茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
今日の FD
「現代科学」の講義のあと、教室前方の出入り口の方から聞こえてきた会話。
外にいる誰か:?????ほっ・・講義に出ていた女の子:げんだいかがくう(←アニメ声で読んでください)。
外にいる誰か:?????
講義に出ていた女の子:みくろと、まくろの、ぶつりがく。
外にいる誰か:?????
講義に出ていた女の子:うん。ちょお、おもしろかったああ!
で、レポートを出さなきゃいけないらしいので、いったいこの世の中で何が本質的に不可逆であり、なには不可逆なように見えて努力さえすれば元に戻せるかなどなどを考察せよ、という課題をだした。 とくに正解も模範解答もないけど、自分なりに考えてくれと。
終わったあと、理学部の一年生の女の子が教壇のところにやってきた。 そして、「この講義を聞いて考えていたら、不可逆なことなんて、ない気がしてきた」と言う。 なるほど。 突き詰めて考えすぎると、そういう気にもなるかもしれない。
ぼく:でも、やっぱりいろいろあるでしょう。お肌のはりは戻らないよ(と、ほっぺをパタパタ(←俺のほっぺだよ、もちろん))。おめえ、ドラゴンボール世代かっ??女の子:戻りますよお。コラーゲンですよ。根性ですよ。
ぼく:本当? でも、死んだ人は生き返らないでしょ。
女の子:いや、わかんないですよ。がんばれば、生き返りますよ。ぜったい。
ようやく本来の勢いが復活してきた気がするぞ。 もう年末だけど。
というわけで、毎年、講義内容が変わる「現代物理学」の来年のテーマは 1905 年のアインシュタイン。 ちょっとベタではあるのだが、来年を逃すと、次は 2105 年までできないわけで、やっぱりやっておこうと。
現代物理学(夏学期)月曜日第2限、駒場 723(のはず)というわけで、面白そうだと思われる方は、どうぞ。「1905年のアインシュタインをめぐって」
1905年は、アインシュタインが、光量子仮説、ブラウン運動、特殊相対性理論についての論文をあいついで発表した「奇跡の年」だ。この講義では、ちょうど百年たった今日の視点から、アインシュタインのこれらの業績を位置づけてみたい。とくに、光量子仮説とブラウン運動の仕事は、「ミクロな世界とマクロな世界を論理的に関連づける」という初期のアインシュタインの主要なテーマから自然に生まれてきたものであることをみる。相対性理論については別のしっかりした講義があるから、この講義では簡単に取り上げる程度にしよう。必要な予備知識は講義のなかで説明する予定だが、テーマによっては一年生には敷居が高い場合があるかもしれない。
とにもかくにも「車屋さん」の音声トラックを抜き出して mp3 に変換し、iPod に輸出(ちなみにビデオで林檎がもってる iPod は一世代前のやつだね)。 これだけは、何をおいても、やらねばね。
復活してきたところで、まずは手始めに、二、三日集中して跳ね返り係数(プレプリントサーバー)の論文の改訂作業。
最初のバージョンの証明はあまりにがちがちで、かつ、部分的に怠慢な書き方をしていた(「図を見ろ」とか書いてしまった)ので、今回は、徹底的に整備し直す。 (ついでに証明を簡略化できるかと思っていくつか試みたが、けっきょく、全部ダメ。なんか知らんが、猛烈にぎりぎりうまくできている気がする。今の証明。) あと「よくある第二法則の証明みたいにやってしまうとどこがやばくなるか」を説明したパートも新たに付け加えたので、そこだけでも、読むとおもしろいかもしれない。
せっかくなので書いておくと、考えているのは次のような問題。
N 個の古典粒子が任意のポテンシャルで相互作用し合って作られている「ボール」がある。 ただし、相互作用ポテンシャルは任意だから、変な形のかたまりでも何でもよいのだが。 最初、このボールの内部自由度は温度 T の熱平衡状態にあるのだが、ボール全体としてマクロな運動量をもたせてやる。 (要するに、普通、ぼくらがボールを投げるときにやっていること。) このボールが、たいらな壁(二方向に並進対称な任意のポテンシャルでよい)にぶつかり反射される。 このとき、跳ね返り係数を e = (反射後のボールの重心の速度の壁に垂直な成分)÷(入射してくるボールの重心の速度の壁に垂直な成分)と定義する。
