茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
「現代物理学」(内緒の私信:あ、W さんではないか。前から出てたっけ? 気づかなくてごめん。)
予定より少しおくれて相対論のパート終了。
自分でいうのもなんだが、かなりバランスがとれて、かつ内容も堅実な、良質の相対論入門になったのではなかろうか。 今まで、学習院でも何かのおりにやってきたのだが、かなり完成に近づいてきた。
電車や光時計の思考実験を「お話」ではなく、堅実な運動学の論証の道具として使い(それが、当たり前なんだけどね)、かなりきちんとローレンツ変換につなぎ、相対論的運動量を導出し、相対論的エネルギーも導いて、力学にも一歩ふみこんだ。 後半では、運動量保存則を認めて、それをローレンツ変換すれば、自動的に相対論的エネルギー保存則がでてくるというのは、(知ってみれば当たり前なのだが)目から鱗(うろこ)。
なんで教えているおまえが目から鱗なんだよといわれそうだけど、実際、これを知ったのは一週間前の週末なのだ。 直前に大学で講義の準備をしていたら、運良く井田さんがいたので、E = mc^2 にどうせまろうかと相談したところ、やはり運動量保存則とエネルギー保存則が一体となるところに相対論の本質のひとつがあると言って Weinberg の本を見せてくれた。 それから、しばし Weinberg を早読みして悩んだわけだが、この本では四元ベクトルやテンソル記号をすいすい使っているわけで、ぼくの初等的な展開にはそう簡単にはマッチしそうにない。 やっぱり堅実な導出は無理で、エネルギーは天下りかなと思いかけたところで、よく考えてみたら、運動量保存則を(非相対論的な速度で)boost してみてやれば、相対論的エネルギー保存則がでてくるのがわかった。 ていうか、超あたりまえである。
力学を論じたところで、少しペースをあげて、電磁気学がいかに相対論と整合するかを示し、さらには、重力をも同じように取り込もうとすると深い困難が待っていること、までを見せれば、より充実したかも知れない。
物理数学の講義ノートのファイル群がいよいよ大きくなってきて(複数バージョンとか複数のフォーマットの図とか、いろいろはいっている)ついに 20 MB(メガバイト)の USB メモリーに入り切らなくなってしまった。
やれやれ。20 MB だよ。
思い起こせば××年前、学習院に着任して、 Mac Plus を買うことになり(当時は高かったし、ぼくは独立して研究室をもったとはいえ、ほんの若造だったから、自分専用に Mac を買うなんて、ドキドキだったのだ)、ハードディスクも注文したのだが、そのときに選んだのが、Mac を載せる台になるような箱形のハードディスクで、その容量が 20 MB だったのだ。
当時は Windows なんて まねっこの ものは未だなく、今でいう Windows machine は PC と呼ばれていたのだが、その PC っていうのは OS が馬鹿だったんで信じがたいほど小さい RAM を使ってたし、記録媒体はすべてふにょふにょのフロッピーだった。
Mac は、もちろん、すべて一歩先に行っていたので、RAM も大きいし、フロッピーは堅いやつだったし、なにより、すでにハードディスクが標準になっていた(おお、もちろん、それだけじゃなくて、今なら当たり前の白地に黒い文字だったし、マウスで直感的に操作できたし、音楽もなったし、しゃべったし、周辺機器はただ買ってきて差し込めばよかったし・・)。
そんな時代だから、 20 MB も記録できるハードディスクを買うというと、まわりの PC ユーザーたちは、はじめて文明に接した古代人のごどく、ただただ驚嘆し、Mac の優秀さを敬い拝むばかりであったと記憶している(記憶は不正確かもしれませんが)。 いずれにせよ、ぼくも含めた全員が、 20 MB という容量を、もう想像もつかない馬鹿でかいものと感じていたのは事実だ。
しかし、さすがというしかないのだけれど、その時代、その空気の中で、
「いや、20 MB では、まだ小さい」ときっぱりと言い切った人がいた。 それは、誰あろう、当時から秋葉原の裏パソコン街(?)で知らぬ人はいないと言われ、その後、学習院の計算機システムの構築に独力で多大な貢献をした、入沢さんのその人だったのであーーる。
