日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


9/1/2002(日)

八月後半にあったことを、忘れないうちに、少しだけ書いておこう。


Bruno Nachtergaele の訪問(8/14)は、よかった。 短い時間しかいっしょにいられなかったが、学問的なことも、そうでないことも、たくさん話した。 まだまだ話したりなかったけれど。

お互い、時間依存のある問題、平衡への接近や非平衡の問題に向かいつつあることを認識したのは収穫。 e-mail の時代だから、直接会わなくても議論できる、というのは真実なのだが、やはり、直接会って話すのは全然ちがう、というのも真実なのである。

もうちょっと外国にでかけるようにしようかな、という気になりつつある今日この頃。


アメリカ旅行の断片的記録1:

今回のアメリカ訪問は、休暇をとって家族とでかけた私的な旅行だったので、とくに、会議やセミナーはなし。 (その割には、仕事についての議論もしてきたのですが。)

とくに日記として記録するつもりはないので、思いついたことを適当に。


国立の研究所である NIH (National Institute of Health) 、国立の博物館、お役所などの建物では、外の道路との境目にずっしりとみにくいコンクリート製の車止めのブロックが置かれている。 トラックでこれらの施設につっこむという手軽に(?)実行可能な自爆テロをおそれての対策。 凡庸な言い方なのだが、まさしく9月11日以降のアメリカを象徴する光景であった。

ちなみに、このきわめて堅固な車止めのブロックは、Jersey bolck とか Jersey barrier とか呼ばれているそうだ。 かの Princeton のある New Jersey で作られているからその名がついたらしい。 (これだけでなく、New Jersey という州のイメージはあまりよいものではない。 Princeton だけが特異点なのである。)

Washington D. C. では、無骨な Jersey block を撤去し、車止めを兼ねたコンクリート製の重い花台を設置する作業がちょうどはじまった所だった。 またまた超凡庸だけど、こうして、「9月11日以降」はアメリカの風景の永続的な一部と化していくのであるなあ。


9/2/2002(月)

アメリカ旅行の断片的記録2:

家族で、Washington D. C. と New York の博物館を軽くまわる。 (じっくりまわっていたら、何年もかかってしまう。)

今年は、テロの影響で、夏の旅行を米国内ですませるアメリカ人が多いそうだ。 そのためもあって、博物館は「例年にない混雑」らしいが、われら日本人の基準からすれば、がらがらである。

恐竜の化石を間近に一つ一つ眺め、時には手を触れることもできる(←いけないんだけど)。 もちろん、記念写真など撮り放題。

すいているだけでなく、規模もものすごい。 展示されているものの量が日本の博物館に比べれば桁違いに多い。 展示のしかたも、やたらとセンスがよく、かっこいい。 (同じように恐竜の化石を展示するのでも、Washington D.C. と New York とでは、センスが全然ちがうのには感心した。) 要するに、桁違いに多くの人が動員されていて、桁違いに大きなお金が投入されているのだ。

Smithsonian Institution に属する The National Museum of Natural History (Washington D. C. にある)は、これで入場無料だというから、すごいを通り越して、恐怖である。

ここにある天然の鉱物の標本群が、また、猛烈にすごい。 (こんなページを息子がみつけた。 これで、実際の展示のすごさと数の多さ五百分の一くらいが伝わる、と言っておけばいいかな?) 自然界のデザインのセンスってのは、ぶっとびまくっています。 同じ化学組成・結晶構造の鉱物が(不純物や環境のわずかな差で)みせる多様な色彩と外観をみせつけられると、思わず「普遍性なんて、あったもんじゃないぜ」と弱音を吐いてしまいそうになる私であった。

Washington D.C. の Air and Space Museum と New York の American Museum of Natural History のプラネタリウムでやっている映画というかハイテクな見せ物も、すごい。 というか、ぼくなどにとっては、感涙物。

Washington D. C. の方は、Infinity Express という題で、内容は盛りだくさん。 地球に生まれた人類が、ついには宇宙の大規模構造さえをも理解し始めたこと、他の惑星に生命はいるのかということ、などなど。

で、ぼくにとってのハイライトは、遠方の宇宙を観測して作られた銀河の分布の三次元的な地図をもとに CG をつくり、銀河たちの間をものすごいスピードで飛んだときに「見える」光景を見せてくれるやつ。 ぼけっと見ていれば、たちまち過ぎ去っていく単なるかっこいい CG に過ぎないのだけれど、実は最新の宇宙の観測データに基づいている(のだと思う)。 それでも、全くもったいをつけず、教育に走らないところがもうめちゃくちゃに贅沢。

さらには、火星の実測データに基づく火星表面の CG アニメで、この惑星の表面近くを猛スピードで飛んだときの風景などなど。

New York の方は、The Search of Life: Are We Alone という題で、地球外生命の可能性というテーマで手堅くまとめている。 Harrison Ford の語りがしぶい。 (← "Hey Luke, may the force be with you." の声ね。)

地球の深海で火山のエネルギーを利用して生きている生命を紹介(本当にプラネタリウム全体が深海に潜る感じなのだなあ、これが)した後、太陽系の惑星たちを巡る。 他の惑星にぐうううっとズームしていくアニメーションは超かっこいい。 火星の地下の海の生命の可能性、木星の衛星 Europa の厚い氷の下の海でやはり火山活動に依存して生きている生命の可能性を述べる。 さいごは、太陽系外の恒星のなかにも、惑星を伴っていることが確認されたものが少なからずあることについての最新のデータを紹介して、「ひとつひとつの惑星に、ひとつひとつの世界があります。もしかしたら、それらの世界のどこかで、わたしたちの太陽を眺めながら、『あの星に生き物がいるだろうか?』と話している人々がいるかもしれないのです。」みたいな、ふつうの人が言うとかっこわるくなるけどハン・ソロの声で言われるとかっこいい台詞を言って、おわり。

おもしろさでは、New York に軍配が上がるかな?

いずれにせよ、どっちも、日本のプラネタリウムで見た物とは比較にもならない。 猛烈にお金がかかっている上に、エンターテイメントのプロと、科学のプロが本気でつくっている。(ちなみに、野尻掲示板の少し前のまきのさんの掲示で New York の博物館の方の舞台裏について読むことができます。)

はあ。 どうしたらいいんでしょうね?

ちなみに、どちらのプラネタリウムでも、本来のプラネタリウムの機械は冒頭に星空を投影するのにちょびっと使われるだけ。 プラネタリウム好きとしては、ちょっと寂しい気もする。

博物館の入場者の荷物の厳しいチェックは、これまた「9月11日以降」。


9/3/2002(火)

Pervez Hoodbhoy 氏が 1998 年の 5 月に MIT でおこなった講演 "SAY NO TO INDIAN & PAKISTANI BOMBS!" を、Pervez の年来の友人である筑波大の首藤さんが訳してくださいました。 私がつくっている Hoodbhoy 氏の文章の邦訳のページにくわえさせてもらいました。 こちらからどうぞ。


9/5/2002(木)

昨日は家にこもって、神経でのパルスの波形の対称性という問題について、ずっと悩む。 アメリカで神経生理の研究家(ていうか、ぼくのおじいさん)と議論してきたので、前にも考えたことを、もう一度まじめに検討しているのだ。

なんか、簡単な説明がありそうに思っていろいろ試すのだが、ぎりぎりのところで、すっと逃げられる。


情けないことだが、集中力というか、持続力を欠く。 細かいことをこなしていくのはいいのだが、どうも時間の使い方が、ぬるい。 模様替えも途中でとまっている。

時間こそがもっとも貴重と知っている年齢になって、これはいかんですな。

加えて、今日は出ると明言していたミーティングをさぼってしまった。 完全に忘れ去っていた。 関係者のみなさま、ごめんなさい。

気分を変えるべく、前に頼まれていた数理物理の論文の referee を。 残念ながらスカな論文であったので、迷わず、さようなら。


9/6/2002(金)

いろいろ議論して充実の午前中。

詳しくは書けないけれど、実験についての具体的なアイディアから出発して、いかにそれを現実的な装置として実現していくか、という議論に立ち会う。 お恥ずかしながら、こういうのを見るのははじめてなのだけれど、これは猛烈に楽しい仕事だね。 ほとんど役に立たないくせに、ついつい色々と口を出してしまう。

食事をすませて午後おそくに部屋に戻ってみると、Hoodbhoy 氏から一年たった時点での文章がいくつか。

ひとつ懸案の雑用をすませるかたわら、One Year Later という文章の訳を大急ぎで作りました。 例によって、未完成のものを公開して、これから改良していこうと思います。 私の読み切れていない部分などについてコメントをいただければ幸いです。


9/9/2002(月)

「一年の後」の超・雑な訳についてさっそく的確で詳細なコメントをいただきました。 なるべく早く、それを取り入れた改訂版を作ろうと思います。

しかし、今度みたいに一発芸的に即席の翻訳をさっさと公開して、週末に自分は別のこと(論文を書いたりとか)をやっている隙に他の人たちに手直ししていただくというのは、実に能率的、というか、ちょっとずるいくらいに能率的ですよね。 でも、これは、ねらったのではなく、本当に、金曜日に手があいた時刻から遅い夕食に帰宅するまでの時間が、ちょうど即席翻訳にぴったりだったという偶然のたまものなのですよ。


アメリカ旅行の断片的記録3:

プロの科学者としての駆け出しの時期を過ごした土地である Princeton を訪問。 なんと十四年ぶりである。

といっても、子供たち(上の娘はここで生まれた)に美しい街と大学を見せ、妻とぼくは昔を懐かしむ、という観光客としての訪問なのだけれど。

今年少し話題になった映画 A beautiful mind をご覧になった方は、公園みたいにきれいな Princeton 大学のなかの風景を覚えていらっしゃると思う。 (かなり前に、原が a beautiful mind の本の方を割と愉しめたとすすめてくれたのだけれど、本屋で見て「げ、あいつ、こんな分厚い本を英語で読んだのかよお」と思って買うのをやめてしまったのだ。 (その後、Princeton が出ていてなつかしいという理由で、妻といっしょに映画をみた。雰囲気の愉しめる映画でございました。) でも、このたび、Princeton の U-store で本を買ってしまったというミーハーな私であった。 たしかに分厚いのだけれど、うまく細切れに書いてあって、意外に読みやすい本であった。) ああいう景色は、ま、映画だし、昔の話だし、現実とはちがうんじゃない、と思いがちだけど、Princeton の場合は、今でも、まさにあの映画のシーンそのもののめちゃくちゃきれいなキャンパスが広がっています。 ま、半ば観光地のようなキャンパスです。 (もちろん、ヨーロッパの古い大学をよく知る人のなかには、Princeton のキャンパスなぞ、ただのヨーロッパの猿まねでちゃちだとかおっしゃる方もいらっしゃるわけですが・・)

[Palmer] Palmer Hall は、かつての物理学科の建物。 IAS に移った Einstein も、IAS の建物が完成するまでは、Palmer にいたそうである。 さらに、学位をとってすぐに Princeton に職を得た田崎が、はじめて授業をもったのも、この Palmer Hall であったという。 (←いや、伝聞形にする必要はなく、まさにそうだったのですけど。) 当時は、すでに物理学科は Jadwin Hall という新しい建物に移り、Palmer は授業などに使われていた。 あと、東アジアの図書館なんかもあって、立派な漱石全集がずらっと並んでたりした記憶がある。