すると、(マクロな系では)かならず e =< 1 が成り立つ、つまり跳ね返り係数は1を越えない、というのが論文で証明した定理。
もちろん、結果は高校生でも知っていることだけれど、一般の N 粒子からなる「ボール」について、こんなことが一般に証明できるっていうのは、けっこう面白くないですか? (ぼくは、面白いと思う。) 使っている道具立ては、Liouville の定理とエネルギー保存則だけというところも、気に入っているのだ。 (よって、証明は、基本的には学部生でも理解可能。 ただし、不慣れな人が、このコンパクトにまとまった証明を解読するのは相当時間がかかると思うけど。)
改訂しながら、この仕事の意味を理解しようと考えているのだが、やっぱり真の素性はわからない。 夏の学校で関本さんに言われて検討したのだけど、やはり、これまで知られていた「第二法則の力学的導出」ではこの問題は本質的にあつかえない。 そういう意味で、既存の技術を一歩越えたのは確かなのだ。 その一歩越えたことが、それだけの「一発芸」でおわってしまうのが、それとも、うまくして、マクロな自由度と膨大なミクロな自由度が本質的に絡み合う系をあつかうための突破口になるのか。 時間をかけて考えていこう。
先週末くらいから仕事がはかどって、どんどん進んでいる。
ただし、教務委員としての仕事だけど・・
(でも、大学ってのは学生さんにできるだけ優れた教育を提供する場なんだから、それに直結する教務の仕事は、事務仕事のなかではもっとも楽しい部類に入るんだろうね。 実際、新しい授業の提案を具体化したりするのは楽しい作業だったよ。)
「物理学者ランダウ:スターリン体制への叛逆」佐々木力、山本義隆、桑野隆 編訳(みすず書房)をいただく。
ううむ。 いろいろ忙しいとかやることがあるとか言ってはいるが、これは、読まねばならぬ、というより、読んでしまうだろうな。
まずは、山本義隆氏による、重い「あとがき」を読む。言葉を頭の中で声にしながら、じっくりと。
今日で、今年さいごの講義と今年さいごのゼミがおわった。 息抜きに、ソファーに寝っ転がって、少し前に買ってあった Flanders の微分形式の本を読む。 何を今さらという感じだが(学生時代に日本語訳を読んだような記憶があるのだが、本棚には見あたらない。誰かに借りてたのかな? さすがに、こういう本は英語の方が読みやすくなった)、物理数学の講義に関連してベクトル解析がらみの質問を井田さんにすると、微分形式をつかってすいすいと計算してくれるので、便利だしかっこいいなと思って、ぼくも少し手に馴染ませようと思ったのだった。 講義のためにベクトル解析を一通り再構成したあとで、ピントがあっているので、愉しく読める。
夜も遅くなったころ、ドアにノックがあり、なんと(非常勤講師もお願いしている)明治大の中村さんがいらっしゃった。 ちょっとご用があったのだが、それはすぐに終わり、(伏せておいてあった Flanders に中村さんが気付いたので)微分形式やベクトル解析の話でひとしきり盛り上がった。 (なにしろ、中村さんは、あの朝倉の解析力学の著者だからね。)
ええと、妻が息子のお友達のお母様と電話で話したら、ご主人の日記を家族で読んでおりますなどと言っていただいたということなので、ちょっと肩に力が入りそうになってしまったオイラなのだ。 (私信→)あの、どうかまた遊びに来てやってください。
「おれおれ詐欺」あらため「振り込め詐欺」は、いよいよ悪化しているようだ。 すでに、新聞やテレビの報道だけじゃなく、家族の知り合いなどから被害にあいかけたという話を聞くようになってきた。 (ある家で、年老いたおばあちゃんが一人で留守番しているところにオレオレ電話が! だが、強いおばあちゃんだったので「人様の家に電話するのに名乗らないとはなにごとかっ!」と叱りとばした。 知り合いの家に、大学生の息子さんが事件をおこしたという電話が! たしかに家の中に息子の気配はなく、母親はパニックになったが、それでも必死で冷静になって息子さんの部屋を覗き、ベッドで爆睡中の息子さんを発見、などなど。)