そして、時は流れ、ぼくはビックパソコン館の USB メモリー売り場に向かいながら、 「20 MB では小さい」 という入沢さんの言葉を思い出していたのだった。 20 MB ではあふれてしまったから、32 MB くらいのを買うべきか、しかし、それだとしばらくすると入らなくなるから 50 MB くらいかな、でも高すぎるかも知れない --- などと考えながら、安物のお菓子みたいに壁にずらりとぶら下がっている USB メモリを見ると、 256 MB ??? 512 MB ???? 1 GB ?????! 2 GB ????? (頭くらくらして、何 GB まであったか忘れた)と、信じがたい数字が並んでいる。 50 MB なんて、ない。 そのくせ、メモリーの形状は、ぼくのもっている 20 MB とそっくり同じ。 十倍や百倍の性能になっても、物理的な大きさはそのまま。 なにかが、まちがっている。 ゲームやアニメの世界じゃないんだから。
ま、それが半導体メモリーの技術の進歩というものなのだろうと、ただただ驚愕しつつもなっとくし、迷ったあげくに、一番安い 256 MB のメモリーを購入した。 これでも、当分は大丈夫だ。
そこで、「20 MB では小さい」という宣言につづいて、入沢さんが言った言葉も思い出した。
「30 MB は、あった方がいい。」十数年という歳月の長さをひしひしと感じさせてくれるエピソードです。
明日の物理数学の講義でくばる講義ノートの「微分方程式入門」の部分(未完成)26 ページを印刷。
講義は四回目だが、講義ノートは今のところ全 118 ページ。 講義でやらない部分がたくさんある(というより、よく考えると、ほとんど講義でやらない部分ばかりだ)ので、これでようやく先週の講義の分をカバーし、明日の分もなんとか。 とはいえ、微分方程式は、入門の大枠だけをやって、具体的なことは力学の講義などに委ねる(そして、後期により詳しい理論をやる)計画なので、講義は明日でおわるつもりなのだ。 ということは、明日の講義が終わった時点で、またしても、講義が講義ノートに先行することになつてしまう。
さすがに、「講義をしながら(自分の講義以外の分まで)、教科書として読めるものをリアルタイムで作って配布」計画にはちょっと無理があるかもしれない --- と常識的な考えを少しだけ抱きはじめる私であった(統計力学で確率論のまとめのノートも新規執筆して配ってるしなあ・・)。
たまってきた疲れがピークという感じだったが、ともかく一年生の講義はできる限りのハイテンションと集中力で。 もちろん、内容については(難しすぎないよう)とことんセーブしているつもりだが、途中からついていくのが苦しくなる、という意見もあった。 単に内容のむずかしさだけじゃなく、90分のあいだ集中力を維持することや、ノートを取る技術などの要素もあるのだろう。 いずれにせよ、皆、楽しそうに一生懸命聞いてくれるのはよいことである。
そのあとの四年生とのゼミも、ちょっと疲れ気味ではあるなあと思いつつ、いつもどおり、楽しく難航しながら進んでいた。 しかし、自分で思っていた以上に疲れていたことを思い知るできごとが待っていたのだ。
ぼくは、基本的に何かを話すときには、かなり頭の中で細かく言葉を選び、ある程度まで文章を構成してから、口に出す、というタイプの人間である。 とくに、ゼミみたいな場で、教師として、重く長い沈黙を破って学生さんにヒントや指示を出すときなどは、かなり慎重に言葉や表現を吟味して、頭の中で音にしてシミュレートしてから、ようやく口を開くということも少なくない。
そういうわけだから、今日、発表している学生さんの計算の流れを見ながら、自分が
「あ、そっちを微分して出てくる項もアリゲーター」と口にしているのを聞いたときは、自分でも唖然としてしまった。 どこか脳の検閲が停止し、脳内シミュレーション・ゼロのまま脊髄反射的なアリゲーターが口から出ていたのでアリババと四十人の盗賊。
さすが、ゼミの学生さんたちは気心の知れた仲間たちなので、一瞬とまどった顔をしたものの、みな「聞いてはならないものを聞いてしまったあとに精一杯それを聞かなかったことにしている人の顔」になって、気まずい時をなんとかやり過ごしてくれた。 みんな、ありがとうよ。
あれま。 どういうわけか、元気になっている。
論文の校正チェック、新しい論文の評価の最終的な詰め(ちょっと弱いのだけど、ま、仕方がない。この技術でできるのは、ここまで)、月曜の講義の準備、ついに動き出す巨大な山である Sasa-Tasaki の改訂作業、さらに、講義ノートの微分方程式の部分の作業、置いてあった大きなレフェリー仕事、などなど、朝から夜中まで、すごい能率で働いている。 やっぱ、教育関連と研究関連をバランスよく混ぜるのが健康の秘訣か?
あれま、前に書いたのが土曜日だから、一週間あいてしまった。
忙しいし、大変なときもありますが、ともかく仕事しています。
モーツァルトの「プラハ」とスメタナの「わが祖国」という演目。 創立三十周年記念の第六十回演奏会ということで、たいへん気合いが入っている。
とくにスメタナの中盤で管楽器のメンバーを入れ替えたあとの四曲目「ボヘミアの森と草原から」は素晴らしい熱演。 六曲目のクライマックスで「高い城」の主題が戻ってくるあたりなど、すなおに感動であった。 聴衆の反応もよく、終わった後は割れんばかりの大拍手。 楽団員たちも、ほんと、うれしそうであった。
ところで、ぼくはコンサートの最初のオーケストラの「音合わせ」が、かなり好きだ。 みなが次第に音を出し始め、そのうちすべての楽器がなり始めると、思い思いにスケールなんかを鳴らし出して、ステージに灯がともったような不思議な暖かく愉しい空気。 これから始まるぞっていう期待感もあるんだろうけど、これを聞いていると、すなおに幸せになる。
しかし、考えてみると、いろいろなオーケストラを聴いたけれど、この音合わせのところは、どこのオーケストラでも、とてもよく似ている気がする。 これって、
それとも
あぴゃー。またすごい雨。
昨日も降ったんだけど、なんか突然大量に降る。で、きっとすぐに止む。 日本じゃないみたいな雨。 ふだん使わない驟雨(しゅうう)っていう言葉を使いたくなる。
じつは六時から非常勤講師を囲む懇談会というのにでるのだけれど、これだと会場の百周年記念会館に行くあいだにずぶぬれになってしまいそう。 どうしよう。 学内を井田さんの車で移動するわけにもいかないしなあ。 早くやめえ。
夜9時少し前に、明日の講義で配る講義ノートの「座標とベクトル」の章(未完)の 28 ページを印刷。
これで、ようやく先週やった座標の部分に追いついた。 講義ではやらなかった三次元の回転についてのオイラーの定理や高次元空間の「おまけ」も書いた。 次は、明日やる予定の「ベクトル」の部分だが、講義ノートでは、ストイックに成分表示なしでベクトルの理論をつくっていたら、けっきょく時間切れで成分表示まで書けなかった。 しかし、講義では、最初から成分表示でイケイケでやってしまおうという気に(さっきぐらいから)なってきたので、またしても明日の時点で講義に追い抜かれるであろう。 ああ、しんど。
どうも仕事が思うように進まないなあと思ったが、思い出せるだけでも、
講義準備の追われ気味なのは、逃げも隠れもできない事実。
それでも、週末は考えたいと思っていたこと(離散状態確率過程での FRR の破れ)を考える。
が、答えがでずあきらめて、買おうと思っていたものを買うべく、池袋へ。
もっとも買いたいものは買えなかったが、行きと帰りに歩いているあいだに、FRR の破れと detailed balance の破れがつながりうることを理解する。 考えるきっかけにはなる。
平野研のみなさんに多数ご出席いただき、盛会になった。ありがとうございました。 平野さんは、タイトルを見ただけで、どういう内容かがわかったというだけあって、完璧に理解された上で「実験家としては」という前置きをしつつ本質的に重要な点を厳しく指摘していた。 いつもながら、さすが(鋭さと、それを感じさせないこと、どちらも)。 私はというと、タイトルを見ても意味不明で、話を聞いても最初はピントがあわなかったが、この機会にということで色々と周辺知識を質問しまくり、最終的には、きちんと理解した(つもり)。 Wigner関数が非負ならば、あたかも古典的確率分布があるようなもので、それを hidden variables のように考えれば Bell's inequality の破れはなさそうだ --- と思いがちだが(というか、ベル自身もそう思ったらしいが)、そうじゃないよ、という話。 ストーリー的にもおもしろい話だから、わかりやすい構成にすれば、もっと愉しいセミナーになったのになあとすなおに思った(ので、本人にもそう言っておいた)。 ところで、SU(2) という言葉がでた瞬間に、ぼくが式を見ながら「ほんとか?」と脊髄反射的につぶやき、最後の質問タイムにも「実はなっとくしていない、そもそも Z_2 対称性からして・・」と言ってましたが、あとで Ady に聞いたら、やっぱり、そこはデリケートなことがちょっとだけあると認めていた。 理論屋の脊髄反射はけっこう正しいのだ。
Ady 氏に会うのは五年ぶりだ。なつかしい。
なつかしいと言えば、江沢先生もセミナーに出席してくださっていたのは、喜ばしい。 大学を退職されているのだが、この日も、会議のあとにセミナーにやってきて、セミナーのあとも次の会議のために急いで大学を去って行かれた。