日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


4/1/2003(火)

4 月。

本日から学習院大学物理学科で西坂研究室が始動。

きわめて活発な一分子生物学の分野の一翼を担う重要な研究室となる。


4 月 1 日なので、これ(4/1/2002)のつづき。

曾祖母は猛烈に記憶力のいい人だった。 彼女のもっとも古い明確な記憶は、彼女が四歳の時にさかのぼる。 彼女は 1880 年代に生まれているから、1890 年前後ということになろう。 曾祖母の住んでいた東北の村の小学校にも、遅ればせながら教育勅語とご真影が届けられることになった。 東京からお役人様が貴重なものを運んでいらっしゃるということで、村中が道ばたに並んでお出迎えをした。 自動車に乗っていたのか馬車に乗っていたのか、そのあたりはちゃんと聞き損なったが、ともかく、その東京から来たお役人様は、布に包んだご真影を両手でしっかりと持ち自分の頭くらいの高さにしっかりと掲げたまま村人たちの前をゆっくりと通り過ぎていった。 ありがたい物であるというしるしであった。 が、それを見た曾祖母(当時四歳)はまわりの大人に聞いたそうだ。 「あの人は、東京からの電車のなかでも、ずっとああやって写真を持ち上げてたのかな?」

このエピソードを書いていても、高田馬場の自宅のソファにずっしりと座って、すべてについて独自の視点から冷静で批判的な意見を東北弁で語っていた100歳前後の曾祖母が、そのままの姿で田舎の村の道ばたにいるところを思い浮かべてしまう。 いや、もちろん、四歳だったんだから、外見はかなり違っただろう。 が、口の悪さだけは当時から変わらなかったということか。

次の話は、親戚から聞いた物だが、ひょっとすると曾祖母本人ではなく、彼女によく似ていた妹の話かも知れない。 曾祖母(ないしはその妹)が家庭の母となってからのこと。 子供の一人あるいは親戚の男の一人が、蛤(はまぐり)の何らかの成分にアレルギーをもっていて、食べるとジンマシンか何かがでる、という。 そこで、蛤が出るときは、その男は決して箸をつけようとしない。 しかし、彼女は、その主張を信じていない。 そこで、蛤のみそ汁をつくったある日、蛤を煮ているお湯の中に木のへらをさっといれ、つづいて、その木べらを、研いで水につけてあるお米の中にさっと通す。 もちろん、誰も見ていないところで。 こうしてお米の中には微量ながら蛤の成分が混入する。 しかし、彼女は何も言わず、ごく普通に、皆に食事をだす。 アレルギーのある男は蛤のみそ汁にはまったく手をつけないが、何も知らないので、ご飯は普通に食べる。 そして、食後になって、予想外にもアレルギーの反応に苦しむことになり、それを見て、彼女はようやく彼のアレルギーが精神的なものでなく本物だと納得したという。

これは、いわゆる単盲検試験 (single blind test) と呼ばれる奴になっているわけだが、彼女が科学の方法の教育を受けていたからアレルギーについても科学的に対処したのです --- という話ではない。 別に彼女はそんな検査法を習ったわけでもなんでもない。 ただ、自称アレルギーの男のいう事を疑い、本当に言うとおりなのかを確かめてやろうと思って、こういう実験をおこなったのである。 要するに、十分に懐疑的で頭を使う習慣のある人ならば、科学の方法と呼ばれるものを思いつき、実践することができる、という好例である。 (これに対し、科学的な観察や推論の結果を蓄積していって体系にするという作業は、いくら頭がよくても(普通は)孤立した一個人の手には負えないのですが。)

さて、つづくのかな?


4/3/2003(木)

停年退職をにらんだ部屋の片づけはまだ続いている。

とにかく、物を捨てることだ。 停年までに読める文献なんて知れている。 読めそうにない物は捨ててしまおう。 どうしても欲しくなったらまた入手すればいいわけだし。 無意味にとってあった初期の計算ノートなども捨てよう。 停年間際になるとセンチになって捨てがたくなるかもしれぬ。 膨大なフロッピーディスクも残念ながらゴミだ。 今更、この中身を読んで再利用可能なファイルを探すなど単に時間の無駄。 もちろん時代遅れのコンピューターや周辺機器も粗大ゴミとなる(Mac Plus は除く!)。