さらに、教育機関の関係でも、実例のお知らせがあったと聞く。 たとえば、以下のような詐欺未遂があったそうだ。
都内の中高一貫の私立男子校: おたくの息子さんが、お友達の自動車を借りて運転していて事故をおこしてしまった(「おかああさああん、ごめえええん」と泣く男の子の声)。 すぐに示談金を振り込め。これがお嬢様学校になると、
都内の中高一貫の私立女子校: 怪しい老婆の声(??)と女の子の悲鳴につづき、お嬢さんを預かった。 命が惜しければ800万円(←高っ!)を振り込め。男の子はバカをやって問題をおこし、女の子は誘拐される。 ベタなイメージそのままではあるが、それこそが、親がもっとも心配しそうな弱点なのかもしれない。
そして
都内の国立大学: ご主人(大学教授)が女子高校生にわいせつ行為をした。 表沙汰にしたくなければ示談金を振り込め。そういうイメージかよっ!!
ようやく冬が到来という感じの寒い日だが、息子はサイクリング部の仲間たちと千葉あたりを50キロだかなんだか走っているらしい。 「子供は風の子」などという台詞も聞かなくなった、とか書こうと思ったが、そもそも子供という年でもなくなってきた。
Landau には、統計力学と熱力学を絶妙に使った(と思われる)不思議な導出が書いてあるのだけれど、これが、あまりに形式的すぎてわかりにくい。 ていうか、少し読んだが、わからなくなった。 (佐々さんによると、ゆらぎの話はけっこうややこしく、理解しないまま嘘を書いてしまっている本もあるらしい。)
こういうときは、Landau は見ないで自分でやった方がいいと思って、本を持ち帰らず家でやっている。 ぜったい確実にできる方法(ベタに統計分布を使ってゆらぎを求めてしまう)で計算しようと思うのだが、なんか、複数の量がゆらぐ場合の計算が思うようにいかないのだなあ。 と書いていたら、もう少しうまいやり方があるような気もしてきたのでやってみよう。
昨夜くらいから、ちょっとシリアスなメールをやりとり。 けっこう気が滅入るのである。
ここ最近におきたこと・これから少し先におきるだろうこと(というよりも、おきなかったこと・おきないだろうこと、というべきか)を思いながら、Rutgers で Lebowitz と二人で昼ご飯を買いに行ったときの会話を思い出す。
Hal: Joel, statistical physics in Japan ... is in bad shape. (ジョエル、日本の統計物理は、・・・まずい感じなんだ。)無論、全体がいかに bad shape になろうと、われわれのように立場の安定した研究者の個々の研究にすぐに害がおよぶわけではない。 最大の問題は、次の世代の人たちが育ちがたいということなのだ。Joel: Yes. (そうだね。(←白々しく慰めたりしないで即答してくれる))
Joel: Once there were many good researchers, but .. (むかしは、たくさん優秀な人たちがいたのに・・)
いかにも久保演習書に書いてありそうな話だけどなと思って開いてみたら、やっぱり最後の方にちゃんと書いてありますな。 Landau よりわかりやすいんじゃないかな? ぼくがやっていた T-p 分布での計算もあるよ。 しかし、詳細はともかく、種々の平衡分布でゆらぎが議論できることについて、分布がわかっているから当たり前であり、「特にここに原理的に取り立てていうことはない」と宣言しているのは驚愕もの。 マクロな系のマクロな量のふるまいについて確定的な予言をするのが統計力学なわけで、それをセミマクロな系のゆらぎにまで拡張して使いうるかについては、深刻に悩むべきなのである。 このあたりの脳天気さというか、統計力学の分布を文字通りに受け取ってしまう傾向というのは、ぼくらよりも上の何世代かに共通しているようだ。 (もっと昔の人は必死で考えていたはずだが。) 統計力学を世俗的に普及させるために、あえて、そういうややこしい事には目をつぶって「万能の公式だぞ」という教え方をしていた、ということなのか?