というわけで、観光で来たからには、かつて教壇にたった建物を見に行こうと学内の地図をみるのだが、

Palmer が、ない
がーーん、もうないのかなあ、と思いつつも、学内を散歩しながら、Palmer があったと思しき方向に歩く。

さすがの方向音痴のぼくでも、さすがに、生まれてはじめて給料のために教えた場所は体で覚えていたみたい。 めでたく、見覚えのある建物に到着。 いまや、名前もかわって、大学センターかなにかになっているらしい。 ともかく、ミーハーで撮った記念写真です。

さらに、足をのばして、物理学科のある Jadwin Hall へ。

こちらも、新教室棟(って名前じゃないと思うけど)がくっついて新しくなってはいるが、建物は、昔のまま。 ていうか、入り口の階段が壊れていて、半分は通れないようにロープがかけてあるというやや惨めな姿。 夏草や・・・、などと感傷にひたることもなく、勝手知ったる建物なので、中にどんどん入っていく。

かつてのボスの Elliott Lieb が外国にでかけていることは知っていたのだけれど、幸いにもオフィスにいた Michael Aiznman と会うことができた。 なんの予告もなしにドアをノックしたのだけれど、とても喜んで下さったので、こちらがうれしくなる。 彼こそ、ぼくが数理物理をはじめたきっかけとなった論文の著者なのである。 ちなみに、Michael のオフィスは、ぼくが Princeton での一年目に、visitor といっしょに使っていた部屋であった。


9/16/2002(月)

何人かの方に有益なコメントいただけたおかげで、9月11日までに、Hoodbhoy さんの新しい論説を二つ翻訳して公開。 「Pervez Hoddbhoy 氏による文章」のページからどうぞ。

実は、彼は今回ぜんぶで五つの論説を送ってくれたのだった。 それらも、英語版インデックスからすべて読めます。 (首藤さんがどれかを訳してくださるかも。)


などと言っていたら、先ほど、Hoodbhoy さんから新しいインタビュー記事が届いた。
WHAT I SAW IN OKARA
ぼくらが、平和にラーメン屋に行ったりしていたその頃、Pervez は、お嬢さんとともに、イスラマバードから300マイルほど離れたオカラというところに行っていたらしい。 軍が農地を新しいシステムで管理しようとして --- あるいは、軍が農民から土地をとりあげようとして --- かなりの弾圧や暴力がおきているという。 Pervez は、兵隊に会い、農民たちと話し、真新しい死体を見て、さらには、なんとかして最高司令官と面談し逮捕された人たちを助けようと画策する。

つい何ヶ月か前にいっしょに食事をし、つい先月は(会わなかったけど)同じ頃に Princeton にいて、時々 e-mail でやりとりしている Pervez なのだが、なんというか、本当にほとんどちがう世界にいて、きわめて立派にがんばっているのだなあ、と、なんか、感想を書くだに間抜けな感じになってしまう。


12 日の佐々さんとの議論で、driven lattice gas のような、粒子数が保存し並進対称性のある系で、準非破壊的に圧力と化学ポテンシャルを同時に同定する方法がはっきりとわかった。 (流れと垂直な方向に一体のポテンシャルをゆっくりと変調して、場所ごとの密度をはかればよい。 十分ゆっくりとした変調に対して、密度がポテンシャルの関数として書けるなら、ともかく、熱力学は、ある。) その一般論を背景に、駆動力無限大の極限について、具体的な計算をおこなう。 化学ポテンシャルを密度の関数としてとじた形に表すことができる。 グラフも描いてみた。 (ほかの量はとじた形には書けないようだが、具体的な計算はいろいろできる。)

実は Gaarrido-Lebowitz-Maes-Spohn (PRA 42 (1990) 1954) の VI 節のモデルも、熱力学的量はまったく等しいのだ。 このモデルはべき的な長距離相関をもつということだから、これで長距離相関があっても熱力学を見いだせる例がはっきりと得られたことになる。 理論として力強いことをやったわけではないが、一定の意義はある。


9/24/2002(火)

Pervez Hoddbhoy 氏による文章」に、首藤さんが訳された「イクバール・アハマッド――私の知る彼」を追加。

みなさん、もちろんイクバール・アハマッドの名はご存じですよね?