がんばった甲斐があって少し部屋に余裕がでてきたので、今日は、息子に来てもらって二人で軽い模様替えをする。 机やファイルキャビネットの移動は、さすがに、一人では苦しいから助かる。 重い物を運んだりすることに関しては、こちらに一日の長がある。 力はともかく、中学生に比べると、経験と技術が多少はある。 しかし、重い物を少し運ぶと、こちらはすぐにばてる。 中学生は元気だ。 学習院に着任したときは、この息子は生まれていなかったのだから、体力が落ちるのも必然か。

考えてみると、本当に停年になるときは、この息子も今のぼくに近い年齢になっているわけで、あまり手助けにはならないかもなあ。 孫に成長してもらわなくては。


4/4/2003(金)

ひっぱって面白いネタにすべきなのかもしれないけれど、あんまりなので、ひっぱる気も起きないので、すぐに書いてしまうけど、

新入生に混じって歩いていたら、サークルに勧誘されたみたいだ
って、こっちはあとほんの何年かすれば娘が大学一年の年齢になろうというオヤヂだよ。 いくら何でも人を見ろよ。 いくらジーパンにトレーナーだからって、ぼろいリュックしょって左手には(部屋の掃除のために買った)ガムテープを持って歩いてるし、どうみたって新入生じゃないでしょ?  「全然感心ありませんか?」と言われても、なんかフォローする気も起きなかったなあ。 さすがに。 今になって思い返すだに、そのサークルの将来を心配してしまう私である。
4/6/2003(日)

今日はずっと原と共著の本(通称「たかがイジング本。」(←ううむ、元ネタと、イジングという言葉の両方がわかる人は少ないだろうなあ))を書く作業。 磁化率が有限というたった一つの条件から、無秩序相で期待される性質を次々と導き出すというところなのだが、ほとんどの議論が極限の交換や異なった定義の同値性などなどきわめて細かい話。 往々にして、力強い結果を導く論文では、もっとも便利な定義を用いる傾向がつよい。 今回は、熱力学の洗礼を受けてしまった以上、無限系の自由エネルギーから導かれる量を「正統」とし、他の定義は、それと等価であることを示さなくてはならないのだ。 数学の本なのだから、ともかく、絶対にごまかさずにちゃんとやる。 最初は嫌気がさしているのだが、次第に世界にのめり込んでいくと、最低限の道具を使ってほしい同値性をぴたりと証明する道筋を工夫する作業に快感を感じ始める。 大学院の駆け出しの頃に没頭したなつかしい世界です。 で、ともかく、一番の難所はクリアーして、すべての証明が通ったと思われる。

しかし、はっきり言っておきますが、この本は完成の暁には、物理学科での統計力学の講義の標準の参照文献となり、また、数理物理学のという分野へのもっとも良質な入門書の一冊となるでありましょう。 (実は、これはビールを飲みながら書いているのではありますが。)

もうすぐ始める講義の準備を完全に無視して本を書いているわけですが、実は、このイジング本は、今学期の駒場での講義と深く関わっているのですが、その話(ていうか、講義の宣伝)は、また今度。


ううむ。 読み返すと、まるで日記みたいだなあと思うけど、ま、日記なんだから、いいか。 ちなみに、今日は、いい天気で桜がきれいだった。
4/7/2003(月)

まるでいかにもって感じですが、はい、ぼくはアトムで育ちました。 当時は家にテレビがなかったので、アトムの放送(本放送ね)がある日(水曜だっけ?)は毎週祖父母のところに泊まりに行っていた。 カッパコミックスも毎月楽しみに買っていて、ぼろぼろになって中身を覚えるまで読んだ。 ある時の夢のなかでは、ぼくはアトムになっていて、

ぼくは、なぜ人間ではなくロボットに生まれてきたのだろう?
と形而上学的の悩みを真摯に悩んでいた。

そういう幼少期を過ごした人の言いぐさとしては、いかにもありがちで恥ずかしいんだけど、アトムの誕生日とか言われても、もう、全然わくわくしたりうれしかったりしないです。 あれはあれで、良くも悪くも、やっぱり昔に属するものなわけで、あれから、色々なものが生まれていろいろな事があったんだから。 もうアトムはいいじゃないか、と。 だいたい、アトムの誕生日だといって素直にわくわく興奮している人ってどれくらいいるんだろう?  誕生日企画をやっている人たちって、本当にアトムを見たり読んだりしてアトムが好きだったんだろうか、とかいうのもいかにも凡庸なんだけど、でも、そう思うなあ。

