日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2/10/2007(土)

いやあ、すっかりごぶさたしてしまった。

先月の最後の記事は 18 日だけど、実は、これは今日書いたのでインチキ。実に一ヶ月以上、日記を書かないで過ごしてしまったことになる。

別に病気をしていたとかいうわけではないのだが、書けない理由が全くなかったかというと、そうでもない。 ともかく、やりたいこと・やるべきこと・やらなくてはいけないことが多すぎて、忙しい。 さらに、実際に忙しい以上に、「これからさらに忙しくなるぞ」という精神的プレッシャーを強く感じていて、余裕がなくなるのである。

ま、そうは言っても、プールにもある程度は通っているし、本を読んだりもしているのだが。

さらに、今日は、なんとまあ

歌舞伎
を見に行ってしまった。忙しいと言っている人の行動じゃないけど、そこは、家族とのつき合いもあるし、林檎ちゃんはよく歌舞伎座に行くみたいだから、もしかしたら会えるかも知れないし、そうじゃなくても、林檎ちゃんも好きな歌舞伎だと思うと親しみがわくし、今までほとんど接して来なかったので、現物がどんな風のものか素直に興味があったし、ちょうどよいチャンスだったので、歌舞伎座に出かけて行ったのだ。

出し物は、私のような無知の輩にもわかりやすい、仮名手本忠臣蔵。 妻によれば、超大物が何人も出演する豪華キャストだったらしい。 確かに、パンフレットを見ると、松たか子のパパも出ていた。 座席もよい場所で、落ち着いて見ることができて、なかなか愉しい時間を過ごした。

面白いなあと思ったのは、演劇としての密度とかモードがまったく一様じゃない(と、ぼくには感じられた)ということ。 盛り上がるところは、動きも間合いも台詞も素晴らしく、息をもつかせぬ見事な緊張感。 そうかと思うと、たとえば、お葬式の場面とかになると、なんか、普通のお葬式と同じようなペースで何人かが順番にお焼香を上げている。 これが、けっこう長く続く。 間を持たせようとか、観客を飽きさせまいといった配慮は(少なくとも、ぼくが感じた範囲では)なくて、リアルのお葬式でお焼香の順番を待つときと同じような、退屈で、間の悪い空気が、舞台の上に作られている。 で、まあ、観客としては、お焼香の際の役者の動きの一挙手一投足に感動したり、観客に背を向けて合掌する役者の「背中の演技」に全神経を集中したり、舞台の上に微動だにせず座っている周囲の人々の作りだす空気を必死で鑑賞し続けたりする必要は(おそらく)なくて、現実のお葬式のときみたいに、ちょっと気まずく退屈して、音を立てないようにお茶をちょびっと飲んだりしていればいいのであろう(実際、前口上でも、「お菓子など、召し上がりながら、ゆるゆるゆるーーーりと」見ていればいいと言っていた)。

しかし、まあ、長いお芝居。

朝の 11 時から夕方の 4 時まで見ていたわけだが、これだけ延々とやっても、この「昼の部」は、お家断絶になって家臣がちりぢりになるあたりまで。 仇討ちの準備を進めたり、討ち入ったりするのは、この後の「夜の部」になるのだ。 われわれのように、「昼の部」だけで帰る人、入れ替わりで「夜の部」だけを見る人、そして、「昼の部」「夜の部」を通しで見て一日を歌舞伎座で過ごす人がいるらしい。 なんか、すごいね。

というわけで、けっこう盛り上がるストーリーだったわりに、途中でおわってしまって、ちょっと残念。

あのつづきは、どうなるんだろう??  ひょっとすると、今夜は、ついに、討ち入り部隊が撃退されて仇討ち失敗に終わるもしれないし・・・


2/23/2007(金)

相変わらず、日記が書けない。


21, 22, 23 日と、卒業研究の発表会と修士論文の発表会で、朝から夕方まで、ほぼ缶詰。 しかも、教務関連で締め切りが来る書類が次々とあって、空き時間も働きづめ。 普段は「給料をもらうために働いている」という自覚はほとんど持たないのだが(すみません、われながら幸せ者だ)、こういう日々ばかりは、働いているぞという自覚があるわい。

今日に至っては、朝からずっと発表を聞き、昼ごはんのお弁当をあわてて食べた後、教務課に走り、大あわてで打ち合わせをして、また走って発表会場に行ってぎりぎりで午後の発表を聞き、発表会の後のわずかな時間は(休めばいいものを、働き癖がついて)講義ノートの改訂作業を少しでもこなし、それから夕食を食べながらの採点会議が延々と続き、さらに、会議のあと、ひょっとしたことから、四年生の何人かが卒業直前にちょっとした「青春の想い出」の1ページをつくる(←ま、いわゆる婉曲表現じゃ)お手伝いまでしてしまった。 ま、そういうのも、教員の喜びかもしれないけど。


一部の発表のレベルは、相変わらず、やたらと高い。 あれとか、あれとか、あれとか、ちょっと驚いた。

例年通り、ちょっと笑えるのもあったよ。

「この装置は、昨年、当研究室の○○が」と、先輩の名前を敬称なしであげた(←もちろん、これが正しい)のだが、そこで観客席にいるお姉様の姿が気になったのか、「開発されたもので」と敬語になってしまった◇◇君。

「装置については、このがいろずをご覧ください」とよどみなく話しながら、「概略図」を見せていた△△君。

などなど。いや、研究発表の内容は立派だったけど。


2/27/2007(火)

たまにしか書かないのに、その主内容が他人へのリンクというのも情けないが、これには是非とも触れておきたいので、許してもらおう。 ちょっと長いのだが、できれば、下にリンクした、岸さんのブログの記事「今日、下のおっさんが出会い系で知り合った女に会いにいきます」をご覧いただきたい(あっちこっちで話題になっているので、アクセス殺到でサーバーが落っこちているかも知れません)。

これは、岸さんのお知り合いが mixi 日記に書かれたものを、岸さんが再編集して公開されてているもの。 「下のおっさん」というのは、これを書いている人のアパートの下の階に住んでいる「還暦前のおっさん」のことだ。 タイトルから明らかなように、その「下のおっさん」が出会い系サイトにはまってしまったという話なのだが、まさに今、おっさんが急激にのめりこんで、後戻りの困難な一線を踏み出しつつあるという状況の実況中継になっている。

今日、下のおっさんが出会い系で知り合った女に会いにいきます
「下のおっさん」がはまっているのは、メールを交換する際に有料のポイントを必要とするようなメール中継のサイトだろうと思う。 おっさんは、経済的にあまり余裕がないというか、まあ、貧乏しているらしいが、このサイトにかなりのお金をつぎ込んでいるようだ。 しかも、おっさんのところに、相手の女性たちから来るメールというのは、単に「お付き合いしましょう」といったものではなく、「愛人になってくれたら、○○円払います」という信じがたいもの。 しかも、金額も、三十万と、二百万とか、一千万とか無茶苦茶なのだ。

そもそも、男女を比べたとき男の方が圧倒的にスケベだということは、みんな、小学校くらいの頃からイヤというほど痛感している事実のはず。 歴史をみても、社会をみても、お金を出してまでセックスするのは男と相場が決まっている(もちろん、男だったらみんな金を出してセックスするわけじゃないですよ)。 逆の事例もあるって話は確かに耳に目にするから皆無ではないのだろうけど、けっきょくは、きわめて珍しいし男が喜ぶから、尾ひれがついて話題になるのでしょう。

ともかく、若い女性が、男に金を払ってセックスしたいと言っているという時点で、死ぬほど胡散臭いわけですが、その相手の男が「名無し」とかいう名前を名乗っている(?)見ず知らずのおっさんなわけで、そんな話、たとえ水や氷が「ありがとう」を理解するようになったとしても、決してあり得ないでしょう。

言うまでもなく、おっさんに手紙を送ってくる「女性」たちは、みな「サクラ」と呼ばれる立場でお金儲けをしている人たち。 おっさんのようなお客さんにメールをたくさん書かせる(つまり、サイトにたくさんお金を払わせる)ことだけを目標に、架空の人格や設定を作って、メールのやりとりをしている人たちだと思う。 あの手この手で男を引きつけて文通を続け、実際に会おうという話になると、最後の最後でかわして、決して実際に会うことはない。 もちろん、送られてくる写真は赤の他人のものだろうし、そもそも本当に女性である必要もない。 たとえば、「出会い系サイトのさくらバイトルポ」を読むと、ひげ面の兄ちゃんが様々な女性キャラを演じてお金を儲けている様子がわかる。あと、ここにもそういうバイトをしていた人の述懐がある。

しっかし、かわいそうに、「下のおっさん」はすっかり本気になっている。 女性と付き合って1000万円もらうことで「ワシ、この生活抜け出せそうや」と本気で未来への希望を抱いている。 そして、この記録の作者が、手を変え品を変えて、一生懸命に説得しても、一向に手を引こうとしないのだ。

上の一つ目のレポートあたりは、興味津々で読んでいたのだが、それに続く

今日、下のおっさんが出会い系で知り合った女に会いにいきます (2)
を読み、さらに、
今日、下のおっさんが出会い系で知り合った女に会いにいきます (3)
と、いよいよ、おっさんが深みにはまっていくのを読むと、だんだん悲痛になってくる。

おっさんは、サイトに払うお金がなくなってきて、文通相手の「女性」たちに連絡が取れなくなり、焦っているようだ。 そもそも、一千万円を貢ごうと本気で思っている人物が本当にいるなら、わざわざサイトを通して文通しないでも、携帯電話の番号やメールアドレスを教えてくれるだろう(ていうか、貢ごうと思う前に、会うよね)。 そんな、あまりに当たり前の判断もできないほど、おっさんは、この架空の物語にどっぷりと取り込まれてしまったということなのか。 あるいは、ここまで来てしまった以上ウソだとは認めたくないというところもあるのだろう。

もちろん、信じるのがアホだというのが正しいわけだが、やっぱり、人っていうのは(進化の仕方からしても)一人になるとすごく寂しく感じることがあるわけで、こういう商売はそのあたりを巧みについているんだろうなあと思う。凡庸な感想だが、やりきれない気持ちになる。 せめて、こういうケースをあっちこっちで話題にして、この手のサイトの実体を多くの人に知ってもらうのがいいんだろう。 「下のおっさん」が真実を見つめて引き返してくれることを祈りつつ、このケースを本にしたらいいっていう岸さんの意見に賛成票を一票。

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言うまでもないことかもしれませんが、私の書いたページの内容に興味を持って下さった方がご自分のページから私のページのいずれかへリンクして下さる際には、特に私にお断りいただく必要はありません。
田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp