茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
いやあ、まったく三月になっても、ちっとも余裕ができない。 20 日が卒業式、21 日が教授会、その晩に大阪に行き、22 日に数学会・物理学会合同講演会というスケジュールなので、ともかく、講演準備を含めた色々を 20 日までに片付ける必要があるのだ。 今のところ、ぎりぎりなんとかなりそうな感触かな。
実をいうと、単なる主任の業務以外のことも色々と手伝ったりして、それで時間も取られるし、精神的なエネルギーも大いに消耗してしまった。 別に首をつっこみたいわけじゃないけれど、何人もの人が(やはり、やりたいわけではなく)面倒な話に一生懸命に対応しているから、やはりできることはお手伝いしたいと素直に思ってしまう。 これまでの長い年月、好きなことをかなり好きなようにやらせてもらえたのは、学習院の理学部の先輩たちのお陰だと自覚している。だから、恩返しなどというとおこがましいけれど、(ぼくには、文章を書くのが速いといった実務能力も多少あるので)ちょっとくらいはお役に立てればと思うのは、まともなリアクションであろう。
しかし、(こんな事を書くと、本当に救いようのない甘ったれたわがまま野郎だと言われるだろうけど)心からやりたいわけではない事をやった後というのは、やっぱり精神的に消耗しますね。 「自分の能力を発揮すると楽しい」という側面は確かにあるけれど、そういう「充実感」の後に、それに比例する一種異様な揺り戻しがきて、がっくりと疲れてしまう気がする。 もちろん、自分のやりたいことをやっていられるというのは、例外的な幸せなので、こんな事を言ってはいけないとはわかっているのですが。
と、まあ、こんな事を書いても、読者のみなさんのほぼ全員には、ぼくが何で忙しかったかは分からないわけです。 で、さらには、今は分かって書いているぼくも、何年かすると、けっきょく何が何だか分からなくなるのだと思います。 さすがに本人は覚えているだろうと思う方もいらっしゃるでしょう。 でも、昔の「日々の雑感的なもの」で、「ここには書けないけれど、ある事情で、大変だった」とか書いてあるところを読んでも、もはやどんな事情だったか思い出せないのがほとんどなのです。 「読んでいる人には分からなくても、俺は忘れないだろう」と思いながら書いた記憶はあるのですが。
今日は学科主任としてのつとめの一つで、学習院の高等科の生徒さんたちへの理学部の説明会にでる。 物理学科の説明をし、それから、希望者をつれて物理学科の研究室を見学。
例年、この会では、高校生たちは後ろの方に座ろうとして、ぼくは「前においで」と叫ぶのだが、今年は、元気のよさそうな男の子たちが最初から一番前にすわって、騒いでいる。 ぼくの話にもいちいちリアクションしてくれるし、いい感じだ。
けっきょく、その連中が見学にも来たのだけれど、渡邉研と西坂研で装置やら居室やらを見て、楽しんでくれたようだ。 配属の決まった三年生が、もう実験の手伝いなんかをていて、うちの卒業研究の気合いの入り方を実感してもらえたと思う。 西坂研では、女子高等科出身の M さんに説明をお願いしたのだけれど、やっぱり、男子高校生たちは一生懸命に説明を聞いていたなあ(いや、まあ、渡邉研での水野さんの説明もちゃんと聞いてたけど)。
と、それなりに気をつかうお役目ではあったが、若い人たちに物理の楽しさを伝える仕事は楽しいよね。 疲れることは疲れるけど、不快な「揺り戻し」とかはない。
ところで、講演会の日程が決まったころ、物理学会からメールが来て「数学会で、講演会の様子をビデオに撮影してネットで公開したいと言っている。それには講演者の了承が必要だから、許可する人はすぐにメールをくれ」と言ってきたのだ。 ビデオで講演を撮られたことなんかないから恥ずかしいなあと思う気持ちもあるけれど、ネットで公開してくれれば日本中の人が見ることができる。 ぼくは、公開できる者はなるべく公開した方がいいという考えをもっているので、これはいいアイディアだと思った。 この手のメールは、読んだ直後に返事をしないと必ず忘れて締切を過ぎて相手を困らせてしまうことになる。善は急げとばかりに、メールを読むなり速攻で返事をして「是非、ビデオ撮影してください」と答えたのであった。
じゃが、しかし、つい先日、「全体セッションしかビデオ撮影しないよ。パラレルセッションで話す人で撮影許可とかわざわざしてくれた人もいたけど、ご苦労さん」的なメールが物理学会から届いたのだ。
べっ、べつに、ビデオ撮影たのしみになんかしてなかったんだからねっ!