わが畏友(←いや、わざわざ畏友と書く意味があるわけじゃないんですが、この言葉なんとなくかっこいいから一度つかってみたかったので、この機会にと)ナカムラさん(←わざわざカタカナ表記にしましたが、いま、「ナカムラさん」というフレーズをグーグルで検索すると、わが畏友が全世界の 4,330 のナカムラさんのトップに表示されます。ちなみに「中村さん」と漢字にしてしまうと5位に転落。「中村先生」と尊敬してしまうと、ええと・・・ねえぞ、何番目だ?)が、最近、「極端大仏率 Returns!」と題した blog を始められたことをご存知の方も多いだろう。 まったく、blog などという流行もの好きの文化人のやるようなものをやりおって、トラックバックとか意味わかんねえし、真の科学者なら logW じゃろうが、とも思うのだが、ま、それは人の勝手だし。
また、ぼく自身は、自分の logW に他人がコメントをつけられるようにするなんて、もうあまりにも恐ろしくて、想像もできないわけだけど、たしかに読者の身になると、気楽にコメントができる形式はそれなりに愉しい。 とくに、ぼくの跳ね返り論文をネタにしたエントリー(←なんで、文章とか記事とか言えばいいところを、わざわざエントリーとかいうかね、鳥肌でちゃいますね)には、なんとわが畏友・早川尚男氏のコメントまで加わって、実に面白く有益な情報交換と議論の場になったのである。
しかし、ナカムラさんはあくまでナカムラさんなので、blog に単に論文へのコメントや感想を書くだけでおわるはずがなく、数理物理の奥義がどうしたケンシロウがとうした、と無理にネタに持って行こうとする。 そうなると、コメントを書く方も、気楽に学問の議論だけするわけにもいかない。 むこうがふったネタは、こちらが受けなくてはいけないのだ。 ナカムラさんが「ひでぶっ」を使っているから、ぼくも北斗の死に音(←「死に音」で「しにおと」と読む一つの言葉です。死ぬときの音のことを言います(今、つくりました))をコメントタイトルに使おうと考えた。 はじめは、「あべしっ」かなと思ったのだが、ここは文脈と流れからして、より難解な「たわばっ」だろうかと気が変わる。 しかし、「あべしっ」の開放的な音感も捨てがたい。 だが、第二法則が基調にある以上は「たわばっ」か、と悩みに悩み、「あべしっ・・・・たわばっ・・・・あべしっ・・・・たわばっ・・・・」とつぶやきながら、「あべしっ」と「たわばっ」の動作を交互にくり返してロバに乗っていくうち、ついわれを忘れ、向こうから来たわが畏友・韓愈の一行の行列につっこんで・・
と、まあ、(一部に誇張もあるがそれは白髪三千丈の文化と思って許していただきたい)かかる苦労をしてコメントを書いているわけなのである。
というわけであり、まあ、みなさんお察しのように、ぼくは、「北斗」の雑誌連載をやんちゃなガキの頃に(←白髪三千丈よりは正確な表現である)リアルタイムで読んだ世代だ。 今でも、
ジャギが強いと心から思っていたあの頃の自分にはもう戻れないといったフレーズを愛用しているほどである。
しかし、時を経て大人になった今、あの殺伐として救いがたいが妙に心に残る世界の住人たちの中で、なつかしく鮮やかに思い出すのは、ラオウやシバといった主要なキャラクターではなく、
コマクさまなのだ。
コマクさまは、別にストーリー展開上は大した役割を果たさない、ただの悪役だ。 より正確には、ある週に登場し、その週のうちに死んでしまっただけの、逃げも隠れもしない、ちょい役である。 殺され方にしても、かっこいい奥義で倒されるのではなく、自分がもっていた毒薬の瓶を無理に口につっこまれて、それをのまされて死ぬ、という情けない死に方であった。 死に音も、今でもよく覚えているのだが、単なる「おあ!!が!」でしかなかった(←すみません、嘘です。死に音を覚えているはずがない。検索したのです)。
しかし、当時のわれわれには、この毒薬を多様する小柄な悪人が妙に気にかかった。 コマクさまの台詞や行動、周囲の男たちのコマクさまへの態度などを分析し、彼がいったいどういう背景と経歴を持った人物かについて数々の仮説を設け、熱い議論を闘わせた。 そして、それらの議論をふまえ、彼についての未解決の主要な疑問点を「コマクさまの四つの謎」として、まとめあげるに至ったのだ。
すなわち、
さて、そんな風にわれわれがコマクさまに深く注目していたある日のこと、来日していた Michael Aizenman が学習院の江沢先生のところでセミナーをするというので、ぼくらも勇んで聞きに行ったのだ。 そこで、Aizenman につづいて、一人の長髪の若者が短い話をした。 ベーテ仮設の完全性という、普通は若い研究者は決して手を出さないような伝統的な難問を真っ向から研究している。しかも面白い新しい結果を得ているようだ。 Aizenman も喜んで、大いにほめているではないか!
そして、この若者の名前は、なんと、コマ ク さまだった!!
「学習院に、コマ ク さまという、(北斗のコマクとは正反対で)すごい奴がいる」とのニュースはたちまちぼくらの仲間たちのあいだに広がった。
次の物理学会のときには、かなり分野もちがうのに、「おお、あれがコマ ク さまですね」と彼の発表を見物に行くやつもいたくらいだ。
そう。 これこそが、のちにわが畏友にして共同研究者となる高麗さんとの出会いだったのだ。 「北斗の拳」を毎週よんでいたようなガキの頃の話である。 (つづく(←冗談です))
来年は一年生の最初から物理数学の講義をもつので、その心の準備も兼ねて、前から気になっていた
The Unreasonable Effectiveness of Mathematics in the Natural Sciencesにざっと目をとおしておく。
by Eugene Wigner
基本的には、ぼくらが日頃から言っているようなことが書いてあり、「うんうん。そう」と思いつつ、読む。 驚くほど深い掘り下げはないが、あったら逆に怖い。 もちろん、若い人が読んでも面白いと思います。
けっきょく、何がすばらしいかというと、わかっている人には見ただけで言いたいことが強く確実に伝わる、このタイトルの付け方ですね。 すでに文章のタイトルというよりは、箴言に近い形で引用されていると思います。
意味をとって優しく日本語訳すれば
自然科学において数学が筋が通らないほどに役に立つことについてという感じでしょう。 あるいは、
自然科学における数学の不合理なまでの有効さの方がポストモダンっぽくてかっこいいかな。
しばらく前、佐々さんのところに遊びに行っていたら、佐々さんが研究室の学生さんたちに「書類は、ぜったいに,ためない! でてきたら、すぐに書き込んで事務にまわす! いいね?」と教えていた。 ぼくも、立場上、「うんうん、そういうもんだよ」みたいな雰囲気を漂わせて聞いていたんだけど、内心では、密かに「やっぱ、やりたいことがあると、書類は放置してやりたいことをやるから、書類ってたまるんだよなあ」と思っていたのだった! もう時効だから言ってもいいだろ --- って、そんなことは全然ないか。 佐々さん、ごめんちゃい。
前から時間の空いているときにやろうと思っていたのだが、いっこうに手がつかず置いてあったのだ。 不思議なもので、なにかの加減で気分が戻ってくると、何の苦もなく改訂作業が進む。
この論文については、PRL の二人のレフェリーが
A テクニカルでダメと分かれて微妙。 ただしきわめて堅実な結果だから、うまく書き直せば通る可能性は高いと判断している。 問題は DLG を「非平衡の Ising 模型」と認定するかどうか、というところにかかっているのかもしれない。 レフェリー B にはその点を説明する必要はないのだが。B 面白い結果だから載せよう、でもちょっとイントロとか書き足そうよ、
でも、実際のところ本当に DLG は「非平衡の Ising 模型」なのか(つまり、パラダイムモデルとして、われわれを新しい世界に、新しい知識に導いてくれるモデルなのか)、と読者は問うかもしれない。 もちろん、答えはわからない。 でも平衡相転移の理論のときだって、最初はわからなかった。 皆ががんばって進んだから、Ising model はパラダイムモデルになったのだ。 非平衡についても、進んでみなければ、最終的な答えはわからない。 たとえ、(最悪のケースとして)ある自然な方向に進んでも何もないということをわれわれに知らしめるだけでも、十分に「非平衡の Ising 模型」としての役割を果たしたと言えると思う。 そうならないことを祈るわけだが。
さて、私は、いわゆる「漫才ブーム」をリアルタイムで経験し、また、ブーム直前に「やすし・きよし」と渋谷の歩道橋ですれ違い(7/25/2002 の雑感を参照(わざわざ参照するような話ではないが))、さらに、東京乾電池時代の高田純次を新宿のやたら安い飲み屋で見た(←背が高いし、目つき鋭いし、はっきり言って怖い感じだった)という、お笑いの歴史の生き証人(?)なのでありますが、さいきんもお笑いがはやってるみたいですね(←バランス悪い文章)。
あまりテレビを見ないのですが、たまに子供たちといっしょに見たかぎりでは、「あんたたちのやってるのは、芸能界の内輪をネタにした、ただのマッチポンプ的ぼやき漫才ですから。残念! 放送界の自食症候群斬り!」という感想をもってしまわないではありません。 ま、単に流行についていってないというだけかもしんないけど。
ただ、「いつもここから」のツッコミ暴走族というフォーマットのお笑いは、勢いがあり、ネタも幅広く、ツッコミのレベルが多様で、そして、なんと言っても、すなおにおもしろいので、好きです(アンガールズも好きですけど)。
というわけで、年末スペシャルということで、オイラも自分なりにツッコミ暴走族フォーマットのネタを作ってみました。
西二号館の前の煉瓦の小道のところで、男の学生とちょっとかわいい女子大生が「久しぶりい」とか挨拶していたんだ、 バカヤロー! コンニャローメ!おもしろくなる前に、方向が変わってしまいました。コンニャローメ! 大学はふつうに勉強しに来るところのはずなのに、「今日はなにしにきたの?」とか聞いてんじゃねえぞ、 バカヤロー! コンニャローメ!西二号館の前の煉瓦の小道のところで、男の学生とちょっとかわいい女子大生が「久しぶりい」とか挨拶していたんだ、 バカヤロー! コンニャローメ!コンニャローメ! 男が「あ、今日、講義」って、考えられる中でいちばん驚きのない答えを言ってるのに、「あ、そうか、講義なんだああ」とか、いかにも意外そうだっていうリアクションをいつまでもしてるんじゃねえぞ、 バカヤロー! コンニャローメ!ナントカ協会から来た、「大学の授業改善のためのなんとか」とかいうアンケートに、「講義の資料を web を通じて配布しているか」という質問項目があったんだ、 バカヤロー! コンニャローメ!コンニャローメ! 「web を利用して授業を進めているえらい人は何パーセント、そうじゃないダメな人は何パーセント」っていう結論にしたい意図があまりにも見え見えの質問じぇねえか、 バカヤロー! コンニャローメ!ナントカ協会から来た、「大学の授業改善のためのなんとか」とかいうアンケートに、「講義の資料を web を通じて配布しているか」という質問項目があったんだ、 バカヤロー! コンニャローメ!コンニャローメ! そもそも配り方なんかより資料の内容の方が肝心だし、同じ配るにしたって印刷して授業で配った方が学生さんのためになるし、もらいそこなった人が部屋に直接とりくにくればそこで雑談もできて、よっぽど授業改善に役立つんだよ、 バカヤロー! コンニャローメ!物理学会で一人が長くしゃべる「特別講演」っていうのが、いつのまにか、「招待講演」って呼び方に変わっていたんだ、 バカヤロー! コンニャローメ!コンニャローメ! それでも中身は特別講演のときと別に変わらなくて、ほとんどが分野の中でおもしろそうな話を推薦してるんだけど、自分の身内を学会に呼んで話してもらいましょうなんていう「招待」がどこの世界にあるんだ、 バカヤロー! コンニャローメ!物理学会で一人が長くしゃべる「特別講演」っていうのが、いつのまにか、「招待講演」って呼び方に変わっていたんだ、 バカヤロー! コンニャローメ!コンニャローメ! 「そうやって招待講演の数をふやすことで、他分野と競争を有利にしたかったんじゃないでしょうか」って、もし本当にそうなら、その程度のせこい看板の書きかえで競争しようと思った瞬間におまえの完敗は決定しているんだよ、 バカヤロー! コンニャローメ!○○にいるやつが「うちでは、たくさんの大学院生の指導をしなくてはならないので、じっくりと球を選んで場外ホームランをねらうような研究はできないんですよ」とか言ってんじゃねえぞ、 バカヤロー! コンニャローメ!コンニャローメ! そう言いながら、おまえらこそが場外ホームランを打つ一流選手なんだろうっていうみんなの素朴な期待を正そうって気持ちがちょっとでもあんのかよ、 バカヤロー! コンニャローメ!○○にいるやつが「うちでは、たくさんの大学院生の指導をしなくてはならないので、じっくりと球を選んで場外ホームランをねらうような研究はできないんですよ」とか言ってんじゃねえぞ、 バカヤロー! コンニャローメ!コンニャローメ! そういう言い訳を言った時点から、坂をどんどん転がり落ち始めて、あっという間に、全員がバッティングマシンで打ちやすい球を投げてもらって打ち返す程度の研究レベルに落ち込んじまうんだよ、 バカヤロー! コンニャローメ!
でも、しょせんはツッコミ暴走族なので、真面目にとらないでくださいね。
ぼくの今年の「悪い子成分」は昨日の(これまで書いた中でおそらくもっともヘビーな)雑感ですべてはき出してしまったので、今年の残りのぼくは、とてもよい子になります。
とはいえ、今年はあとちょっとですねえ(にやり)。
比較的あたたかい。
自動車がほこりまみれで「病気のようだ」と家族に嫌がられているので、猛烈に久々に洗車。
その勢いでワックスがけをすると(拭き取りのときに)絶対に後悔するだろうという確信があるのだが、つい、勢いでワックスがけをはじめ、やはり拭き取りのときに飽きて後悔。いい加減な拭き取りですませる。
その後、なぜか勢いがあまっており、家の中でもフローリングにワックスがけをはじめる。
床のワックスがけは、それなりに頭を使う作業なのだ。 ワックスが乾くまでのあいだしばらくは、ワックスをぬった床を歩くことはできない。 ぬり進めていったとき自分がどこに退くかをきちんと計画しておかないと、部屋の隅っこで行き場を失って5分か10分ただ立っていることになってしまう。 今回は、いちばん奥の部屋に読んで時間をつぶすための本をあらかじめ置いておき、最後はそこにこもって、本を読みつつ乾くのを待つ。 計画的だ。
こちらは、飽きて後悔したりは、しない。 拭き取りがいらない、というのがポイントなのか。
天気予報は雨のはずだったのに、朝から、きれいなボタン雪。
今年さいごの可燃ゴミ出しからて戻ってきて、傘にのった雪を払う。 雪の粉がパラパラとおち、傘はまったく濡れていない。 この環境では、H_2 O は固体なのだ。
道路にも軽く積雪。
弱接触 SST の周辺を掘り下げる。 土地勘を磨き、これを「文化」に近づける地味な努力。 どちらかというと狩猟型(しかも、ナイフをもって一人で獲物をしとめにいくタイプ)の研究が多かったぼくにとっては、めずらしく、農耕型の(といっても、少人数で水をやったり耕したりしているのだが)研究なのかも。
左が、この初代プレイステーション2の写真。 買った当時は小さいと思ったが、この程度の大きさがある。 カッパが乗れるほど大きい。
長年つかっているうちに、DVD の読み取りあたりからおかしくなってきて、ついにはゲームにも DVD 鑑賞にも使えない状態になってしまったのだ。 もはやゲームをする体力も気力も知力も失った私だが、DVD が見られないのは困る。 息子は、ゲームができないので、困る。 利害が一致したので、先日、二人で池袋に行って新しくプレイステーション2を買ってきた。
右が、新しいプレイステーション2だ。 「これは、ただの DVD ケースじゃないのか??」と思うほどの小ささ! カッパと比べた大きさを実感してほしい。
持ってみてもやたら軽くておもちゃのようだ(たしかに、おもちゃではあるが)。 インチキのただの箱じゃないかとさえ思いたくなるが、ちゃんとゲームもできるし、DVD もちゃんとうつる(「群青日和」のビデオ好きだなあ)からすごい。 前のは DVD 再生用にメモリーカードを挿す必要があったが、それもいらない。 小さくなって進化している! (文明の今の段階では)それが普通なんだけど。
いや、ま、それだけの話で、要は、二つのプレイステーション2の写真を並べて大きさの違いを実感してもらいたかったのである。
(大きさの差を強調する工夫をしたつもりだが、かえって、大きいのか小さいのかわからなくなった気もする。
新しいプレイステーション2は、本当に小さいです。)
あれま、また雪だ。
今度は粉雪だが、しっかりと積もった。 子供たちは屋上に積もった雪で遊んでいる。 やっぱり、若い。
夕方には、一昨日につづいて、息子と雪かき。 といっても、学習院のアパート時代にやっていた雪かき(たとえば、1/27/2001)に比べれば何でもない。プチ雪かきだね。
かつては妻とぼくで作っていたのだが、去年は、主にぼくと息子が妻の指示にしたがって作った。 ついに、今年は、妻とぼくが下準備をしたあと、きんとんを練るという主要な作業はほとんどすべて息子がやってくれた。 なんと楽な(娘も少し手伝っていましたが、彼女は皆のレモネードを作ったり、主に他の仕事をしていました。念のため)。
こうして、きんとんの楽な作り方が開発されたわけだ。
雄大にして斬新なアイディアだと思ったが、よく考えると、すでにぼくの両親はこれを実践していたことに気づいた。
というわけで、明日は、息子作のきんとんを持って実家に行ってきます。
去年の最後(12/30/2003)なんかは、ずいぶんと気合いをいれていろいろと書いている。 ま、書きたくなるようなきっかけがあったのでしょう。 「一人の研究者として、できる最良のことは、けっきょくは、最良の研究をあとの世代に残すことに尽きる」という、まともで凡庸だが、大切なことがしっかりと書いてある。 もちろん、一年たっても私の基本的な考えは変わらないので、こういうことをくり返すのはやめておこう。
去年のおわりには「来年は、派手にやりましょう」と宣言していたけど、ま、ほどほどの派手さだったかな? ともかく、とても楽しくのびのびと研究ができた楽しい日々でした。
年の変わりがどうのと気にせず、研究、教育、本書きなど、やりたいことを楽しくやっていくつもりです。
みなさま、よいお年をおむかえください。 来年もよろしくお願いします。