日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


6/5/2005(日)

ちょっと、ばて気味。

いま、先月のさいごの日記をちょっとだけ更新。 日記は進まないが数学の講義ノートは、着々と増殖している(←考えたら、まともなことだ)。

物理数学の講義も、駒場のアインシュタイン講義も、ネタの蓄積が尽きてきたので週末に準備をして先のみとおしをつくる必要がある(あと、物理数学の方は講義ノートも・・)。 とはいえ、新しいことを考えないと健康に悪いので、佐々さんたちのあとを追っかけて(Harada-Sasa の理解を兼ねて)考えている離散確率過程の FRR の破れについて少しだけ考えをめぐらし佐々さんにメール。 ちなみに、ぼくはこのテーマを考えはじめた瞬間から、指数ルールで行くしかないと決めてかかっていた。 よく考えると、なんの理由もないのかもしれないけど、そう思って最初から指数ルールだけ考えていたなあ。


そういえば、書評ページは、つくったまま、まったく更新していない(「はてなダイアリーのプロフィール」を見ると、「ユーザー登録から本日までに日記をつけた日数:3日」!)

実は、次回作は「ハプワース16、一九二四(ネタばれなし!)」で行こうと決めているのだが、いつ書くことやら。 というか、読む人いなさそう。


6/8/2005(水)

作業の時間を確保するため、お弁当をつくってもらって出勤。

一時限目の講義(←けっこう、ノリがよかったと思った)のあと、時々ソファーで寝て休息をとりながら、金曜に配る講義ノートをつくる。 明日は作業をしないですませるために、早めに仕上げるのである(実際、夜の8時前には印刷も終えた)。

夕方ごろ、本を借りたいとのことで、川路先生がお見えになる。 定年を過ぎて三年以上たつと思うけれど、相変わらずお元気だ。

ちょうど一服したい頃合いだったので、コーヒーをいれて、いろいろと雑談。 話題が、私の健康管理のことになると、「体は大事ですよ」とおっしゃる。 「はい、やはり元気がないと仕事(←この場合は、研究のこと)も思うようにできないですからね。」と答えると、川路先生は、

「そう。それに、仕事には、いっぱい時間をかけなくてはいけませんよ」
と、つよく噛みしめるようにおっしゃった。 健康を害してそちらの方に時間をとられるようでは、いよいよ研究もできないということだと理解した。

しかし、それ以上に「仕事には、いっぱい時間をかけなくては」という言葉が、自分でもびっくりするくらい、深く胸にしみてしまった。 二十代から七十の定年まで、学習院の研究室で、文字通り「いっぱい時間をかけて」ほぼ最高の研究をされた川路先生からでた言葉だったからより重みがあったのかもしれないが。

本当に当たり前のことなんだけれど、こんなことを人に言ってもらったことはなかった気がする。 そもそも、今までの(ちょびっとだけど)成功した仕事の体験から、そんなことは百も二百も三百も承知のはずだった。 できっこなさそうで、いくらやっても歯が立たなくて、けっきょく何一つできなかったようなことを、全力で必死で考えつづけて使った膨大な時間があったからこそ、(ちょびっととはいえ)少しはおもしろいと思うことができたのではないか。 人に研究の話を聞かれれば、真の研究というのは、自分の足で「物理の世界」をゆっくりとじっくりと歩きまわり、道なき道を切りひらき、思いもかけず秘密の湖を発見したり、登頂不可能と思われる山に必死で挑んだりするようなことなんだと、かっこつけて語っていたのではなかったか?

それを、今さら、この年になって、ちょっとは研究のことがわかってきたような顔をするようになって、今の物理はダメだとか偉そうなことばっかり言ってるおっさんになって、「仕事には、いっぱい時間をかけなくては」という一言にガーンと来ているんだから、まったくアホみたいだ。 目のくもりが取れました、とかいう偉そうな話じゃなくて、なんか、あーあ、おれってガキだったんだなあ、みたいなアホみたいな爽快感がある。

あー、でも、そうやって「俺はガキだ」って思うと、なんか気が楽になってくる。 というか、なんかうきうきして元気になってくる。 ほんと、研究にとって猛烈に基本的なことを、今さら「先生」に言ってもらって、ガーンとかなってるようなガキなんだ。 そういうガキなんだから、ガキはガキらしく、四の五の言わずにやけくそで研究すればいいだなあと、改めて、これまた当たり前のことを自覚する。

明文化して、意図的・戦略的なまでに自覚する私なのである。


6/9/2005(木)