と強がってみたところで、マヌケ感は消えないよなあ。 こういう結末になってみると、速攻で「撮影オッケーっすよ」とか返事した奴というのは、もう、「それにしてもこのおやじ、ノリノリである」状態ととらえられても仕方がない。というより、そうとしか見えなくなってしまうじゃあないか。
ま、いいんだけど、「見たいけど行けない」的なことを(外交辞令にせよ)おっしゃってくださった方もいるので、公開されないのは、やっぱりちょっと残念です。
一昨日、昨日と集中的に作業して、「数学:物理を学び楽しむために」の改訂作業。 来年度の一年生に配るバージョンを印刷するため、ともかく、分かっている欠陥は取り除こうという趣旨である。
そういうわけで、ほぼ一年ぶりの改訂なのだけれど、(膨大な)ミスの修正が作業。
今回のタイポのチャンピオンは、
駄馬ージェンスあたりかな? ダイバージェンスと書きたかったわけだが・・・ にしても、こんなマヌケなのを美しく大量に印刷して配布していたのだから、なんか、楽しい。
ミスのほとんどは、講義をとっている学生さんが教えてくれたもの。 もちろん、メールでコメントを送ってくださる読者のみなさんにも、あいかわらず助けられている。
ミスの修正の他には、論理の初歩のところを、色々と書き直した。 やっぱり、こういうところは、浅いし、説明もまずいよなあ。 熱心に読んで、いろいろと混乱してくれてた学生さんと随分と議論したし、メールでも色々と建設的な意見を言ってくださる人がいたのだ。
そう聞くと、代数幾何に関連する超難問だと思うかも知れないけれど、行列についてのお洒落な問題。 線形代数が好きな人は解いてみてください。 なぜ「飯高問題」と呼んでいるかについては、問題への脚注を見てね。
ふう。 あっという間に学会の前日。
昨日は、主任としてはじめての卒業式で、式典の類いは相変わらず面倒で嫌いんなだけど、いろいろな意味で感無量。
一人一人の顔を見て話をするにつけ、(それぞれの意味で)ほんとにあっという間だなあという素直な感想を抱く私である。
少し前に卒業してよその大学院に行っている連中も、なんだかんだと集まってきて同級生や後輩たちと仲良く話しているのも楽しい光景だ。
ともかく一通りは形になったか。 数学会/物理学会合同公演会の聴衆が把握できていない(誰にも把握できていないだろうなあ)ので、どう話すか大いに悩んだ。 ともかく専門でない人に話すということで、スライドはすべて日本語にして、基本的なイントロにたっぷりと時間をとる。 文化としての数理物理の香りを伝えることを目指したかったが、今のところ、そういう余裕はないなあ。
そういう「文化」を伝えることも含めて、まだまだ整えるべきところは多いし、講演のシミュレーションもしなくてはいけない。 今日は、午後から(重要な)教授会があり、それから大阪に移動だ。 空き時間や移動時間を利用してぎりぎりまで改良に努める所存であります。
今回の物理学会で、MacBook Air を 見せびらかそう お披露目しようと目論んでいる方は少なくないと推察するけれど、申し訳ありませぬが、ぼくが一番乗りを果たすことになるでありましょう。
このためにこそ、初日の講演会の、午後の最初という好ポジションをゲットしたのである! (嘘だけど)
などと書いていないで、時間のある限り講演の準備をしなくては。
では、少し早いけど、行ってきます。
会議を終え、少し用事をしてから目白駅にむかい、自動販売機で新幹線の指定券を買い、山手線で東京へ。 わずか 10 分後には、のぞみ号が出発。 なんて能率的なんだ。旅なれたビジネスマンのようである。
さらに、座席に着くや MacBook Air を取り出して、明日の発表のスライドの手直し。
うん。すごい。Air は本当に使える。 組んだ膝の上に置いても何にもないくらいに軽く、全く苦痛なく使える。 むかし、初めて「ラップトップ」と称するパソコンが出はじめた頃には、あまりの重量に、ラップトップパソコンを膝の上に無理矢理にのせることで現代版の「石抱きの刑」になると言われていたものだから、技術の進歩はすごいものである。