って、ぼくは知らなかった。

有名な国際政治学者であり、かつ、きわめて立派な人物だったそうです。 Pervez による追悼文は、ぼくのような無知蒙昧な輩が読んでも、つよいインパクトを感じる文章です。


よし。 昨日はなかなかの集中力と能率で働いたぞ。

前々から適当に紙の裏とか(とは言うが、今書いている方が表だろう)に適当にメモったり計算したりしていただけだった熱力学の構成法とか large-F driven lattice gas の熱力学関数の計算(実は展開とか積分とかは MATHEMATICA にやらせるんだけど)とかをきちんと整理しなおして、かつ、unpulbished note としてきちんとまとめる --- という遠大な作業を気合いをいれて一気にはじめてしまったのだ。 おまけに、妻が所用で外出していたので、子供たちとぼくの分のお昼ご飯を作り、洗濯物を取り入れてたたみ、ついには、家の掃除までしてしまった。 なぜか気合いが入るといろいろやってしまうようだ。 それでも夜までには原稿を書き上げ、夜中までビールを飲みながらタイプして終わらず、今日の朝つづきをやって第一バージョンが完成。 会議の間に推敲をして、 修正版を佐々さんに送った。

やればできるじゃんか、と誰かに言ってほしいけど誰も言ってくれないので、自分で自分に言っておこう。


あ、そう、そう。

これを書いていて思い出したぞ。

ハイになって仕事をしてから寝たせいか、明け方あたりに

生物におけるモーターのもっとも本質的な部分を理解しきった
という科学的な夢をみてしまいました。

その本質とは、

モーターの中にタラコ状のものがびっしりと詰まっている
ということらしく、実際、マブチモーターくらいのモーターのケースの中にペースト状のタラコが詰まっているイメージ映像も夢にリアルに登場したのであった。

やっぱ、こんな話は聞きたくないですよね?


ううみゅ。

前に書いた日記の日付が「9 月 16 日(日)」となっていた。 ヘッダー手動生成システムの誤動作ですな。

こんな日は存在しないのだけれど、この情報だけでは、曜日をいじるべきなのか日付をいじるべきなのかが不明。 書いた時の記憶もすでになし。 ま、楽なので、曜日をなおしておこう。 この日は休日だったようなので、日曜と勘違いした、という説明もつくしね。


9/25/2002(水)

昨日の日記を読まれて、ぼくのために、心のなかでこっそり「やればできるじゃないか」とつぶやいてくださった全世界の読者のみなさん。

ごめんなさい。ぼくは、その優しさには値しないやつだった。

家の掃除までしながらも(書かなかったが、実はトイレの掃除までしたのである!)完璧にノートを仕上げるとかいうのはやはり話がうますぎた。 計算とか考察をまとめないで捨ててしまうことを数ヶ月つづけていた奴がとつぜん真面目にまとめを作るとかいうのも、やはりうさんくさい話であった。

いや、ノートの基本理念に誤りはないと信じる。(ほとんどが佐々さんが考えたことだったりするし。) 議論の展開にも、論理にも間違いは、ない。 さらに、MATHEMATICA の使い方にもミスはなく、デモの計算も正確におこなわれていると今でも思っている。

