茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
三月か。はやい。
ただし、活用していると言っても、ぼくの場合、ちょっと使い方が標準とは違う。 なんか Mac に入力するのも面倒だし、入力しても Mac のないところに行くとわからないし、ということで、
iCal で一ヶ月のカレンダーを A4 の紙に印刷しそこにスケジュールを鉛筆で書くという、Steve Jobs もびっくりのハイテクな活用法をしているのだ。
そんなわけで、三月に入った今日、午後になっても家で仕事をしながら、先日つくったばかりの三月の予定表を見ていた。 6 日にはじまる第二週は何かと予定がつまっているのだが、本日= 1 日を含む第一週はみごとなまでに真っ白。 こうこなくては、春休みとは言えない。 跳ね返り計算の続きもやりたいし、雨だし、今日は在宅のままで仕事を続けようかなと思いながら、古いスケジュール表の入ったファイルケースを整理していると、な、なんと、こちからかも 2006 年 3 月の予定表がでてきたではないか! しかも、こっちの予定表では、第二週は空白だが、本日= 1 日のところには「人事委員会 16:00」などという謎の文字列が!!
ぼくの前には、二つの三月がある。二つの未来がつづいている。 分裂する歴史。分裂する三月。分裂する量子的時空。 シュレディンガーの子猫ちゃんが死んでしまった三月と、元気でぼくにじゃれている三月。 夏への扉が過去に通じていた世界と、未来に通じていた世界。 プランクダイヴから彼らが帰ってくる未来と、帰ってこない未来。 「お醤油のにおい好きよ」って言われたらちゃんとその気持ちに答えてあげられた時間の流れと、そうじゃない時間の流れ・・・ まさか、ぼくがこんなことに巻き込まれるとは。 量子の神よ。 講義で生半可に EPR 相関や量子コヒーレンスに踏み込んでしまい、平野研の実験を安直に面白がっていたツケが今まわってきたのか・・
ま、とかいう問題ではないわけで、単に予定表を二つ作って別個に予定を書き込むという、これが本当の double booking をしてしまった(意味ちがうけど)というだけの話で、ああ、もう少し気づくのが早ければ人事委員会に出られたのに、残念、かくなる上はそれを埋め合わせるほどに仕事をするぞとばかりに時計を見ると、もう二時じゃないか、じゃなくて、まだ二時ってことは、ええと、あ、余裕で間に合うわけで、ああ、もう少し気づくのが遅ければ出なかっただろうに知ってしまった以上はさぼれない、というわけで、仕方なく雨の中を大学に歩いたら足の先が濡れた。
複数の粒子が調和振動子で結ばれている場合も、低速極限なら計算の仕方は(ずっと前から)わかっているので、ごたごた言ってないで、計算しよっと。
昨日、今日と、ひたすらがまんして、二粒子がカップルした複合粒子が壁で反発されるモデルの計算。 重心速度は低速の極限だし、ちょっとずるがある(second impact が絶対に起きない(実際の歴史でも起きなかったし))ので計算が楽になるのだ。 それでも調和振動子のときは面倒だった。 「複数の粒子」の計算ができると昨日書いたけれど、やっぱり、さしあたっては二粒子に限定します。すみません、根性ありません。
こうして、低速異常反発のおもちゃの例がふたつ。
ううむ。 箱形ポテンシャルの方はまだ低速極限に意味がつきそうだが、調和振動子ポテンシャルの方は完全に意味不明。 どちらの例もヤコビアンが特異になる場合にも実際のふるまいに特異性はなし。 初期に予想していた普遍的なふるまいの兆候は微塵も見えない。
普遍的なふるまいがあるかないかは、ともかく「現場に行ってみない」ことには決してわからない。 今のところ、この例では、「うまい話」がなさそうに見えるわけだが、せっかく現場に降りてきたので、もうちょい、あたりの様子を見聞していくことにしよう。 ポテンシャルの段差の通過(しかもポテンシャル力を感じるのは一つの粒子だけ)という問題でも実際の計算とヤコビアンの計算が両方できるので、少しいじってみようかなと思っている。
こういうことは毎度なんだけど、今の時期は、「driven lattice gas の遷移ルールの見直しと対応する一次元や高温展開の挙動についての結果(2/15/2006)」を整理して論文にまとめ直す仕事をするのが、本来もっとも有効な時間の使い方のはずなのだ。 これは、ぼくが非平衡の分野に新たに参入して、スタンダードとされていたモデルについていくつかの側面から真面目に考えた末にでてきた、それなりに意味のある結果だから。 逆に、今やっている二粒子系の初等計算は、ま、九分通り些末な例の計算として消えていく(そもそも、同じ練習問題を解いた人はたくさんいるだろう(動機は違うだろうけど))はずなんだな。 そういうわけで、何となくバランスとしては狂っているわけだけど、それでも、実際の現場でちまちまと手計算をしてドキドキしながらアホみたいな計算結果をチェックしては落胆する、という営みをついつい続けてしまうのだ。 もう少し、あたりの様子がみえて、ぼくが飽きるまでは続けるのかな。
ま、要するに、その場その場で好きなようにやりたいことをやっている、ということに尽きるわけですが。
近所のプールがしばらくメンテナンスのために使えなくなっていたのが、最近、再開したのだ。 これで、池袋まで行かなくても泳げるようになった。
かなり空いているし、こちらの方が池袋より広々と泳げるので、快適。
受付の係の人(←お姉さんではなく、お兄さんです(←妻も読んでいるので念のため))がぼくのことを覚えていて「長らく使えなくて申し訳ありませんでした」とわざわざ言ってくれた。 ほんと、すっかりプールおじさんになってしまったことであるよ。
「その場その場で好きなようにやりたいことをやる」と書いた直後に、どういうわけか、物理数学の講義ノートの手直しという懸案事項に取りかかり始めてしまった。 自分でもよくわからないのだけど、大学にむかって歩いている途中で、相転移をおこしたらしく、とつじょ猛然と作業を始めてしまった。 線形代数の部分は、かなり不満があったのだが、これで相当に見通しがよくなったと思う。 もちろん網羅的に定理を書いているわけではないが、物理に必要な部分については、ごまかしなく、筋を通したつもり。
もう少ししたら公開にもっていきたいけど、また散歩していて相転移をおこすと、他のことに移ってしまうかも知れないし・・
小野嘉之さんの還暦を祝うパーティーに、妻といっしょに出席。
ま、同窓会ですな。
いろいろと懐かしい人に会い、いろいろな話を聞いた。
ああ、こうやって日記の日付を書くたびに、一日が過ぎていく。
いや、書かなくても、過ぎていくのだが。
レフェリーレポートを一つ断ったのだが、断り損なっているのが二つたまっている。 そこへ、断れそうにないのが一つ追加でやってきた。 しかし今日は会議。 なんとか時間をとって早めに片づけないといけない。
月末は学会。準備の時間をとっておかなくてはいけない。
おまけに学会から戻れば新学期。それにも備えておかなくてはならない。
忘れそうだから、ここに書いておいて読み返すようにしなくてはならない。
ちなみに、田崎さんにメール出すときは、宛名の「田崎」を書くときは「たさき」と打ちながら「たさき」とこっそり発音し、差出人の「田崎」を書くときは「たざき」と打ちながら「たざき」と口の中で発音して、なんとなく、ニヤニヤしております。超どうでもいいけど(同じ苗字の知り合いってほとんどいなかったので新鮮なのです。田中さんや佐々木さんにとっては日常茶飯事だろうけど)。
自宅から早稲田の理工学部までは、自転車で 20 分だった。 近いね。 いや、道に迷わないよう、x 軸方向にある距離移動したあと、y 軸方向に移動、という行き方をしたので、能率的に斜めに移動すれば、もう少し、早く着くだろう(といっても、それで短縮できる比率は最大限でも 2 の平方根か)。
早川さんのセミナーの内容は、基本的には、メールなどで教わっていたことだが、単に話を聞くのと、グラフやアニメを目で見るのでは大違い。 ここから、基礎物理として何かが広がりうるかなあと色々なレベルで悩みながら聴く。
セミナーの後は、議論の会ではなく、雑談と展望の会となった。 一次会は、早川さん、田崎さんに加えて、セミナーに出ていた佐野さん、湯川さん、藤谷さんと、近所のファミレスで。むかし、家族でここらへんのステーキレストランに来たのだが、今では、すっかりお店も変わってしまった。 二次会(?)は、高田の馬場の軽いイタリアンレストランで、早川さん、田崎さんと。 話題は広く、大学の初年級教育から高校の物理教育にもおよんだ。 ぼくが最近、そういうことに関心があるので、話がついそういう方に誘導してしまうのか。 高校のカリキュラム(教育指導要領)を改良することはおそらく絶望的に困難だろうということを(今さらだが)認識するが、それを認めた上で、ぼく個人にできる効果的なこともある --- という方向に考えを進める。
何年かかかるだろうが、やってみたい。
実は、学習院のアパートに住んでいた頃は、明治通りを少し南にくだった早稲田近辺は生活圏だった。 飯も食ったし、買い物にも来たし、家族でプールにも来た(そのころは、ぼくは 100 メートルくらい泳いで、あとはプールサイドで仕事をしていたんだけど(←外から見ると寝ている))。
だから、今、夜遅くなって早稲田から学習院にむかうと、体感的には「家に帰る」という気持ちにしかならない。 「ああ、家に戻ってきたぞ」という雰囲気で、学習院の第五アパートを見上げるわけだけれど、もうすぐ取り壊されることになっているアパートにはほどんど人気(ひとけ)がない。 寂しいなっていうと凡庸だけど、それしか言いようがない。
学習院の高校の生徒さん(三年生と二年生)にむけて学部の説明会。
私は「営業センセイ」と化して学習院の物理学科の説明をするのだ(実際、一部の私立大学には高校生向けの営業専門の先生もいらっしゃるらしい)。 ここばかりは謙虚になっていても仕方がない(といっても、一言も嘘は言わないよ)。 うちの物理学科がいかにアクティヴか、そして、学生さんたちがいかに生き生きと活躍しているかを、熱く語る。 こういうときばかりは、ちょっと無節操とは思いつつ、河合塾のランキング本にもお世話になる。
とくに後半には、あまりに人数が多く、予定していた研究室だけでは収納できなくなってしまった。 走り回って(←比喩ではなく、本当に走った)、急遽、追加の見学をアレンジした。 まさに実験をしている最中だった山田さん(溝口研)に STM などの見学をお願いし、さらには、教授も助手も不在という荒川研でも学生さんたちに協力してもらってプチ見学ツアーをやった。 学生さんたちが、完璧にアドリブで、ちゃんと装置の説明なんかをしてくれるので、大いに感心。
みなさま、ご協力ありがとうございました。
ほとんど毎日なんらかの予定の入っている、細々(こまごま)とあわただしい一週間だった。 その合間をぬって、物理数学講義ノートの改訂作業を進め、今日、ようやく公開。
とくに懸案だった線形代数部分の大幅な再構成がおわって、かなりほっとしている。 来年度の一学期の授業の準備にかなり余裕ができると期待。
しかし、分量が半端じゃないので、やたらと時間がかかってしまった。 また、アホなこだわりがあって、証明をすべて新たにやり直している(できる限り何も参照しないで自力でやっている(内緒:が、ときどき、どうしても行き詰まって、ちょっとずつカンニングしてアイディアを真似している))ので、時には証明に詰まって半日くらい費やしてしまっていたりするのだ。 能率ということで言えば、まったくダメダメなのだが、なんとなく手作り感がでるんじゃないかというか、ま、趣味の問題か。
で、今回の改訂で、「座標とベクトル」(5章)と「行列とベクトル」(6章)をあわせて、大学初年級で「座標、ベクトル、行列」をいかに教えるかについての私なりのまとまった提案になったと思っている。 もちろん、まだまだいたらぬところはあるし、アホなミスもいっぱいあるだろうけれど、こういった講義をされている皆さんに参考にしていただき、ご意見を伺えれば大変ありがたい。
研究室の歓送迎会。
ま、内容については内輪のことだから触れないとして、特筆すべきは、生まれてはじめて「ホッピー」というものを飲んだことだ。
日本人として生まれた以上、繁華街の飲み屋だとか住宅街のはずれの小さな店なんかに「ホッピー」という垂れ幕がかかっているのは何度も何度も見ているはず。 しかし、お恥ずかしながら(いや、落ち着いて考えると、別に恥ずかしいとも何とも思っていないな)ぼくはホッピーを口にしたことは一度もなかったし、そもそもホッピーのなんたるかも知らずに生きて来た。 「ホッピー」と「山田うどん」こそは、よく見るのに自分では飲食したことのないものの代表だと言っていいかも知れない。
http://www.hoppy-happy.com/というハッピーなネーミングの web ページもあることがわかった。
要するに、ホッピーとは、ノンアルコールビールの一種。 ただし、そのまま飲むのではなく、ビールが高価だった時代に、安い焼酎をホッピーで割ることで、ビールの代用飲料をつくるのが大ヒットしたらしい。
ここに推奨してある飲み方でお試しください。 口に入った瞬間はビールっぽく、喉ごしはちょっと別のもので、後味はまったく別 --- という感覚が味わえます。
学会の前なわけだが、発表の準備はまだ。というか、まったくしていない。来週に一気に集中してやっつける予定。というか、やっつけないと困る。
準備が手つかずの理由の一つは、学会にピントをあわせてしまう前に、去年の 11 月の数理研での研究会(11/30/2005)の proceedings の原稿を書いてしまうことにしたから。 この手の「書ける人は書いて、締め切りまでに来なかった人はカット」という類の企画では、ぼくはカットされる側にまわるのだが普通なんだけど、今回は、主催者の小嶋さんの誠実な熱意に触れるにつけ、なにか書かないとまずいなあと感じていた。 論文と同じことを書いても面白くないのだけど、ここのところ、早川さんや佐々さんと議論していた、跳ね返り問題のでゆらぎの関係や低速異常反発の話をまとめて書いておくのもいいのではないかと気づいた。 論文として出すにはオリジナリティがないし、結果も弱いのだけれど、このまま書き殴りや内輪のノートだけしかない状態にしてしまうと、万が一、同じようなことを考える人がいたときに能率が悪い。
というわけで、だーっと今までにわかっていることを書いたところ、低速異常反発のおもちゃ二つ(2 日)のうちの一つ目を書いたところで、ほぼ規定の分量になった。 図なども追加して、ともかく、早川さんと佐々さんに送る。
これを来週中に小嶋さんに送り、学会から戻ってきたらおもちゃの二つ目も追加した上で、cond-mat に公表する、というのが今の計画。 しかし、学会後は新学期だからなあ・・・
先日公開した数学講義ノートの新しいバージョンについて、JAXA の広田正夫さんから、さっそくいくつかのコメントをいただいた。
広田さんは、この講義ノートを何度か丁寧に読んで下さって、深い知識から来る鋭いコメントをしてくださっている。 ベクトル解析の章にある積分の有理化の計算法なども、広田さんに手取り足取り(←本当に、メールで丁寧に計算を書いて下さった)教えていただいたのだ。 内緒だけど積分が苦手なぼくには、逆立ちしてもできない計算だったと思う。 こうやってネット上に公開することで、ぼく自身の能力以上のものができる可能性があるのは、とてもうれしいことだ。
ま、今回はさすがに学会の直前で、かつ、いろいろとあわただしいので、深く考える必要のあるコメントについては宿題にして、修正はしなかった。 でも、さすがに
体操するディターミナントを放置しておくわけにはいかないよね・・(なかなか想像できないよな)
卒業式。
いろいろな思いをこめて、心から
ご卒業おめでとうございますと申し上げます。 もちろん、今日、会えなかったあなたにも。
毎年のことだけれど、みなさんと、ある年月をいっしょに過ごしたことは、ぼくにとって素晴らしい体験でした。 どうもありがとう。 これからも、お互い、がんばりましょう。
妻が、彼女の母の友人のお墓参りに行くというので、散歩がてら、ぼくもいっしょに出かける。 天気も散歩日和だし、鬼子母神の近くのお寺なので、家からだとほどよい散歩コースになる。
お寺には人が多かったが、墓地の奥の方まで行くと人はほとんどいない。 やたら天気のいい日に女性がお墓参りをしている姿って、なんか日本映画っぽくて絵になるなあ、とか思いながら、妻がやることを見ていた。 へえ、そうやって墓石に水をかけたりするのか。 そこには、お花を挿すわけね。 どうせなら、こっちの何も挿していないお墓に挿してあげればいいのに。
ぼくが、墓参りの風習を何も知らず、いろいろと初歩的なことを質問したり、やたら珍しがりながら見ていたりするので、妻があきれて、
「あなた、お墓参り来たことないの?」と聞く。
おいおい、俺は外国人かよ、と思いつつも、よく考えると、最近、アメリカで亡くなった祖母のお骨を日本のお墓に納骨した(新品のお墓だったので、甥っ子が納骨スペースに入って遊んでいたなあ)のを除けば、記憶にあるのは、大学生の頃に静岡で母方の祖父のお墓参りに行ったことだけかも。 あのときも、ギリシャ正教かなんかだった(お葬式はお茶の水のニコライ堂でやったけど、かっこよかった)ので、普通のお墓参りとは違ったなあ。
近くのお墓にお参りに来たおばあちゃんが、よどみなくお経を唱えているので、
「日本の老人というのは、みな、あのようにお経をそらんじていているものなのか?」などと妻に質問する。
いやあ、身近なところにある異文化というのは興味深いものであることよ。
低速異常反発の話をしようかとも思ったけれど、今回は、しっかりした定理の方について話すことにします。
Mac には LaTeXiT という非常に優れものの無料ソフトがある。
これは、(Mac にインストールされた LaTeX などと連携して動き)小さなウィンドウで LaTeX 形式で入力した数式をきれいにタイプセットしてくれて、それを drag and drop で Keynote(プレゼンテーションソフト)にひょいひょい貼り込むことができる、という代物。 論文に使っているのと同じ数式を、ほとんど苦労なく、プレゼンテーションに使うことができるので、非常に重宝する。
こうして、一通りラフに完成させた後、文章だとか式だとかを微調整できるのは、やはり、ありがたい。 OHP の場合だと、ある段階で、猛烈に気合いを入れて「清書」をして、それをそのまま本番で使うわけだから、精神性が随分と違うことになる。 ちょうど、文章を書くのが、手書きからワープロの変わったのと同じような変革なのだなあ --- 当たり前だけど。
で、そのめんどい方法でプレゼンテーションを作り終えた、まさにその直後に、アホな勘違いに気づき、ぼくの Mac でも難なく LaTeXiT が動くことを知ったのだ。 ま、書いてみるだに、めちゃくちゃありがちな話だけど。
会議二つ。 その合間に、各種雑用をして、学会に出発できる態勢をつくる。
われながらよく働いたなあ、という感じの日。
明日からの旅行の準備として、パーマ屋で髪を切る。 旅先で長い髪をシャンプーするのは面倒だし。
「筋肉は歳をとってからでも鍛えられるけれど、髪の毛はどうやっても鍛えられないですね。」という、深い会話をする。
「そうです。弱る一方です。」
急に暖かくなった。
家の前の桜を見ると、花がかなり咲き始めている。 大学の部屋の前の桜も同じように咲いているのだろう。 この様子だと、四国から戻ってくるころには桜の花は散っているかもしれない。
何度読んだか知らないが、やはり、面白い。 というより、歳を取るほどに面白くなる。 ついつい引き込まれて読んでしまうではないか。
せっかくなので、旅行に携えていこう。 しかし、背表紙を見ただけで彼の全集とわかって恥ずかしいから、そこらへんにあった文庫本のカバーをつけていこう。 そういえば、昔アメリカに出かけるときも同じようなことを書いてますな。
今回については、何の本かは書かなくてもわかるであろう。 もちろん、物理の本じゃないですよ(主人公は物理學校出身だけど)。
昼過ぎに妻と出かけたついでに、近所の神社に立ち寄って、旅の安全と「ニセ科学」シンポジウムの成功を祈念してきたじょ。
アナウンスによると、停電が何かのトラブルで電車が遅れているらしい。 電車を待つ人の列はほとんどホームいっぱになっており、あきらめて戻っていく人もいる。
しばらく、じっと待っていると、ようやく電車が入線してきた。 長い列をつくっていた人たちが、いっせいに、どっと乗り込む。 乗り切れない人もでたが、ぼくはかろうじて、乗ることができた。
しかし、みなが乗り込んでもモノレールは発車しない。 そして、隣の駅が停電しているため、この電車の発車の見込みはたっていないとの放送が。 それなら乗せるなよと、人々がざわめく。
さらに、ほんの少しすると、モノレールの復旧の見通しはまったく立たない、品川から羽田に向かう京急で振り替え輸送をするので、急ぐ人はそちらにまわってくれ、という放送が入る。 なんという情報と判断の遅さ。
この放送が入るや、電車に乗り込んでいた人たちのほとんどがいっせいに電車を降りて、ホームの階段に向かう。
さて、ここは思案のしどころ。 なにしろ、浜松町は半ばパニック状態になっている。 この様子では JR の駅は大変なことになっており、品川に向かうだけでも一苦労だろう。 さらに、そこから羽田への道のりは厳しいものになるはずだ。 幸いにも、ぼくのフライトまでにはまだ時間がある。 パニックになったら(余裕があるかぎりは)自分からは下手に動かないのが得策、というのが、(学生時代に台風の接近する北軽井沢から車で脱出しようとして大渋滞につかまり山の中で一夜を過ごすといった体験などを通じて)学んだおっさんの知恵である。
そう考え、ほとんどガラガラになった電車の中に残っていると、すぐそばにいた女の子が、ぼくに何かを一生懸命に尋ねている。 中国人の一家で、英語のうまい娘が We don't understand Japanese! と訴え、放送は何を指示しているのか教えてくれという。 まったくだ。すべて日本語でしかアナウンスがないのだから、わかるわけがない。 ぼくは、一通り事情を説明し、しかし、外はパニックだから残るか行くかの判断は微妙だということを伝えようとした。
よく、英会話ができるようになると、外国の人に道を教えたり助けたりできる、という話を聞くが、ぼくは長いあいだ生きてきて、英語ができるおかげで外国の人を助けられたのは、これがはじめてだ(一度だけ、どっかのデパートでイギリスのおばさんに展示会場かなにかの場所を聞かれたことがあるが、言葉はわかったが、場所がわからなかったので助けられなかったし)。
中国人の一家は、ぼくのややこしい説明はあまり聞かず、「品川」という駅名だけを聞くと、「SHINAGAWA!!」と強く確認し、大慌てで、電車を降りていった。
彼ら(と、ほとんどの人)が去ったほんの少し後、電車が発車するという淡々としたアナウンスがあった。 大勢の人が去って行って、おそらくは未だに品川にむかう電車でパニックになっていることなど全く気にかけない調子であった。 そして、電車は発車した。
というわけで、今回も、また「外国人を助けた」と言えるかどうかは微妙なことになってしまった。 楊さんご一家(仮名)がご無事に羽田に到着されたことを祈るばかりです。
学会初日。
朝からフルに参加。 量子エレクトロニクス(BEC)、磁性のセッションに顔を出し、昼どきに人と会って長く有益な話を聞かせてもらい、午後から、素粒子理論の特別講演を聴き、統計力学のセッションに落ち着き、6時すぎまで。
同年代ばかり数人で食事に行き、ビールをたくさん飲む。
飲んでいた場所は、ホテルのかなり近くだったが、帰り方がまったくわからなかったので「おれは一人では帰れない!」と強く宣言したら、ホテルまでまっすぐ歩けば戻れる地点まで連れて行ってもらえた。 ありがとうございます。 命の恩人です。
学会二日目。
選択の余地なく、朝から最後まで、統計力学の非平衡のセッションに参加。
ぼくの講演は午前の最後だったが、終わった後
「田崎さんの講演、すごかったですね」と言ってくれる人がいた。 「すごかった」というのは、ぼくが話し終えるころ、一天にわかにかき曇り、外が暗くなり、おそろしい音をたてて突風が吹き始めたということ。 たしかに、講演の内容で嵐を呼び起こしたならすごいが、残念ながら、量子衝突についての第二法則の証明についての淡々とした発表であり、そういう境地からはほど遠かった。
個人的には「責任を感じる」という気持ちは皆無だが、ある種のもどかしさと猛烈なくやしさを感じる。
飲んでいた場所は、ホテルのかなり近くだったが、帰り方がまったくわからなかったので「おれは一人では帰れない!」と強く宣言したら、ホテルまでまっすぐ歩けば戻れる地点まで連れて行ってもらえた。 ありがとうございます。 命の恩人です。
物理学会最終日。
ぼくは最初のスピーカーなので、決して遅刻するわけにはいかない。 朝、旅館をでると、冷たい雨が降り、風が吹く「プチ嵐」っぽい気候である。 「嵐を呼ぶシンポジウム」とかいって喜んでいる場合ではない。 ともかく必死で大学のそばまで移動し、大学前のうどん屋で朝食を食べて、会場へ。 開場まで三十分以上あるのに、すでに人が集まっている。
ともかく、無事に到着した。まず、一安心。
係の人が来て、無事に開場した。 これで、二(ふた)安心。
開始時刻のころには、三百人定員の会場が満席。 うしろの方には立ち見、床に直に座って見ている人も多数。
聞くところでは、少し遅れてきた人は中に入れずに、シンポジウムが聴けなかったらしい。 これは申し訳ない。 実をいうと、朝日新聞に報道が出た時点で、三百人会場ではダメかもしれないと思って学会事務局に会場変更の可能性を問い合わせたのだが、この時間は、より広い部屋は別の講演にあてられているので変更は無理との回答があったのだ。