まったく問題なく、一時間のあいだ、かなり集中してスライドをいじることができた。 そうだなあ。あえて問題をあげるとすれば、時たま揺れて作業しづらいことくらいかな? これは Apple じゃなくて JR にお願いすべきことだけど。
いっさいの邪魔が入らないわけだし、メールやネットもみられないから、実に能率的。 スライドの完成度が大幅にアップしたところで、気を良くしてこれをタイプしているというわけだ。
気がつくと、窓の外は、日没後の青い空と人工の灯りが同じくらいの明るさになる、魅惑の時間だ。 Air のバッテリーはたっぷり残っているけれど、少し休憩して、景色をみたり眠ったりしようと思います。
鶴橋という駅で JR をおりて食事のため外に出たのだけれど、しょっぱなから、狭い路地、雑然としたわけのわからん店、細く入り組んだ道、軍艦マーチがんがんのパチンコ屋、茶髪の若者、というこてこてに激しい大阪ワールドが広がっていた。 ぼくは関西には長く暮らしたのだけれど、こういうディープな大阪にはほとんど縁がなかったので、ちょっと感動。 思わずカラオケボックスに入って、上田正樹とかを熱く歌いたくなるではないか。 あまりのことに、ついつい、餃子の王将のカウンター席で夕食をすませてしまった安上がりの大学教授のおいらでした。 (付記:この同じ夜、やはり大阪にやってきた佐々さんは、吉野家で夕食をすませたそうだ。 ぼくらも、結構、息のあった共同研究者になってきたものである。)
で、近鉄電車に乗って、ホテルへ。 (迷子になりたくないので)駅から近いことを最優先して選んだのだが、大正解。 駅を出たら大きな看板があって、あっちと矢印があり、そっちを見ると、ホテルの看板が見えた。 日本語さえ読めれば、決して誰も迷わないホテルである。
狭くて少しタバコ臭いけれど設備はこぎれいな部屋だ。 イーサネットのコンセントとケーブルが備え付けてある! と思ったが、MacBook Air には、みたところイーサネットを差し込む口がない(よくわかっていないけど)。 なーんだつながらないや。 と思ったが、なんか知らんけど、ワイアレスでつながってしまった。
これからトークの練習します。
日本数学会・日本物理学会合同講演会の当日。
昨夜は、トークのシミュレーションをしてはスライドを修正し、風呂にはいっている間に発表の構成に不満が出てきて、またスライドを修正してと、けっこう遅くまで講演の準備に費やした。 60 分の講演は、聴く方にとっても(いや、聴く方にとってこそ、というべきか)かなりの負担になる。 途中で飽きてしまわないようにするには、できるかぎりメリハリをつける必要があるのだ。 実験の映像やシミュレーションのムービーなんかがあるような講演なら、そういうのを見せる時間を設けることで、うまく流れが作れると思うが、ぼくのように、地味な「紙と鉛筆」数理物理の場合は、そういう「飛び道具」は使えない。 ひたすら、トークの「モード」を切り替えることで、コントラストを作ることを心がける。
講演の準備にすべての時間を取られていたので、到着前に、自分がどこに泊まり、そこから会場までどうやって行くのか、まったく把握していなかった。 昨夜遅くなってから、これはやばいぞと思ってネットで調べてみると、な、なんと、ぼくは学会会場のかなり近くに泊まっていたのだった。 電車を使う必要もない。 歩いて30分かからないし、「まっすぐ歩いて、駅にぶつかったら左折、まっすぐ歩いて隣の駅が見えたら右折、あとはまっすぐ歩くと会場」という、考えうるもっとも簡単な道順。
さすがのぼくも全く迷う心配もなく、会場に着いた。
