茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
あれまあ、あっという間に十二月である。
昨日の夕方からは、ひたすら、集中講義(11月28日)初日の準備。 Ising 模型の低温での秩序の存在証明などは、さすがに目をつぶってもできるのだが、クラスター展開とか、例の Isakov の結果とか、完全に自分の物になっていない部分は、予想以上に時間がかかる。 原から、本の原稿の最新版が届いたのだが、クラスター展開の明快なまとめがあっって、きわめてタイムリー。 最後の無限系の平衡状態についての部分は、基本的に本の原稿に沿えばいいので思ったより楽だった。
というわけで、なんとか土曜のうちに月曜の準備がすんだ。
ただし、これで油断はできないのであって、水曜の講義で配る講義ノートの準備をしなくてはならないから、今夜は雑誌の原稿の仕上げをして、明日は(午前中に大学で用事をして)そちらに集中せねば。
朝は大学に行って、公募推薦入試の面接試験。
今年から始めた新制度だが、導入してよかったと思う。
いわゆる入試の多様化の一つだが、本当にうちの物理学科で本気で物理をやりたいと思っている生徒に、早めに入試を片づける機会を作るというのは、悪くない考えだ。 一時期、AO 入試とかそういのが行き過ぎになって、面接官の前でけん玉を上手にやった奴を合格させたりして話題になっていた。 最近は、その手の馬鹿話を聞かなくなったが、さすがになくなったということだと期待したい。
プリペイドカードを見ると、前に行ったのは、なんと11 月 5 日。ほぼ一ヶ月ぶりのプールじゃ。
最初、百メートルくらいは全く調子が出なかったが、だんだん普通に泳げるようになって、ほっとする。軽く千メートル泳いできた。
なんというか、ある程度運動をすると、体の中で何らかの「スイッチ」が切り替わる実感がある。
こうやってスイッチを入れて、明日からの多忙な日々に立ち向かうのであーる。
集中講義一日目。
ひたすらイジング強磁性体に限定して、熱力学、相転移、臨界現象、自発的対称性の破れ、無限系の平衡状態の特徴付けについて、厳密に理解されていることを概観するという無茶な企画(もちろん、無茶でない計画を立てることもできるのだろうが、あえて無茶なことをやるからこそ、田崎なのだと思いたい)。
通年の講義でさえ可能な題材だが、それぞれの「物理」に対応する厳密な結果を絞り込むことで、なんとか半日での講義が用意できた。 いくつかの定理については、証明(の概要)も説明し、決してただの「お話」にはしないのだ。
1時過ぎに話し始めて、7時過ぎまで。 途中二回ほど休憩したから、6時間弱か。
もちろん、すべてチョークで板書する。 このような長丁場になって疲れてくると、書くのはいいが、だんだん黒板消しで消すのが億劫になってくる。けっこう力がいるのだよ。
多くの方に熱心に聴いてもらって、気持ちがよかった。 最後まで立ち見の方がいらっしゃったのは、大変申し訳ない。 立っているだけでも、十分に疲れる時間だと思う。
しかし、佐々さんや清水さんからの質問への受け答えは、聴いていて有意義だったろうと思う。
最後の「無限系の平衡状態」のパートで、佐々さんが質問をするたびに、質問へのほぼ完璧な答えとなる定理がその直後に用意されていて愉しかった。
もちろん、これらの定理の証明は猛烈に困難で、何十年にもわたって徹底的に整備され、ついに 二十世紀の最後に 二十一世紀になってから、新しいスターである Bodineau によって完成されたのだ。
別に何か科学を進めたとかいうわけでもないのに、無性にいい気持ちだ。 きわめてレベルの高い科学の一連の成果に、ぼくなりのストーリーをつけて、まとまった形で多くの人に伝えることができた。
あ、ひょっとすると、きわめて完成度の高い古典的な交響曲を指揮して、コンサートを成功させた後というのは、こういう気持ちなのかも知れないなあ(ちなみに、今夜の「のだめ」はブラームスの一番)。 やっぱり、人間の文化である以上、人々の前で何かを描き出すというこには、特別な意味があるんだ。
さて、今日のが古典的交響曲なら、来週の量子スピン系は、近代のオーケストラ曲かな? 今日のテーマだった、相転移という自然からの出題に真っ向から向かう壮大さとはまた別の、量子性と多自由度性が織りなす驚きと華麗さがあるはず。 三週目のハバード模型は、少し渋めの室内楽、あるいは、ジャズかな? 最初は、スタンダードと見せかけて・・・
ええと、その、あれです。三週間にわたって毎週月曜に、ほぼ「読み切り」的な講義をするという「擬似集中講義」の場合、初回の前には一回分の準備だけをしておけばよいという余裕感、お買い得感があって、ついつい余裕な気がしてしまうものですな。 しかし、初回で6時間話し続けて「すごくパワフルな人だ」とか「さすが水泳の威力」とか言われて喜んでいても、けっきょく、翌日、翌々日まで疲れが残るのが四十台の現実。 その疲れから回復しつつ、決して暇ではない一週間を過ごしながら、二回目の準備をするのは、なかなか非自明なことだと強く実感する今日この頃であります。
集中講義というと、手近なセミナーのファイルを適当にかき集めて筋を作るという人が少なくないのは知っていますが、そんなのは講義じゃないでしょ。 講義だよと宣言して若い人に時間とエネルギーを割いて聴いてもらう以上は、じっくりと考えて、何らかのストーリーを描き出さなくてはいけない。
というわけで、第二回目の明日 11 日は、「現場」を離れて十年以上たったところで、量子スピン系の世界を見て、「量子系ならでは」の面白さ・難しさがどういうところに出てくるかを、駆け足で見ようという企画。 前半は反強磁性ハイゼンベルクモデルの長距離秩序と対称性の破れで、Koma-Tasaki の仕事も大きなウェイトを占める。 後半は、九十年代のメガヒットとなったハルデンギャップ問題。 もちろん、ぼくの関わった仕事もいっぱい出てくる。
前回は、ひたすら文句なく偉大な仕事の話ばかりをしたが、今回は自分の仕事の比率が多い。 もちろん、見劣りしない重要な仕事を選りすぐって話すつもりだが、ま、見劣りしているかしていないかは、聴いた人の判断にお任せするしかない。
とかいいながらも、今日もプールに行ったのである。 いや、決してやけくそではなく、頭を整理するためにプールに行ったのだ。 そのお陰で、最後の部分の流れはしっかりとできあがった(はず)。
これの報告も書きたいが、そんな事やっていると、明日の準備が終わらないので、またにします。
おっと、「水伝」がらみで、朝日新聞「論座」の締め切りは今日ではないか。 明日(午後ずっと講義で疲れ果てる予定)も明後日(教授会は長くなって疲れ果てるであろう、そして、忘年会、ていうか水曜の講義の準備もせねば!!)も作業できる気がしないので、今夜、講義の準備が終わったら原稿の最終修正をして、編集者に送ろう。
簡潔に言えば、web 日記を書いている状況じゃないということだ。
集中講義二日目。
量子スピン系の入門から始め、Perron-Frobenius の定理(ただし、実対称の場合)の証明もちゃんとやり、長距離秩序と対称性の破れの問題を議論し、Haldane gap の話へ。 やはり6時間。 前日についビールを飲んで夜更かししていたせいもあり、久々にリポビタン D を飲んで講義に臨んだが、しかし、ばてた。
おまけに、まったく予期しなかったことに、聴衆の中に大野さんや長岡さんといったすごい人が混ざっていて、最初は緊張してしまった(最初だけですが)。
すべての時間(というか、三日間全部)を Haldane gap につかってもよかったなあと思うのだが、いや、待て。 そうやって、低次元の量子ゆらぎの強い部分だけの話を聞いてしまうと、高次元でちゃんと反強磁性秩序が出現するという、よりまともで普遍的な話を知らないままになってしまう(どんな分野にも、そういう「オタクなことしか知らない第二第三世代」というのがいる。科学の幅を狭める悪しき存在である)。 やっぱり、高次元の話もしなくてはいけないのだ。 というか、そっちも粒子系の凝縮現象とのからみではきわめて重要で、そこを掘り下げられなかったのは、悲しい。 ま、これも、ちゃんとやろうと思うと、三日間・・・
と、前回とは違って、ある種の「限りない悔い」が残る講義になってしまったが、まあ、それも計画の内なのだと思うことにしよう。 あれだけのストーリーの中から、何かが少し頭と心に残ってくれれば、成功だろうと。
定義から出発して、簡単な場合の標準的な解析、摂動論から、強磁性の発現について長岡の定理、flat-band 強磁性、そして、それを越える結果、について堅実に解説する予定。
さあ、準備をせねば。
朝日新聞の夕刊に、稲葉さんによる「『水からの伝言』を信じないでください」の紹介(ブログ解読)が出ている。
半日のあいだに、たくさんのメールが来ている。また、水がらみで新聞社の方からのメールがあった。
おお! 佐々さんが、ぼくの集中講義のあとで量子スピン系の夢をみたそうだ(佐々日記 2006/12/12)。 これぞ、講演者冥利に尽きるというもの。 そこまで精神を没入して聴いてくださった事にひたすら感謝。
しかし、なんだ? 「VBSとNeel order を連続的につなぐパラメータがあって、そのパラメータ変化に対してスピンがどうかわっているかがありありとみえる」のか? ぬぬぬ。 そんな馬鹿な。 いや、待てよ。 それは、ええと、ああいう風にパラメターを増やして Z_2 X Z_2 対称性をいったん殺し、相図のこの部分を通って・・・
よーし。来週もこの調子だ。
聴きに来た人が全員、「区別のつかない電子たちが格子の上を飛び回り、二粒子の名前が入れ替えると符号が反転するというフェルミオンの対称性を守りつつ、クーロン相互作用を感じることで、非自明なスピン空間の相互作用を感じる」という楽しく愉快で絢爛豪華な夢を見ることを目指して、がんばるぞー。
これ読んだら、来る人が減るかな(来週の月曜の1時から、部屋は駒場16号館119, 129)?
卒業生の S さんから近況についての連絡。 とにかく、自分の力で第一歩を踏み出すことができたのとことで、本当にうれしい。 教員をやっていればこそ味わえる喜びだ。
在学中のあれこれを思い出すが、しかし、想い出に浸っている場合ではないね。 どうか、がんばってください。
こちらにも、この日記にもしばしば登場した M 君をはじめとした懐かしい顔ぶれが(しまった、せっかく M 君と会ったのに、日記に書けるようなネタができなかったぞ)。
金曜以降、空き時間は、ほとんど集中講義三日目の準備。 その合間に、「論座」2月号の原稿のゲラをチェック。
ハバード強磁性の話は、ほぼ完璧に頭に入っていて、現役で動いているから、そういう意味では、見通しは立ちやすい。 逆に、内容が盛りだくさんになり過ぎないよう、冷静に工夫する必要がある。
朝も昼も、ひたすらノートを仕上げ、夕方にプールに行く。 これが、日曜の過ごし方の定番になってきた感があるなあ。 泳ぎながら、ノートの内容を反芻し、書きすぎてしまった枝葉を刈り込む作業。
今回のためにまとめた展開は、なかなか簡潔で見通しがよい。 このストーリーでハバード強磁性のレビューを書けば有益だろうということを、泳ぎながら考える。
ぼくの読書の時間は短い。 暇になることはないから、なんだかんだで、ちょっとずつ時間を作っては、一冊の本を何週間もかけてゆっくりと読むのだ。 夏の終わりから積年の悲願だったボルヘスの三冊の再読を終え、それから、長年必読と思っていた津田敏秀さんの『医学者は公害事件で何をしてきたのか』と『市民のための疫学入門−医学ニュースから環境裁判まで−』を読み終えたところで、さあて次は何を読もうか、そろそろドストエフスキーでも読もうかなあと思っていると、ふと、甘すぎてイケナイとわかっていてもある種の華麗な完成度の高いお菓子が食べたくなるように、「春の雪」の華美な世界に触れたくなったのだ。 前に読んだのは大学生の頃だから、細部は覚えていないけれど、あの独特の空気は忘れられない(ぼくは、三島はそれほど網羅的に読んでいるわけではない)。
で、秋のある日、ぶらりと大学の本屋さんを覗いてみたら、全四巻のうち、一巻目だけが売れて品切れだった。 「秋は、そうやって本を読もうと思って買っていく学生が多いんですよ」と、本屋の奥さんがおっしゃる。 それはよいことだ。 是非とも、後の巻まで読んでほしい。
その後、近くの本屋を探したけれど、不思議にみつからないでいるうちに、用事があって実家に帰ったときに本棚を見たら、カバーの変色した「豊饒の海」がちゃんと四冊並んでいた。 これをもって帰って、懐かしく読み始める。 ヘタはヘタなりに人様に見せる文章を多く書くようになり、自分の文体に意識的になっているので、まずは、お約束だが、三島の文章のあまりの巧みさ華麗さにただただ舌を巻く。 そして、三島の美文を時には二度三度と口の中で音読しつつ、彼の世界にどっぶりと浸かっていく。 必ずと言っていいほど美しい若い女性の描写が出てくるのは、やはり心地よい(美しい若い男の子の描写は、ちょっと・・・)。 まさに浮世離れした設定ではあるが、学習院も頻繁に登場するので、昔読んだ時とはちょっと感じが違う。 あれま、松枝と本多が腰掛けて話をしているのは、南一号館のすぐ側じゃないか。
ゆっくりとした読書とはいえ、季節は冬になり、もう三巻目まで来てしまった。 巻を追うごとに歳を取っていく本多の年齢と、自分の年齢を比較すると、本当に年月が経ったことを感じる。 最初に読んだときのぼくは、一巻での主人公たちの年齢に近かったわけだが、今や、ちょうど(以下略)
集中講義三日目。
ともかく風邪をひいたりせず、健康にこの日を迎えられたことを、諸々に感謝する。
実際、
(水曜と金曜に)通常の週2コマの講義をしながら月曜に新たに準備をしながら集中講義という今回のプランは、完璧に健康であることを前提に、ぎりぎり実現可能な線になっている。
講義当日に体調が悪ければ、あの分量を6時間話し続けるのは絶対に不可能だし、月曜以外の準備期間に風邪で頭が朦朧としていれば、それでもアウト。 そう考えると、われながら、無茶な計画にとびこんでいったものだなあと思う。 楽観的というか、想像力がないというか、最初はそんなことは全く考えていなかったのだ。
それが、二回目が終わったあたりから妙に不安になってきた。
世間では風邪だのノロウィルスだので持ちきりだし、隣の部屋の井田さんも原因不明の不調でダウンしていたらしく、出てきた様子を見ても顔色が悪い。
ああ、もし俺もダウンしたらとか思うと、気が重くなってくる。
そう思うと、なんか喉が痛くなってきたような気がして、「いや、これは風邪とは関係なく、単なる講義の疲れだ」と 水から 自らに言い聞かせ、ともかく、できるだけ睡眠をたっぷりと取る生活を続けていたのだった。
今回も、かなりの人数の方が聴きに来て下さった。ありがたいことだ。 今日は佐々さんもフル参加。大野、長岡のお二人もまた来てくださったし、清水さんも途中からずっと一番前で聞いてくれた。
一体の tight-binding のシュレディンガー方程式からはじまって、operator formalism の解説もして、モデルの定義、基本的な性質の説明。 half-filled で反強磁性が出ることをみて、Lieb の定理の紹介。
あとは、ひたすら強磁性。
長岡強磁性を(ぼくのやり方で)ちゃんと証明。 そこから先は、ぼくの仕事。格子点が三つの格子での長岡強磁性に注目することで flat-band ferromagnetsim を発見するという「ニュートンの林檎」的な説明。 flat-band ferro について、描像を与えつつ証明を概観。 この証明も、はじめてやった頃に比べると、ずいぶんと見通しがよくなったものだ。
最低エネルギーバンドの状態に制約したあとでは、実空間での斥力が、状態空間での斥力と状態空間での交換相互作用を生むというのが、田崎モデルでの強磁性の基本的な物理だが、こうやって明文化してくれたのは田中さんだ。 彼がそういっているのを聞いて、「あ、そうか、俺のやったことは、そういう風に言えるんだ」と素直に感心したのである。 今回は、この説明を使わせてもらったが、確かに落ち着きがよい。
で、いよいよ、私の(今のところ)最高の仕事である、バンドが flat じゃない場合の強磁性の話に。
この部分に入って説明を始めたところで、この仕事の意味と難しさを伝えるのは自明じゃないということを、妙に生々しく、直感的に感じた。 自分で電子系をある程度いじったことがある人なら、ハバード模型で(U 無限大とか、すごいことをしないで)強磁性の存在が厳密に示される、というのは、それだけでも相当に信じがたいことだと感じるはず。 しかし、バンドが平坦だとわかると、あ、なんだそれなら可能かも、と安心できるのだ。 だからこそ、平坦バンドじゃない場合をやろうというのは(自分で言うのはアレだけど)相当に根性の入った、無謀な研究方針だったと言えるのだ。 で、それが、どうにか一連の例については完全に解決したわけで、それは意味のあることなんだと信じている。
とはいえ、今日、はじめて「ハバード模型入門」を聞いて、最初から主に「非摂動的な」結果や強磁性の出現例に出会った人には、そういう「常識」はない。 バンドを曲げることが、なぜそこまで絶望的なのかは、伝わらないだろうと思う。 これが 1995 年以前だったら、「むずかしい。ずっとやっているが、まだできない」と悲痛な顔で言っていれば、それなりに伝わったかも知れない。 でも、今となっては、結局は(すごーく、トリッキーな方法でだけれど)証明できてしまったわけだから、逆に、「難しいぞ」ということを伝えるのが難しくなるわけだ。 考えてみると、妙な話だ(しかし、まあ、結局できてしまった部分というのは、「できた」という事実によって、それほど難しくはなかったことが明確になったと言ってもいいのだよね)。
この部分は、結果と証明のアイディアだけを話し、最後の金属強磁性は、モティべーションと、「少し進んだ」という宣言だけで終わり。
これでも、7時半近くになっており、実に長い講義となってしまった。
何人かで打ち上げに行き、軽くビールを飲む。 十時までという約束だったので、時間が来たところで打ち止めになった。 ぼくは時間経過の感覚を失って、飲み話し続けていたので、時間を切ってもらってよかったと思う。
今回の集中講義はとんでもない体験だったということを、今頃になって、強く実感する。
ともかく、体力、精神力の消耗は並大抵ではなかったようだ。 もちろん、他大学での集中講義のために、本務である学習院での水、金の二つの講義の質が落ちてしまうのは絶対に許し難いと思うので、いつも以上に気合いを入れて話しまくってしまう。 そのせいもあるのか、講義が終わると、腑抜けみたいに、ぐったりとしてしまう。 火曜あたりは本当にダメダメで、人と話しているあいだはなんとかちゃんとしているのだが、一人になると、ほとんど何もできずにグダーとしていた。
今回の集中講義は、統計力学の基礎や非平衡の問題以外でのぼくの研究に関わるすべてを今の時点から見直して、そこから最良のものを選りすぐって、もっとも伝わりやすい形で皆に伝える試みだった。 ぼくの研究者人生のうちの、ちょうど半分くらいを、三部からなる組曲として表現し尽くす行為だったといってもいい。 佐々さんに上手に誘われて引き受けたわけだが、全てが終わってみて、よくぞこんなことをやろうと思ったなあと我ながら呆れるほどだ。 ここまですさまじい事になると冷静にわかっていれば、飛び込んで行くことはなかっただろうなあと思う。
もちろん、それだけに、充実感はきわめて高い。 研究者・学習者・教育者としての自分自身を、厳しく、愉しく、見つめ直す素晴らしい体験になった。 こういうチャンスを与えてくれたことを、佐々さんと駒場の皆さんと、集中講義に参加して下さった全ての方に、心から感謝している。
三日目の講義が全て終わったあと、佐々さんから「こんな講義はもう二度とできないでしょう」というような事を言われ、ぼくは(なにせトランス状態だったので)「いやいや、まだいくらでもできる!」とか無意味にハイな答えをしていた記憶がある(ヤバイ状態だったので、記憶がいい加減だけど、多分、そうだったと思う)。 でも、今になってみると佐々さんが正しかったのではないかと思う。 ここから先の何年間かは、集中講義を引き受ける余裕はないが(というか、そもそも依頼もありません。かっこつけて、すみません)、たとえ集中講義を再びやるとしても、もはや同じ事は決してできない。 そもそも、こんな大変になるとわかってしまった以上、こんな無茶なプランでは講義できないし、万が一「再放送」しても、今回のような先の見えないスリルとか一種異様な緊張感は二度と味わえないと思う。
次に同じくらいの迫力の集中講義ができる可能性があるのは、今回のテーマとは全く異なった路線、つまり、統計力学の基礎、非平衡熱力学、非平衡定常状態の確率過程による解析などなどを、まとめて「ふり返って」話すことだろう。 そんなことができる日など、今のところ想像もできない。 でも、今回の集中講義をはるかに超えるようなすごいものできるよう、がんばりたいものだ。
週の間は、時間割の最終調整を含めた教務の雑用。 土曜日は、さすがにエネルギーが不足したか、どうも学問的に高揚せず、年賀状を書く。
まず、朝、ベッドに入ったまま、ひたすら頭を講演に集中し、構成を考える。 聴衆の顔が浮かばないので、小嶋さんと、今度久しぶりに会うことになる同級生の渡辺の顔を思い浮かべながら、トークを作り、だいたいの姿が見えてから起き出す。
基本的には、この前の集中講義の路線に従って、flat-band ferro と non-singular model の話をざっと見て、最後に田中さんとの metallic ferro の仕事を紹介する。
朝からプレゼンテーションを作り始めるが、最初はなかなか仕事が進まない。 ちょっとあせったが、さすがに、KeyNote 3 と LaTeXiT とのコンビネーションは偉大で、コツをつかむとどんどん進む。
さすがにプールに行く余裕はなかったが、少なくとも、まともな時間内に発表の準備と旅行の準備が終了。
25, 26, 27 日と、小嶋さんが主催された数理解析研究所での研究会「量子解析におけるミクロ・マクロ双対性」に出席。
三日間とも朝 10 時から夕方 6 時までのハードスケジュールだったが、なんと、無遅刻無欠席で全ての講演を聴いてしまった。えらすぎだ。
出先のホテルや喫茶店で日記を書くのもかっこいいだろうと思っていたのだけれど、けっきょく、三日目の朝ご飯を食べながら、ちょっと書いただけだった。 でも、せっかく書いたので、ここに載せておこう。
さて、数理研研究会の三日目。このあと、駸々堂(京大の近くにある、昭和初期の雰囲気を残した喫茶店)にまつわる大学院生の頃からの想い出でなんぞを書くつもりだったのだが、トイレに行きたくなってしまったので、ここで打ち切りになったのであーる。昨夜の激しい雨はあがり、今朝は太陽も照っている。 ホテルをチェックアウトし、京都御所の中を少し通って、大学まで歩く。 なかなか気持ちのよい朝。 鴨川をわたる橋の上でしばし立ち止まり、いつになく増水した川の様子をしばらく眺める。
途中、駸々堂によってカフェとミックスサンドを。 実は、今、これは駸々堂の大きな木のテーブルに向かって書いているのだ。 このお店をご存知の方は、様子を思い浮かべてね。
楽しみにしていた長岡浩司さんの講演は、やはり期待を裏切らなかった。 一種の推定の問題だが(と言っていいのだと思うが)、ぎりぎりのシンプルな設定で、古典系と量子系の本質的な相違が見事に浮かび上がるような、非自明で、しかし、かろうじて手が届く問題を扱っている。 長岡さんは、この問題について長年考え続けることでイマジネーションを膨らませてきたという。 科学者としてのそういう構えには憧れる。さらに、最終的な解決にしっかりと貢献しているのだから、文句なく素晴らしい。 研究会のあいだ、上田さんと何度も長岡さんの講演について話し合い、二人でイメージを作り本質を理解する努力をした。 問題設定に慣れるところからはじめて、少しずつ消化してみたい仕事だ(そう思って、今日、早速プレプリントをダウンロードして印刷した)。
二日目に招待講演をした学習理論の専門家の渡辺澄夫氏は、実は、ぼくの学部時代の同級生、というより、きわめて親しい友人なのだ。 彼の仕事についても、少し解説などを読んで知っているのだが、講演を聴くのは初めてで、これもとても楽しみにしていた。 渡辺は、「数理物理の専門家には、こんな簡単なことは、当たり前にわかるでしょうが」という感じの台詞を連発していたが、統計力学と似ているようで微妙に異なる概念が出てくるので、けっこう難しかったと思う。 何回か混乱してしつこく絡んだおかげで、だいたいの筋書きはのみこめた。そのかわり、渡辺自身の仕事である特異性がらみの話しには進めなかった。これは、また次の機会か?
上田さんは、Bose-Einstein 凝縮についての招待講演。 耳学問でよく知っている部分もあったが、後半は知らない話が主。 ほとんどが平均場で片づいてしまうトラップ中の BEC について、多体系の扱いが意味をもつ問題を切り出してくる腕はさすが。 ソリトン系での low-lying excited states の話しは、本質的に Koma-Tasaki と同じシナリオ。 ついでに平野研で何をやっているかについても聴くことができた。 確かに、平野さんがやりたいと言っているのは聞いたのだが、もう、そこまで進んでいたのか。 こちらも、さすが。
沙川さんのデーモン付きの Jarzynski 話は、ぼくにとっては完全に自分の庭。 ぼくらがやった仕事と同じだろうと思って脊髄反射でコメントしたら、デーモンがはさまることで、微妙に違うことを知った。 うーむ、そこを何とかせねばと午後のうちに別の方針を考えて沙川さんに話す。
他に印象に残ったのは、河東さんのいつもながら黒板だけを使ったエレガントな講演、小嶋さんの難解すぎる野心的な講演などか。 小澤さんの講演は例によって明晰で、観測のエレガントな定式化をもとに交換しない物理量の同時測定についての深い結果を議論していたと思うのだが、お恥ずかしいことに、途中で集中力を失ってフォローし損なってしまった。 濱地さんの「変形量子化」のお話は、まったく初めて聞く話だったが面白かった。 予期せぬ収穫という奴だ。 ぼくの講演も、かなりイメージ通りだったので、ちゃんとしていたと思う(外国人が一人いたので英語で話したが、日本人には、やはり日本語の方がわかりやすいだろうと思う。これは、いつも悩ましいところだ)。 講演の出だしの台詞は、
I'm very happy to be here again, because this area of Kyoto university is, to me, a "holly place."という感じ。 けっこう本心からそう思っているのだけど、日本語ではちょっと白々しすぎて言えないので、この機会に。
渡辺とは、一時期は毎日のように顔を合わせていたわけだが、彼が大学院で数理研に進んでからはなかなか会うこともなかった。 今回のようにゆっくりと話ができたのは、本当に、学部時代以来かもしれない。 お互いの雰囲気が全く変わらない(と、自分たちでは思う)だけに、あれからすさまじい年月が経って、今や二人ともいい年をしたプロの科学者になっているという事実をあらためて不思議に感じる。
長岡さんとは二人で新幹線で帰ったので、彼が量子情報を研究するようになったいきさつや、その後の量子情報の展開、その中での彼の立ち位置などについて、(ぼくのリクエストにこたえて)いろいろとお話ししてくださった。
量子情報の開祖というべき人たちさえ分野から去り、わずかな人たちだけが自らの興味に従って堅実な研究を進めていた時期があったとは、驚きである。 ぼくの知っている研究分野の風景とは、ずいぶんと違っている。 そして、しばらくすると、アメリカからすさまじい流行が到来する。 ぼくが量子情報という分野に接するようになったのは、もちろん、このブーム到来よりも後のことである。 昔の日記(11/11/2002, 11/12/2002)の量子情報の研究会の感想文でも、この分野のあまりの玉石混淆ぶりに驚いているが、これこそ、ブーム以前からの流れと、ブーム以降の流れの対比が生み出したものだったのだろう(もちろん、ブーム以降の研究の中にも、素晴らしい物もある)。
長岡さんの描き出す学問風景にただただ圧倒され感銘を受けているあいだに、新幹線は東京に着いた。
近所のプールは明日から年末年始の休業に入る。 せっかくなので、少し大学に行って作業するための書類や本を持ち帰った後、泳ぎに出かける。
さすがに人は少なく、途中は「完泳コース」を貸し切り状態。 速い人が追い越せるように配慮したりせずに、ゆっくり泳げるので気持ちがよい。 平泳ぎをしながら、目が水面下に沈んだところでわずかに上方を見上げると、水面にプールの底のコースラインがきれいに映っているのが見える。 このプールでこの光景を見るのはとても珍しいことだ。
予定もないし、調子に乗ってたくさん泳ぐことになるのかと思っていたのだが、普通に 1000 メートル泳いだところで疲れを感じたので、そこで打ち止め。 さすがに、ハードスケジュールの疲れはたっぷり過ぎるほど残っている。
あっという間に大晦日。
28 日で大学は最後のつもりだったのが、次々と忘れ物を発見して、29 日も 30 日も大学に行ってしまった。ま、適度な散歩なのではあるが。
いずれにせよ、のんびりしている暇はない。 Christian Maes との共著論文の校正を出版社に送り、停滞気味だった統計力学の講義ノート(=本の第 0 次草稿)を書き進める。
ボース・アインシュタイン凝縮の議論で、和と積分の使い分けのところがどうも釈然としなかったのだが(それでも、例年、一応の評価は紹介していたが)、今回、平野さんとも議論した結果、ようやく正解がわかった。 もちろん、知っている人は知っている評価なのだが、ふつうの教科書には、書いてないなあ。 たいていの本にはいかにもご都合主義的な説明しか書かれていないのだ。 ともかく、ちゃんと筋が通って、すっきり。
砂糖をきちんとふるいにかけて、徐々に入れるのが「だま」を作らないコツだね。 今年のは、なかなかよいのではないかな?
あ、なんか緊張感のない結びになったが、まあ、たまにはそういうのもありでしょう。
みなさま、どうかよいお年を。 来年もよろしくお願いします。