)

駒場の講議の初日。

新しい講議を始める前は、いつでもだけど、気が重い、というか、緊張するというか。 なんとはなしに、ぎくしゃくしてしまうのだ。 自分を元気づけてモチベーションを高める最良の方法は、けっきょくは、講議でのりのりで話しているつもりになって話の内容や話術を頭のなかでシュミレーションすることなのだけど。

教務課が移転していると勘違いしたため(ぼくだけじゃなかった!通知の仕方がまずいぞ。)マイクをとりに行くのでてまどり、かつ、講議の寸前に余分な体力を使ってしまった。 教室に行くと、佐々さんまで来ていたので、驚いた。 教室はやや大きすぎると思うが、ま、声が届かないほどではない。

最初なので、物理とはなにか、みたいな話をしていると、話し過ぎて中身のあることをやる時間がほとんどなくなってしまった。 ま、半ば、予定通りと言えないことはないけど。

反応は、まずまず。 せっかくなので、出てくれている人たちも、ぼくも楽しめる講議にしたいものだ。


講議のあと、佐々さんらと食事、議論。

SST 検証実験の可能な設定について、真剣に考える。

今まで、実験の設定は実験家まかせにするつもりだったところがあって、深く考えていない部分もあったみたい。 今回は、甘かった考えをつめなおすいい機会であった。 最後の方になって、ちょっとナイスなアイディアがでた、かもしれない。


「隠れ田崎ファン」という方にお会いする。

やっぱし、場所によっては、隠れないとダメなのかなあ?

「おまえ、さっきから、しきりに『普遍性』とか口にしておるが、まさか『隠れ田崎ファン』では、あるまいな?」

「めっ、めっそうもございません、私が言ってたのは、変わらないっていう『不変性』の方で、universality の『普遍性』のことじゃないんです。」

「ふうむ。あやしいのお。無実だと言うなら、この『熱力学:現代的な視点から』を踏んでみい!」

もちろん、無理しないで、どんどん踏んで下さいね。 (よごれたら、新しいのを買って。)
10/9/2002(水)

ほお。

小柴先生がノーベル賞か。

研究対象もかなりちがうし、研究のスタイルにいたっては、似ても似つかないけれど、何にせよおめでたいことである。 考えてみると、ノーベル賞受賞者とお会いしたことは何回かあるけれど、もともと知っていた人がノーベルをとるのは、これが初めてかも。

また、ああいう巨大基礎科学と呼ぶべき分野についてもいろいろと思うことはあるけど、やっぱり、あんな見えにくそうなものを、なんとか工夫して、最低限の手間と予算で(といっても巨額なんだろうが)実際に見えるところまで持っていってしまうというのは、すごいことだと素直に感心。 初期の目標だった陽子崩壊がちっとも見えないので、気分をかえて、太陽ニュートリノでも見ようかと設定をかえたらほどなくして超新星が現れた、しかも、それが小柴さんの定年の寸前だった --- というのが、アメリカにいた時に日本から来た友人に聞いた話。 そういう幸運っていうのも科学者の才能のうちなのだよ、きっと。

というところで終わりにしてもいいのだが、十五年前に超新星からのニュートリノをみた初代カミオカンデについては、当事者から、ほぼリアルタイムで、苦労話、愚痴、さらには愚痴以上のものを聞いたので、なんとなく複雑。 いくらノーベル賞をとったって、すべてが美談に変わってしまうということもないだろうと思う。 「今だから言える」的に、いろいろな話が出てくるのも一興かも。


しかし、ニュートリノとの抱き合わせが X 線天文学なのですねえ。 これは、ちょっとなあ。

最近のノーベル賞は、業績のみならず、じょうずにバランスのよい三個入りのパッケージが作れるか、というスーパーマーケットの野菜売り場のような要素が重要になっている、とかいう悪口もある。 今回の場合は、ニュートリノと X 線で別々の賞にしたくないと思って、人数をしぼっていったというか、人数がしぼられていく(死亡られていく?)のを待って、なんとかニ種類の詰め合わせ三個入りを実現させたっていうことなのかな? ぼくは、何も知らずに書いているのですが、事情通のみなさん、いかが?


などと書いているうちに、なんと化学賞も日本の方ではないですか。

こちらは、なんか、とても普通ではなくて、おもしろい話になってきた感じ。


10/11/2002(金)

理学部長の小谷さんの発案による「ミニ講演会:今年のノーベル賞」

ノーベル物理学賞と化学賞が大きな話題になっているものの、テレビや新聞の解説はあまりにおそまつ。 せっかく知的興味をもってもなにがなんだかわからない。 学生さんたちがかわいそうである。 せっかく物理と化学の専門家がそろっているのだから、ごく簡単な解説をする場をもとう。
との趣旨は正しい。 教育的に意味がある。

しかも、昨日の午後にそれを思いつき、すばやく人に声をかけ会場をおさえ宣伝し、今日の夕方に実行してしまう迅速さもすばらしい。 もちろん、ご本人などが登場する講演会には独特の意味があって見せ物効果も大だと思うけれど、手近なところで素早く多少なりとも正確なことが知りたいと思うのは自然で、そういう人にはこういう会は大いに意味がある。

しかし、急に昨日の午後に電話してきて

江沢さんがつかまらないから、おまえが物理学賞を解説しろ
ってのはなあ・・・

とはいえ、江沢さんが無理なら、そういう「エンタテイメント+はったり+(一応の)基礎知識」系は、私の不得意とするところではないし、 日頃からお世話になっている小谷さんからのご依頼だし、やるしかなかろう。


というわけで、今日の5時から、即席のノーベル賞解説をやってきました。

さすがに関心は高く、階段教室がびっしりとうまって、上の階の座席にも人が入り、入り口にも人がびっしり立っているという大盛況。 日頃お世話になっている事務職員の方もいらっしゃるし、年輩の女性もいらっしゃるし、お、学長もいらっしゃった。 どうせなら、自分の話で集客したいものであるが、ま、こういう企画なんだからしかがたない。

理学部でやる以上、ただの「お話」にはしたくなかったので、リン 32 原子核が硫黄 32 原子核と電子に分かれるベータ崩壊の反応式を書き、エネルギー+運動量保存則が破られているかにみえたことを説明し、1930 年の Pauli の neutrino の予言を説明。 そこらへんから次第にピッチをあげ、neutrino の基本的性質を説明した後、二十数年後の実験による発見に触れる。 以上が、ノーベル賞の仕事の前の予備知識。 つづいて太陽のエネルギー源が核融合であること、そこからneutrino が発生することを軽く述べ、Davis については、根性で太陽ニュートリノを観測したとだけ説明。 彼の方法は涙がでるようなすごいものだから、話し出すときりがない。 そこから、ま、やはり小柴さんへの関心が高いわけなので、Kamiokande のプロジェクトについて、やや詳しく解説。 陽子崩壊がみえずに、太陽ニュートリノの観測を始めたところ、そのわずか二ヶ月後・小柴さんの定年退官の一ヶ月前に(肉眼で見える超新星としてはケプラーの時代以来の)超新星爆発がおこり、それが観測されたことを、脚色して、べらべらと。 これで時間切れなので、その後の super Kamiokande とニュートリノ質量の話題にわずかに触れ、X 線天文学の方は、さわりだけ。 10分から15分といわれていたけど、20分。 ほぼ計画どおり。 聴衆の反応もよく好評であった。

ま、プロの物理学者の看板を掲げている以上、どんなテーマであろうと、即興でこの程度の解説ができるのは当然のことですがね。ふっ。

といって終わってしまうのは知の欺瞞でありまして、もちろん、すべてはにわか勉強の成果どす。

昨日は、あわてて学部時代に読んだ素粒子の本や、最近購入した 新物理学シリーズ33「素粒子物理入門:基本概念から最先端まで」渡邊靖志(これには神岡実験の成果なども書いてあるのだ(このシリーズにはいい本が多いねえ))を読んでニュートリノの復習をし、さらに、深夜までノーベル財団のページにあった advanced information を読んでお勉強するという一夜漬け。 いや、ベータ崩壊の式については、今日の午前中の授業がおわってへたばりながらお弁当を食べるかたわら昔 Princeton で授業に使っていた本で調べ、さらには、人づてに聞いていた太陽ニュートリノ観測への切り替えと超新星爆発の絶妙のタイミングのエピソードについては寸前に小柴さんのインタビュー記事を発見して、確認。 その割には、熟知していたことのように話すところがプロやね。

さらに、プロのエンターテイナーの看板を掲げている以上は(←いつ掲げた?)、こういう不特定のお客さんを集めた会では、ときおり笑いをとるためのネタを事前に吟味しておいたことはいうまでもない。 まず笑いをとるための冒頭のつかみのネタをはじめ、小ネタはいろいろあったのだが、ぼく個人として(あまり面白くないのはわかっているが)気に入っているのは、神岡市に新しいスーパーマーケットができたら、

スーパー・カミオカンデ
と名づけよう、というもの。 スーパーの袋はこんなで、ポイントカードが・・・とか、いろいろ想像しているとなんとなく楽しいでしょ。 (ぼくだけかな?)

けど、やっぱり、一番うけて、客観的に考えてもたしかに一番おもしろかったのは、講演会のほんと直前に某 web 日記で仕入れた神岡市からの最新情報。

ノーベル賞でにわかに脚光をあび、喜びにわきかえる神岡市。 町のいたるところに「ノーベル賞おめでとう!」といった垂れ幕がある。 そのひとつに、

ニュートリノ発祥の地
とあったそうだ。 (発祥はしてないって。) ここで大いに受けてもらっただけでも、ベータ崩壊や Pauli の予言にさかのぼって解説した甲斐があったというものである。 (元ネタは、こちらの日記
10/14/2002(月)

金曜日のミニ講演会では、当然ながら、化学のスタッフによる化学賞の解説もあった。

小谷さんの解説で、田中さんの質量分析の話がおおむね分かったのは有益だった。 ドイツを中心に近年大きく発展してきた技術があり、その源流に田中さんが位置していたということのようである。 小谷さんも、その方法には注目して文献を調べていたが、田中さんがそもそもの発明者であるという認識は持っていなかったそうだ。

金曜日の朝、(ノーベル賞の宣伝効果を利用すべく)さっそく島津製作所が田中さん発明の装置を小谷さんのところにセールスに来た、というエピソードには笑った。


金曜日の過労と(おそらく)軽い風邪で、週末は不調。 家族のために使う時間も多く、あまり仕事にならない。

というわけで、あとはイントロを書くだけ、の状況に達したまま、またまた放置してしまっていた Hubbard 強磁性の論文(いわゆる「世紀の代論文」です)のイントロを書く作業を、ついに、はじめる。

Heisenberg にさかのぼって歴史を眺め、その最後に、自分の仕事を自信をもって位置づける。 正直なところ、心地よい作業であります。 心地よいと感じると、自然にモードが切り替わるらしく、すいすいと筆が進む。 (ぼくは、英語を書くときも、紙に鉛筆で汚く書いて、それからテキストエディターに(修正しながら)書き写す。) ずっと書き出せずにいたのが嘘のよう。 今度こそ、一気に論文をしあげてしまおう。 そして、こんな(過去の貯金に依存した)「心地よさ」はあっさり忘れて、どう位置づけられるかわからない仕事にこそエネルギーを使おう。


10/16/2002(水)

今日から大輪講がはじまった。 二ヶ月ほど、水曜日の午後は、四年生の卒業研究の中間報告をじっくりと聞くことになる。

こう書いていると、なにか、毎年ほぼ同じようなことが繰り返されているという錯覚に陥って不思議な気持ちになる・・・・

のも当たり前で、まさに、毎年ほぼ同じようなことが繰り返されているのであーる(10/23/2001)。 それが教育システムというもの。

とはいえ、今年は、学生さんの質問が猛烈に気合いが入っている。 つっこみどころ満載の発表をしてくれても、ぼくらがつっこみを入れる余地がないほど、学生さんの質問がでまくるのは、すばらしいことだ。