開催日:3月22日(土) 場 所:近畿大学11月ホール(午前),20号館1〜3号室(午後) <9:30〜12:00>全体セッション 物理学会会長挨拶(鹿児島)蔵本由紀(座長:鹿児島)三輪哲二(座長:谷嶋)数学会会長挨拶(谷嶋) <13:30〜17:30>パラレルセッション セッションA(座長:早川) 田崎晴明、小澤正直、西成活裕 セッションB(座長:江口) 山口孝男、安井幸則、加藤和也 セッションC(座長:深谷) 西浦廉政、坂井典佑、押川正毅 (午前・午後ともに、各講師の講演時間は60分)(数学会のページにより詳しいプログラムがあります)
しかし、講演が抽象的な話に終始して、彼がそういう物理観を持つに至った生きた科学研究の話がでてこなかったのは、たいへん残念。 また、universality についての議論も本当に面白くなる直前で終わってしまったと感じた(ぼくの質問への答は面白かった)。
より残念だったのは、「3 次元 Ising や磁場のある 2 次元 Ising が解けるだろうか」という質問に対して「粒子描像があるかどうかがポイントではないか」と答えていたこと。 だって、もともと粒子の系を考えれば、明らかに粒子描像は存在するわけで、そんなのは可解性とはまったく無関係な話でしょう。 激烈に非自明で難しくおそらくは深いお仕事をされていることに疑問の余地はなく、この質問は完全に守備範囲の外だったのだということも理解できるけれど、でも、こういうやりとりを聞くと素直に悲しくなる。
昼ご飯のあいだにどこかで迷子になって会場に行けなかったりしたらどうしよう、というようなアホなことをすぐに考えてしまう、ビビリの私である。 午後のセッションの座長であり、今回の合同講演会を担当した理事でもある早川さんをつかまえ、いっしょにお昼を食べることにする。 こうすれば、迷う心配もないし、万が一(億が一?)迷ったとしても、座長もろともである。わはは。
早川さんとゆっくり話すのは久しぶりなので、適当に、他愛もない話を。
講演が 50 分と知ったので、最初はアドリブを入れ、途中で少し急ぎ足にして、最後に少しアドリブを入れて時間調整し、ちょうど 50 分で最後のスライドに到達した(やっぱり、ビデオに撮ってほしかった)。 ストーリー構成上、どうしてもトークに組み込めなかった論点が三つくらいあって気になっていたのだけれど、そのうち二つは、ナイスな質問がきたので、それらへの答えの中で説明することができた。 別に質問者はサクラじゃないです。ありがとうございました。
講演のあとで、ひょんなことから、今度大学に入る高校生三人とそのうち一人のお母さんと話した。 こんなに若い人たちに、時間をたっぷりとった講演を聴いてもらえたのは、本当にうれしいことだ。
彼の話は何度か聴いているが、まとまって聴くと、より迫力がある。 ただし、話は相当に難しい。ぼくでもフォローできなくなるところが何カ所かあったから、予備知識のない人には、講演の中身は苦しかっただろう。 ただ、イントロと最後の質疑応答だけはみんな堪能できたと思うし、そこだけでも、小澤さんのすごさが伝わったと思う。 (こればっかりだが)量子論理の位置づけについてのぼくの質問への答えも、きわめて明快で、深い印象を受けた。
ただ、(かつてのお気楽フクザツケーとはだいぶ違うのだが)いろいろと考えさせられることが多かったのも事実。 ま、そういうことについては、いずれチャンスがあれば。
驚くほど人が少なかった。
蔵本さんをつかまえて、午前中の講演への質問の続きなどを。 「物理の根本は『もの』だ」と明確におっしゃるし、「universality といっても千差万別であり、くだらない『似非 universality』をみつけて喜んでいては駄目」という意見にも賛同してくださるし、基本的理念に関しては、あっけないほど、意見が一致してしまう。 しかし、具体的な仕事の評価となると、かなり意見が食い違ってしまうのである(もちろん、ぼくが辛口で、蔵本さんは寛大)。 で、けっきょく、どうまとめていいかわからない(日記としても、本心としても)。
今度は大阪から東京に向かう新幹線の中で、これを書いている。 東京までは、あと一時間くらいかな。
