茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
ここのところ、早川さんと議論し予想した(1/26)いくつかの関係式などなどを目指して、考えを詰めている。
昨日くらい、ぼくのポテンシャル壁からの跳ね返り論文で使った技巧的な変数変換を Maes-Tasaki の相対エントロピーの方針と併用して、二つの仕事の折衷的な不等式がようやく導出できた。 運動量分布の方はシャノンエントロピーの差であつかい、位置の方はエントロピーに対応する部分を垂直方向運動量の初期値と終値の比(これはヤコビアン)の対数で処理した。 この位置の方のあつかいは、これ以上改良できないだろう。
運動量の方も同じようにヤコビアンで処理できないかと悩んだ末に、昨日の方法(ただし、変数変換はない)の変形版で、思い描いていた一般的な第二法則ができた。 重心運動については、エントロピー差ではなくヤコビアンの対数だけが出る。 ある意味で、抽象的な不等式で、このままでは物理はほとんどない。 ヤコビアンの実態を何らかの形でつかまえられれば、魂が入るのだが。
昨日は、かなり技巧的な証明をして悦に入っていた私だが、もっと形式的に期待値を書いて、変数変換して、ちょちょいのちょいと Jarzynski 型の等式をつくって、そこで凸性をつかえば、昨日の不等式があっさりぱっさり出てしまうではないか。 なーんだ、ていうか、この出発点になる式は朝日賞に行く前(1/27)にホワイトボードに書いていた式じゃんか。
午前中はそんなことをやって、夕方、妻といっしょに地下鉄に乗りながら先ほどの導出を反芻。 「いかにも佐々さんが好きそうな話だな」と思った瞬間、佐々さんがずっと前、ぼくが跳ね返りの話を最初にやった頃に書いた簡潔なノートがあったことを思い出した。 あ、なーんだ。あそこで佐々さんがそういう方針を出しているのだから、今ぼくが出した関係もあそこに書いてあるに決まっている。 ま、これは入り口だし、少し遠回りをしたけど、(文献の整理が悪く何もでてこなかったので)この機会に(標準の設定で) Jarzynski 等式と対応する fluctuation relation を導出して腑に落とせたし、ちょうどよかったわい(帰宅後に確認すると、佐々さんのノートにある式は微妙に違っていたが、もちろん、核心は同じ。佐々さんもその後ぼくが書いたのと同じ関係に書きなおしていたそうだ)。
家の主をはじめとして、すべての人(妻を除く)と初対面。 ただし、お二人とは、ネット上で旧知の仲、という、なかなかサイバーで IT な出会い。 素敵な家に魅力的な人がたくさん集い、短いながら愉しい一時であった。
引っ越したばかりの家主の(段ボール箱に入ったままの)膨大な蔵書の話題から、すべての蔵書の内容をデジタル化してくれるサービスの話になる。 ほろ酔いかげんで「すべてをスキャンしてデジタル情報化してコンピューター上に保存し」とかいう会話を聞くと、このところグレッグ・イーガンを集中的に読んでいる私としては妙な擬似リアリティを感じてしまうのであった。
アブストラクトより。
After having derived the results summarized below, I realized that Sasa had already made essential observations and written down in December 2000 (time flies!) very similar relations, about which we also mention.December 2000 って、五年も前じゃんか。 きっと、ぼくらみんなが若者だった頃だ。
杉峰伸明さんのセミナー(セミナー案内)。 強磁性 Ising 模型の並進対称な平衡状態の分類についての Bodineau の結果についてのミニ講義をお願いしたのだ。