最初は、ぼくのイントロ的講演。 10分の短い講演だし、講演前も講演中も、それほど緊張しなかった。
はじめに --- 科学と「ニセ科学」をめぐる風景
田崎晴明 10分(質疑なし)
概要へのリンク、
講演資料 (pdf) へのリンク
まずは、「科学の絶対的基準」などはないことを述べ、科学と非科学のあいだのグレーゾーンのことを強調。 ついでに、(少し脱線と知りつつ)相対主義が理科教育に影響を及ぼしつつある(「科学とは科学者がつくった壮大な物語だ」みたいな話)ことにも触れる。 でも、これは後の議論に受け継がれることになった。
ニセ科学とは「まっ黒」なものであることを述べる。 「真偽の確定しない研究や、真面目に研究したがけっきょく誤りだった研究は『ニセ科学』とは言わない」という説明のさし絵に、ぼくらの SST 論文の一部を使って、「これは『けっきょく誤りだった』方の例じゃなくて、『真偽の確定しない』方の例です」とやったら、かなり笑いがとれた。 気をよくして、科学でないからといって、お守りやサンタクロースまで批判するのはバカらしいというところで、「私もたまたま神社に行ったついでにシンポジウムの成功をお祈りしてきました」と「雑感」読者にはネタバレしているやつを入れたけど、これにも一同大笑いしてくれて、ほっとした(←笑いがとれたかのレポートかよっ)。
シンポジウムは田崎が一会員として提案したとか、シンポジウムが学会の方針に直結するわけではないとかいった、言わずもがなのことにも言及。
ま、ぼくは前座である。
本番は、ここから。 実際に「ニセ科学」の分析・批判をおこなってきた菊地さんと天羽さん、科学をめぐる状況についての発言や啓蒙をつづけてきた池内さんが、登場する。
「ニセ科学」入門
菊池誠 30分(質疑10分)
概要へのリンク、
講演資料 (pdf) へのリンク
菊地さんは、マイナスイオンと「水からの伝言」を中心に、「ニセ科学」の基本についての解説。
「水伝」のようにばかばかしい物をばかばかしいからといって放置したために道徳教育にまで浸透してしまったことを強調。「笑いは取りすぎない」という方針だったそうだが、それでも、随所でコンスタントに笑いをとりまくっていた。また、「優先順位問題」として、「もっと大きな問題があるのに『水にありがとう』などというバカらしい小さな問題をあつかうのはおかしい」という(想定される、そして、しょっちゅう出会う)意見に対して、何を批判すべきかは各自が決めるべきであること、そして、「小さなことでもきちんと批判して科学的な考え方を根付かせなければ、大きな問題の批判もできない」ことを強調。 また、「ニセ科学」を信じる人の多くは、ああいったナンセンスを(オカルトではなく)科学だと思って信じていること、そして、その背景には科学不信よりも、むしろ科学への盲信があることを指摘する。 「科学が魔法に見える」ことが、魔法(ニセ科学)をすんなり受け入れる下地を作っているとして、あまりに科学の不思議さだけを強調する科学解説に疑問を投げかけた。これは重要なポイントだと思う。
「水商売ウォッチング」から見えたもの
天羽優子 30分(質疑10分)
概要へのリンク、
講演資料 (pdf) へのリンク
天羽さんの講演は、まさに実践編。
有名な web page 「水商売ウォッチング」を設立した経緯を述べたあと、さまざまな馬鹿馬鹿しい浄水器の広告の例を引き、ツッコミを入れる。聴衆は物理の専門家ばかりだから、それらが如何にアホらしいかがすぐにわかる。水の原子核スピンにまで影響を及ぼす(という)浄水器の宣伝に対して「もはや何の装置か・・」みたいな淡々としたツッコミをいれるたびに会場はいちいち大爆笑。しかし、コンスタントに批判をつづけた結果としてのさまざまなトラブルの話にうつると笑ってばかりはいられない。「『訴えてやる』は挨拶がわり」、「優秀な弁護士をみつけておくべし」といった台詞は、彼女でなくては言えない。
ーーーー 休憩10分 ーーーー
「ニセ科学」の社会的要因
池内了 30分(質疑10分)
概要へのリンク
池内さんの話は、ちょっとトーンがちがった。より広い視点から、なぜ非合理性がはびこるのかといった時代背景を議論して、教育の重要性、懐疑精神の重要性などを説いた。
討論と全体への質疑応答 30分
ぼくが司会をする。けっきょく予定時間を30分オーバーしたので、全体で一時間ほどやっていたことになる。非常に熱心な質問や議論があった。
ほんの一部を思い出すままに。
かつて重度のゲーマーだったという若い大学院生から、たとえゲーム脳が「泥の舟(つまり、嘘)」だったとしても、子供にゲームをやめさせたい母親にとっては救いなのではないかと質問した。 それを奪うことはないのではないか、と。 菊地さんの答えは明晰。 「ゲーム脳説」を根拠に子供のゲームを制限したとすると、もし「ゲーム脳説」が誤りと判明したときゲームを制限する根拠が失われてしまう(つまり、泥の舟は沈む)。 「水伝」の道徳も似たところがある。 (以下、ぼくの感想) 泥の舟のかわりに沈まない木の舟を用意してくれという声もあるかも知れない。でも、それはないのだろう。 自分で泳がなくては、つまり、自分の判断で子供と直面し、ゲームをやりすぎないようにしつけなくてはいけないのだ。 「ニセ科学」の答えは安直で口に甘く、本当の科学の答えは厳しい。
「世にニセ科学の種は尽きまじ」という池内氏の講演の中の言葉を受け、尽きぬニセ科学を叩き続けても不毛なだけで、それよりは社会を改善することを政府に期待する方がよいという消極論も。しかし、社会と教育に悪影響を与える「ニセ科学」は適切に批判したいという登壇者の意見に会場の多くが賛意を表したと感じた。
他にも個々の研究者の批判の具体的な方法や、大学に所属する研究者が批判活動をおこなうとき大学は何をすべきか・しないべきか、等についてのつっこんだ議論も。お茶大では、「大学はプロバイダーと同じ」という原則で、発信内容は発信者がもつことに決めたという。もし大学が発信内容に責任をもつことになると、今度は、大学が発信内容をチェックし規制をかけることになる。こういうときはトラブルを多く経験している天羽さんが重要。
企業のために測定などを請け負う公共の研究機関からの参加者は、完璧なニセ科学にかかわる測定をした体験や、機関がニセ科学の権威付けに利用された事例などを紹介。こういう話はためになる。 電磁波関連の問題に詳しい本堂さんから、「ニセ科学」批判で有名なある学者が、全くの誤った説明で携帯電話の安全性を議論しているという事例の指摘。これには、科学者倫理の問題にもからむので、重い。捏造などにも関連し、科学者倫理の問題をニセ科学批判と並行しておこなうべきだろうという意見も。
また、ぼくが触れた相対主義の教育への浸透に関連して、教育指導要領にも相対主義(というより社会構築主義)が影響を与えているという指摘。これは、今後の重要な課題だろう。教育の問題については、小学校の先生も含めた多くの参加者から、熱心な意見が出された。「疑う心を」「考え方を」「なぜと思う心を」といった方針はもっともだが、決め手になる一つの方法があるとは思えなかった。
個々の例について物理学会でシステマティックな批判をおこなってほしいという意見がジャーナリストから出されたが、それは当面は難しいだろう。批判の方策については、個々の研究者が批判し、緩やかなフィードバックのネットワークを作る、という程度のことしか話されなかった。具体的な批判の方法の検討は、まだまだ将来の課題だ。
明らかに、まだまだ発言したい人がいるという空気だったが、予定時刻を35分もオーバーしていたので、12時半になったところで討論を終わりにした。
予想していたよりもずっとスムーズに進んだし、トラブルや紛糾もいっさいなく、ほっとした。 計画したときに目指していたことは達成したつもりなので、そういう意味では成功だったと思う。 意義があったかどうか即断はできないが、シンポジウムの会場を去っていく多くの人から「意義があった」という雰囲気が漂っていたような気がする。 「ぜひ、また開いてほしい」という声があったので、同じメンバーで開くのは意味がないので他のみなさんにお願いしたい、と答えた。
会場の設営や議論のときのマイクの手配などなどを、その場で(ボランティアで、あるいは、ぼくに指名されて無理矢理)引き受けてくださった皆さんに、心からお礼を申し上げます。
しかし、まあ、どーかなるほど腹が減った。
即座に「電磁波には害がある!」と騒ぎ立てるべきではないが、旧来の安全性の根拠に疑問がもたれはじめているのは事実だと思う。 冷静に、これから先の行き方を考えていくべき、重要な問題だと思う。
なお、この講演の内容や、本堂さんが「パリティ」に書かれた解説を、本堂さんの web page で読むことができる。