あと、月並みな愚痴のついでに言うと、アトムとの関連で、すぐにロボットだ科学技術だっていうのも、ちょっと勘弁という気がする。 真空管はともかくとして、自分で自分の胸の蓋をあけて中のメーターを見ながら「エネルギーが足りるかしら(←アトムは、こういうしゃべり方をするのです。男の子なんだけれど。こういうところは、その手の分析が好きな人が分析すると、いろいろと出てくるところでしょうな。(ていうか、そういう話はさんざんされているだろうけど。))」とか言ってるわけで、つっこみどころが多いという程度のものではない。 だいたい、ロボットもので未来世界を描いていたというだけで、ロボットとか技術の話だけにもっていこうとするっていうのは、たとえば、ええと、そうだなあ、「老人と海」を読んでつりの話をするとか、「アンパンマン」を見てパン作りの話をするとか、(ううむ喩えが微妙すぎるけど)そういう感じのことなんじゃないのかな?


部屋の片づけはまだ続いているのだ。癖になるのお。

おそらく、(着任当初を除けば)今までで、もっとも部屋が広々としたのではないかなあ。


4/8/2003(火)

入学式

桜は残ったけれど、強い風、そして、雨。

NHK の夜のニュースで、「春の嵐」っていうテロップがでて、色々な物がとばされたり、人が(←たいてい OL なんだけど)が傘を必死でおさえながら濡れている映像が流される様子がとっさに目に浮かんでしまいますねえ。 テレビに毒されているぼくら。

入学式に話を戻すと、な、なんと、物理学科の新入生の○○君は、

学習院を受験する前から、ぼくのページやこの「雑感」を読んでいた
と激白!  これを書き始めて、もうすぐ三年になりますが、さすがに、こんなことは初めて。 つい気がゆるんで、ネットはすごいものだと改めて感心しました、などという凡庸な感想を書いてしまうではないですか。
4/9/2003(水)

朝は新入生への履修説明。

新学期の雑用がある上に、もうすぐ始まる講義の準備も必須なのだが、それでも、(イジング本のため)無限体積極限の期待値の一意性の証明を書いている。

今学期の解析力学の講義の構成について未だに悩む。


さて、遅くなりましたが、今学期の駒場の講義は、
現代物理学:無限自由度系の物理と数理(という副題だったと思う)

月曜日2時限目(10:40-12:10) 723 教室

4 月 14 日 から 7 月 14 日まで(5 月 5 日を除く)ずっと月曜日で、全十三回。

昨年度の後期に続けて同じ科目名で講義するため、参加者は少ないと思われる。 だからというわけじゃないけれど、前回以上に数理物理色を出して、自発的対称性の破れなどをじっくりと、できれば証明もしながら、議論しようという趣向。 物理の人には無限自由度の物理をまじめに理論的に扱うのはどういうことかについての理想例をお見せし、数学の人には数理物理という分野の姿を生き生きと伝える ---- 講義を目指すのであります。 量子スピン系や場の量子論を議論すると予備知識の準備が大変すぎるので、Ising が主になると思います。 Godlenfeld みたいな×××××な本に飽き足らない皆さんも是非どうぞ。

ちなみに、くりこみ群もやると言いたいところだけれど、まじめにやっていくとそれが可能かどうかは微妙。

いっそのこと、来年くらいは、くりこみ群を主題にして、統計力学だけじゃなく、カオスの分岐とか、力学系や偏微分方程式とかも論じるというのは楽しいかも。


4/14/2003(月)

駒場の講義。

広い部屋の前の方に三十人程度 --- という予想が大きく外れて定員 120 だかの部屋が満員。

聞いてみると、一年生がもっとも多いことが判明。 ううむ、今期のテーマは高校物理から直結では多くの人には厳しいかも。 この人たちの多くは今回限りとなるだろう。

とはいえ、一回の講義の分でも、物理に関心がある新入生に話しておくのは、とてもとてもよいことではありませんか。 (学習院でも一年生の頭から教えたいのだが、どうもやりくりがつかなくて。 そのかわり、教務委員の特権で、履修ガイダンスのときに、勝手に物理の話もしている私なのだ。 今年は、ようやく一年の二学期に教えますぞ。)