一方、三次元以上では「並進対称な平衡状態はプラス境界の状態とマイナス境界の状態の二つしかない」ということがずっと信じられてきたが、証明はなかった(ちなみに、並進対称という条件を外すと、三次元以上の低温では、ドメインウォールのあるような平衡状態がたくさん出てくる)。 温度軸上の高々加算個の点を除けば、これが正しいことは証明されていたのだが、でも、そういう命題は明らかに気持ちよくない。
八十年代の構成的場の理論と厳密統計力学の「黄金期」にも、この問題は未解決のまま残されていた。 まさか解決するとは思っていなかったのだが、この難問を確率論の新星 Bodineau が去年やっつけてしまったのだ。
実は、Bodineau の名前だけは前から知っていた。 彼は、ぼくの共同研究者 Raphael のパリ大学数学科での同僚なのだ。 Bodineau-Derrida なんていう物理っぽい論文も書いていて、ちなみに、そこには、幻のプレプリントとなった(といっても、いつでも読めるわけだけど) Sasa-Tasaki の SST の短い論文もちゃんと引用されているのであった。 ま、そういう風に物理にも関心のある幅の広い人だということが言いたかったわけで、もちろん、そのついでに Sasa-Tasaki の短い論文にも注目してくれている人たちはちゃんといたんだぞということもこっそりと主張しているわけだ。
しかし、その Bodineau が、年来の難問を解決しこと、それ以上に、こういう問題が射程に入るような流れがつくられていたことは、去年、Aernout van Enter に教えてもらうまでは、ちっとも知らなかったのだ。 幸いにも、その後、杉峰さんが Bodineau の仕事に精通されているということを香取さんや笹本さんに教えていただいた。そして、今回、笹本さんに杉峰さんを紹介していただき、図々しくもミニ講義をお願いしたのであった。
セミナーは二時半頃にはじまり、かなり時間をかけて概要とイントロを説明してもらい、そこで休憩のティータイム。 これだけで、普通のセミナーくらいの分量はあったかも。
しかし、一服したあとがいよいよ本番。証明の詳細の解説に入る。 ぼくも、こうなったら、長いブランクを取り戻すべく、かなりテクニカルなことまで質問し(そして、丁寧に答えていただき)ながら、必死で聞く。
やっぱ、楽しい。
(たとえば reflection positivity みたいな)掟破りの信じ方い「飛び道具」が出現して仕事が進んだわけではないことはわかった(ちょっと、安心)。 今でも最大の飛び道具は FKG 不等式だ。 たしかにブロック化の方法などは非常に賢いが、しかし、80年代にみんながやっていて、ぼくなんかも考えていたことと、本質的に異なっているわけではない。 非常に賢く整備さたため、さらに、その上に立って次のステップに進めるようになった、という感じか? このあたりで偉かったのは、Pisztora とかいう、名前の読めない奴らしい(原は知っているらしいが、ぼくは確率論サイドからは随分ごぶさたなので、知らないのだ)。
杉峰さんは休みなく板書し、話しつづけ、時間はどんどん過ぎていく。
ついに、7時をまわったところで、セミナー室の暖房が止まる。 急にエアコンのファンの音が消えて、部屋の中が異常に静かになる。 極寒の日、ここから先は、これまでの余熱と一人百ワットの発熱だけが頼りだ。
しかし、証明は延々とつづく。 部屋はだんだんと冷えていく、と書きたいところだが、この寒さのなか、部屋は 急 激 に 冷えていく。 みな、寒さに震えながら、それでも証明を聞く。 もう冷えないと思えるくらい冷えたあとも、さらに冷え続ける部屋。
8時近くなって、ついに最後の補題が板書され、主定理の証明がおわる。 よし、あとはこの補題だけだ。これは、ちょろいから、そろそろ終わりだぜっ!
と思って聞いていると、それが甘かった。
絶妙の条件付き確率の評価をしなくては求める補題は証明できないのだ。 ううむ。世の中、あまくない。寒いけど。 しかし、寒さに負けてこの証明をおろそかに聞くようでは科学者失格である。 あくまで食らいついて必死で説明を聞く。 「へへへっ、寒いだろ。ここで質問しないで、わかったふりをすれば暖かくなれるんだぜ」という悪魔のささやき。 しかし、それに打ち勝って、あくまで質問を続ける私(みんな、ごめんね)。
こうして、すべてが終わったのは8時半くらいか。 壇上で話し続け歩きまわって板書しつづけていた杉峰さんはそれほど冷えなかったそうだが、聴衆はみな芯から冷え切っていた。 主催者のミスでした。みなさん、本当にごめんなさい。杉峰さん、ありがとう。みなさん、ありがとう。
とても(寒かったけど)楽しかった。
一通りの証明と周辺の道具は理解したつもりだ。 すばらしい。 しかし、もっと時間をかけて消化し理解せねば。
楽しく話しているとあっという間に11時過ぎだ。 早いものだね、というが、そもそも食べ始めたのが9時過ぎなのだから、そんなものでしょう。 みぞれが降り始める中を解散。
杉峰さん、笹本さんや参加して下さった皆さんのおかげで、とても楽しく有益な半日だった。 それにしても、マヌケな主催者としては、参加された方々が風邪を引かれなかったことを祈るばかりであります(セミナーに参加されていた○○さんの web 日記が8日になっても更新されないので不安だ・・(付記:ご無事だったようです))。
冬休みの宿題の「読書アンケート」(1/6)を掲載した月刊「みすず」1, 2 月号が発行され、手元に届いた。 田口さん、早川さんの他にも、大野さんや(常連らしい)三中さんの評も載っている。
で、拙文について、大先輩の三中さんより
田崎晴明評はとても“硬派”な感じがする.ひょっとしてすごくマジメなキャラクターの人だったのか(失礼).(強調は引用者による)とのご感想をいただいてしまった(三中日記 2006/2/6)。
いやあ、まいったなあ。
web 日記でおちゃらけたキャラを一生懸命に演じてみせたところで、三中さんのご慧眼の前では、人の本質は自ずと明らかになってしまうのですね。
そうなのです。
学習院大學では田崎ゼミは最硬派のゼミとして名高く、かつての塾生だった S 君が田崎ゼミを志望した動機として「自分を鍛えようと思った」と語ったほどです(←いや、この S 君の話だけはマジで)。
そして、現実の私は冗談一つ言わない堅物なのです(冗談一つ言いません、冗談三つ四つ言います)。
さらには、
と、続けても面白くないのでやめるけど(昔、学生バンドのコンクールか何かを見に行ったら、登場するなり「みんなが僕たちのことをコミックバンドだって言うんですけど、それはまったくの誤解です。はっきり言っておきますが、ぼくたちは真面目なバンドなんです!」と言って笑いを取ろうとしている奴がいた。そういうのは日頃からいじってくれている身内に言うから受けるんで、初めての客に言ったって、誰も笑わないのになあと思ったのを、なんか思い出した)、実際、まじめな話、今回ぼくが書いたものは、「ゆるみ」のない生真面目な文章だと思う。
考えてみれば、ぼくは今まで多少の文章を印刷物に載せてもらったけれど、(「一年三組学級新聞」を除けば)それらはいずれも科学系の雑誌とかパンフレットの類だった。
この「みすず」のような広く読書人をターゲットにしたものに書くのは本当に初めてのこと。
晴れの論壇デビュウなのであった。
そういう、ドキドキの新人なのだから、世を知り科学をきわめた顔をして高所から語ったりすべきじゃないし、逆に、(年をとった科学者にたまにありがちだけど)自分は普通の科学者とは一味違って人文系の興味もあるのだよみたいな斜に構えた態度もとりたくないし、まして、大野さんみたいに堂々たる神託を述べて人文系(の一部)に喧嘩を売ることもないと思うのだ(ま、ほとんど、できないし(しかし、上に名前を挙げた知り合いの皆さんは、それぞれに持ち味を出されているなあと素直に感心した))。 ここは、もう理系の人が見ても照れるくらい素直に科学が好きで楽しくてたまらないというところを全面に押し出した純朴な物理少年キャラに徹するのが、ぼくの役回りだろうと判断したのである。 上の三中さんの感想は、ぼくの意図がそれなりに実現していることの表れだと思いたいところだ。
これからもこういうものを書くなら、少しずつ「ゆるみ」を持たせてみたいとも思うけど、ま、あせらず徐々にやりましょう。 来年のに書くなら、やっぱり、Boltzmann の伝記かな? 今年が Einstein の伝記だったからいかにもワンパターンなのだけれど、彼の悲劇的な死からちょうど百年というタイミングは捨てがたし。
数学科のセミナーに顔を出す。
谷島さんがいらっしゃるので、シュレディンガー関連の数学者の訪問は非常に多い。 河合塾のランキング本の(今年の版の)ぼくらの研究室の紹介に
「シュレディンガー作用素研究の世界的拠点である数学科のグループとの交流も活発」とあるのは、本当なのだ。 だいたい、今やぼくの一部ともいえる(←おいおい)プール通いを最初にすすめてくれたのも谷島さんなのであーる。
15:00--16:00 講演者: Gianfausto Dell'Antonio (University of Roma I "La Sapienza") 題目: Dynamics on quantum graphs as constrained systems 概略: Abstract(pdf) 16:00--16:30 tea time 16:30--17:30 講演者: Mario Pulvirenti (University of Roma I "La Sapienza") 題目: On the Weak-Coupling limit for Classical and quantum particles
どちらも基本的には物理の話で、ぼくにはよくわかった(逆に、純粋に数学の解析の人には動機はわからないかも)。
Dell'Antonio のは、細い幅のあるネットワーク上の領域に粒子を閉じこめたシュレディンガー方程式の話で、もろにメゾスコピック系というかナノテクノロジー系の題材。 物理的に面白い道が分かれるところについては、強いことは何も言えないので弱収束で逃げていた。 基本的な結果は、前に彼らがやった一本道の場合に尽きる。
休憩のあいだに Pulvirenti と話していたら、けっこう興味が重なっていることを認識。 彼は多体系やスピン系のことは知らないが、最近ぼくが考えている非弾性衝突の問題なんかにはピンとがあっている。
Pulvirenti の話は量子系の弱結合極限での Boltzmann 方程式の導出。 堅実にやっている。 もちろん、この極限では、もっとも興味深い decoherence (というか、molecular chaos)が生じるところまでを見ることはできないので、驚きはない。 でもこれだけちゃんとできるというのは、知ってうれしいことである。
佐々さんや Chritstian Maes とメールをやりとりし、12 日に示した結果の位置づけを自分なりに理解。 ある種の一般論の範囲での local detailed balance condition の正当化はすでに Maes-Netocny という論文で明示的に論じてある。 Liouville + time reversal invariance の帰結なのだから、当然だと思う。 Jarzynski の local fluctuation theorem ともよく似た結果であることもわかった。
しかし、ぼくの場合は、状況を driven lattice gas が導かれるべき設定に限定したことに意味と独自性がある。 これによって、マルコフ近似は非常にもっともらしくなるし、実をいうと、local detailed balance を越えて、さらに transition rule の形を絞るところまで行けそうなのだ。 そこまでやるのが正しいと思うし、そこまでやってこそ意味が出てくる。
実は、このような筋をたどって出てくる遷移ルールは、通常に使われているものとは違っているのだ。 そうなると、この新ルールのモデルがどのようなふるまいをするかを調べるという新しい課題がでてくることになるのだが、何を隠そう、ぼくはこの新しいルールは既に知っていて、一次元系の性質と高次元での高温展開の結果も、もう調べてあるのだ(9/27/2005)。 速っ! というより、すでにやってあるのだから、速すぎですな(真面目な話、ひとまとまりの研究が進む順番というのは、かならずしも、論理的な順番とは一致しないという例ですね)。
この一連の仕事は、driven lattice gas について(遷移ルール依存性などがわかってきたことを踏まえて)原点に立ち返ってスタート地点から考え直そうという研究だといってよい。
明け方に悪寒と吐き気がして目覚める。 水泳馬鹿になって風邪を引かなくなったはずなのに・・
速効で医者に行く。しかし、思ったよりずっと軽症。
武道館にて「東京事変」。 はじめてのアリーナ席、いや、正確に言えば、運動部のパフォーマンスなどを見て限りなく暗澹たる気持ちを味わっていた大学の入学式以来か。 前から数列目という素晴らしい席で、林檎さまの表情まで肉眼でつぶさに見える、あ、もちろん、亀田師匠とかもよく見える。
これまでとは違って、無理な作りがいっさいない(ように感じさせる)素直な林檎のボーカルは、ただただ素晴らしい。 ステージを歩く姿、ステージに立つ姿、メガホンをもった姿。 何をとっても文句のつけようがない。 はい、私はファンでございます。 前回のツアーのようなボリュームと凝縮感はないが(これは、ツアーの前の「顔見せ」公演だから当然だろう)、心から楽しめるステージだった。 なかでも「秘密」(ぼくは、これはアルバム中で最高の曲だと思う。「修羅場」ではなく、こちらがシングルになるとずっと思っていた)は緊張感の高い名演。
新加入のギタリスト浮雲の存在感は圧倒的。こちらが全神経をボーカルに集中しているにもかかわらず、短く凝縮されたフレーズでたちまち空気を自分に持って行ってしまう。 武道館のステージに立ちながらも、あたかもスタジオで演奏しているかのような独特の空気も魅力。 ドラムスの刄田も相変わらずの(というより、今まで以上の)癖の強い存在感。 こんな二人がいながらも全体が統一感のあるバンドの音をつくっているのも、亀田氏の圧倒的な力量によるのだろう。 電気ウッドベース(と呼ぶのか?)で自作の曲を演奏する彼は(なんか、凡庸な言い方だけど)実にかっこよかった。
あえて総括するなら「高い技術と余裕に裏打ちされた遊び心のあるステージ」というところか。 衝突問題の研究も、そういう境地にもっていきたいものである --- と無理に仕事に結び付けてみます(でも、けっこうマジかも)。
<フォーブス騒動>(まず、こちらの説明をご覧ください)。
フォーブスのライターの方は物静かで誠実な方で、好印象をもった。 インタビューもきわめて有意義だったのだ。 こちらの話をいろいろと引き出してもらっただけでなく、経済誌のライターという、ぼくらとは随分と異なったお立場の方のご意見やご感想も聞かせてもらったし、その他、こういった話を進めていく上でのアドバイスなどももらってしまった。
それなのに、出てきた記事の見出しが
もう容赦できぬ! 日本物理学会が "ニセ科学" の教科書掲載に蜂起だったから、脱力。 菊池ブログの関連項目でも、さんざん盛り上がってしまったけど、「容赦できぬ!」って、どういうセンスなんだろと思ってしまう。 まじめな話、「ニセ科学とどう向き合っていくか?」っていう疑問形の題をつけた問題提起のシンポジウムなわけで、「容赦」するもへったくれもないし、「蜂起」にいたってはなにをかいわんや。
実際、記事はかなりちゃんと書けているわけで、(ライターではなく)編集部の見出しをつける係の人が中身を読まずに暴走したってことなんでしょう。
とあるマスコミ関係の方のご意見では、見出しが過激になるのは日常茶飯事で、フォーブスが訂正したいと言ってきたのは意外なくらい善意のある対応だということでした。
<卒業研究発表会前夜の指導教員の仕事編>
ぼく:「○○くん、これから下の自販機でカップ麺を買ってくるけど、君も食べるでしょ。何味にする?」
健康ブーム以来、カップ麺やチキンラーメンをいっさい食べなくなった私である。 こういう特別なときに久々にカップヌードルを食べると、これまでの人生の様々な局面でカップヌードルを食べた想い出 --- あのとき、北海道で寒さに震えながら食べたなあ;あのとき、生協の前で一人寂しく食べたなあ;アメリカで子供といっしょにプール教室に行って戻ってから食べたなあ;・・・ ---- が次々と走馬燈のように浮かんでくるのじゃ。
卒業研究・修士論文の発表会が終了。
今年も、いくつか異常にレベルの高い発表(「おいおい、それができちゃったら、修士だろう! → えっ? できたのかっ・・」って感じ)があった。 他の大学の状況を完全に知っているわけではないが、これら超ハイレベルの卒研は、国内でもトップクラスの卒業研究と言ってよいはず。 四年生が丸一年のあいだ研究室に所属して研究に携わるというシステムの威力と、うちの学生さんたちの素晴らしさをあらためて実感。
もちろん、超ハイレベルとはいかなくても、力の入った立派な卒業研究は多数。
フォーブス騒動(21 日)の記憶もさめやらぬうちに、新たな報道問題が! 今度は、
<赤旗問題>
昨日付の「しんぶん赤旗・日曜版」には見開き二面を使った「ニセ科学」の記事が掲載された。
まず、前半では、この記事の主役である菊地さんへのインタビューを中心に、「水からの伝言」やマイナスイオンなどを例に「ニセ科学」の現状を述べる。 また、菊地さんがオウム真理教の件をきっかけに「ニセ科学」に真摯に取り組むようになったことが述べられている。 つづいて、物理学会のシンポジウムの話題に移り、ぼくがシンポジウムを提案した動機などについて語っている。 そのあとは、シンポジウム関係者ではないが、松田卓也さん、左巻健男さんという有名人お二人が、より広い視点からコメントを述べている。
文章もソフトで読みやすいし、しっかりした取材に基づいた、バランスのよい、すぐれた記事だと思う。 是非とも大手の新聞でもこういう特集を組んでいただくことを願う。
あ、それで、「問題」というのはですね、
菊地さんと左巻さんとぼくの顔写真がのっているんだけど、
ぼくだけ口が半開きでアホみたいな顔をしている。
これは写真の事前チェックや修正の機会を与えられなかったために生じたことであり・・・
実は、ここのところ、ものすごく初歩的な計算をしている。
けっこう、手を変え品を変えいろいろと試みているのだけど、やっているのは、「二つとか三つの粒子が箱形ポテンシャルで束縛し合って、アメリカンクラッカーみたいにカチカチとぶつかり合いながら飛んできて、壁に当たって跳ね返る」という計算。 で、運動エネルギーの収支なんかを見るわけで、ほとんどが大学入試的計算。 バネさえ出てこない(バネにすると急激に衝突の際の状態の確率分布の計算が面倒になるのだなあ)から、そういう意味じゃ、大学入試よりも簡単なところもある。
これは、今月の最初(3 日、4 日)にもでてきた、衝突や跳ね返りの問題での第二法則、ゆらぎ、(いっけん、第二法則を破る)異常反発などについて考えるための練習問題なのだ。 やっぱり、一般的な関係だけをいじっていても想像力が閉塞してしまうし、現場感覚が希薄になる。 シャープな切り口の数値実験の結果をみることも重要だけど、ぼくは、すべてを自分で把握できるオモチャをいじくって、そこから何かを学ぶのが好きだ。 もちろん、多くの場合、オモチャはしょせんオモチャなのだけれど、場合によっては、すぐれたオモチャを正しい視点で遊ぶことによって本質的な洞察が得られることもあるのだ。 ぼく自身の例で恐縮だけど、三つの格子点に電子が二つのオモチャを遊び倒したことで、強磁性の Tasaki model ができたのであった。
というわけで、ひたすら力学の初等計算をし(こういうのをミスなくやるのは、理論物理のプロには結構負担なのである)、まずは、4 日の日記にある佐々さんの等式をチェックすることに。 この場合は、ヤコビアンが簡単に計算できて一定値になるので、すぐに確かめられると思いきや、どうも、計算があわない。 ここで計算ミスをしたと思い、モデルを変えたり、計算をやり直したり、本当に初歩的な計算ばかりをして何日も過ごしてしまった。 初歩的な計算は重要なんだけど、やっぱり頭を使わないので、喜びが少なく、消耗感が高い。
けっきょく、より簡単化したモデルできちんとチェックすると、正しいと思っていた等式は間違っていた。 いや、たしかに、導出の過程で「ここで、何ら変なことがなく、x と x' のあいだの写像が一対一なら・・」みたいな仮定をしたことは意識している。 素朴な直感でそれは正しいと思っていたのだが、結果があわないというのは、その仮定が間違っているというこのはず。
ここまで来てからもさらに寄り道をして、ようやくバグの正体をきちんと把握。 早川さんと佐々さんに訂正のメールを書く。
3 日の日記には、
ヤコビアンの実態を何らかの形でつかまえられれば、魂が入るのだが。と書いたが、どうも敵は他のところに(も)いるようだぞ。くんくん。