茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
あけましておめでとうございます。
実家でいっしょになった姪と甥が、そのままわが家にやってきて一時的に六人家族になる。 子供たちはゲームにトランプにと盛り上がることしきり。 ぼくの従姉妹たちは、年が離れている上にアメリカ人なので、いとこどうしで仲良く遊ぶというのは、素直にうらやましい。
あれま、なんかひたすら家庭的な日記になってしまった。ま、家庭的な一日を過ごしたのだから仕方ないか。
月曜なので仕事はじめ。
といっても、やりたい仕事は年末年始とは無関係にやり続けている。 あまりやりたくない仕事をするのが物理学者の仕事はじめなのだ(勝手に決める)。
まずは、炬燵にもぐりこんで、年末(12 月 24 日だった)に締め切った物理数学のレポートにざっと目をとおす。 表紙に
よろしくお願いします!と書いてあるのがあったけれど、おそらく、ぼくが採点をお正月にやることを見抜いて新年の挨拶を書いてくれたのであろう。 こちらこそよろしくお願いします。
早めに仕事始めをしたから、会議や授業の始まる今週が楽になるかと思ったが、やっぱり、楽にはならない。 日記も書かずに、せっせと仕事してるんだけど、思ったほど進まないものだねえ。
シラバスは今日の午前中に(いい加減に)書いてしまったが(いい加減なのはシラバスだけで、講義はちゃんとやるど!)、まだ今週中にやるべきことが、いくつか(毎度のことだけど、こうやって雑感を書いていると、忘れていたやるべきことをさらに思い出す)。 とはいえ、当面の関心事は、明後日の単発講義「現代科学」での、一般の学生さん向きにアインシュタインのブラウン運動の話の解説をいかに構成するか。 分子の実在についての「哲学的な」側面や、歴史的な状況なども話したいし、かといってお話だけにはしたくないので、変位の二乗平均が時間に比例することの基本的なアイディアは伝えたい --- ぼくは、欲張りなのだ。
その前に、あすは統計力学の講義の最終回。 平均場近似のつづきで、さっき時間を使ったので、やるべきことは頭にはいっている。 前回、今までとちがう、なかなかよいノーテーションを使ってばんばん計算していたのだが、ふと考えると、そのノーテーションを覚えてないぞ! なにせ去年の話だからなあ。 いや、やった内容とか聞いている人たちの顔とかは思い出せるのだけど、記号が思い出せない。 その場では、アドリブで新しい記号を使い出しても、ほとんど問題なくコンシステントに計算ができるし、まさか後から記号を忘れるなんて想像もしないものなんだよね。 人間っておもしろい。
というわけで、明日は、まず前の方の人のノートを覗いてからスタートだな。 外見に似合わずノートの美しい T 君に頼るか。 (FD 的には、こういうのって、どうなんだろうね? ばっちりできあがったものをノートの通りに書き写しているより、アドリブ感がある方が聞いていて楽しいとかってことはないですかね?)
(昨日のつづきだよ。) 講義の前の瞑想で、昨年アドリブでつかった記号は思い出した。 平均場近似ででてくるスピンの期待値を sigma の上にバーをつけた記号で書いたんだ。 むかし、m と書いてしまったら、磁化と次元がちがって混乱したので、その反省にもとづくナイス記号。
でも、念のため、予定どおり、いちばん前にすわっていた T 君のノートを覗いてみたのだけど、
なんだ n って? こいつ、勝手に 2d を n と置き直してノートに書いたのか??と思った。 素(す)で思った。もちろん彼は忠実に写していたわけだけど。
たしかに悪い記号じゃないけど、おれ、そんな記号つかったかなあ?