というわけで、予定を変更。 イントロ部分を大幅拡張して、アドリブで延々と話す。 (実は、先週の金曜の「解析力学」のオープニングトークとかぶっている部分もあるのでした。 「解析力学」がおわった後、「感動しました」と学生さん(茶髪の元気そうな女の子)に言ってもらえたので、ちょっち気をよくしているのですよ。) 半ば漫談のようだったが、よーーく聞くと、科学哲学への超入門、いい加減な力学史、(「熱力学」読者にはお馴染みの)普遍的構造を軸にした科学観、素粒子至上の価値観への警告、物理を学ぶ姿勢・研究する姿勢へのアドバイス、物理没落の危機感と同時に若い世代への期待、などなど書ききれない(ていうか、思い出しきれない)ほどの有益な内容が読みとれたはずなのであーる! (さりげなく(ていうか、露骨に)佐々さんやぼくの熱力学の本や清水さんの量子論の講義と本も宣伝しておいた!!)

けっきょく、自発的対称性の破れをめぐるイントロ(毎度お馴染みの Buridan's donkey だが、(哲学史的にも、物理的にも)正しい位置づけを与えたつもり)に入ったのは時間も半分以上過ぎてからだった。 レポート用紙に数枚の準備をしていったのだが、一枚目がようやくおわったあたりで時間切れ。

しかし、ぎゅうぎゅう詰めの教室で、皆さんちゃんと聞いくださって、笑ってほしいところではちゃんと笑って下さったので感謝。

以下、駒場教務の方はみないでください: 去年も出て下さっていた K さんや、懐かしい S 君など、もぐり組の参加もありがたいのだが、なんで、I 井さん(←N 大の先生だよ)がいたんだ!


講義のあとは K さんや H さんと話し、その後、佐々さんのところで伏木さん(←佐々さんから来たメールには「フシキ」とカタカナで書いてあったので字がわからん)と三人でずっと議論。 疲れたが楽しかった。
4/15/2003(火)

第一回共通科目運営委員会開催通知
なるメールが届く。

そんなものになった覚えは毛頭ない。 教務委員学部代表にまちがえて送ったというのがありがちだけれど、今年度はぼくは学部代表ではないのだ。 やれやれ、いったい、何を勘違いしているのやら、と一笑に付す。

が、ちょっと不安になる。

正確さと緻密さが売りの(はずの)教務課の方が堂々とメールを書いてきている。 しかし、いくら記憶をたどっても、そんな役を引き受けた気はしてこない。 事務の人たちのの管理力と、自分の記憶力、どちらを信用するんだ??

考えてみれば、迷うまでもないことだった。

自信をもって言い切ろうではないか!

もちろん事務の人を信じまーす。
というわけで、来週は全学の会議か。目立たないようにしようっと。
長い教授会。 法科大学院がどうとか。

昨日の伏木さん、佐々さんとの議論の続きを考える。 一応宿題を解く方針は見えた。

教授会は終わらない。みんな結構議論している。

さらに考えていくと、少しちがった数値計算の方針がみえてくるので、さらに考える。 ちょっと興奮して、紙の裏に色々絵や式を書く。 と、これでは決定的にまずいことがあるぞ、と気づく。 あきらめる。

あきらめたので、少し議論を聞いているのだが、まだ終わらないぞ。おいおい。 (こんな長いのは珍しい。)

再び、瞑想していると、ちょっと眠りかかったのだが、目覚めて瞑想していたら、見落としに気づく。 おお、おお、そうだそうだ、とさっき書いたメモをぎしぎし線で消して、新しくわかったことを適当に書いておく。 うむ。 これが保守的な SST 数値実験の一つの姿ではなかろうか。 化学ポテンシャルの計算法をもう少し詰めねばのお。


4/16/2003(水)

大学院の授業

英語による物理のプレゼンテーションの実践
がスタート。

Feynman lectures を輪講し、毎回二人ずつ発表して質問・議論しあうという単純な企画だが、すべて英語でおこなう。 日本人どうしなんだから日本語でやった方がぜったい楽なので、そちらの安定点に流れ込まないよう、この授業の教室に入ったら英語以外は使わないという厳しいルールが設けてあるのだ。 ちょっと気持ち悪いけど、ぼくらは皆アジアの別の国々からやってきたと思えば、ま、いいでしょう。 (もちろん、アジアの別の国々から集った人たちが英語でしか話せないという状況は悲しいわけだけど、今はそういうことは忘れて、楽しくやろうという企画。)

この授業については、みんなのノリが悪いと、沈黙が教室を支配し、ぼくもひたすら寒い時間を過ごすことになってしまう。 しかし、昨日は、遅刻した T 君もちゃんと英語であやまりながら入ってきたし(←ただし、"Sorry for lating" とは言わない)、黒板で説明していてチョークを落とした N 君も(少し遅れて)Oops と言ってたし、けっこう、みんなその気でやってくれているので、うれしい。