しかし、おいらは、

MATHEMATICA が出力した微分の結果を書き写しまちがえた
のでありました。 やれやれ。

しかも、その式をみて、自分のやった計算の結果とちがうぞと思った佐々さんは、かなり面倒な計算を(しかも手計算で、しかも帰宅の途中の電車の中とか、お風呂の前の家族団らんの時とか、お風呂からあがってビールを飲みながらぼけええっとアイディアを練ったりする貴重な時間を費やして(←以上、夜に届くメールから想像したものであり、実在する佐々家の生活と一致している保証はありません))再度実行してくださったのであった。 で、どうやってみても昔の佐々さんの結果の方が正しいと確認して下さったのだが、こちらが、iBook のファイルを覗いて元の式をよく見ると、実に、佐々さんがメールで送ってきたのと同じ(になる)式がちゃんと書いてあった。 いやあ、申し訳ないというか、なんというか・・・

許してなんて言えないよね。

9/28/2002(土)

久保シンポジウム。

所用で時間ぎりぎりにタクシーを拾って飯田橋の駅付近で降りる。 またしても理科大に行けずに迷った ─ とかいうことになると、完全にマンネリでベタな日記ネダだからそういうことはやめようと思ったが9/29/2001 などを参照)、やはり、逆方向に歩いてしまった。

かなり遅れ気味に例年シンポジウムがある建物の前に到着して、案内と比べてみると、今年は会場が変わっていることに気付く。 さらに 200 メートルくらい歩くらしい。

あせって歩いていると、すぐ前にいらっしゃるのは、なんと、伊豆山健夫先生ではないか。 聞けば、先生は、

去年まで会場だった建物の最上階(十七階とかだった気がする)まで何度か行ったり、学生何人かに尋ねて周辺を行ったり来たりした
そうであり、さらに
案内状を忘れたと思いこんで、なにも見ないでがんばっていたら、今になってよく見ると案内状はポケットに入っていた
ということも楽しそうに話しておられた。

うむ。

さすが、である。

伊豆山先生といえば、磁性や輸送現象についての先駆的な研究などいろいろなお仕事で有名だし、今は、やたら名門の中高一貫の男子校の校長先生だけれど、実は、実務的にな事については、その、何というか、けっこうマイペースでさっさと進んでしまうところがある、という話を耳にしたことがある。

ともかく、伊豆山先生が無駄にされたお時間に比べれば、ぼくが迷って無駄にした時間など negligibly small ではないか。

上には、上がいる(いや、おそれ多いが、下というべきか・・)
と納得し、伊豆山先生の後ろに隠れるようにして、遅れて会場に入った私であった。 (とはいえ、すぐに会場半ばまで前進。その後、徐々に前進し、三つ目の講演の時には最前列に到達した。)
最初の二つの講演は、量子コンピュータについて。

量子コンピュータについてのぼくの知識は、基本的には、数年前の研究会での細谷さんのレビューを聞いてその場で理解したことに尽きているのだが、実は、それでかなりまともな議論ができるのである。 (彼のレビューがすぐれていたということ。) その後の主要な発展である溶液 NMR の実験については、まさに朝日新聞の意味不明な記事を見た程度の知識しかなかったので、そのあたりも聞けて、有益であった。

しかし、少し聞いてみると、溶液 NMR の量子コンピュータというのは、実は、相当にうさんくさい話のような気がしてきた。 パーティーのあと、細谷さんといろいろ話すことができたのだが、ぼくがうさんくさいと思ったところは、やはり専門家もうさんくさいと思うところだと知る。

国場さんの可積分系のレビュー。 なかなかに考えられた Star Wars ネタなのだが、ぼくにとっては、佐々日記(日々の研究 7/16/2002)でネタばれであった。 しかし、まわりの人があまりに無反応だったので、(仮にぼくがこれを始めて見たとしたらどう反応するかをシミュレートして)前の方で一生懸命うけるリアクションをしたりしました。 (←文章化すると、すごく間抜けな奴みたいだ。)

