茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
また 4 月 1 日がやってきた。
この機会に、強く強く叫んでおこう。
今年度もまた、おれは、学科主任だああああっ!!!そして一句
四月馬鹿 ほんとのことでも 嘘となれ
(どうでもいいけど、April Fool を「四月馬鹿」って訳した人は、ギャグのつもりだったのか? なんで、こんな訳が広まったんだろ。)
これまでのところ、4/1/2002, 4/1/2003, 4/1/2005, 4/1/2006, 4/1/2007 と五回書いてきて、今回が第六回目。 いよいよ、お気楽なネタがなくなってきたぞ。
それが、曾祖父のときに一大決心をして(この決心には、曾祖母が強い影響を与えたと推測される)土地や家を売り払って東京に出てきたのだ。 曾祖母には、東京を拠点にして、子供たちに教育を受けさせなければいけないという明確なビジョンがあったようだ。 彼らは、高田馬場の土地を買い、そこに田崎家の新しい拠点をつくった。
ぼくの知っている高田馬場の曾祖母の家がいつ建った物なのかは知らないが、曾祖母が指揮をとって建てさせた家だったようだ。 彼女は、家の建て方に関しても独特のやり方をしていた。 誰か世話する人に頼んで、職人さんを派遣してもらうのでなく、彼女自身が、大工さん、左官屋さん、水道屋さんなどなどを直接に把握しており、必要に応じて、その人たちを使って家を建てさせたらしいのだ。 ぼくが出入りするようになってからも、彼女のところに出入りしている水道屋さんが、仕事のあるなしに関係なく、たびたび曾祖母の家にやってきて、食事をしたり酒を飲んだりしていたのを覚えている。 そうやってかわいがっておき、いざ水道にトラブルがあれば、呼びつけて、速攻で仕事をしてもらうということになっていたのである。
道から少しあがった玄関を入ると、左手には、誰も使っておらず本や書道の道具が雑然と並ぶ小部屋があり、その先に廊下を歩いていくと、左側に台所と食堂をいっしょにした部屋がある。 曾祖母は、いつも、その部屋のソファにどっしりと座って、幼かったぼくらを迎えて、何かを食べさせてくれた。 家の反対側(つまり、入ってきた方からみると右手)には、廊下が続き、人が暮らすスペースがある。さらに、怖いくらい急な階段を昇ると、お客などが泊まる和室がいくつかあり、不思議な日本人形が飾ってある。 ぼくにとっては、幼い頃に出入りした、ほぼ唯一の日本風の古い家だった。
実は、この構造には明確な意味がある。 玄関を入ってすぐの部屋を待合室、奥の台所兼食堂を診察室にすれば、すぐにでも、医院を開業することができるようになっていた。 曾祖母のビジョンの一つは、息子たちを医学部にやり、開業医にすることだったのだ。
曾祖母には二人の息子がいた。 ぼくの祖父の一二と大叔父の京二である。 そして、二人の息子たちは、彼女のビジョン通り、医学部に進んだ。 ただ、高田馬場に田崎医院が開業することは決してなかった。 一二も京二も、けっきょく、大学をでたあと研究の道に進んだのだ。 つねに明確なビジョンと行動力をもって進んできた曾祖母にとって、これは、人生でも珍しい計算ミスだったのかもしれない。
学科主任も、「卒業式から入学式までのあいだのわずかな期間は暇になる」と前主任の川畑さんに聞いたのだが、さすが川畑さん、これは本当だった。
もちろん、会議とか、書類の確認とか、ちょろちょろと仕事はあるのだが、講義もないし、まとまった雑務もないし、かなり楽。 ちょっとさぼって、夜からライヴに行ったりもできたりするのである。
というわけで、懸案の「統計力学」の教科書の手直しに着手。 ずっと書きたいと思っていた新しい節を二つ書き、本文中で気に入らなかったところを書き直す。 最初はのろかったが、調子に乗ってくると、どんどんと進んでいく。
こういうのって、冷たいプールに入るのと同じで、やり始める前はきわめて敷居が高く、できる気がしないものだ。 実際、一ヶ月くらい前は、分厚い草稿を見て、自分が直したいことや加筆したいことを思いだし、そんなの永遠にできないという気分になってため息をついていた。 ちょうどそんなタイミングで培風館の編集者の方が電話をされてきて、ぼくは、かなり正直に「まだまだできそうにない」と答えてしまったのだ。 随分とお待たせしていたのに、さらにその答だったので、電話の向こう側で本当にがっかりされているの空気がひしひしと伝わってきた。 ごめんなさい。
今は、正反対の気分。 プールに入ってしまえばこっちのものだ。 (そういえば、現実のプールには行ってないなあ。行きたいなあ。でも筋トレはしている。) とはいえ、すぐに仕上がるというわけじゃない。 加筆した部分は、歴史的なエピソードを含めてまだまだ手直しが必要だし(というわけで、今日はまた歴史関連の文献をあさっていた)、全体的な手直しもまだまだ。さあ、がんばろう。
ともかくがんばって、2009 年の新学期までには、絶対に出します。
出版社の方でも、こうやって「ベータ版」を公開することには異論はないと言ってくれている。 で、ぼくとしては、新しく書くたびにどんどん公開したいなあと思うのだが、かといって、最終的に出版されるのと全く同じ内容を全部 web で公開するというと、さすがに、出版社の方が渋るだろうという感触はもっている。 もともと、それほど部数が多くない、やや高価な本だから、やっぱり完璧な内容が無料で手に入るということになれば、売り上げには影響するだろう。
というわけで、ちょっと姑息な感じもするけれど、web で公開しているものは、もうバージョンアップしません。 改良された部分については、申し訳ないけど、出版版をどうぞお楽しみに、ということにさせてください。
さて、というわけで、「わずかな暇な期間」の終わりを告げる入学式。
新入生たちが大学にやってきた初日(これは、4日。ふつう教員は顔を出さない事務のガイダンスがあったのだけれど、ぼくは図々しく「乱入」して数学の講義ノートを配布してきたのだ!)は、素晴らしい天気で、桜の花も満開だったのだけれど、今日は、大雨。 入学式が雨というのも実に珍しい。 ぼくの記憶では、 T 君などが入学した年の入学式がやっぱり大雨だった。 もうずいぶん前だけど、やる気のある学生の多い学年で、印象に残っているのだ(その T 君も、今はプロの研究者になっている)。そう思うと、雨の入学式っていうのも、まあいいかなと思うのであった。
その反面、一年生たちと話すのは楽しい。元気が出ます。
いよいよ講義の日々が始まるけれど、きわめて良い具合にテンションが上がってきている(昨日、でかけたライヴもすごくよかったし、元気が出る)。
講義とゼミがスタート。
いろいろ話していると、まともな講義をする暇がない。
少しだけ微分方程式の導入をする。 みんな真面目に聞いているし、さっそく、微小量の扱いの微妙なところについて適切な質問も出る。
田崎ゼミとしては、おそらく過去最高の十二人。
なにせ去年が二人だったから、その差は、いや、その比は、すさまじい。 ぼくはゼミの適正人数は三人か四人だと思っているのだが、なかなか思うようにならないものだ。
ともかく大人数だからといって楽になりすぎないよう、色々と工夫せねば。
午後から、明治記念館で、三月末に退職した溝口さんのご退任を祝う会。 研究室 OG/OB が主催する会なので、われわれはお客さんとして列席。
磁性関係者・旧学習院関係者だけでなく、多くの卒業生の顔を見ることができて、感無量。 しかし、教え子の一人と F さんが結婚しているとは知らなかったよ。
出版関係を中心に、いろいろと不思議な人がたくさん。 各種アルコールを飲みながら、他愛もない話をいろいろと。
隣にすわってずっとお話ししていた、日独英仏をまたにかけて活躍する美人の芸術家の方は、なんと、椎名林檎ちゃんのお友達のお友達とのこと。 おおおお。林檎さまとのネットワーク的距離が一気に 3 まで近づいたぞ(ちなみに、ぼくの Erdös Number も 3 です。こっちは、これから短縮することはないけど)。
駒場での講義。
(雨だったので)バスで目白へ、山手線で渋谷へ、そして、井の頭線で駒場へ。 普段は職住接近のぼくにとって、一学期の月曜日にだけ体験する電車通勤である。 といっても、全部で 40 分程度の「通勤」なので東京の標準から言えば何でもないわけだが。
これまで、この日記とか web には、年齢が分かるようなことを書くのを何となく避けていたのだが、ま、いいかなと思うので書いてしまうけど、実は、ぼくが大学に入学したのは 1978 年。実に、いまから三十年前なのだ。 そんなのどうでもいいとは思うけど、三十年たって同じキャンパスに来ると、ちょっとは「へーっ」て感じかな。
去年は割と少なめだったので、不思議。 テーマのせいなのかとも思うけど、それ以外に、時間割の同じコマにある他の科目とか色々のことが影響するのだろうね。
立ち見もでるほどの人数が全員これからも出席されるということはないだろうから、せっかくのチャンスを利用して、思いっきりトーク偏重に。 普遍性といったアイディアを中心に、「物理とは、科学とは?」といったトークを延々と。 ロジスティック写像のカオス入門を用意してあったのだが、「カオス」の「カ」の字どころか、講義のテーマの「非線形」の「非」の字も登場しなかったのであった。
そういう意味じゃ、ちょっと不満をもたれた方もいらっしゃると思う。 来週からは、(決して、とばしすぎないように配慮しつつ)どんどんやりますので、ご容赦を。
お昼をもって佐々さんのところにお邪魔して、とりとめもなく話す。 佐々さんの熱力学の教科書に載っている問題について、佐々さんが混乱してしまったというので、ぼくが「正解」を示した。 ついでに、ぼくの熱力学の教科書に載っている問題で、ぼくが混乱してしまって、間違った出題かと思っていたものについて、佐々さんに正しい考えを示してもらう。 持ちつ持たれつというべきか、一勝一敗というべきか? 統計力学の教科書での仕事の扱いについても議論。 そして、徐々に、本格的な仕事の話へ。 課題は多い。
次は清水さんのところに移動。 二人で話を詰めることにしていた、(ボース・アインシュタイン凝縮などにおける)U(1) 対称性が自発的に破れた状態の扱いについて。 清水さんのお話をずっと聞く。 清水さんの言っていることは全て理解したつもりだし、言葉遣いを除けば、全面的に賛成。 しかし、これは清水さんが言うほど、他の人の解釈とは隔たっていないと思う。 主として用語や概念の定義レベルの混乱が、誤解を生んでいると感じた。 清水さんのような考えがすんなりと受けいられず無用な誤解を生むのは、「波動関数素朴実在論」とでも名付けるべき考え(というか、今日、そうやって勝手に名付けたんだが)が、物理学者の主流だからだ。 「観測できるものを中心に理論を考える」という思想に親しみのある物理学者はきわめて少ない。 そういう命題は、いろいろなレベルで言い換えて丁寧に提示しないと伝わらないっていうことだと思う。
ううむ。
やっぱり、新学期が始まって事務が動き出すと、こまごまとした仕事が増えてくる。 まあ、ちょっとした作文とか、みんなからのエクセルファイルを集計して事務に提出する仕事とか、その気になればすぐに終わるものが多いのだが、その気にならないと蓄積して苦痛になるし、あと、やりかけにしていると、つい、そのまま忘れてしまうこともありがち --- と書いていたら、二つほどあとちょっとのところで放置していたのを忘れていたことに気付いてしまった。
計算器時代のカオスの流行のきっかけを作ったローレンツが亡くなったのでカオスの話題を、という人も多いだろうけど、ぼくの場合、今年の駒場の「現代物理学」のテーマが「非線形物理学入門」であり、その講義の最初の話題が「カオス」なので、それでピントを合わせているのだった(訃報といえば、John Wheeler (wikipedia の記事) の訃報についても何か書きたいところ)。
ともかく、方程式が簡単だし、現象はおそろしく非自明。さらに、カオスがもっとも強いところでは、簡単な変換でテント写像に変わるのでカオス系そのものを手にとって解析することもできる。
もちろん、佐々さんのおっしゃる
ロジ(引用者注:ロジスティック写像の業界用語であろう)でもテントでもわけのわからん写像から入っても全然感動しない(4/18 の佐々さんの日記より)という趣旨も分からないではない。 身も蓋もない言い方をすれば、これらの写像は、基本的な自然現象を記述する「素性(すじょう)のよい方程式」ではないということだろう。 物理の話じゃないだろう、ということだと思う。
ぼくも「方程式の素性」ということにはかなり敏感なのだが、もう一つ、「定義と現象のギャップの非自明さの度合い」ということにも強くこだわる。 方程式が如何に忠実に実験を再現していても、「定義と現象のギャップ」がほとんどなければ、そんな方程式の解析は面白くない。 逆に、いかにも面白い現象を説明するために、既にその現象が「仕込んである」ようなモデルを使うのは単なる「やらせ」で顧みる価値もない。 (残念ながら、これら二つのカテゴリーに属する、つまらない「研究」は無数にある。)
「定義と現象のギャップの非自明さ」という点では、ロジスティック写像の分岐現象とカオスは、十二分に合格点がもらえると信じている。 方程式の構築は(自然とは言わないが)素直で単純だし、周期倍増分岐にしろ(それに伴う臨界現象にせよ)カオスにせよ、方程式が見せてくれるふるまいは、少なくとも人類程度の数理的知性にとっては、まったく予期できないほど豊かで面白い。
じゃ、そこで何の例を取り上げるのかが悩みの種だった。
最初は、(昔、T さんに卒業研究でやってもらった)Duffing 方程式のカオスを見せようかと思っていたのだが、「復元力に距離の三乗の項を足すなどというのは、初学者には全く自然に見えない」という佐々さんの意見を聞いて、少し考えが揺らいだ。 おまけに、ぼくには常微分方程式がシミュレーションできる気がしないという些末な点も、実は重要。ともかく、一、二週間のうちに講義で使う素材を用意する必要があるわけだから。
というわけで、最初は、佐々さんご推奨の「単振動する板の上を跳ねる球」をぼくもやろうと思っていたのだけれど、どうも、写像が簡単な形に書ける理想極限の取り方が分からない(というより、そんな極限はない気がしてきた)。 分からないままでは決して講義できないので、ほとんど同じだけど、ちょっと違う例を使うことにした。
それが右の図に描いてある、U 字型の管を運動するボールの力学である。
仕掛けはいたって簡単。 入試問題によくあるみたいに、U 字型の軌道に閉じこめられた粒子があり、下向きに重力が働く。 摩擦はなく、U 字の曲がるところでも粒子はなめらかに動く。
何もなければ、粒子は左右の縦のパイプの中では、普通の自由投げ上げ・自由落下運動をするわけで、要するに、この中で振動を続ける。
ここで、図の下の方にある板を電極だと思って、ここに横向きの電場をつくる。 それによって、粒子が下の平らなところを通過する間だけ電場から仕事をされるようにする(あ、つまり、粒子は電荷を帯びているとする)。
電場が一定なら、これでも、ほぼ大学入試の問題。 ただし、ここでは、電場を(交流電流で作ることにして)一定の周波数で振動させる。 そうすると、たちどころに、この問題は入試の範囲をはみ出るどころか、人類の誰にも解けない問題になってしまうのだ。
鉛直に運動するときは単なる等加速度運動であり、何かおかしな事がおきるのは、横向きの力が加わるところだけ。 そこで、自明な部分はさっと解いてしまえば、この力学の問題の要の部分は、二次元写像の問題になる(水平部分を通過する直前の粒子の速さと、その際の電場の振動の位相を変数にする)。 さらに、U 字の曲がる部分を直角に近づけ、パイプの水平部分の長さを短くし、電場を強くする極限をとると、この写像の形もアホみたいに簡単になる(でも、一般の運動を求めることはできない)。 この簡単になった二次元写像を MATHEMATICA に書いて、適当に初期値を入れて計算してもらえば、何がおきるかシミュレーションがあっという間ににできる。 (実は、これは、昔 O 君が卒業研究でやってくれた問題を、さらに簡単にした問題になっている。)
今日は久々に(リハビリ的に)プールに行ってきたのだが、プールから戻ってから、写像の形を計算し、遊び半分で Mac をいじっていると、電場をだんだん強くしていくと、きれいにカオスが現れるのがあっさりと見えた。 やっぱり、コンピューターは便利だね。
なんてことはないけど、自分でモデルから作って、カオス軌道を描かせたのは初めてのような気がする。ちょっとうれしいので、できた絵を載せておこう(横軸が水平部分に入射する直前の粒子の速さ、縦軸がそのときの力の位相。ほどほどに大きい初速からはじめて、10 万点をプロットしてある)。
たしかに、大学入試問題に毛の生えた程度の力学の問題で、これほど複雑な軌道が出てくるというのは、深い。
U 字型のパイプの運動で見えるカオスなので、U-tube chaos とでも呼ぶことにして、ささやかながら、ローレンツ(思い出してみると、彼のカオスの論文は四年生のとき読んだ。ぼくは、今のところ力学系関連の仕事はしていないけれど、けっこう、そういう方面が好きだったのだ)への追悼としよう。
なんと、高校時代の友人の F からとつぜんのメール(ま、メールは普通とつぜん来るわけだけどね)。 近く高校卒業後三十年の同窓会が東京で開かれるというので、ぼくの名前を検索してメールをくれたのだ。 (ぼくの名前で検索すると、いろいろと妙なものも出てくるのではあるけど。)
なんせ、(内緒だが)大学の物理学科の同級生でさえかなり記憶から消えているというほど記憶力がないぼくで、高校三年のときに自分が何組だったかも覚えていないくらいなのだが、幸いにも、F のことはちゃんと覚えていた。 思わず、(メールで)昔話に花が咲く。
実は、F とは卒業後、一度だけ会っている。 これも、既に二十年ほど前のことだが、アメリカから戻って学習院に着任したばかりの頃、日本に戻って給料ももらうようになったから銀行口座を開こうと思って、目白のある銀行に行った。 どういう理由だったかは分からないけど、奧の方の融資とかやるカウンターに通されたんだけど、そこで、名刺を出して話をしていると、銀行の人がとつぜん「田崎様は、ご出身は?」とか聞いてくる。 なんだこいつと不審に思いつつ適当に答えていると、「それで、ひょっとして大阪の茨木高校の・・」と言うのであわてて相手の顔を見ると、(高校時代よりも、少し丸くなった)F の顔がそこにあったのだ。
ちょっと普通ではない再会で、とても面白かった。 また、目白近辺で飲もうというような話を少ししたのだけれど、まあ、お互い二十台後半の本当に忙しい時期だったし(ま、今でも四十台後半の本当に忙しい時期か・・)、けっきょく、そのまま会わずじまいになってしまった。 何だったかのときに、同じ銀行の同じカウンターに行ったので、「ここにいた F という人はどうされましたか?」とお姉さんに聞いてみたのだが、既によそに移ったというような答えだった。
なんか、マンガみたいに、あっという間に年月がたってしまうものなのだなあ、とアホみたいに実感する。 同窓会なんかに顔を出す柄じゃないとずっと思っていたけど、今回は素直に出かけてみたいと思う。そして、(さらに丸くなったであろう)F (や他の連中)の顔でも見てこようと思う。