ぼくの趣旨説明のあと、一通り自己紹介。 研究テーマの説明は黒板を使って盛り上がる人もいて、なかなかよい。 野茂のファンで試合が気にかかる言っていた T さんだけど、やっぱり彼女が応援に集中しなかったせいか、昨日の野茂は駄目だったみたいですね。 普段、会話の途中で理由の如何にかかわらず少なくとも一回は「はははは」と笑う H さんは、英語でしゃべってもやっぱり理由なく笑うことを発見。 次の実験の計画を英語できちんと説明した I 君には、ぼくが素朴な疑問をぶつけたところ、黒板に図を描いたところで説明に窮して止まってしまった。 これは英語の問題じゃないよな。 どうやって伝導率をはかるのはマジで知りたい。

ともかく、授業がちゃんと成立しそうなので、大いにほっとしたのであった。 回が進んだら、みんなの研究テーマについて話してもらうのもいいね。


4/17/2003(木)

おかげさまで、この Hal Tasaki's logW も、

日本の科学者のページのなかでもっとも広く読まれている
と言われるまでになってしまった、というと明らかに虚偽捏造だが、
東京地区で量子多体系と非平衡熱力学を研究している椎名林檎ファンの数理物理学者のページのなかではもっとも読まれている
とまで言ってしまうと謙虚に過ぎる --- という微妙なメジャーさを獲得するに至った今日この頃ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?

という風に私がもってまわった書き方をするときは、実は logW はけっこう読まれているんだじょと自慢したいに違いないとお考えになっている読者もいらっしゃるでしょうが、もちろん、そのとおりです。 引っ張るのも何なので、ずばっと書いてしまいますが、な、なんと山形浩生のアンテナなるものに、われらが Hal Tasaki's logW が捕捉されているのですよ。

これまでも光栄にもいくつかのアンテナに登録していただいていたのは知っているのですが、山形浩生といえば、あなた、今を時めく売れっ子知識人じゃあござあませんか。 古くからの SF ファンにとっては、彼は何よりもディックやバロウズの最良の翻訳者にして注釈者でありましょう。 最近では、独自の辛口の語り口で(←こういうアホみたいな表現はやめよう)様々なテーマを鮮やかに斬ってみせる(←こういう、よりアホみたいな言い方はさらにやめよう)彼の評論やエッセイは幅広い層に支持されことごとくベストセラーとなっています。 あるいは、朝日新聞に定期的に掲載される、山形氏の短い中に独自の主張をこめた小気味よい書評のファンも多いであろうし、彼が単にウィットの効いた書評を書き連ねるように見せながら、実は、彼の書評が蓄積していったとき(一つ一つは無害な)複数の書評たちが意味の連鎖と相転移を起こし、誰も予想し得なかった恐るべきメタ意味を明白にして必然的な形で獲得し、体制から半歩下がる凡庸な姿勢に甘んじ切っている朝日新聞を(←あ、U さんごめんなさい、ギャグです)内側から修復不能なまでに脱構築するという壮大にして危険きわまりない実験に着手していることに気づかれている慧眼なる読者諸氏もいらっしゃるかもしれない。 しかし、山形氏の本業は某証券会社のシンクタンクに勤務する超エリート会社員であり、幾多の発展途上国で経済援助に携わった彼を国の恩人、救国の神と崇める国も多数あり、いずれ山形氏が起って革命を起こすときには多くの国々から国軍が国の命運すべてをかけて支援に駆けつけるだろうとさえも言われているのであります(今、ぼくちゃんが言っただけではあるのだが)

それほどの売れっ子ともなれば、有名人にもたくさんあっている。 枚挙にいとまはないが、すぐに思いつくところをあげると、

ええと

たとえば、

渋谷 陽一 などである!!


このような方が、一面識もない私をご自分のアンテナに登録してくださるとは。 一介の物理オタクにとっては身に余り過ぎる光栄であります。 (一面識もないというのは本当でっせ。)

しかも、同じアンテナに登録された他のみなさんは、物理なんかとは無関係の種々の分野でご活躍の方ばかり(と思う)。 これで、小生も、ついに文化人の仲間入りを果たしたと言っても過言ではありますまい。 ひそかに竹村健一の物まねを練習しつづけてきた甲斐があったというものじゃ。

これを期に、私も文化人にふさわしい言説を提供すべく努力したいと思います。

というわけで、

いくぞ。

機知に富んだ文化人の言葉というやつです。

ごほん。

その、

ええと、

(あざらしの)タマちゃんと田中耕一さんは似ている。

4/23/2003(水)

さて、前回の山形浩生ネタのオチに関しては、あたかもタマちゃんの最出現を予見していたかのようで、我ながらタイムリー。 わしの理論が正しければ、近々田中さんの方も新たな話題を呼び起こすにちがない。 (さすがに、二人に増えたりはしないと思うけど。)

というような話は別にして、あの結びは、ぼくがしばらく前に考案した

「天声人語」に出てくるみたいな、一見気が利いているように見えて、実はきわめてアホくさくて脱力するような台詞を考えようゲーム
への(考案者による)第一回応募作品だったのですよ。

とはいえ、両者が似ている理由として、

といったのを挙げていればそれなりに天声人語しているわけですが、つい、 というようなの(←ほいほい。この言説を自己言及的に解釈するのはお約束ですな。)も挙げたくなるわけですが、これはぜんぜん天声人語ってないので、駄目だね。

だいたい、ごくまれに恐る恐る天声人語の本物を眺めてみると、もう、とうてい私などには及びもつかない××××××××世界なので、けっきょく、上記ゲームは流行することなく消えていく運命なのでした。


「教室に入ったら英語しか使かわない授業(4/16 参照)」は、なんかやたらと盛り上がりを見せているぞ。 (H さんは、発表していても唐突に笑うし。) Feynman が視覚を説明しているところを読んでいるのだけど、盲点 (blind spot) の解説がでてきて、"Oh! Yes, it dissapears!" とか言いつつみんなで実験したり、Purkinije effect (綴り?)を見るために "Turn off the light please." とか言いながら、部屋を暗くして実演したり、とか。 H 君が細胞の感度について、明らかに妙なグラフを描いたので、喧々囂々と議論になって、これまたよかった。 さらには、授業が終わった後、N 君はぼくに読んでいる論文の数学についての質問まで(もちろん英語で)してきたのだった。
4/28/2003(月)

さて、またしても 4/17 の雑感のオチについてですが、とある読者の方が、「タマちゃんと田中さんが似ている」理由として

みんな彼らを見て喜んでいるが、実は彼らの内面は誰にも推し量りようもない
というのを挙げて下さいました。 なるほど。 たしかに田中さんみたいな体験をした人は、あんまりいないでしょうな。タマちゃんみたいな体験をした人も。

ついでに、この同じ読者の方は、4/17 の雑感の中オチ(←文章の中ほどにある途中のオチのことのつもりだが、そんな言葉ないか?)に使った渋谷陽一のところにも大いに受けて下さったそうです。 受けるとしても同世代の、しかも、ごく一部だけとの覚悟の上のネタでしたが、少なくとも一人には受けたので本意です。

というか、その読者の方というのは、うちの妻なのですが、とか書いていると「いい加減にしろ」と言われそうですが、いや、ええと、返す言葉もございませぬ。


講義で駒場へ。 なるべく丁寧にやろうとしているので、なかなかどうして進まない。 とはいえ、一年生にとっては相当に大変だろう。 それでも、随分何人もがんばって出てくれているのは立派。 ま、気楽に楽しんで下さい。

講義のあと、佐々さんと軽く雑談。

カオス力学系の symbolic dynamics による表現について、なかなか有用な耳学問を得る。


レフェリーレポートを受けて、Hubbard model の論文の最後の手直し。

なにせ世紀の大論文だし、今のところ、ぼくの最高の仕事だから、普段よりもさらに丁寧に。


4/29/2003(火)

かつての教え子 T さんの結婚披露宴。 おめでとうございます。

大学での恩師としてスピーチをという大役だが、テーブルは T さんの同級生たちと一緒にしてもらえたので気楽で楽しかった。 しかし、ぼくが教えていた頃は初々しい若者だった(でもねえか)彼らが、「酒の飲み過ぎで肝臓が悪くなり gamma dtp 値(だっけ? なんか、そんなの)がどうのこうの」とオヤヂ話をしているのはいささかショックだったかも。

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言うまでもないことかもしれませんが、私の書いたページの内容に興味を持って下さった方がご自分のページから私のページのいずれかへリンクして下さる際には、特に私にお断りいただく必要はありません。
田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

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