明日の講義(総合基礎科目のオムニバス形式の講義「現代科学」)の内容は、昨日の教授会のあいだに「見えた」ので、気楽に準備。
気が乗らなくなったところで、明日が締め切りの「大学案内」の原稿を一気に仕上げてしまう。 明日、ぎりぎりでやるつもりだったのに。偉いぞ、おれ。
テキストが埋まりません。
なんとなく悪い予感がするので、事前の予防策として、以下のような注意を太いゴシック体で記す。
本やネットで調べたことを丸写しにするのはレポートではない。それには、人の活動として何の意味もないのだ。調べることも必要だが、調べた素材に新たなまとまりを与え、新たな光をあて、新たな意味をもたせなければ、あなたが関与する意味がまったくないことを深く理解してほしい。小学校時代の「調べ学習」で丸写しのレポートをほめてもらったことがあったとしても、そのことはもう忘れよう。
さっき、大学の建物を出るところで思いついた。
事例1
大学院生役の女性:(涙声で)もしもし先生。 たいへんなんです。前に先生に指示された摂動計算なんですが、やってみたら、三次の項が、三次の項の積分が、発散しちゃうんです。今、ここに理論家の○○先生がいらっしゃるので、電話をかわります。事例2理論物理屋役の男:もしもし電話かわりました。理論物理学者の○○です。 よく聞いて下さい。 もはや普通の摂動では手に負えない状況でしょう。 いったん積分を有限化し、切断パラメターへの依存性を調べる方程式をたてるしかないです。
共同研究者役の男:もしもし、××さん、あの実験ですが、まじめに考えると、ものすごい数のパラメターが必要になりそうで、今のままじゃ手も足もでないんですよ。 ちょっと、○○さんの話を聞いてみて下さい。そうです。理論物理屋役の男:もしもし、理論物理をやっている○○です。 こんな場合も、少し粗視化したレベルで系を記述してみてください。 おそらく二つの、うまくすれば一つの有効パラメターだけで理論を作れるはずです。
これが、流行の、おそろしいくりこめ詐欺なのです。
すみませんでした(今学期の授業がおわったもので、つい)。
さてさて、かつては、いっさいの運動をせず最低の筋力と体力しかもっていなかったぼくが、一年すこし前から筋トレをするようになり、ついには、夜な夜な、腕立て50・腹筋50・背筋50・スクワット50をこなすに至ったことは、雑感読者はいやでも読まされてご存知のことと思います。
ところが、先日、中学で筋トレについて学んで来た息子が先日指摘したところでは、ぼくのやっている腹筋は「腹筋の上3分の2」を鍛えるのにしか有効でないらしいのだ。 それは困る、パパが鍛えるべきなのはむしろ「腹筋の下3分の1」ではないかということで、息子に「下3分の1」のための腹筋トレーニングの方法を教えてもらいました。
なるほど。
「こうやって、足をのばしたまま90度まで上に上げ、徐々におろして、ここらへんで、とめる。再び、あげて、同じことをくり返す。」
なるほど。 こうやって、足をあげて。ううう苦しい。
「あ、足が曲がってる。もっとのばして。あと、もう少し上まであげないと。」
そうか。いったんおろして、と。よし、次はあげてやるぞ。
勢いをつけて、えいやっ!
「あ、だめだ。そんな反動つけちゃだめ!」
ぐおあっ。いてえ。
(腹筋を鍛えるため足をあげているのに)腕がつった。かなり激しくつった・・・
地道に新しい腹筋もできるようにしようと思います。 ああ、腕いてえ。
週末から、清水さんとたくさんメールをやりとり。
なるほど、じゃ、ぼくがさっきネコかもしれないと言ったのは、やっぱりネコだと思うべきなんですか?みたいなメール。
これだけ見ると妙だが、「ネコ」は「シュレディンガーの猫的なマクロに異なった状態の重ね合わせ」の意味ね。
素晴らしい冬の快晴。
朝方、ちょっといいアイディアを思いついた気がしたので、是非とも、その先をつめてみたいと思った。 でも、大学に行くと、つい試験問題作成などの必須の雑用をすることになるよなあ --- というわけで、今日は幸い会議もないし、在宅勤務にする。
池袋とは反対の方向に自転車でひたすら15分も走ると、町の様子ががらりと変わってしまう。 すっかり「東京の郊外」という雰囲気になるから面白い。 駅前の商店街なんかも、スーパー主体ではなく、元気な小売店の集まりだ(うちの近所にも昔ながらの商店街があるのだけれど、やはりスーパーがつよい)。
妻の目的地に着いたところで別れ、ぼくは、あえて引き返さずにそのままどんどん自転車で走ってみる。 太い幹線道路にぶちあたり、方向音痴でも道路標識は読めるから、適当に池袋の方角を目指して道路沿いにどんどん走っていく。 道路から木立でしきられたきれいな遊歩道をずっと走っていくうちに、ふと気になって道路のあるべき方に行ってみると、な、なんと、道路がなくなっている! ぐげえ、けっきょく迷ったかああと素直に思ったけれど、実は、太い道路は部分的に地下に潜っていることが判明。 こぎれいな住宅街や、庭先に畑のある道路沿いの小さな家などを見ながら、同じ太い道に沿って、どんどん走っていく。 と、行く先に巨大スーパーが出現。 お、これは、ひょっとして? そうだ。前に妻と家から散歩に来たときに教えてもらったスーパーではないか! かくて、自分でも予想もしなかった大回りをして、東京郊外プチツアーの末、ぼくは家から裏の方に(←ぼくの感覚で勝手に「裏」と呼ばれている)しばらく行ったところを走っているお馴染みの道に沿ってずっと走っていたことを知ったのだった。
時空間がねじ曲がり、遠く離れた非日常の地点と、身近な日常の風景が、あり得ないやり方で連結してしまうようなこの感覚。
方向音痴には、エッシャー歩道は、いりません。
ずっと以前(4/14/2001)に、予備校の河合塾から「おまえらの分野で活躍している奴を教えて下さい」というアンケートが来たという話を書きました。 そのつづきです。
しばらく前に、河合塾の「科学ミュージアム」というページができたのですが、そこにある、この「統計力学の研究者のリスト」は、あのときのアンケートの集計結果を反映したものだろうと思われます。
どういう集計をしてどういう順番に並んでいるのか、正確なところは知りません。 が、ともかく、こういう形で名前が出ているのは、それなりに多くの方が私の名前をあげてくださったからだろうと思います。 自分が大切だと思うことを精一杯、好き勝手に研究してきたわけですが、あのリストの結果は、それを少なからぬ方に評価、応援していただけたことの現れだと単純素朴に思うことにします。
アンケートやその集計結果について真剣に考えるのはマヌケなことなので、軽いノリで、素直に喜んで感謝しようと思います。 今さらですが、みなさん、ありがとうございます。
この年齢まで物理の研究者・教育者をつづけてきて思うのは、けっきょくは、その時点、その時点で、自分が心から楽しいと思えることに全力で取り組むのがもっともよいということです。 当たり前だとも思いますが、それを心の底から実感するには、ぼくはぼくなりに色々と迷ったり悩んだりもしてしまったのでした。 そういう迷いがほんとうに完全に晴れたのは、割と最近のことかもしれない。 何をどうやるかについては、これからも惑い・悩みまくるでしょうが、「原則として心から楽しいことだけをやる」という基本姿勢については、年齢相応に「不惑」の境地に達したつもりです。 というわけで、これからは、今まで以上に「わがまま」な姿勢を貫いていく所存でございます(もちろん、大学教員をやっていくためには、色々とやらなくてはならないこともあるわけですがね)。 どうかよろしくお願いします。
そういうのを列挙するのはくだらないですが、ひとつだけ。 西森さんが、あんな下の方にでてくるのは、おかしいなあ。 彼は、業績(ランダムスピン系の「西森ライン」は美しい仕事です)からしても、実力からしても、日本の現役の統計力学の研究者の中ではトップクラスの人だし、(どっかの人とはちがって)学会関連の仕事も積極的にやっていて人望もあるはずですよ。
ついでに言っておくと、西森さんを含む、東工大の物性理論・統計力学のグループは、非常に強力です。 個人のレベルで言えばよそにも優秀な人はいますが、まとまったグループということで考えれば、物性理論・統計力学の分野では、東工大が文句なくトップでしょう。 ぼくのような数学よりの理論屋がそういうだけじゃないですよ。 (もののわかっている)物性実験の人なんかに聞いても、同じことを言います。
分野の状況を知らない人は、トップは本郷のはずだろうと反射的に思うかも知れません。 でも、そうではないのだなあ。 少なくとも、ぼくや、ぼくの親しい人たちの目には、(そして、おそらくは、この分野がわかっているほとんどの人の目には)この「逆転」は、かなり前から明々白々でした。 しかも、ちょっと困ったことに、これは一過性の「ゆらぎ」ではなく、かなり安定してしまった傾向のように見えます。
もちろん、ぼくは部外者なので、論理的には、「ちょっと困る」必要などないわけです。 しっかし、まあ、正直な話、今でも本郷の学部に優秀な学生さんたちが集まる傾向があるのは事実。 また、彼らのうちの少なからぬ人たちは、ぼくにとっても「現代物理学」の教え子たちなわけです。 やっぱり、この状況は残念だなあと素直に思います。 教員側の体質を変えるのは並大抵のことではないですが、せめて、大学院を選ぶときに学生さんたちがもう少し「流動化」してくれればなあなどと思っています。
と、まあ、ここでこんなことを書いても何の意味もないのですがね --- と結ぶのが普通でしょうが、ちょこっとくらいは意味あるかも。
話は変わりますが(←いつでも変わってる)、外来語、あるいは「外来語風和製言葉」のなかにも、本性的に関西弁であるものが存在するという仮説を提唱したいと思います。
こういったテーゼについては、個別例を挙げ、それを皆さんに品のない関西弁で何度も唱えていただいて実践的実証的に納得していただかくしかない。
例1 ゴスロリ(できれば、ダウンタウン松本の声で)
例2 ブログ(できれば、浜村淳の声で)
例3 ザナルカンド(もちろんヤンキーの声で)
土曜日は、Encyclopedia of Mathematical Physics というものの Hubbard model の項を書くことになっている、という話を書こうと思っていたのだ。 ただ、そういう堅い話だけだとアレだなあと思って、まず、適当に頭に浮かんだよしなしごとを書いたら、なんかそれだけになってしまい、妻と娘から「ただのアホ日記」と呼ばれるものになったという次第である。 説明したからどうということもないか。
Encyclopedia については、そのうち気が向いたら書こう(←それより原稿を書け)。
しっかし、あれだ。
シンポジウム講演の方は、予稿提出依頼のメールに書いてある URL をたどり、メールに書いてある登録番号とパスワードを入力すれば(考えたら、パスワードを手動で入力させる必要はないよなあ)、それだけでファイルを送ることができた。 だが、一般講演の方は、そもそも該当するメールに URL がないので、自分で学会の web からたどらなくてはいけない。 その上、まず会員番号とアクセスキーなるものを入力しないと先へ進めない。 これらが確認さると、(個々の講演の)登録番号とパスワードを入力する画面になるのだ。 しかし、講演受付はすでに受理されているのだから、この二段階の認証システムが必要だとは思わない(それが証拠に、シンポジウム講演は一段階でやっている)。 別にいいじゃないかと思うだろうが、ぼくのように、アクセスキーというのが何だかわからず、メールボックスをひっくり返したり廊下をうろうろしたりして(高麗さんが食事から戻って教えてくれるまで)無駄な時間を費やしてしまう人だって出てくるのだ。
とまあ個人的なことはともかく、学会からのお知らせメールの内容や、web 利用システムの使い勝手などについては、せっせとモニターして、不便なことを報告して、どんどん改良していく仕組みがあるといいですね。 などと言われるまでもなく、やってるかな? しかし、この手のシステムについて考えると、Los Alamos の preprint server はよくできているよなあといつも感心する。
というわけで、学会にファイルを送ったので、ついでに予稿のファイルを公開し、学会のプログラムへのリンクをはる(ページの上にあるものと同じですが、ページの上のやつはいずれ消えるので)。
春の物理学会メモ(タイトル部分は予稿の pdf ファイルに、日付部分は学会プログラムにリンクしています(おお、これは便利!(自分に)))
3月24日午前 前半に座長(初日から早起きだ・・)
3月24日午後 「非平衡定常測度における弱カノニカル性」
3月25日午前 シンポジウム『非平衡統計力学へのいくつかのアプローチ』「非平衡定常系の熱力学」
昨日は原が来て、本の相談などなど。
ちょっとずつですが、進んでいます。共立の○○さん、ごめんなさい。
ふーむ。
そういえば、この講義をやりながら同時進行でつくっていた講義ノートはけっきょく 150 ページほどになりました。 常微分方程式とベクトル解析の二章だけですが。
世の中の人は、なんで、あんな短い物理数学の本が書けるのかが、ひたすら疑問です。
もう少し形になったら、未完成でも、ネットで公開することにします。
ああ、今日は、よく働いたぞい。
早起きして出勤し、一時限目の統計力学のテストを監督しながら、昨日のつづきで「Ising 本。」の原稿書き(共著者への連絡:相関関数の単調性のところは、あらかた書いたぞ。相関不等式の証明やってね)。
少し雑用をしてから、帰宅して、昼食。
すぐにコタツに向かって、ひたすら採点。 あとで、気づいたのだけど、うっかりしてコタツから答案を落としてしまって、反対側に落っこちていた。 ひとつだけ、落ちていた。 なぜか、T 君の答案だけ、落っこちてしまっていた。 ぴらんと。 ごめん。ごめん。 (採点の結果とは無関係であることをお断りしておきます。)
夕方になり、再び出勤して教務委員会に出席。
けっこう長い。 おまけに、二月にも臨時で委員会を開催することになってしまった。 今年の教務委員会は、当たり年だ。 話し合うことが多くて、なかなか大変なのだ。 とはいえ、(会議嫌いのぼくが)ものすごくイヤだと思わないのは、不毛な手続きや形式の議論をしているのではなく、たとえば、学生さんの留学を認定する基準をどうするかとか、曜日による授業コマ数の偏りをいかに解消するかとか、サービス業としての大学教育において大切な要素をきちんと議論しているからだと気づいた。 また、「前向きの姿勢で検討を開始しましょう」的な話し合いじゃなくて、実質的に新しい仕組みをつくっていこうという姿勢がはっきりしているのも、うれしい。 教務課や教務部長が、よい意味で、積極的なのだと思う。
その後、大学の部屋で採点のつづき、以下略、部屋の掃除、「Ising 本。」の古い原稿の発掘、部屋の掃除、たまっていたメール書き、などなど。