それにしても、今までちっとも日記を書かなかったのに、学会モードになってからはずいぶんと書いているねえ。 やっぱり雑用から解放されているのが大きいのか。
年会の恒例にしている他分野の話を聴きにいく企画も、光格子中の原子集団のセッション(しかし、これは、あまり他分野ではないような気もする)と素粒子理論のマトリックスモデルとかのセッション(さすがに、あまり分からない。多分、一対一で定義を確認しながら聴けば、かなり分かるだろうなあとは思う)を少し聴いたくらい。 次回は、もう少し、がんばろう。
昨日の午後、四人で集まって議論した際に、今日の発表のスライドの相互チェックもしていたのだ。 ぼくは、みんなのスライドに注文を付けたり、発表にはちゃんと準備して臨み時間通りにおさめなくてはいけないとか偉そうなことを言ったりしていた。 なにせ、四人の連名の発表が三つで、ぼく一人だけが発表しないという気楽な立場だったので、言いたいことが言えるのである。
本番になってみると、三者三様に、個性的で力強い発表をしてくれた。 非平衡定常状態の表現と熱力学についての最近のぼくらの研究の到達点と方向性が、かなりきちんと伝わったのではないかと思う。 幸い、聴衆もきわめて多く、レベルが高く、熱意にあふれた質疑応答になった。
二人目の中川さんは、(お子さんが学会の直前にひどい風邪をひいてしまったため)昨日の時点でのスライドの完成度が低く心配していたのだが、昨夜のあいだに、ほぼ完璧な構成のスライドを用意していた。 時間が足りなくなったらどうしようと、こっちは観客席で気をもんでいたのだが、ご本人は、余裕で、スライドを前に戻したりして、もっとも強調すべき点を強く強く伝え、(計算通りに)わずかに時間オーバーしただけで、最後の抜群の説得力のシミュレーションのグラフに到達。 必要にして十分なトーク。
一人目の小松さんのトークには、正直言って、驚いた。 二年前くらいに小松さんのトークを聴いたときには、かなり淡々と講演する人だという印象をもった。 実際、きわめて慎重で丁寧な小松さんの性格を考えると、そういうトークをするのが自然なのだろうけど、やっぱり聴衆に与えるインパクトは小さいなあと思っていた。 だが、今日は、スクリーンの前に堂々と立ち、会場に響く大きな声で、研究の目標と結果を明確に述べる小松さんがいた。 トークの構成もぎりぎりまで練られており、最小限のスライドで、最大限のメッセージと印象を伝える、ある意味で、ぼくが描いている理想のトークのイメージにきわめて近い見事なトークだった。
と、共同研究者をほめるのは、身内ぼめかもしれないけど、本当に感心したんだから、許してね。
さあて、今、手元にあるものをまとめること、また、この先に進むこと、いろいろと考えなくてはいけない。
学会から戻ってみると、東京では桜が咲いていた。
家の前も、大学にむかう道の途中にも、たくさんの桜。そして、オフィスの窓の外も、みごとに桜でいっぱい(右の写真は昨日撮った(ひどい構図だとはわかっているんだけど、なにせ視界のなか立体角で 1.5 π くらいが桜なので・・))。
桜の花のオーラに包まれながら、着々と身辺整理。
もともと分かっていた厄介なことは、思っていた以上に厄介だと判明して、未だ進行中。 さらに、新たな厄介なことも発生して、そちらも、まだまだ。 もちろん、年度末に向けてたまっていた雑用もあるが、それは、まあ普通か。ともかく淡々とこなす。
とはいえ、学会前のようにぎりぎりのスケジュールに追われるという感触がないのは、うれしい。
大野さんの書いたものを読んでいると、ぼくが日頃から言ったり書いたりしていることが、如何に大野さんの影響を受けているか(悪くいえば、受け売りか)をひしひしと感じる。 普遍性を軸にした物事の見方、進化生物学的な文脈で「人」について考えるやり方、あるいは、長い脚注で伝記に触れたり蘊蓄を披露したりするのも、みんな大野さんっぽいのである。
もちろん、元祖・大野さんは、日本の古典や漢文をすらすらと読みこなし、語学力も抜群、数学・科学のみならず哲学・音楽・美術をはじめとした膨大な分野に精通している圧倒的な教養人で、書かれる物も格調が高い。 ぼくとしては、大野さんの格調を二段階くらい下げた普及版あたりを目指せばいいのだろうと思っている。 作曲家にたとえるなら、たとえば大野さんがバルトークだとすると、ええと、ぼくが・・・ と、教養が中途半端なので、たとえ話も続かない。 大野さんなら、ここで、バッハ以前の(ぼくが名前くらいしか聞いたことのない)作曲家とかをぱっと出してくるに違いないのだが。
研究においては、人の亜流とか普及版になるのは絶対にイヤだが、啓蒙活動はずいぶんと違う。 似通ったことでも、複数の人がそれぞれのやり方で伝えていくことに意味があると思っているのだ。 前に、「ニセ科学」についても同じようなことを書いたね。
で、この短い紹介記事で、研究以外の活動を紹介する部分もあるのだけど、そこは、しばらく前のバージョンでは、
『知の欺瞞』の主要訳者をつとめたり、水からの伝言の批判を行うなど、科学啓蒙活動にも注力している。となっていた。 『知の欺瞞』(詳しくは、こちらをどうぞ)は友人の Alan Sokal と Jean Bricmont が書いた本で、ポストモダン哲学における科学の濫用と、過度に相対主義的な反科学論への批判の書だ。 ぼくにとって、この翻訳は、「ニセ科学」批判と同様、「広い意味での教育の問題」なのである。 だから、上のサマリーで、これらを「科学啓蒙活動」と書いてくれたのは、なかなか適切だと思ったのだ。
ところが、この前、ここの部分が書きかわっていて、
『知の欺瞞』の主要訳者をつとめ、水からの伝言の批判を行うなど、菊池誠、天羽優子、黒木玄らとともに並び立つニセ科学批判の旗手である。となっていることに気づいた。
いや、もちろん、時間を割いてぼくなんかを紹介してくださっているのに文句をいうのも申し訳ないのだが、ここには、ちょっと誤解がある気がする。
そもそも「並び立つ旗手」なんかじゃないよおと思う訳だが、それはともかく、『知の欺瞞』は思想潮流の批判の本であって「ニセ科学」批判と直接の関係はない。 もちろん、相対主義の蔓延が「ニセ科学」にある種の「思想的基盤」を与えるということはあるだろうけど、でも、実際のところ、話のレベルがぜんぜん違うのだ。 黒木さんの名前も出ている。たしかに、彼は web 上で相対主義的科学観などの良質の批判を展開していのだが、それも昔のことだし、そもそも黒木さんは「ニセ科学」批判とは関係ない。
ぼくが、相対主義批判と「ニセ科学」批判の双方に(ちょこっとずつ)関わっていたことで混乱を招いてしまったのかも知れない。だとしたら、申し訳ない。 けれど、批判を適切におこなっていくためにも、『知の欺瞞』でのテーマと、「水からの伝言」批判は質的に異なることを認識するのは大切なことだと思うのだ。
というわけで、本人の公式見解としては、この部分は、以前の
『知の欺瞞』の主要訳者をつとめたり、水からの伝言の批判を行うなど、科学啓蒙活動にも注力している。の方がよいということでした。 だからどうしろってわけじゃないのですが、そこは、それ・・・(きっと自分でいじるのも簡単なのだろうけど、それをやりだしては歯止めがきかないからねえ(こうやってつぶやくのもルール違反ぎりぎりかな?))。 (付記:さっそくいじってくださった方がいらっしゃるようです。ありがとうございます。)
今年度最後の日。
まだまだ片付け途上の部屋ではあるが、当社比では圧倒的な片づき方である。
彼を含めて、何人か、今日で最後の人たちにお別れを言う。
特に、事務室を去る N さんには、本当にお世話になった。 彼の(そして、彼を支えた事務の他のメンバーの)超人的な努力なくしては、生命科学専攻(あ、今日、できたんだ。おめでとうございます)の設立も不可能だっただろう。