例のものの写真だそうです。 わざわざありがとうございます。

なんか、町役場のおじさんが気合いで筆でぶっとく書き上げた縦書きの垂れ幕みたいなのを想像してた人が多いんじゃないでしょうか? いや、別にだからどうってことはないけど。


SST

何もしていないようで、少しずつ、手元に道具や材料やがらくたが蓄積していっているのだ。 (半分以上は佐々さんのおかげだけど。) ぼくにとっては、まだ、バラバラのピースなのだが、これらをうまく組み上げて、すてきなおもちゃが作れそうな気が時々している。 一年前、闇雲にできることをやっていた(そして、いわゆる論文ネタを作っては捨てることを繰り返した)頃から思うと、比べものにならないほど、まわりにいろいろな素材が転がっている感じ。 ささやかな快感である。

外を歩きながら、うまいおもちゃの組み立て方をあれこれ工夫している。

うまくいったとして、しょせんは、おもちゃなのだけど、手頃なおもちゃで遊ぶことは、本当に重要なステップ(が可能だとして、それ)を踏み出すための最高の方法なのです。


10/20/2002(日)

今週(というか、先週というか)は、大輪講をのぞけば講義がひとつもない平和な週だった。 (休日とか競技大会とかそんなので、講義がつぶれた。(こんなんで、いいのかよ?))

そういうときは、長文の日記を書きまくるかというと、なんか、ちっとも書かなかったですね。 (ノーベル賞に関連した駄文を書くはずだったのだが。) 逆に、明日の講義の準備や、佐々さんと会って議論するための予習なんかに追われている深夜になると、書き始めるから、人とはおかしなものであることよ。 これからの週は、講義もあるし、会議もあるし、ついには、週末の学習院大学オープンキャンパスで受け付けに座る係まであるしと、もう大変です。 どの程度日記を書くか、興味の尽きないところだ。


SST の摂動で扱えるおもちゃ作成もまずまず。 佐々さんは driven lattice gas を見放しているようだが、私は、しつこい。 (というより、ようやく、あたりの景色が見えてきたのである。)

つめに行こうとした段階で発想の微妙な転換があり、たとえば一次元の格子ガスなどで定常分布が与えられたとき、一般的に熱力学関数を求める処方がそこにあることに気づく。 かつてぼくが提案した化学ポテンシャルの非破壊測定と、最近、佐々さんのアイディアをぼくがまとめなおした熱力学の決定法とのハイブリッド。 (と書いて理解できるのは、世界でも、いや、宇宙でも、佐々さんだけだろな。) きわめて具体的な計算が可能なので、その点では、有望。 物理的広がりについては、未だ、不明。


10/21/2002(月)

駒場の講義。

直前まで迷っていたが、けっきょく、パーコレーションでの相転移の存在証明(厳密でっせ!)をやってしまうことに。 思ったより時間がかかる。 なかなか本題に入らないといいながらも、だんだんイメージがわいてきた。

いろいろなおもちゃで遊ぶうちに、いくつかの本質的なものの見方や考え方が身に付く講義
というまとめ方はどうだろう?

と明文化してみると、まるで生活科のようで気が抜けるなあ。


佐々さんの講義が始まるまでの時間をつかって SST 関連の議論。

和田さんと佐々さんのずり系の計算の結果をかいつまんで教わる。 いっけん予想外の結果かと思ったが、ぼくが野蛮人的素朴さで思い描いていた、熱力学と長距離相関の共存のイメージと、それほどずれてはいないことを確認。 一安心。


清水さんとも雑談。

既存の統計力学の教科書の導入部分は、みんな、ピントが外れているという点で大いに意見の一致をみる。 いったいなぜ前の世代の多くの人々は、エルゴード性を統計力学の基礎付け部分に使うなどという世迷い事を真に受けてしまったのだろう? これは科学史の問題として面白い気がするが、それ以上に、この誤解を追放すべくがんばるのがぼくらの使命(のひとつ)であろう。