というわけで(?)、生活のパターンを変えてみた一日。

午前中は、どうしようもない所用にて外出。

戻ってからもけっきょく出勤せず、在宅で仕事。 講義の準備ではなく、考えかけていて考えていなかったことをいろいろ考え、いくつか妄想し、かんちがいして興奮し、冷静になって整理し、大したことないながらもちょっとした知見を蓄積し・・・という仕事。

さらに、いくつか考える課題をためたところで、夕方から、なんと近所のプールへ。

そろそろ意識的に運動をしろと何人かの人に言われている。 さらに、運動を続けるコツは、スポーツクラブなどにお金を事前に払いこむことだ(さすがにもったいないので、通うようになる)というアドバイスも。 ぼくにはそういうところにお金を使える精神性はないので、その方法の縮小版ということで、近所の公立のプールの前売りの回数券を購入する(一割引だ!)。

考えてみると、プールに一人で来るなんて、家庭をもってからはじめてかも。 来るとしても家族の付き添いで来て、ほとんどの時間はプールサイドでぼけえっとしているのが、ぼくのプールだった。 一人で来ると、さっさとばてて、十五分くらいであがってしまうんじゃないかという不安が。

実際、軽く流して二百メートルも泳ぐと息があがってしまう。 帰ろうかな。 いや、いくら何でも六百円とられてこれで帰ってはもったいないし、かっこわるい。 プールサイドになんか誰もいなんだけれど、そんなことは言っていられない。 ばてたものは仕方がないのだ。 一人でプールサイドの椅子にすわって、仕事のことを考えながら、体力の回復を待つ。 半ば朦朧(もうろう)として、ハアハア言いながら、なんか小声で Yes, it HAS to be there とか独り言を言ってる。

これ以降、殊勝(しゅしょう)にも、百メートル泳いでは休憩、ということをくり返し、なんとかトータルで五百メートルを泳ぎきる(あと、浅いプールを歩くという、いかにも健康管理って感じのやつも、五十メートル分だけやってみた)。 一回目にしては、けっこう、がんばったではないか。

家に戻って、ソファーに寝ころんで、仕事のつづき。 考えていたことを整理し、ちょとしたことがわかって、かんちがいして興奮し、冷静になって・・・


6/11/2005(土)

朝から近所の病院で血液検査を受ける。

病院はたまたま家からすごく近いし、同じような検査は去年も受けているからすっかり手慣れたものだ。 実に気楽に受けられる。 いわゆる、朝飯前ってやつだ。 (検査の前は朝ごはん食べちゃいけないし(あーあ、こんなネタすでにのべ何億人もが言ったり書いたりしてるだろうなあ、ていうか、おれも前に書いたかも)


去年の血液検査で、ぼくの肝機能の低下が指摘されたとかいうどうでもいいこと(7/27/2004)を覚えている人などいらっしゃらないだろうが、ま、そういうことがあった。 で、そのときに、ぼくは(それまでほぼ毎晩のように飲んでいた)ビールをほとんどやめたと宣言したのであった。 しかし、一年たった今はまた前と同じように飲んでまーす --- というのが、web 日記の正しい展開ではあろうが、なんと面白みのないことであろう、その後もちゃくちゃくと酒量をへらし、今では、何かのイベントがないかぎりはアルコールはいっさい摂らない生活をしているのだった。

ところがですな、そういう節制をしているにもかかわらず、今年の健康診断では、たしかに肝機能は正常だが、なんと中性脂肪とかいう新手のものの濃度がやたら高いと言われてしまったのだ。 で、今日、病院で(絶食状態で)再検査を受け、けっきょくは、最初に言われたほどはひどくないので、投薬とかいうおそろしいことは必要なく、生活を改善してください、という話になったのである。

お医者さんがおっしゃるには、

「コレステロール値なども悪くないし血圧も正常で、それほど悪いことはない。敢えて、病名を言えば、

格子結晶(こうしけっしょう)
ということになります。」

へ?

職業的な聞きまちがいであることは確実だが、しかし、格子結晶としか聞こえなかった(だいたい、それを言うなら結晶格子だし)。 そんなわけないと頭ではわかっていても、カルテのあたりに、なにやら血液のなかで小さな粒がキラキラと光る意味不明なイメージ映像まで浮かんでしまう。

血漿とかいくつか字を思い浮かべようとしてもわからないので、聞かぬは一生の恥と思い、字を聞いてみると、

高脂血症
でした。

なあんだ。 しかし、アクセントの付け方わるくね?


しっかあし、毎晩のビールも絶ち、健康ライフを生きていたはずの田崎が、なにゆえに、高脂血症などといわれる体になってしまったのか?  実は、ここには、いっけん健康的と思える習慣のおそるべき落とし穴が関係していることが、その後の、医師との面談やさまざまな人(ていうか、高麗さんだけど)のアドバイスで明らかになってきた。 読者のみなさんも同じ罠に陥らないよう、ここに、私が、中性脂肪の濃度が高すぎると言われるようになってしまった原因とおぼしきものを書いておきたい。

前述のように、かつての私は、

という習慣をもっていた。 そして、これをきっぱりと断ったのである! ぱちぱちぱち。 しかし、夜になるとついつい喉が渇くし、口が寂しくなる。 そこで、健康の源ともいえる、トロピカーナのオレンジジュースなどを冷蔵庫から出してきて、 という習慣を確立したのだった。 どうだ、誰がみても健康的そうだろう!!

しかし、聞いてびっくり、実はフルーツジュース(しかも果汁百パーセント)はなかなかの高カロリー飲料で、そんなものを毎晩がぶ飲みしていたら、ひたすら中性脂肪を体にため込むことになるらしいのだ!!!

というわけで、もうフルーツジュースがぶ飲みはやめました。

今も風呂上がりですが、

おります。

さすがに、これは大丈夫だろ。ぜんぶ H_2O だしな。 (付記:水のがぶ飲みも、心臓に負担をかけるので、あまりよくないそうです。 なにごとも、適量が一番、だそうです。)


6/12/2005(日)

うまく眠れず、朝もすぐ目がさめてしまって、不調。

欲張らないことにして、午前中は、息子と二人で屋上に UHF のアンテナを設営。 75オームの同軸ケーブルの被覆の向き方を伝授しよう --- と思っていたのだが、何をやるかを教えたら、上手にカッターを使ってさっさときれいに仕上げていた。 半田付けもずっと前に教えたし、もはや、おまえに伝えることはないぞ、息子よ。


夕方になって少し元気がでてきたので、また一人でプールへ。 今日も五百メートルだが、前よりはピッチが速くなってきたかも。

ぼくは平泳ぎは一応まともに泳げるのでそれほどは消耗しない。 クロールは下手くそで無駄な動きがあるので、やたら消耗する。 運動にはクロールの方がいいのだろうが、ともかく、ちょっとクロールをやると猛然とばててしまう。

前回は五百のうち百ちょっとがクロール。今回は、五百のうち百五十をクロールで泳いだ。 (きわめて低レベルのなかで)ちょっと進歩。


家にもどって、なぜか突然マーラーを聴きながら、休憩し、明日の講義の準備。 アインシュタインの 1905 年の三つの論文を時間順とは逆にたどって来て、いよいよ明日から最後の光量子仮説の論文。

明らかに、アインシュタインの書いた、もっとも「ぶっ飛んだ」論文だ。 準備していても、あまりにも面白いので興奮してしまう。 学生の頃は何もわかっていなかったが、黒体輻射というのは、ほんとうに、素晴らしく美しく本質的な問題だと実感する。 このあたりのすごさかっこよさを、なんとか講義で伝えたいものだ。


6/16/2005(木)

火曜日は、午前中に教育実習を見に行き、午後は教室会議+教授会。

さすがに頭がぼけたのでプールへ。 400 メートル泳ぎ、200 メートル歩いた。

泳ぎ終わってプールの外に出ると疲労感とともに不思議な快感を感じる。 何十年のあいだほとんど使われなかった筋肉たちがようやく活躍できたため、なにか、私にとって不慣れな快感物質が分泌されている気がする。


本日はひたすら明日くばる講義ノートつくり。 夕方プールに行きたいという一心でひたすら作業。 ほぼ予定通りにおわっただが、印刷機の故障で思わぬ時間をとられる。

それで遅くなったが、雨のなかを歩いてプールへ。 200 メートル泳いだところで、もうダメだと思ったけれど、そのあと不思議と元気がでて、けっきょく 600 メートル泳いだ。600 のうち、クロールは 150 メートル。まだ、大変へたくそだが、進むようになってきた。


と、淡々と運動の記録をつけていると、いよいよ健康オタクの日記のようである。

今日も帰り際に井田さんに「プールに行くんだ、運動すると気持ちいい」とうれしそうに話したところ、「田崎さんからそんなセリフがでるとは・・」と言われてしまった。

私も同意見です。


去年の青森の学会で、同級生の小野木と会った。 猛烈に久しぶりだったので、「おれ最近は筋トレやってるんだぞ」「えー?! おまえが筋トレ??」といった会話がはずむだろうと思った。

が、ぼくの顔を見た小野木の第一声が

おー、田崎ひさしぶり。日々の雑感、読んでるぞ!
だったので、筋トレでびっくりさせることはできなかった。

水泳のことも、そのまんま、書いてしまっているので、もうびっくりさせられない。

実は、ここに書かずに、こっそりスポーツクラブに通ってボディービルをやっている --- とかいう秘蔵びっくりネタがあるんだと面白いが、もちろん、そんなわけはない。


プールを歩きながら、強い非平衡定常状態での「線形」応答(プローブの外場は弱い、ということ)について、ぼくが知っていることを整理する。 フォーマルにできることはあると思うが、かぎりなくアブストラクトナンセンスに近いと思える。
「(普通の)線形応答は、こじんまりとまとまったところが、うまかったのだ」
というサマリーをする。 サマリーしたからどうということはないが、そういうことを考えて、ぶつぶつ言いながら、プールの中を歩くと無性に気持ちがいい。
6/23/2005(木)

週末に研究室の合宿があるので、週末にやっていた講義の準備を前倒しでしないといけない。 かつ、いくつかためていた雑用の締め切りが来週に集中しているので、それも片づける。

それなりに能率的に仕事をし、さらに、暇をみつけてプールにも行き、なかなか上手にやっているじゃないか俺 --- と思ったが、きのうの会議をど忘れして欠席してしまった。


アインシュタインが 1905 年の光量子仮説の論文でなにをやったかが、おどろくほど認知されていないことに驚く。
6/24/2005(金)

大人げないなあとは思うんだけど --- とはいうものの、ある種のことについて「大人げない」のが悪いことだなんてこれっぽっちも思ってはいないのだが --- むかしから「公然たる排他」とでもういうべき構図は、どうもにがて、というか、きらいなのだ。 誰かがあつまって何かをやっているのが外からもよくわかっているんだけど、誰でも入れるわけじゃなくて「お仲間」になってないとダメ、というようなやつ。 そういうのって、外にいる人が何か言おうとすると、ついつい微妙な空気になってしまうしね。

ともかく、「機会の平等性」に反するようなことが嫌い。 なにごとも機会は平等で(物理的制約がないかぎり)誰でも参加できるべきだ。 その上で、いい物はいい、面白い人は面白い、優れたものは優れている、いい仕事はいい、能力のある人は能力がある等々、結果としての区別というか価値付けというか不平等が生じてくるのだ。 だから面白い。

機会の平等と、結果の不平等。 世の中、そんな単純な物じゃないというご意見がいっぱいでてくることはよくわかっているが、これが、ぼくのガキっぽい理想なのだ。


そんなわけだから、科学の世界にはいっても、なるべく「公然たる排他」からには関わらないようにしている(つもり)。

Princeton で高温超伝導が盛り上がったとき、とある大家(この分野を知っている人は、全員だれだかわかるけど)が、「参加したければ俺の許可をもらえ」という条件付きの閉じた会議をやっていた。 頼めば入れてもらえたんだろうけど、馬鹿かおまえはと思った。

日本に戻ってから、分野の一流の人たちを世界中から招待して、一カ所に集まってやる特別待遇の会議というのに誘ってもらったことがあった。 ただし、人数には厳しい制限があり、招待された人たちだけの閉じた会議だった。 だから、断った。

科学の歴史をみれば、閉じたエリート主義や秘密主義が成功につながった例がたくさんあるだろうことはわかっている。 でも、ぼくは未だに「機会の平等」の幻想にしがみついているのだ。 (いずれにせよ、ぼくの場合、そういう閉じた会とかに誘ってもらえることなんて二度とないだろうから、そうやってしがみついても、実害にはならないんだな。)


web というのは、まさに誰でもが参加できる「機会の平等性」と、面白いものは人気を集めつまらないものは読まれないという「結果の不平等」がきわめて明快に実現された世界だと思う。 そういう意味で、好きだ。 だから、その世界で、ちょびっとでも「公然たる排他」に近いものが出てくると、無性に反発してしまう。

大人げないと言うなかれ。それは、すでに先手を打って言ってある。

というわけで、大人げない私は「web 上で指名を受けた人が何かを書いて、それを次にまわす」みたいなゲームには、すなおに参加できないのであった。 そんな大したものじゃないし、どんどん数が増えているんだし、しょせん遊びだし、○○シンポジウムなんかといっしょにするなよって言われるのはよーくわかってるんですけど、ま、よーするに、大人げないのである。

というわけで、せっかくご指名をいただいた四名の方にはたいへん申し訳ないけれど、ぼくはミュージカルバトンなるものを受けたり、次の五名にまわしたりはしません(だいたい、人の決めたフォーマットでものを書くって好きじゃないし)。 どうかご理解ください。

しかし、あれだな。 四名から来て五人ずつ指名する「枠」があるとすると、二十名(いや、お一人は「先祖がえりで」で「三名指名」なので、十八名か)。 これを読んでて自分の web をもってて音楽好きの人でバトンが回ってきていない人をぜんぶあわせても十八名以下なのでは?  該当される人で、かつ、ぼくのように「大人げなく」ない人は、ぜひ勝手にバトンを受け取って書いてください。


で、話題はぜんぜん変わりますが、最近は、ストリーミング映像が配信されている(6月30日までだそうです)東京事変「透明人間」にどっぷりと浸かって生きております。 iPod でも、パソコンでも、何もないときは脳内で、ずっとかかっている。 すなおに好き。元気でます。

ライブを見た直後(2/16/2005)に、

さらに、亀田氏が新たに作曲した二つの未発表曲は、もう大変に素直においしいポップなロックで、このバンド(ないしは椎名林檎)がこれからはこういうこともやっていくんだなとファンを安心させてくれた。
と書いていますが、その素直においしい新曲の一つが「透明人間」だったわけです(もう一つは、「スーパースター」)。 林檎さまの歌う姿もかわいく美しく、左上の観客席からの映像が出るとライブ当日を思い出して泣きそうになってしまう(ビデオ撮りがあったのは名古屋ですが)。
6/30/2005(木)

あぴゃー、もう月末だ。


今学期は、ぼくの十七年間(←ながいねえ)の教員生活のなかでも、もっともあわただしい一学期だと思う。 正直いって、ひところは途中で息切れするのではと不安になったくらい。 今、学期末をむかえつつあり、基本的には、乗り切ったと思っている。

数学の講義ノートも、公開版の更新は 6 月 2 日でとまっているが、講義バージョンは着々とつくっていて、未公開の線形代数のところがすでに 50 ページちょうど。 ディターミナントについての直感を育てたいという無謀な目標を掲げて書きまくっている。

統計力学は、導入をていねいにやりすぎた感があってなかなか進まずもどかしいのだが、なんとか固体の比熱まではいくだろう。 講義中に配ったいくつかのノートは、将来の本の草稿であると明確に位置づけることにする。

もっとも不安だった「1905 年のアインシュタイン」特集の駒場の講義も、なんとかなっていると思う。


さて、唐突(とうとつ)ですが、以下の数列をみて規則性をさがしてください。
9, 12, 14, 16, 19, 22, 24, 28, 30
すみません。 冗談です。規則性さがさないでください。

こりは、プールのプリペイドカードから書き写した、今月の「ぼくがプールに通った日」の一覧でした。 今のところ、だいたい月に十回のペースで泳いでいることがわかると思います。 だからどうした、という感じですが。

一、二週間かようと急激にスタミナがついて、1キロ2キロと泳げるようになるのかもとか秘かに思っていたのですが、やっぱり、そう甘いものではないようです。 仕事がおわって夕方に行くわけだから、疲れているし、あいかわらず四百とか五百とかの日が多い。 それでも、少しずつ楽になっているし、ばてた後の回復も早くなっているかもしれない。

水泳のせいなのか、トロピカーナをひかえたせいなのか、少しだけ腰回りが細くなったようで、前にきつかったジーパンが楽にはけるようになってきました。 細かった頃に買ったものだから、古くて膝も穴があいているのですが、楽にはけるので、ついつい、はいてしまう。

この前も、妻に「パパ、ウェストが細くなったかも」と言われ、うれしくなって、腰を指さしながら

「このくびれ、マイクロダイエットのおかげです!」
と言ってしまい、家族のかぎりなく冷たい視線をあびることになってしまった。 おそるべし、山手線内のテレビ画像の洗脳効果(週に一回、駒場に行くときに乗るだけなのに)!! 英語でシャベリオーネは、まったく役に立たないしなあ。

と、日記として最低の展開になってしまったが、眠いので、もう寝よう。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

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