構成等は、佐々日記を見ていただこう。

最近の話がほとんど出てこないのは寂しかったが、長い歴史を明確な視点でくくった優れたおもしろいレビューであり、すなおに愉しめた。

とはいえ、お約束かもしれないが、

the force というのは、油断して使っていると、暗黒面にとらわれてしまうもの。 可解模型がすばらしい知識の宝庫であったことは否定しないが、単に解けるということにこだわり続ければ、初心を失い、暗黒面に落ちていくのではないか?
というコメント・質問をする。

これについては、その後のパーティーでも国場さんと熱く議論した。 (ダース・ベーダーは誰か、とかね。) ま、なかなか意見はあわないものです。

やはり、ぼくに言わせれば、Yang-Baxter だの量子群などの重装備を獲得してしまった可解模型の勢力は、すでに、帝国軍を思わせる強大ものだし、少なくとも物理サイドから見れば、既存の解法の延長で解けるモデルというのは既に科学の対象としての魅力を失っていると信じる。 (国場さんの主張である、解けるということそのものを現象として魅力を見出す、という立場には、反対しないけど。)

でも、まあ、考えてみると、どんな分野だって、少数派が手探り手作り面白いことをやっている黎明期はジェダイの騎士っぽいし、分野が確立して大規模になってくれば、帝国軍っぽくなってくるものなのかもね。 (誰でもいうことだけど、あんな風に悪者といい者がはっきり区別できるのなんて、ハリウッド映画か、ブッシュの演説くらいだし。) だから、帝国軍っぽいのがいやなら、決して巨大にならないくらい地道で困難な問題をやるか、万が一自分がやっているところが帝国化してきたらさっさと逃げ出すのがいいのだろう。

さあて、SST が巨大帝国となり、ぼくはどこか遠くに逃亡してしまっている、なんていう日が来るかなあ?


9/30/2002(月)

金、土と連続で活動したので、日曜はばてていた。

しかたがないので、PRL のエディターに書くほぼ最終的な手紙の草稿を作る。


むかし、ある人に、PRL とは
Physical Review Lottery
だと教わった。
lot・tery [l#t#ri]
#n. 富くじ, 福引; 抽選分配, くじ引き; 運, めぐり合わせ.
・a 〜 ticket 富くじ札.
[リーダーズ 英和辞典]
たしかに、最初にたまたま引き当てたレフェリーがいいと、大したことのない論文でもすんなりと掲載されてしまう割に、ピリピリしたレフェリーに当たろうものなら、相当に優れた論文でもどうしても掲載されないこともあるようだ。 発行部数や読者数を考えると、掲載された時の影響力は他の雑誌とは比較にならないだけに、よけい、くじ引き感が強くなる。 (専門外のみなさん:ほんとは、Physical Review Letters です。Letter というのは、短い論文の形式のことです。)

とはいえ、今までのぼくが経験した(あまり多くない)範囲では、たとえ初期のレフェリーやエディターがめちゃくちゃ否定的でも、こちらが本当に自信をもっている仕事なら、レフェリーを変更させ論文を改良しながら地道にがんばれば、たいていは掲載にこぎ着けられると感じていた。

今回の SST 論文でも、ひたすら地道に、しかし強気でこのプロセスを進んできた。 その結果、きわめて好意的なレフェリーを二人獲得したし、さいごまで技術的な批判をしてきた人にも論理的に明晰に回答し、それに関連する論文の改訂もした。 よし、これで通るところまで持ってきたぞ、と思った。

が、通らないんだなあ、これが。

やはり、SST という新しい枠組みを提案するような仕事は敬遠されるのかも知れない。 あるいは、担当のエディターに強い思いこみがあるという可能性も高い。 ま、どの雑誌に載るかなんていうのは長い目で見ればどうでもいいことなのだが(特に SST 論文の場合は、予言の真偽こそがもっとも気にかかる)、それなりに時間もかけているし、さすがに、ちょっと悔しい。

改めて、

Physical Review Lottery
の意味するところを感じている今日この頃であった。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
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