茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
4 月 1 日は、十年ほど前に亡くなった、ぼくの曾祖母の誕生日なので、恒例で彼女の話を書く。 年に一度の連載で、第一回は 2002 年 4 月 1 日、第二回は 2003 年 4 月 1 日、去年もやるはずだったが、4 月 1 日にはアメリカにいて「英語モード」になっていたのでお休みだった。
曾祖母は、彼女の母親がセンベイを焼くようすをずっと観察している。 そして、熱く焼けたセンベイの温度が急激に下がるとき、表面に凹凸が生じる --- ということを知る。 すると、曾祖母は、外のあの辺にぼこぼこしている山並みというものも、昔、これと同じようにしてできたのか、と母親に尋ねたそうだ。
ぼくの学生時代、高田馬場の曾祖母の家を訪れると、彼女はよく般若心経の写経をしていた。 (昔の人だから筆は使い慣れていたわけだが、八十くらいから、書道の先生について練習をしていた。 なにせ百くらいまではかなり元気だったから、八十ではじめても、十年、二十年という長いキャリアの持ち主となり、親戚が企画して、渋谷の喫茶店で個展を開いたこともあった。) どこかの信心深い親戚がもってきたのか、写経をするための紙がいっぱいあり、彼女は、かならず一日に一枚、すべてそらんじている般若心経を書き上げていた。 そして、ぼくにいうのだ。 自分は、こんなものを書いても、これっぽっちもありがたいなんて思っちゃあいない、ただ、自分の記憶力がちゃんとしているかどうか、自分の頭がまたちゃんと動いているかどうかを、確かめたくてやっているんだ、と。 ぼくは、念仏の類は本人の信仰とは無関係に唱えたり写したりすれば、それだけで御利益があるもののはずだろう、そうでもなければ、われわれなど救われようもありはしない、と笑ったものだ。
あるいは、ぼくと話ながら、しみじみと、「おまえ、悲しいもんだぞ」と話し始めることもあった。 一方で年をとってどんどん衰えていく自分というものがあり、もう一方に、その衰えいく自分を冷静に観察しているもう一人の自分がいる。これほどに、悲しいこともないもんだぞ、と。
この小林さんの掲示あたりから(時刻順表示にしてあるので)下に読み進んでいくと、ちょうどいいと思います。
あれま、ばーさんの話以来、何も書いていないや。
そうこうしているあいだに、世の中は、やたら暖かくなり、今日の昼間などほとんど半袖でかまわないほど。 というか、ポロシャツの腕をまくって、実質的に半袖だった。
というわけで、至る所で桜が咲いている。 右は、研究室の窓から適当にとった写真。発色悪いな。
とくに、はじめて教える「物理数学1」では、またしても講義ノート(=将来書かれる本の草稿)を配る予定。 数学の基礎的な言葉について、あとから振り返って読めるものが必要だと思うので、なんで物理に数学を使うのだという前置きにつづいて、論理、集合、様々な数の集合、関数とその連続性、という、ふつうは「数学者の分担」になっている部分を一気に書き上げる。 こうして、初回予定分が、40ページ強。やれやれ。
ルート2が有理数でない証明とか、1 = 0.99999.... というのが本当はどういう意味かとか、コーシー列とか、イプシロン・デルタ論法とかもでてくる。 「文化としての数学」にも触れてほしいというのが私の意図である。
話のついでなので、さっき書いた部分を引用しよう。
これが --- ひょっとすると、どこかで聞いたことがあるかも知れないが --- 有名な「イブシロン・デルタ論法」である。 かつて、大学で理系の学部に入ると、入学早々、数学の先生によるイプシロン・デルタ論法を使った淡々とした講義があり、それが多くの学生にとってカルチャーショックとなったと言われている。 この論法の「のり」に自然についていく(どちらかというと少数派の)学生とそうでない学生のあいだにギャップが生まれ、「イプシロン・デルタ」というのは訳のわからない数学の代名詞にさえなっていた。しかし、「イプシロン・デルタ論法」の本質は、「掛け合い漫才」的な動きのあるシナリオを通して、関数の極限的なふるまいを正確に言おうということにすぎない。 決して無謀に難しい考えではない。 せっかくだから、これより先を読む前に、定義2.1とその説明を読み返し、自分で左極限の厳密な定義をつくってみるのも数学という「文化」のいったんに触れる楽しい体験になると思う。
あと、第二法則がらみで、ちょっと(今、やってるとこ)。
風は強いが暖かく、いよいよ桜は満開。
大学のオフィスの窓の外は一面の桜の花でわけがわからないので、上の方の写真をとってみた。バランス悪いな。
N さんが住んでいるマンションがある高級住宅街の散歩を楽しみ、マンションにはいる。 もちろん、こういうところでは、居住スペースの方は完璧なオートロックになっているわけだが、郵便受けのところには自由にはいることができる。 表札をみて N さんの名前をみつけ、学習院の封筒に入れた文献をつっこんでおいた。
高級マンションに、ジーパンにリュックの年齢不詳の怪しい男が入ったというので守衛さんに詰問されたり、とかいった、くだらない web 日記のオチみたいな話もなく、ぼくはマンションをあとにし、あたりの公園の景色を楽しみながら、大学へとむかった。 なんか、「学校に行くとちゅうで N 君のうちによって用事をしてくる」とか、まるで小学生的な行動パターンを、逆に、おじさんになってからやってるなあ、と思うとなんとなく楽しかった。
ところで、N さんていうのは比較的多い姓なので、実は同じマンションに住む別の一般の方の N さんの郵便受けに意味不明な物理の文献をつっこんでたりして --- なんて、小学生の web 日記にもないようなベタなオチを期待した人は、まさか、いらっしゃらないでしょうね。
ぼ、ぼくだって、そんなオチはイヤなんだが、でも事実は・・・ 物理学者でない N さん、申し訳ありませんでした。
第二法則の方は、なんとか。
桜は満開を越えた、という感じ。
天気もよく、(新入生の)調子もよく、楽しい。
新入生のオリエンテーション期間をとおして、これほどに暖かく快晴で桜満開という、絵に描いたような新学期になることもめずらしい。
「こんないい天気になるなんて、皆さんの学年はラッキーだから、がんばろうね」とか、くさい台詞(せりふ)を言いたくなるのが人情。
しかし、入学式の天気が悪い学年だって一定の比率でいる。
今やプロの物理屋として活躍している T 君が入学して来た日などは、どうしようもない土砂降りの雨降りだった。
「おれたちはアンラッキーだから、がんばらないでよかったのか」という彼の声が聞こえそうで、くさい台詞は却下。
履修説明会。
昨日の教員紹介のときに一番前の席にすわっていた二人が、今日も一番前にいたので、おお偉い、授業が始まっても一番前にすわろう、と励ましておく。 入学前から日記に登場する(3/9/2005)という記録をつくった○○君とも対面。
全体を見渡すときは能率や経済性を考えるが、個別の例にあたるときは能率を度外視しても学生さんの不利益を生まない最大限の努力をする --- というのが、(ぼくの信じる)大学教育の原則。 今回は、まさに、後半の原則が適用されるべき状況なので、基本方針に迷いはない。 さいわい、先方の担当の方にも、きわめて誠意ある対応をしていただき、ほぼ解決のみとおし。
同様のトラブルで最大だったのは、数年前に、一年生の必修のドイツ語と物理の必修科目が時間割の上で重なっていた、というやつ。 この重大なバグを発見したのは、ぼくら教務委員でもなく、新入生でもなかった。 サークルの新入生勧誘の一環として、同じ学科の先輩が新入生のために履修を組んであげる(時間割をつくってあげる、ということ)という習慣があるのだけれど、そのときに、物理の上の学年の子が気づいたのだ。 というわけで、入学式よりも前に不具合が発覚し、それから外国語担当の人たちが猛烈な勢いで奔走してくれて、授業開始までには、すべてをうまく修復することができた。
ぼくは、履修ガイダンスのとき、「『履修を組むのは、まかせとけよ』とか言ってくる先輩がいるだろうが、そういうのは信用しないで自分でやれ」と常々言っていたのだが、そういう先輩がバグをいち早く発見してくれたという前例以来、ちょっとトーンが弱くなってしまっているのだなあ。
というより、駒場の一回目は明後日だ。 とりあえず、アインシュタインの初期の論文のタイトルを印刷して、それを見ながら、構想を練る。
一応、書いておくと、
「現代物理学」なんと、月曜日なのに休日ゼロで、毎週講義だ。駒場 723 教室
月曜日2時限目(10:40 から) 4月11日から7月4日まで、13回
内容については、12/7/2004 をご覧ください。
強い風が吹き、桜の花を散らしている。 今日は人並みに在宅勤務だが、大学のオフィスの前の桜も散っているだろう。
明日からの講義に備えて、リポビタン D を一箱まとめ買い。
ただし、今学期は、体力温存を考えて、月、水、金に一こまずつ教えることにした(月は駒場の非常勤)ので、それほどクスリに頼る必要もないかもしれない。 三つのうち、二つはまったくの新しい内容だし、こういう日程だと講義の準備には最適。 その反面、一週間の予定に余裕がなく、研究や論文書きや(講義と関係の内)本の執筆の能率はどうしても下がる。
以前は、講義二つと四年のゼミをすべて金曜日一日に押し込んで、月から木は(時たまの会議以外は)すべて研究に使うというシフトにしていたこともあった。 ものすごく能率的。 しかし、年齢とともに、だんだん疲れがたまるようになり、ついに金曜をこなしたあとは完全にばてて土曜は一日寝て過ごすという状況になってしまった。 こうなると、能率もへったくれもないので、最近では講義を分散させる方向にしている。
ともかく、明日の講義の準備をすませて、懸案のことに頭を使う。
雨。桜の花の季節はおわった。
「アインシュタイン効果」を思い知る。
大きな教室がはじめからぎゅうぎゅうで、授業開始時間を過ぎても、どんどん人が増えていく。 とっさに
「アインシュタインは、来ないんだよ!」と叫ぶと、
「なあんだ、じゃあ帰ろう」と皆ぞろそぞろ帰っていく --- わけなどないか・・・
「そんなおもしろくねえぞ!!」とも言ってみたのだが、あまり効き目がない。
けっきょく、詰めて座ってもらっても座席はびっしりで、立ち見の人もいっぱい、入り口もぎゅうぎゅうになってしまった。 あとで聞いたら、5分か10分くらい過ぎて来た人は、入り口の人混みにはばまれて、あきらめたらしい。
立って聞いて下さった方、聞き損なった方、申し訳ありませんでした。 これまでの経験からして、来週は大幅に人が減ると思うのだけれど、それでも満員だったら部屋を変えてもらうのかな・・
相対論の入門を話す準備はしてあったのだけれど、けっきょく、アインシュタインの第三論文から第九論文までの紹介、「物理とはなにか」みたいなこと、ミクロとマクロを論理的に結びつけることの重要性、などなどを話したら残り 10 分になり、「奇跡の三論文」の概説をして終わろうと思っていたら、けっきょく、ほとんどの時間を最初の光量子仮説の論文で費やして、例によって、時間オーバー。
それから佐々研に移動し、(仲良くお茶をするという風習がまったくない佐々研で)強引に何人かでコーヒーをのみつつ佐藤氏と議論し、そのまま、郡(こおり)さんのセミナーがあるというので、そちらに移動。 「郡さんが場の理論をやれば、公理的場の理論」とかネタを思いついたが、使う機会はなかった。
セミナーはこれ以上ないほどにわかりやすく、ためになった。 きれいな話である。
セミナーの後、この仕事の背景の一つに関連して、金子さんに
「しかし、いつの間にやらネットワークなんてものの流行が捏造されていたとは。ついこの間、はじめて知った。」と、すなおな(しかし、九分通り的を射た)感想を述べる。
教授会やら先日(9 日)勃発した教務の案件の処理などをして、少し時間があったので、先日、原稿にマイナーなコメントがついてきた「数学辞典」の「統計力学」の項目の作業をする。
いったい、この原稿の締め切りに追われていたのはいつのことやら。 ほとんど記憶もなくなっているのだが、ともかく最新のファイルに手を加えて、無事に提出。
実は、ファイルのありかを混乱しており、最新ではないやや古いバージョンに手を入れて送ってしまっていた --- などという、恐ろしげなオチを期待する方もいらっしゃるでしょうが、そんなことはありません。 というより、そうなっていたとしても、私を含めて誰も気付かないであろうなあ。
建物のなかを歩いていると、四年生になったばかりの S さんが、実験室の外の廊下に立っている。
「どうしたの、立たされてるの?」と、アホなことを聞くと、
「あ、『とらちゅう』が出てくるの、待ってるんです。」とのお答え。
とらちゅう??「虎チュー」って、誰かのあだ名?? 物理学科で虎とネズミに似てる奴って・・・ (そもそも虎とネズミに似ている存在などないか)
それとも、若者言葉で「とらちゅー」って、なんかあるんだろうか???
「あ、トランスファーチューブです」って、そう略すか。
ま、早くも研究室業界用語にそこまでなじんでいるのは立派というべきなのでしょう。
いやあ、相対論おしえるのは楽しいよね。 アインシュタイン先生、ありがとう。
本当は電磁気学との絡みでやってこそ深みがでるわけだが、今回のように(というか、ほとんどの初等的な解説がそうだけど)、光速度一定を下敷きに運動学をやっても(ちゃんとやれば)厳密さは損なわれない。 インチキをやらず、しかも楽しいところだけをいただく、という感じ。
相対論初歩をやるとき、何が肝心かというと、そもそも座標系とは何かとか、距離や時間をどうやって操作的にはかるのか、とかいった一見すると無害な部分なのだ。 このあたりをすっとばして思考実験だけ見るから、わけのわからないところに考えがとんでいってしまうのだ(と推測する)。
というわけで、そういう一般的な部分をかなりしつこくやり、それからようやく電車に光時計を積んで、外から見て、
動いている時計はゆっくり進むことを導出。
ちょうど時間もおわりに近い。
いや、待てよ。 電車の立場に立てば、動いているのは外だ。 「動いているの時計はゆっくり進む」のなら、電車からみた外の時計はゆっくり進むはず。 これは、さっきの結論とは逆ではないか! がーーん!! 相対論はやはりまちがっていたのかっ??!
と定番の「パラドックス」を出題したところで時間終了。 解決編は来週だけれど、みなさん自分で考えて下さいね、と。
通信教育大手 B 社の方たちがいらっしゃって、高校二年生向けの記事の相談。 最近は、徐々に教育について考えることに時間とエネルギーを割くようになってきている。 しかし「考える楽しさを伝える」ってのは難題だなあ・・
インタビューが終わったあと、(他の人たちを置き去りにして)ライターの方と Mac 談義。 最新(というか、まだ出ていない)OS の Tiger について色々と教わり、さらには、大昔の Mac の話を延々と。
いやあ、ぶろぐでっせ、ぶろぐ(←関西弁で読んでね)。 web の黎明期から手書きスクリプトで掲示板を運営していたという菊地さんが、メールボックスに未読メールが数千通たまっているともいわれる菊地さんが、学会で疲れて休憩室に行くと必ずそこにいるという菊地さんが、ナウいヤング並にブログをはじめるとは・・・
ま、形式はともかく、波動話がとびかうあやしい掲示板に出向いていってコメントしたり、と相変わらずの活躍ぶりをみることができます。
いやあ、確率論おしえるのは楽しいよね。 ラプラス先生(←やや、一人にしぼりずらい)、ありがとう。
つい興に乗って、アドリブで問題を出題。
執筆中の講義ノート「数学:物理を学び楽しむために」を公開。
昨年の講義中に指摘してもらった(多くが恥ずかしい)ミスはすべて修正。
どうも講義の準備などに追われ気味である(自分で講義しないところまで「講義ノート」を書いているのだから、当たり前か)。
これではいかんぞというわけで、少し置いてあった第二法則がらみの仕事の詰め。 トリッキーなところがあるかと思ったが、今のところ大丈夫のようだ。 基本的なアイディアは何年か前に跳ね返りをやったときに出ていたのだが、自発的に動くマクロな力学とミクロな熱力学的自由度がもろにカップルしても第二法則が出せる(自由エネルギー変化から仕事を取り出してもいい)というのが今回のミソ。 数学的にはきわめてちょろいのだが、最終結果そのものは悪くない。
しかし、第二法則のミクロな導出も、だんだん、「○○の一つ覚え」というか、「お家芸」というか、そういう感じになってきてしまった。 これらは、共にけなし言葉である --- ぼくにとっては。
大通りから少し奥にはいった高台の閑静な住宅街を歩いていると、垣根のところの裏木戸が大きく開いていて、「牡丹が咲いています。よろしければ中に入ってご覧ください。」と書いた紙が貼ってある。 普通のおうちの日本風庭園なのだけれど、とてもきれいに手入れがされている。 小さな池のまわりに飛石の小道があり、そのまわりに、みごとな牡丹がたくさん咲いている。 池の端にはクレマチスも咲いていて、林檎ファンとしては、ポイントが高い。
ぼくらが庭を立ち去ろうとしているときも、次々と散歩の人たちが入ってきていた。
今どきの東京のど真ん中で、こういうことがありうるということに、すなおに驚いた。
「現代物理学」
定員二百名ほどの教室に移っても、ほぼ満席。 とちゅう漫談をやって笑いをとったとき教室を見渡したら、立ったまま笑っている人たちがいたので、詰めて座らせてあげてとお願いする。
こうなると、マイクなしでやるのは無謀で、普通にでかい声を出すだけではダメで、つねに気合いを入れて馬鹿声をださなくてはならない。 普段の五倍ほど消耗した。 それでも、うしろの方は聞こえにくかったようなので、来週からあきらめてマイクを使います。
と、これを書くために調べてみたら、1331の定員は248名だった。 そりゃ、マイクいるなあ・・
それほどポイントを外してはいなかったようだが、さて、何かのきっかけになるのか?
理学部教職員の歓送迎会。
会費を払ったのに、完全に忘れていたので、汚いジーパンで行く。 家で着ているぼろいセーターじゃなくてよかった。
新任の助手の M さんの自己紹介の、かざらないしゃべり方が、どことなくだいたひかるを思い出させて、とても好印象だった。
計算機センター運営委員会なるものに出席。
何の因果で --- と言いたいところではあるが、考えてみたら、この logW を安定して読んでいただけるのは計算機センターの web サーバーのおかげなわけで、ぼくはセンターの恩恵をもっとも受けている人の一人にちがいない。 ま、半袖のポロシャツで気楽にでられるような会議だし(←そういうのは、ぼく一人でしたが)、観念して出席すべきなのであろう。
ちなみに、私の少ない経験からしても、この手の会議では、
これほどに能率的で実質的な会議があるだろうか、というペースで進んだが、それでも必要な報告を聞いて、最低限の(なれ合いではなく実質的な)質疑をしただけで、一時間半。 計算機センターの運営の大変さの、氷山の一角の、そのまた重箱の隅あたりを垣間見(かいまみ)た思いであった。