と言ってしまうと、書かなくてはならない本たちのことを思い出してしまう。 あ、あと、「数学辞典」の統計力学の項目を書かせていただくということになっているのだ。 こればっかりは締め切りを守ってちゃんとやらないと、紙魚の祟りが待っているからなあ(その1(8/22/2001)、その2(23)、その3(24)、その4(31)) むかしお世話になった数学辞典に申し訳ないよね。


ぬぬ。 昨日の方針(仮想的な方向に1次元系を積み変動ポテンシャルをかける)で求めた化学ポテンシャルは、ずっと昔の非破壊接触測定の化学ポテンシャルとぴったり等しいぞい。 整合した熱力学をもち、なおかつ、化学ポテンシャルが接触でも意味をなす例が得られと思うべきか? それとも単に自明な結果か?
10/22/2002(火)

一昨日の方針で求めた化学ポテンシャルが、ずっと昔の非破壊接触測定の化学ポテンシャルとぴったり等しいのは自明であった。 ストレートに求めれば一発ででてくる量を、わざわざ微分を求めてから、積分するというごていねいな手続きで導いていたことに今朝気づいた。 (←そういうことは、日常茶飯事。 遠回りしたことは人に言わず、ストレートな結果だけを表に出せばよいのである。) いずれにせよ、特殊なモデルではあるが、弱い意味での SST Kelvin が成立し、かつ、平衡系との接触でも意味のある化学ポテンシャルがあり、圧力と化学ポテンシャルは Maxwell 関係式を満たす例が得られたことになる。


これだけでは、誰にもわからない日記になってしまうので、眠いけどもうちょい。

悪魔の発明・両側コンセント(8/12, 8/13, 8/14)ファン(←いるか?)のみなさんにニュース!

両側コンセント(しかも長いやつ!!)を作ったことがあるという方の掲示が、かの星雲賞 SF 作家野尻さんの掲示板にでています。 こちらの掲示板では、ここのところ、両側コンセントの話題が少しでていて、実用的な使い方なども提案されていますので、両側コンセントファンの方(←いないって)は、ぜひごらんあれ。


10/24/2002(木)

いやあ、大輪講は、本当にためになる。

考えたら、ぼくの膨大な耳学問のかなりの部分が、毎年、大輪講を聞いてつっこみを入れながら培われたような気がする。

昨日は、(前から知りたかった)光ピンセットの原理、摩擦放電についての基礎知識、ナノテクの表面化学反応の現状などの豆知識を獲得し、さらに、かの両側コンセントとに負けずとも劣らない悪魔の実験ともいえる

Quantum phase transition from a superfluid to a Mott insulator in a gas of ultracold atoms
Markus Greiner, Olaf Mandel, Tilman Esslinger, Theodor W. Hansch & Immanuel Bloch
Nature 415 (2002) 39
の紹介を聞くことができた。 (注意:両側コンセントとの比較は、冗談です。) 「レーザーで三次元格子をつくり、そこにトラップした原子集団に、Bose-Einstein 凝縮相と Mott insulator 相との間の相転移をおこさせる」と書いてしまうと何でもないようだが(というより、物理の大学院レベルの知識がない人には意味不明)だが、こんな実験、五年前に口にしたらキチガイ扱いだったと思うな。 今でも、こんなことができると聞かされてもにわかには信じがたい。

はじめて聞く話だったが、イントロを聞くなり「いや、そんなもの、真の相転移のはずがない」と山をはる。 で、色々とつっこむべきポイントを頭のなかに列挙していくのだが、論文紹介が進むに連れ、それらポイントが次から次へとクリアされていってしまう。 (発表者は、よく理解してまとめていたと思う。) ううむ。 たしかに Mott insulator 相は、boson, fermion にほぼ関わりのない「古典的」なものと言えるから、これは、確かに BEC 相と Mott 相の相転移なのか --- と、二十分の発表が終わる頃には、質問を一つもしないままに、説得されてしまっていた。


10/25/2002(金)

web 日記で「風邪をひいた」と書いている人があまりに多いので、自分にしか書けないことを書きたいと考えている私としては、風邪をひいたことは秘密にしているのだ。 しかし、1,2時限目ぶっとおしで講義を終えた今も、けっこう元気なので、案外このままなおるのかもしれない。 やはり暖かいものを飲んで体のなかのマクロファージを活性化させるのが効くようですよ。 実は意味はわかっていないのだ。 だが、何年か前にある尊敬する科学者にそう言われてから、「マクロファージを活性化させる」というフレーズがなんとなく気に入っているのです。 どうだ、科学的だろう。 (←風邪気味の上に授業のあとでばてているので、文章に乱れがあることをお許し下さい。)


10/28/2002(月)

最近(いまも)、Charles Ives の Symphony No. 3 と Orchestral Set No. 2 の CD を聞いています。 別に Ives が好き、とかいうわけじゃなくて、というか、そもそもこの人が割と最近の(←聞けばわかる)アメリカの作曲家らしいというくらいしか知らない。 彼が近年のクラシック音楽(←変な言い方)の世界でどう位置づけられるのかとか、この作品が彼の諸作品のなかでどういう部類なのかとかも、なんも知らない。 たまたま、昔なんかの拍子にこの CD を買ってあったのを発掘して何となく聞いているのだ。

で、話はぜんぜんつながらないのだけど、ぼくは日本の女性ヴォーカルのファンとかいうのではないのだけど、熱烈なというより真摯なファンである親友の H などの影響で、荒井/松任谷由美の曲とかもそれなりに知っているのである。 それで思うのだけれど、彼女の曲で何が一番いいかというと、「恋人がサンタクロース」(←松田聖子のカバーはよかった。偏見抜きで聞いてごらん。ぜったいかわいいから。)でもなく、「翳りゆく部屋」(←椎名林檎のカバーはちょっと期待はずれ。いささかやっつけ仕事でないかしら?)でもなく、まして連ドラの主題歌とかの最近の曲でもなく、一抹の疑問もなく、ごくごく最初の「ひこうき雲」に決まっている。 もうそれは議論の余地のないことのような気がする。 彼女は出発点で最高のものを達成し、それから後はプロとして質のよい商品を生産していると言ってしまっていいのではないだろうか?

で、理論物理屋でも、博士論文とか出発点ですばらしい仕事をする人がいて・・・という話をしたいかというと、そうではなく、松浦あやの「ひこうき雲」のカバーはひょっとして結構いいのではないかと、この前テレビで一瞬聞いて思ったということが書きたかったのです。 アニメ顔だし。 H が買って貸してくれないかな?


10/29/2002(火)

これからの時期、学科教務委員には、来年度の授業計画を決定するという気の重い仕事がある。

実は、うちの物理学科程度の規模なら、たいていは、「去年のまま」という自明な解を「第ゼロ近似」として出発し、非常勤講師の交代とか新しい科目を教えたいという希望などを逐次とりいれていくという、「摂動的な」方法が十分に通用する。

しかし、来年度はいろいろな意味で人員の交代があり、摂動的手法では解決できないように見える。 ちなみに、本業の物理の方では、「摂動が使えない問題」というのは、普通に訓練された人が習い覚えた方法で解いてしまうことができない問題ということになる。 そういう問題にこそ、ぼくが燃えることは言うまでもない。 今日も、最後のまとめをやっている(←ずっとそう言っている気もするが、ちゃんと論文草稿は存在するし、着実に進んでおります。(すぐに気がそれるので、進展がのろい))Hubbard model の強磁性の論文も、まさに、決して摂動では解けない問題のささやかなひとつの解決を示したものなのであーる。 さあ、さぼっていないで、早く論文をしあげてしまわねば! (と何かから逃避する私であった。)

前の月へ  / 次の月へ


言うまでもないことかもしれませんが、私の書いたページの内容に興味を持って下さった方がご自分のページから私のページのいずれかへリンクして下さる際には、特に私にお断りいただく必要はありません。
田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp