日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


3/7/2007(水)

二月は短いと言われるようになって久しいが、この年齢になって、それをいっそう強く実感した。 昨月の、わしの日記を見るかぎり、二月は三日間しないぞ!


というのは、さておき、ようやく「統計力学」の全体の草稿を完成して、公開。 今は、横で、全 406 ページを片面で印刷中(ぼくのレーザープリンターは古いので、遅い、遅い。いつまでかかることやら)。 これを印刷屋さんに出して製本してもらい、講義で配り、また、読んでほしい人たちにも配布する予定。

しかし、この分量になると、手直しが大変。とくに、最後の追い上げに入ってからが、長かった・・・

と余韻に浸っている暇はないのであって、この段階で、この本のことは(いったん)すっぱり忘れて、次になすべきことを始めないといけないのである。


3/10/2007(土)

来週、九州大学を訪問して、セミナーをします。

3 月 16 日(金)15 時から
九州大学箱崎キャンパス 理学部3号館3階、 3311 室

非平衡定常系の確率過程

非平衡系のマクロな普遍的な性質を記述する「非平衡統計力学」の建設は、二十一世紀の理論物理学の夢だが、今のところは、その手がかりさえ得られていない。具体的なモデル系での非平衡状態の性質を調べることが、その出発点になるかも知れない。

Driven Lattice Gas は、外力に駆動されて実現される非平衡定常状態を調べるための標準的なモデルとして、長年にわたって研究されてきた。われわれは、このモデルの定常状態(定常測度)の性質を、素朴な高温展開の手法で解析した。その結果、定常状態の性質が、確率的時間発展のルールにきわめて強く依存することを見いだした。そこで、Driven Lattice Gas の元になるべき、より基本的な物理系に立ち戻って、非平衡定常系での時間発展ルールをどのように選べばよいかを検討する。

今のところ数学的な結果はほとんどないが、将来的には数学として意味をもつ問題に発展することを期待している。

基本は Raphael とやった古い話で、少しだけ、あれから考えたことを付け加えるつもり。 もちろん、セミナーには、どなたでもご自由に参加いただけると思います。

セミナーの後に近くのお店で懇親会を開いていただけるそうです。 もし懇親会にも参加しようという方がいらっしゃったら、予約の都合があるそうですので、世話して下さっている原さんに火曜日までにメールでご連絡ください。


さて、話の準備をしなくては。 なんだかんだいって、非平衡系の確率過程からは、しばらく遠ざかってしまったから、勘を戻し、今までに考えたことを頭にロードし直す必要がある。

論文にしていない計算の多くは散逸しているし、 論文に書いてあることも、なかなか難しくてピントを合わせるのに、少し時間がかかる。


うーむ。だいたい、リハビリ終了。

「(不慣れなのと、久々で気が大きくなっているのを利用して)無茶な予想を立てて、手を動かして、それがダメだと確認する」というプロセスをくり返すと、急激に勘が戻って、この世界の姿に馴染んでくる。 久しぶりにプールに入るような感触といえば、わかりやすいかも知れない(俺に)。


3/13/2007(火)

講義ノートの草稿を脱稿してから、圧倒的に余裕が出たみたい。

ともかく、膨大な量の原稿を読み返し、赤を入れ、修正をファイルに書き込んでいく作業なので、ともかく時間がかかる。 プールにいく時間も、筋トレをする時間も、読書をする時間もおしんで(しかし、睡眠時間はおしまず)作業し続けなくてはいけなかった。

今は、九州でのセミナーの準備をしているわけだが、でも、なんとなく余裕がある。 あれからプールには二回行ったし、筋トレもほぼ毎晩のようにやっている。

商売道具の脳トレはどうなっとるんだと言われそうだが、実は、そうやって余裕をもって体を動かしたり、泳ぎながら考えごとをしたりしている方が、頭はよく働くものなのだ。 昨日、今日で、「深いポテンシャルの谷間の間を跳び移る粒子の確率過程の遷移確率を求める」という課題ができたみたいだ(さっき、妻に言われていっしょにジーパンを買いに行った(今はいているのが、あまりに、ぼろくて注意された。新品をはいていたつもりだったのに・・)帰りに、もっとも一般の設定で、できた)。 古くから、かなりわかっていることではあるのだが、せっかくだから、古典力学(+平衡統計力学による初期条件)だけから出発して、厳密な結果を出しておきたかった。 外場がかかった非平衡系でも使えることが確実な結果なので、driven lattice gas とかの堅実な解析の出発点にもなるのである(というか、している)。

一年くらい前から、やればできると思って、主としてプールの中だけでやっていた。 でも、ごちゃごちゃと汚い仮定をいっぱい置いて力業の評価をすることしか思いつかなかったので、敬遠していたのだ。 できてみると、意外にも、かなりシンプルな設定で、ソフトな議論だけで証明が完結したので、ちょっとだけうれしい。


今日、印刷屋さんに、「統計力学」と「数学」の講義ノートの原稿を取りに来てもらった。 ふう、これで一安心。 統計力学の方は、寸前までミス等を直して、ページを差し替えた。

来年度の物理学科の新入生には、入学式前に、「数学」の講義ノートを配布する予定。

新入生歓迎の期間は、けっこう時間があるから、これを読めるだけ読んでくることを宿題にするのだ。ふふふ。 楽しみにしていておくれ(新入生で読んでいる人いる??)。


相変わらず多忙そうな、佐々さんの今日の日記
もう気分は、鹿児島とパリにいっているが
「コマンタレヴーでごわす」って感じ?
3/15/2007(木)

さて、いよいよ明日から福岡。

椎名林檎ファンにとっては聖地である。楽しみだ。

あ、考えてみたら、松田聖子ファンにとっても聖地である。 さらに、チェッカーズファンにとっても聖地だろうが、ま、ぼくはファンではない。 木村カエラファンにとっては、別に、関係のない土地だろうが、ぼくはファンになりかかってるかも(新しいアルバムにやられて、そのあと、Happiness のビデオを見て、かなり、やられかけている)

ま、そういう不真面目な「つかみ」はともかく、原が九大に落ち着いてから、訪れようとずっと思いながら、ついつい果たせずにいたので、とても楽しみだ。 九大の数理には、原だけではなく、(ぼくがよく知っている範囲でも)確率論の長田さんや、数理物理の松井さんなど物理にとって重要な人たちがいらっしゃるので、セミナーも有意義なものになることを期待している。 というわけで、「正しい街」をくり返し聴きながら出発の準備。


来週は物理学会で、多くの人が鹿児島に行くわけだが、ぼくは、別に福岡から鹿児島にまわるわけではない。 日程が卒業式ともろに重なってしまったので、学会には出席しないのだ。 その代わり、というわけではないけれど、今回、九大に行くことにしたのでごわす。

旅先では、メールも見ませんので、ご了承を。


3/20/2007(火)

卒業式。

毎年のことながら、(凡庸だが)感無量。

入学前からの「雑感」読者として話題にした○○君(4/8/2003)も卒業していくのだから、本当に、月日のたつのは速い。


九州への出張は、予想していた以上に、楽しく、有意義だった。

セミナーの聴衆は思っていたよりも多く、どういう方が聴いて下さっているのか分からず、少しとまどった。 けっきょく、物理の予備知識がなくても分かるように丁寧に話したので、まるまる三時間、話しつづけることになってしまった。

長田さん、松井さん、原さんの他、吉森さんが出席してくださって、いろいろと鋭い質問をしてくださった。 また、セミナーのすぐ後、ファンだとおっしゃる S さんとお話しし、「熱力学」の本にサインすることになり、緊張した(「普遍的」と書こうと思って、漢字を間違えたらどうしようと、あせり、自著をパラパラ見るふりをして、「普遍的」という漢字をさがして確かめていたのだ!!)。 わが共同研究者の田中さん、力学系の専門家の(佐々日記などにも登場する)石井さんなどもいらっしゃって、セミナーの後の懇親会でも、四方山話に花が咲いたのであった。

あとは、やはり、原とゆっくりと話すことができて、オフの時間にはご家族にも会えたのが、何よりの収穫だった。 百道(ももち)浜、百道中学など、椎名林檎ゆかりの地を訪れたこと、福岡訪問記念カラオケで「正しい街」を歌ったが緊張して(やっぱり)シンコペーションでミスったことなども旅の楽しい想い出であります。


3/25/2007(日)

「四月になると泣くほど忙しくなるから、今のうち」という思いを抱きつつ、何となく、色々な事をやっている。


ところで、最近は「ニセ科学」関連のことを日記に書いていないけれど、あいかわらず、少しずつだけれど、取材を受けたりマスコミの人と話をしたりしている。

毎日新聞が毎週水曜日に連載している「理系白書」の「科学と非科学」というシリーズは、大きなマスコミが「ニセ科学」に関連する話題を大々的にあつかった珍しい(おそらく、はじめての)例だろう。 踏み込みが足りないとか、書くべきことが書いていないとか、いろいろな批判も出ているし、もちろん、ぼくも完璧に満足しているわけではない。 しかし、大新聞というきわめて厳しい制約を考えれば、これは十二分に役割を果たしていると思う。 限られた紙面の中で、それなりのバランスを達成しているし、いくつかのテーマについては、かなり正確な情報を提供している。 ぼくとしては、大いに評価しているし、(「ニセ科学」批判に多少のエネルギーを割く一人として)この時点で、毎日新聞が本気を出してくれたことを感謝しているのだ。

この特集に関わっていらっしゃる記者の方とは、何度か会って話をした。 「水から伝言」を取り上げた第二回には、ぼくの授業が紹介されている(ここで出てくる「水に shine という文字列を見せたらどうなる?」というのは、とある学生さんに教わったネタ。 一種の「ツッコミ」であり、別に、これを理由に「水伝」を論駁しているわけじゃないですよ)。 また、今度の水曜日に出る号にも少し協力させてもらった。


と、書いていると、「田崎は、マスコミ大好き、毎日新聞バンザイ野郎なんだ」と思われるかも知れないけれど、正直なところ、そういうのとは少し違うと自分では思っている。

マスコミの人にはちょくちょく言っていることだが、今の日本でのテレビ・新聞の影響力にはすさまじいものがある。 大多数の人々がテレビ・新聞の報道を、一種の権威として、かなり絶対的に受け入れている。 当事者が望もうが望むまいが、マスコミは巨大な権力だ。 たしかに、マスコミを担う一人一人には大した力がなく、権力の一部をなしているという自覚は薄いかも知れないが、しかし、総体としてのマスコミは、すさまじい権力なのだ。 ぼくは、この権力に、純粋なおそれを抱いている。

とりわけ恐ろしいのは、マスコミという権力には、有効な批判者がいないということ。 今の社会で、力や影響力を持ちすぎた何者かについて、その存在を知らしめ、警鐘を鳴らすことができるのは、(ほぼ)マスコミだけだ。 しかし、そのマスコミそのものが、異常なまでの力を持っている。 残念だけれど、この事実を、正当かつ有効に批判する方法がないのだ。

「あるある」批判のように行き過ぎた物には、別のマスコミから批判が出るではないかというかもしれないが、あれも何かが違う。 「あるある」を特異なケースとしてスケープゴートにして話を収束させようとしているという印象がある。 マスコミ総体がもっているもっと大きな問題 --- ある種の圧倒的な無責任、安易なストーリーにもとづいた過剰なキャンペーン、被害者を食い物にする報道姿勢、などなど --- についての批判というのは決しておこなわれないのではないだろうか?

インターネットの時代になって、個人が発信する web ページが草の根的にマスコミに権威を崩していく --- などという神話は、ぼくには、まったく信じられない。 既存のマスコミは、当然ながら、金も人もあり、しっかりとした報道のための仕組みをもっているし、何と言っても、既存の信用と権威をもっているのだ。 それが、たとえばブログ程度のものでひっくり返るとは、全く思えない。


マスコミが過剰な権威をもち、真のマスコミ批判が存在しないという状況は、悪しきものだ。

何らかの手段で、少しずつでも、マスコミの過剰な権威を減らしていき、健全なマスコミ批判がおこなえる状況を作るべきだ。 おそらく、マスコミに関わる人たちにとっても、その方が、より自由に創造的に報道活動がおこなえると、ぼくは思う。 いずれにせよ、過剰な権威をすべて取り去ったとしても、既存のマスコミは素晴らしい速報能力と情報ネットワークを持っているのだから。

そうはいっても、今すぐに、ものごとが大きく変わるはずもない。

今、ぼくらにできることは、マスコミの権威をおそれつつ、それを最大限まっとうな形で活用することだと思う。 要するに、マスコミに関わる人たちと、きちんと話しをし、できるだけ正確で有益な情報を伝えてもらうように努力し、そして、何らかの意味でまずい報道がおこなわれたときには、できるだけそれを是正してもらうように地道に訴えていくのだ。 少なくとも、「ニセ科学」関連で接触したマスコミの方たちは、みなさん「聞く耳」を持っていて(というよりも、だからこそ、接触して来られたわけだ)、われわれの意見は(苦言に近いものであっても)真摯に受け止めてくれる。 そういうことを地道に続けるのが、けっきょくは、マスコミのあり方を少しでも改善することにつながるのだろうと、まあ滅茶苦茶地道すぎるが、思ったりもしながら、(しつこいようだが、教育、研究活動の合間に)ゆるいお付き合いを続けているのである。


やっぱり「ニセ科学」について書き始めると長くなるので、また続きを書くことにしよう。

ところで、さっきから「毎日新聞」ってタイプするつもりが、何度も、「真位置に新聞(まいちにしんぶん)」と間違ってしまう。 毎日関係のみなさん、ごめんなさい。

あ、でも、報道姿勢的に言って「真位置に」って、けっこう、いい感じかも。

真位置に、毎日
とかって、コピーに使えません? (はい、そうですね、使えませんね。)
3/27/2007(火)

ううむ、昨日の夜くらいから鼻水とクシャミがでる。

日々、水泳にいそしんで風邪をひかない体になっているはずなので、科学的に考えて、風邪のはずはない。 とすると、花粉症? 二、三日前には異様に肩が凝った(なので、プールに行った)のだが、症状が肩から鼻に移行したのか?


九州に行く前に証明した定理を、ようやく完全な形に整理。

昨日やっつけてしまうつもりだったのに、なんか、調子がでなくて、フォーミュレーションで滞って、堂々巡りしてしまった。 今日の形が最短で正しいだろう。


せっかくなので、昨日の続きで、「ニセ科学」批判について、もう少し。
ぼくにとっての「ニセ科学」との関わりの出発点は、もちろん、ちょうど一年前の日本物理学会でのシンポジウム「『ニセ科学』とどう向き合っていくか?(3/30/2006)」を提案したことだ。 何度か書いていることだが、「水からの伝言」が小学校教育にまで入り込んでいたことに衝撃を受け、菊地さんや天羽さんの地道な批判活動を物理学会のメンバーに知ってもらおうと思ってシンポジウムを企画したのだ。

まったく予期していなかったことだが、このシンポジウムは新聞や雑誌に取り上げられ、かなり大きな反響を呼んだ。 それまでも安井至氏や池内了氏ら、上の世代による批判活動が続いていたのだが、シンポジウムの報道を契機に、菊地さんや天羽さんの活動がクローズアップされ、ずいぶん色々なところで「ニセ科学」問題が取りざたされるようになったように思える。 もちろん、(今でも、多くの小学校で「水伝」や「ゲーム脳」がまかり通っていることからも明らかなように)批判活動の影響など微々たるもので、何かが大きく変わったなどとは思わない。 しかし、シンポジウムの前に比べると、少しは、全体のバランスがよい方にシフトしたのではないかと、いわゆる「仕掛け人」の立場から、ちょっとだけ、自負している(ぼくは、別に、「ニセ科学」を完全に駆逐することを目指していたりはしない。 そんなこと、できるわけもないし。 ただ、まずいものには、「まずい」という批判があるという健全な姿を作りたいと思っている)。

しかし、「ニセ科学」批判がそれなりの盛り上がりを見せている割りには、表に出て活動している科学者は、かなり限られている。 安井至、池内了、松田卓也のような「古顔」を除けば、実質的に活動しているのは(実は以前から水についての諸問題や教育問題についての発言されているので、古顔に分類するべきかもしれないけれど)左巻健男さん、そして、菊地さん、天羽さん、さらには、最近「参入」を宣言された小波秀雄さんくらいか。

そうなると、講演会とか、雑誌の特集とかでも、同じようなメンバーが入れ替わり立ち替わり顔を出すという「忍法・順列組み合わせ」的な状況が生じてしまう。 これは、ちょっと寂しいので、色々な分野の人たちに、もう少し、参入していただければと思う次第。


ぼくはというと、上記「本気でやっている人たち」からはちょっとだけ距離を置いているつもり。

「教育・研究の時間をほとんど奪われないでも、適切に情報を入手すれば、それなりに有効は批判活動ができるよ」という見本となることを目指している。 ただ、シンポジウムを始めとして、名前を出してやっているので、マスコミの人なんかからは当事者として見られがち。 東京にいて便利なこともあって、できれば他の人が出た方がいいところに代わりに顔を出したりもしている(明日の、真位置に、じゃねえ、毎日の座談会も、その例だなあ)。 気恥ずかしいという思いもあるが、「仕掛け人」となることを選んだ以上、ある程度のことはしようと思っている。

とはいえ、声がかかったものを全てお引き受けしているわけではない。 シンポジウムの件が朝日新聞で報道されて以来、おどろくほどの数の、取材の申し込みや執筆のお誘いが来ている。 いちおう書いておくと、ぼくのところには、専門の講演、解説や教科書の執筆のお誘いも多少は来ていて、自分の計画と合致しないときには(というか、それが大部分なのだが)、丁寧にお断りしている。 しっかーし、この一年間に「ニセ科学」関連で申し出のあった(たとえば新書などの)出版のお誘い等々の数は、もう、ぜんぜん比べ物にならないほど多かったのだ。 これは、ちょっとショックだったけれど、ま、それだけ「ニセ科学」関連の情報への世間での需要が高いということなのでしょう。 もちろん、それらのほとんどについては、「たいへん光栄ですが、残念ながら・・・」というメールを書いて、お断りしているのだった(一昨日も、今日も、そういうメールを書いた)。


というわけで、地道に「ニセ科学」を批判することには意味があるし、世間からの需要もある。 多くのプロの科学者が、自分の得意分野、得意な形式を利用して、なんらかの形で「ニセ科学」への批判をおこなってくれるとありがたいと思う。 シンポジウムから一年たって思うことは、けっきょく、はじめた頃と変わっていないわけだが。
うう。

しかし、こうやって書いていても、サラサラの鼻水がひっきりなしに出るぞ。 「風邪をひかない体」は「ニセ科学」だったか・・

あ、そうだ。 健康テレビ番組のこれからのテーマとして、

サラサラの鼻水とドロドロの鼻水
というのはどうだろう(この件についての取材はいっさいお受けしませんのでご了承ください)
3/28/2007(水)

やっぱ風邪でした。久々に熱を出した。

お医者さんにみてもらい、薬をのんだので、あとはひたすら寝ます。


3/30/2007(木)

教授会に出席するため外出。

私が病に伏せっているあいだに春が訪れていたようだ。空気の匂いが春。 家の前の桜も大学の桜も、ほとんど満開。


統計力学の草稿に関して、M さんから、大量のミスプリントを教えていただく。 ありがとうございます。

というわけで、改訂版を公開。

それにしても、

てゃない。 → はない。
って・・・
風邪のあいだは、何を思ったか、科学哲学関係の本を次々と読んでいた。 日本語の教科書以外に、「敵を知る(?)」意味もこめて、Feyerabend の "Against Method" も一気に百ページくらいざっと読んでみた。 ふうむ。たしかに、この、やたら斜に構えていて、やたら偉そうで、それでいて、結構はしゃいで元気な物の書き方(Let us see! とかビックリマークが出てくる)は、ある種の人たちには大きな魅力なのであろう。

この予期せぬ集中学習で学んだこと等については、またいずれ。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp