日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


5/6/2008(火)

ややや。またしても、日記を書かないままに日々が過ぎてしまった。

とはいえ、

日記を書いている暇があったらプールに行け
という格言もあるくらいなので、プールにも行けないくらいあわただしくなってくると自動的に日記も書かないのである。 で、今日は久々にプールに行ったから日記を書くのである。 プリペイドカードを調べてみると、前にプールに行ったのは二週間近く前の 4/20 だったのである。 で、「日々の雑感的なもの」を調べてみると、前に日記を書いたのは二週間近く前の 4/20 だったのである。 みごとに格言を守っているのである。 というより、たまたまプールの日付と日記の日付が一致したので、急に格言とか言っているだけなのである。 たまたまで思い出したけど、去年の大晦日の日記(12/31/2007)にバンドの「たま」のことを書いたけど、その後「さよなら人類」は氷山の一角の一側面に過ぎないことを知り、完璧に「たま」の(特に知久寿焼さんの)ファンなったのである。 こういう調子で書いていると勢いが出てきて段落を終わらせるのがむずかしいのである。 でも、だらだら書いていてもしょうがないので盛り上がる前に無理に終わらせるのである。
さてと、連休ということだが、家族それぞれが忙しいせいでまとまった外出もないし、幸い、学習院での講義は休講にならないので、これといった実感はない。 たしかに、駒場の講義がないと電車で出かける必要もないし、会議がないのはうれしい。

日記を書かないあいだにも、楽しいこととか、楽しくないこととか、楽しいとか楽しくないとかいうのとはちょっと範疇の違うこととか、色々とあった。 それをすべて書いているわけにもいかないけど、KNST 論文のことは書いておこうと思う。


ぼくらの最新の論文(実は、次の最新論文の草稿を今日しあげたんだけどね)
Teruhisa S. Komatsu, Naoko Nakagawa, Shin-ichi Sasa, Hal Tasaki
Steady State Thermodynamics for Heat Conduction -- Microscopic Derivation
については、既に何度か書いてきた。

まず、11/15/2007 の日記では「日記というレベルじゃねえぞ」と言われた(ていうか、自分で言っている)超長文の雑感でこの仕事の解説を書き、「これまでに成し遂げた中で、もっとも本質的な科学への貢献」とまで述べたのだった。 ところが、話はこれだけでおわらず、11/26/2007 の日記に書いてあるように、致命的な欠陥が判明。 論文の中のきわめてデリケートな論法が実は誤りだったのだ。 日記にも書いたように、怒濤の日々の中で、少し結果は弱くなったものの誤りのない導出が完成。 それから、すべての結果を凝縮して書き込んだ論文の改訂版を作り、1 月 9 日に PRL に(再)投稿している(1/11 の日記)。


その後の展開については、ほとんど書いていなかったので、ここで補足しておこう。

まず、物理以外の読者のみなさんのために書いておくと、PRL = Physical Review Letters というのは、アメリカ物理学会が出しているレター論文(4ページ以内の速報)のための専門誌。 物理の世界では、唯一、掲載するのが本当に大変な雑誌といわれている(といっても、生物系にとっての Nature. Science とはかなり雰囲気が違う。Nature とかの方が載せるの大変そうに見える。そして、物理の人は、それほど雑誌にはこだわらない(気がする))。 ぼくは、特に雑誌にこだわる気はないけれど、これはいいぞと思う仕事で、かつ、4ページに何らかの意味のあることを書けるなら、原則として PRL に載せる努力をしてきた。 やや不謹慎だが PRL に載せることを一種のゲームのように考えているところもあるし、まあ、実際問題としても PRL に載れば宣伝効果は高い(もちろん、論文の真価が定まるのは、雑誌に載ったずっと後だし、その段階になれば、どの雑誌に載ったかなどは些細な問題になると信じている)。

というわけで、今回の論文は圧倒的な自信作なので、議論の余地なく PRL を狙うのであった。


よく覚えていないが、2 月にレフェリーからのレポートが返ってきたのだろう。 二人のレフェリーがいて、二人とも「掲載しない」との判断だった。 しかも、二人とも「論文の内容は正しいだろうし一定の価値はある。しかし、これは PRL に掲載するのは専門的すぎる」との論旨だった。

実際、PRL では、掲載論文は「general interest に訴える必要がある」とされている。 この general interest の定義は実に微妙で、これを強い意味で解釈してしまうと、ほとんど全ての論文が不掲載になってしまう。 逆に、レフェリーにとっては最終兵器にもなるわけで、「一般の興味をひかない」と言い続ければ、論文に価値がないと論証せずに、不掲載を主張できるということになる(なので、ぼくがレフェリーをするときは、なるべく general interest には触れないようにしているのだ)。

さて、レフェリーが「この論文は間違っていて価値がない」とか騒いでいる場合には、「このレフェリーは分かっていないから降ろせ」と主張することができる。 もちろん、それも茨の道になるのだが、まあ闘いの戦略は決まる。 しかし、今回のように二人とも論文の価値は認めながらも特殊すぎるといって reject してきたときには、なかなか動きようがない。 おまけに、レポートの感じからすると、二人ともしっかりとした大物っぽい。

過去に PRL に投稿した経験に照らし合わせても、今回は相当に分が悪かった。 ぼくも、ほとんどあきらめかけていた。

ただ、ここで圧倒的にひっかかることがあった。

Referee A も Referee B も、論文をある程度は理解してくれているのだが、レポートをよく読むと、もっとも根本的な動機付けとか目標のところで微妙に話があわない。 ぼくらの主眼はマクロで操作的な熱力学関係式の導出なのだが、どうも、もっとミクロな分布関数の構造に関心があると思われているみたいだ(そっちの方が普通の問題意識ではある)。 つまり、もっとも根本のところで、話が通じていないのだ。

大物風にみえる二人のレフェリーがアホで、誤読したのか?

いや、そうではなかった。 落ち着いて論文を読み直してみると、悪いのはぼくらだと分かった。

論文草稿には、ぼくらがその時点で得ていた結果とその導出が、おそろしいまでに凝縮されて詰め込まれている。 おまけに、イントロの部分には「遠い夢」が書いてあって、その夢と論文での新しい結果のあいだのギャップもそれほどきちんとは説明されていない。 つまり、ぼくらはヘマをやってしまたのだ。 長年思い描いていた結果が(不完全とはいえ)具体化したことに浮かれ、こみ入った議論を可能なぎりぎりまで能率化し徹底的に凝縮して PRL の4ページに収めた技能に酔って(←これは特に田崎の責任)、読解不能の論文を書いていたのである。

確かにレフェリーレポートからは「これは読めないぞ」という声が暗に聞こえてくる。 明らかに専門家である二人に読めないんだから、他の人に読めるわけがないし、まして、面白さが伝わる可能性もありはしない。 いい歳をして(特に、ぼくは四人の中の最年長ではないか!)まったく初歩的な失策を犯してしまったというわけだ。あーあ。


まあ、悔やんでみても、書いて送ってしまったものは仕方がない。 ともかく、一度は再投稿するのはデフォルトだから、その方針を練る。

四人で相談した結果、どうせやるからには、おざなりの返答をするのではなく、レフェリーやエディターに論文の真価をしっかりと伝えることを本気で目指そうということで意見の一致をみた。 そのためには、イントロは完璧に書き直し、さらに、論文の中身の「詰め込みすぎ」も反省し、精選した内容を少し余裕をもって書こうということになった。要するに、全面改定である。

まず、佐々さんが大ざっぱなプランを作り、それからぼくがさらに大きく書き直す。 二月の初日の日記(2/28)で、小春日和の中を散歩したり庭園に立ち寄ったりしながら構想を練っているのが、このあたりだ。

既に二人の大物のレフェリーが reject の判定をしているので、素晴らしく改訂したとしても逆転で掲載可能になる確率はきわめて小さいだろうとぼくは思っていた。 そう思うと、わざわざ時間とエネルギーをかけて論文を全面改定するのは徒労のようにも感じられる。 だが、しかし、やっぱり科学者の意地として、ここでは最良の仕事をしなくてはいけないという強い意識があった。もはや、PRL に載せるとかいうこととは別の話で、「読めない」論文を書いて世に問うてしまった失敗を反省し、ベストな形でこの仕事を要約した論文をともかく書いて残しておきたいと思ったのである。


というわけで、四人で何度も何度も改訂をおこないながら、ようやく再々投稿したのが学会の前あたりかな?

そして、ついに先月末に再びレフェリーレポートが返ってきた。

さすがにびっくりしたけれど、まさかの完全逆転。 referee A は、われわれの長い返答の手紙と改訂論文を読んで、「わかった。これは重要な仕事だ。載せよう」と言ってくれた。このこだわりのない、あっけらかんとした大物ぶり。佐々さんは「彼」だろうと推測しているけれど、確かに。 referee B は、相変わらず堅い。一定の評価はしてくれるが、あくまでこれは PRL には向かないとの意見は変えていない。 ここで最後の審判をくだすために呼ばれたのが referee C だ。 referee A, B の仕事を高く評価し、B の意見も尊重しつつも、この論文は載せようと高らかに宣言。 ただし、B が言うように、決してレターだけで理解しきれる仕事ではないのだから、著者たちは次々とレターを書いたりせずにしっかりと長い論文を発表してもらいたいとの意見も表明している。 科学者としての明晰な判断と暖かい人間味を感じさせる「名レフェリーレポート」だ。 さあて、この状況で呼ばれて、これだけのレポートを書ける人といえば、「彼」しかいないんでは・・・

さらに、愉しい驚きだったのは、referee A からの情報。 非平衡定常系の拡張クラウジウス関係式は、(thermostat を使った)特殊なモデルで Ruelle がやっているから引用しなさい、というのだ。 Davis Ruelle といえば、数理物理の世界の神々の一人だ。 その彼が、ぼくらと同じ問題意識で研究していた?  実際、論文を読んでみると「拡張クラウジウス」などとは一言も書いていないのだが、確かに(ちゃんと解読すれば)ぼくらと実質的に同じことをやっている(この二つの仕事が同じことをやっていると気付くのは並大抵のことではない。そのことからも、referee A の候補はぐーんと絞られてしまう)。 thermostat の系だと、エントロピー生成がきわめて簡単に書けてしまうので、それを使って露骨に力業の評価ができるということのようだ。 先を越されたというよりは、Ruelle も同じ方向を目指していたというのは、素直にうれしいことだ(おまけに、彼の論文を理解すればするほど、(ぼくらがやったみたいに)まともな力学の系で同じことができるなん想像もつかないだろう。もちろん、ぼくらが気付いたエントロピーの表式は Ruelle は知らないし、拡張ギブスももやっていない)


というわけで、Ruelle の論文を引用し、「非平衡定常の熱力学関係式を出したのは、ぼくらが最初だと思うよ」という一文を削除して、PRL に再々々投稿したのが 4 月 26 日。 これは週末だったのだが、週明けになってエディターにファイルがまわると、もはやレフェリーには送らずそのまま accept 決定の通知。 またしても、四人でメールごしに「かんぱーい」ということになった。

掲載される見込みはないと思いながらも、あきらめず最良の仕事をする努力をしたら、けっきょく物事がうまく進んでしまった。 こういうテーマでは斜に構えた方がかっこいいような気がするけれど、今回ばかりは、すなおに「いい話」になってしまったのでありました。 そういう意味では、学ぶことが多かったなあと(いい歳になったとは言いつつ)思うのであった。

も ち ろ ん、PRL に載っただけで何がどうなるわけじゃない。 これから、この話の本当の可能性を延ばさなければ、後には残らない。 そして、ともかく、referee C の言うとおり、多くの人にこの仕事の詳細と意味と意義を知ってもらえる丁寧な長い論文を書かなくては。 がんばろう。 ちゃんと約束を守りますから、安心してくださいね。Jxxx!


5/12/2008(月)

プールには行ってないけど、おもしろい物を買ったので、日記を書くのだ。

駒場の講義のあとで妻と渋谷で待ち合わせて食事をし(←駒場に行ったのに佐々さんにも清水さんにも会わなかった。まあ色々あって体力的、精神的、時間的に余裕がなかったのだなあ)、東急ハンズで、妻が知り合いに教えてもらった Switch Pitch という三次元幾何学おもちゃを買ってきた。 これは、ぼくが今までに見たことのある「人が考えて作り出した単体のオブジェ」としては、最高におもしろい物の一つだ。

ともかくほしいという方のために、楽天のページ。渋谷東急ハンズでは、二階あたりのアウトドア商品のコーナーにある。

口で説明しても、なかなかわからないので、動画をみてもらおう。 はじめて YouTube の動画を貼り付けてみた。 なんか商売ページの宣伝みたいだけど、気にせず、動画だけみてほしいのだ。

と、このように、ボールを投げ上げると、裏と表が逆転してボールの色が変わる。 別に、種もしかけもないし、練習も必要ない。 ボールの幾何学的・力学的構造のために、(特に、軽くスピンさせて)投げ上げるだけで、自然に裏と表が入れ替わるようになっているのだ。不思議でしょ? でも、実物を手に取ると、よりおもしろい。
ともかく三次元の幾何学の問題なので、ちょっとやそっとでは構造は把握できない。 手にとって、何度も何度も観察していると、少しずつ仕組みが見えて来る気がする。でも、理解しきったかというと(つまり、自分で空で再現できるかというと)、ぼく程度の空間把握能力では全くダメだ(別に、ぼくはそういう方面には特に優れていません)。

たとえばオレンジ色の球形になっている状況をみてみよう。動画の出発点だ。 球の表面は、合計 16 枚の部分に分かれている。そのうち、 4 つが丸い板で、その各々を取り囲むように細長い「涙形」の板が 3 つずつ。 丸い板はオレンジ色のものが単独なのだが、涙形の板の方は緑色の同様な板と角度をもってくっついてペアをなしている。

この丸い板の方に注目して、Switch Pitch の幾何学を見ておこう。

4 という数字からも分かるだろうが、Switch Pitch がオレンジの球の状態にあるとき、表面に露出している 4 つの丸い板は正四面体の頂点を構成している。 そして、各々の丸い板のちょうど正反対の位置には、緑の部分が露出している三角の領域がある。 その三角の真下には、緑色の丸い板が隠れているのだ。 ちょうど反対の位置にあるという事からも分かるように、この隠れた 4 つの緑の丸い板も、正四面体の頂点を構成している(これは、正四面体の自己双対性の現れ)。 ただし、この正四面体は、もとの正四面体とはちょうど逆さになっており、しかも、小さくて球の内側に隠れている。

さて、緑が露出している三角の領域を「開いて」やると、下から緑色の丸い板がぐおおおと表面にむかって持ち上がってくる。 それと同時に、オレンジ色の丸い板は表面から中心に向かって、もぐっていく。 このとき、丸い板たちはいつでも球の中心を通る定まった直線の上だけを運動するようになっている。 さらに、互いに正反対の位置にあるオレンジと緑の丸い板の運動は連動しており、両者の距離はつねに一定に保たれている(もちろん、二枚の板が棒でつながっていたりはしない! 組み合わせの妙で、ちゃんと連動して動くのだ!)。 (追記:この部分は間違いでした。 丸い板が中心を通る直線上を連動して動くのは正しいけれど、両者の距離は一定ではなかった。 これは、佐藤大'さんに指摘されるまでわからなかった。 先入観に支配されてしまったということだなあ。) そのため、4 つのオレンジの丸い板と、4 つの緑の丸い板は、それぞれ、つねに同じ方向を向いた正四面体を構成していることになる。 ただ、変形に伴って両者の大きさが変わるのだ。

こうして、オレンジの正四面体が収縮していき、緑の正四面体が拡大していき、最後には緑色の正四面体が完全に外側に現れる。 そのときには、球は裏返っており、ほぼ全体が緑に変わっている。 緑とオレンジは完全に対称で、緑の球の構造は、上に書いたオレンジのときの構造と全く同じになっている。

面白いのは、裏表が入れ替わるちょうど中間の状態だ(動画でいうと、0:30 以降)。 視覚的・生理的にも、殻に覆われたある種の生き物がなにやら尋常でない状態に陥って見せてはならない内部をさらけ出しているのを垣間見るようなぞくっとする気分にさせてくれる。 ここでは、オレンジと緑が完全に対等な対称的な図形ができている。 丸い板に注目すると、オレンジが 4 つ、緑が 4 つだから、全部で 8 つある。 8 つの点が三次元空間に対称な形で配置されているのだ。

さてさて、 8 つの頂点をもつ、きれいな立体図形は何だろう? 頂点が 8 つの正多面体は、ぼくらがよく知っている立方体(正六面体)だけなのである。 実際、Switch Ptich の「中間状態」をみると、たしかに、8 つの丸い板は立方体の頂点をなしている。 Switch Pitch 全体の形をみても、みごとに立方体の対称性をもっていることがわかる。 これは、なかなか感動もの。 (ちなみに、丸い板を頂点ではなく、面の中心とみることもできる。すると、「中間状態」は正八面体をなしていることがわかる。これは、正六面体と正八面体の双対性の現れ。)

つまり、表の正四面体と隠れた正四面体が、正六面体を経由して移り変わるのだ。 実際、正六面体(立方体)の 8 個の頂点を「一つおき」にとってやれば、正四面体の頂点になる。 中間状態の立方体は、まさに、オレンジの正四面体と、逆向きの緑の正四面体が重なってできているのである。

立体図形の鋭い直感をもっている人には当たり前なのかも知れないけれど、ぼくなんかには、実におもしろい。 いや、言葉で言われても面白みはわからないだろうから、おもしろそうだと思う人は、是非とも、手にとって観察してほしい。


以上は、Switch Ptich の幾何の概略でしかない。 こういう構造を簡単なパーツで実現し、しかも、スムーズに表と裏が入れ替わるように作り上げるというのは、信じがたい技だ。

さらに、そうやって組み立てたものが、おもちゃとして売れるほどに安く作れ、しかも頑丈にできているというのも、すさまじい。 実際、Switch Ptich のパーツは実にシンプルで、ややこしいギアとか影に隠れている複雑な部品などはいっさい存在しない。外に見えうるものだけが、互いに絶妙に組み合わされて、この信じがたい幾何構造をつくっているのだ。 ううう。すごすぎる。


さらに、感心するのが、物理的側面。 こういう精妙きわまりない幾何構造が、ポンと投げただけで裏表が変わるように実装されているということだ。 これは、まったくもって信じがたい。

裏表が反転する原因は、大きく分けて二つあるようだ。

一つは遠心力。Swith Pitch を回転させると、遠心力によってボールが広がって「中間状態」を取る。 そして、手でキャッチするとたちまち球の状態に戻るわけだ。

しかし、いっさい回転を与えないで投げ上げても、Switch Pitch の表裏は反転するように見える。 これは、空気の流れの影響ではないかと、ぼくは考えている。隙間から入った空気が中を流れるとき、やはりパーツを広げて「中間状態」に持って行こうとする傾向があるようだ。

うううむ、考えれば考えるほど、よくできている。


というわけで、Swith Pitch のすごいと思う点をもう一度まとめておこう。 感心することが、もう一つある。

実は、ぼくらが最初に Switch Pitch を知ったのは、純正品を通してではなかった。 一回り小さな Magic ball という名前の商品を、妻が人から譲ってもらったのだった。 これの何がすごいといって、

しかも、パチモンでも、実にスムーズにちゃんと反転するのじゃ。おどろくべき技術力と経済的効率である(でも、コピー商品は良くないよね)。
さて、自分ではオチをつけたつもりなのだが特に気にせず、この製品を作っている HOBERMAN 社の Switch Pitch ページにもリンクしておこう。 Intereasctive Demo というのがあって、形状変化を目でみることができる。

会社名は、すべてをデザインしている Chuck Hoberman 氏の名前。 三次元幾何学的デザインの天才らしい。 代表作は、Hoberman sphere と呼ばれる、折りたたみ可能な球。 これは、科学博物館のショップなどでしょちゅう見かけた記憶がある。 HOBERMAN 社のトップページをみると、さらに、巨大な建築物の設計なども手がけていることがわかる。

そういう、すごい人なわけだが、以下の動画に本人が登場して、自分が作ったものを披露している。

うれしそうだけど、ちょっと照れ気味なところが、ますます好感をよびますね。
5/13/2008(火)

昨日のつづきで Switch Pitch のことを書くので、昨日の日記を読まれていない方は、まず読んでください。


さて、昨日、Switch Pitch の説明を書きながら、ちょっとひっかかっていたことが二つあった。
一つは、オレンジ色のサイドと緑色のサイドが完全に対等であるという点。

もちろん、幾何学的に完璧な対称性があるのは事実なのだが、実際の製品には大きな違いがある。 多分、昨日の動画でも確認できると思うのだけど、オレンジ色の長細い面には細い平行な線が何本も浮き出るように細工してあるのだが、緑色の面はツルツルのプラスティックなのだ。

別に、反転のために必要とも思えない細工なので、意味がよくわからなかった。


もう一つは、ぜんぜん別の話。

ぼくの日記は、ほとんどの場合テキストばっかりだし、写真を入れたとしてもそれほど重要な意味を持たないことが多い。 まして YouTube へのリンクをはったのは昨日が初めてだ。 基本的な理由は、テキスト以外のものを用意するのは面倒だということだけれど、ちょっと別の理由もないわけでもない。

つまり、ぼくの日記を読んでくださる人たちの中には、目が見えない人がいるだろう、ということだ。 電子化されたテキストなら、(詳しいことは知らないけれど)読み上げソフトとかを使えば、視覚にハンディがあっても、自由に読んだり書いたりできる。 これは、実にすばらしいことだと思う。 もちろん、そういう読者のことだけを想定して、日記の話題や表現法を無理に限定するつもりはないのだけれど、でも、やっぱりなるべく色々な方に読んでほしいなあという素朴な思いはいつでも持っているのだった。

というわけだから、そういう風にして、昨日の日記を読んでくださった方がいたら、You Tube の画像は楽しめないし、Switch Pitch そのものに興味をもってくれても、実際に現物を見て楽しむことはできないだろうなあと思っていたのだ。


と、書けば、次に何が来るかおわかりだと思う。

さっき、夕食のあとに、何気なく目をつぶったまま Switch Pitch で遊んでいて、「オレンジ色の面についた何本もの線」の意味がはっきりとわかった。 これがついているために、Switch Pitch は、目を使わなくても楽しめるのだ!

実際、目をつぶって両手で Switch Pitch を包み込むようにして持ち、その場で片手でクルリと回してやると、見事に裏表が反転する。 そして、反転するたびに、球の感触が「ツルツル」と「線あり」で見事に変化する。 手にありありと感じられる実に劇的な変化だ。 色の変化よりもむしろはっきりと Switch Pitch のマジックが感じられるといってもいいくらいだ。 丸い板が作る正四面体構造なんかだって、手で触れれば確実に把握できる。 そして、三次元図形の変化を頭で理解する能力は、もはや視覚とは無関係(目の見えない天才幾何学者はたくさんいる)。

なんと、すばらしい。 Switch Pitch は、美しい数学の定理にも似た完璧な構築物だと思っていたが、彼らは、それを視覚などに頼らなくても楽しめるおもちゃに仕上げていたのだ。 ううん。これぞ、人類の文化だ。 えらいぞ、Chuck Hoberman!!


さて、今日は午後から教室会議と教授会。

教室会議では、いくつかの議題があったのだが、けっこう能率的に話が進んだ。 会議を主催するぼくがあまり材料を用意しなかったせいもあって、早めに終わってしまった。 教授会が始まるまで少し間がある。

物理学者が顔を合わせていて、時間が余ったとなれば、もちろん、 Switch Pitch だ!  ぼくがみんなに見せようと持って行ったので、さっそく、投げて色が変わるのでひとしきり驚き、色が入れ替わる際の三次元構造を分析し、さらに、どうやってできているかの議論になる。 可動パーツはここだけで、あとは固定されていて、こことここが組み合わせの妙で連動して動く、よくできている。 そもそも、どうやって組み立てたのか、そして、どうやって分解すべきかという話。 「ここを、こうやって外してすべらせると、分解できるはずだ」と分解の手つきに。 あ、さすがに千円したんだからまだ壊さないでほしい。

長い教授会の後も、さっそく数学の人たちに Switch Pitch を見せる。もちろん、みんな感動しつつ、いじりながら、ああだこうだと議論が続く。 「はじめてルービックキューブを見たときに匹敵する感動だ」との声もあがる。 いや、ぼくとしてはルービックキューブよりも面白い(パズル苦手だし)。


5/14/2008(水)

いろいろとあわただしい事が続いていたが、今日は、とても物理学者らしい一日だったと思う。


一時限目の統計力学の講義のあとに、よその大学の三年生の N 君が質問に来た。 自由粒子系でボース・アインシュタイン凝縮が生じている状況で、一粒子基底状態以外の一粒子状態に入っている粒子の総密度を求める際に、和を積分で近似してよい根拠は何か、ということだった。 実は、これは前にも別の学生さんに質問され、「やれば絶対にできるから気になるならやってみろ」といい加減に答えたところなのだ。

これは、ほとんどの教科書に論理的な説明の書いていない、悪名高い計算法である。 もちろん、ぼくの教科書には説明がある。 ただし、そこには「体積を大きくする極限で、和の各項が限りなく小さくなる」ことだけが示してあるのだ(ぼくの知る限り、この評価が書いてある統計力学の教科書はぼくのだけ)。 明らかに、和を積分で近似できるためには、各項が小さいことが必要である。 た だ し、それだけでは十分ではない。

つまり、真面目にいえば、ここでぼくは十分条件を示すべきところを必要条件だけを書いて終わらせているという、実に知性のない記述をしているのだ。 いや、物理的には、各項が小さいという評価が重要なのだが、でも、やっぱりダメだよね。

研究室に戻って、N 君と黒板で議論。

彼が、和を積分に直すための初等的な定理を使ってもうまくいかないということを説明するのを聞きながら、前に一度、ある会議に出ているあいだバックグラウンドでこの評価をやってしまおうと思ったのを思い出した。でも、たしか、単調性がうまく利用できず面倒になってやめてしまったのだった。 そういえば、あれ以来、まじめに考えていなかった。 やる気になってやれば絶対にできる評価だという信念はあるけれど、どれくらい面倒になるかわからないし、なかなかその気になれない。 ある意味で、体が温まっているときにプールに入るのと同じような感じの、人を億劫にさせる問題なのだなあ。

しかし、教科書を出すのに必要条件と十分条件がいっしょくたというのでは、田崎晴明の名を返上せねばなるまい。 冷たいプールに入る覚悟を決めて、「いやいや、そういう定理を使ってもダメなんで、こういうのは、もとの和をそのまま上と下から押さえ込むことをねらうんだよ」と言いつつチョークを取り、N 君に色々と指摘されながら、評価を進めた。 やはり、発散しそうな積分がでたりして、そう一筋縄ではいかない。 でも、最終的には余分な項は体積が大きい極限で消えて、和を正しく積分で評価できる事が分かった。めでたしめでたし。

けっきょく、いつもの通り、思いこんでプールに入ってみれば水はそれほど冷たくないものなのだ。 この機会に思い切ってやってよかった。N 君、ありがとう。


食後、黒板でやった汚らしい評価を「人前に出せる」きれいな形にまとめ直すことを色々と考えていたら、小松さんがいらっしゃった。

コーヒーをのみつつ、次に書く論文と、次の次に書く論文と、今後の研究の話などを。 水中にビーズを浮かべた系で、ぼくらの第二法則の実験ができれば、それは楽しい。 ただ、今のところ驚くべき予言がないというのは、ちょっと残念なところだ。

小松さんといっしょに学生実験の部屋に行き、西坂さんと講義の打ち合わせ。 ついでに、実験をしている一年生の学生さんにちょっかいを出す。


いくつか主任の雑用をして、それから再びボース・アインシュタイン凝縮の評価の整理。 なるほど。 状態数の上下限を使って上手に積分を上下から押さえてやればいいんだ。 こうやると、単調性が使えて実に能率的に評価できるぞ。 TeX で清書してみても、それほどの分量にはならないし、これは教科書の付録に含めることにしよう。

また本が(少しだけ)厚くなった。


5/15/2008(木)

夜中にふと目がさめてぼおっと考えていたら、あ、そうかと分かった。

当然、研究の話だろうと思うでしょうが、そうじゃなくて、Switch Pitch (なんのこっちゃいという方は、5/12, 5/13 を参照してね)の骨格となる構造がわかったのだ(自分で持っていて、しょっちゅう中身を覗いていたんだから、わかって当たり前だね。今さらかよ、という感じだ(←実際、高橋さんは、この前、教室会議のときに少し Switch Pitch を触っただけだったのに、ぼくが作った紙工作(下を参照)と同じもののスケッチをちゃんとノートに描いていたことを後で知った))。 ううむ。「夜中にふと目がさめてぼおっと考える」のは、ぼくにとっては(数々の大事な着想を生んだ)貴重な時間なのだ。それを、格闘中の非平衡統計熱力学ではなく、おもちゃの話に使ってしまったのは、ちょっとアレかもなあ。 共同研究者には内緒なのである。


Switch Pitch の基本構造は、正四面体(の自己双対性)を起点にするより、「立方体の変形」から出発して考えた方が分かりやすいと思う。

たとえば、平面図形のアナロジーで、正方形を考える。 正方形の四辺の長さは変えず、頂点での角度を変えられるようにする。 これで、正方形を「つぶして」菱形にすることができるようになる。 ここで、一つの頂点での二辺の角度を決めれば、他の頂点での角度も自動的に決まり、図形が一通りに定まることに注意。

三次元で、8 つの頂点を 12 本の辺で結んだ立方体(のワイヤーフレーム)をとり、再び、辺の長さを変えない変形を考えてみる。 各頂点から出て行く 3 つの辺の角度が完全に自由だとすると、あまりにも様々なやり方で立方体を変形する(つぶす)ことができる。 これでは、Switch Pitch にならない。 そこで、各頂点での辺の「突き出し具合」に制限を与える。

制限の仕方は、具体的な作り方で書いた方が分かりやすい。

まず、正三角形の板を 8 つ用意する(これらは Switch Pitch での丸い板に対応する)。 4 つをオレンジ色、4 つを緑色のように、色を分けておくとよい。 板の三辺それぞれに(扉などに使う)蝶つがいをつける。 そして、辺の役割を果たす細長い長方形の板を、それぞれの蝶つがいにくっつけるのだ。 できあがったものを平面に置くと、Y 字型になる。 ただし、Y の三つの腕を(腕の初期位置を含む鉛直面内で)曲げることができるわけだ。

これが基本となる頂点の作り方。 あとは、腕となる細長い長方形の板を 12 枚用意し、正三角形の板が頂点になるように、立方体を作ればよい。 この際、長方形の板の両端には、異なった色の正三角形がくっつくようにしておく。

こうして、オレンジと緑の頂点をもった変形可能な立方体ができた。 これが、Switch Pitch の「中間状態」に対応する。 ここで、たとえば、四つのオレンジの頂点に手をかけて内側に押すようにしてやると、この立方体は自然に変形する。 そして、オレンジの四つの頂点が作る正四面体は縮小し、緑の四つの頂点が作る正四面体は大きくなる。 少し押し込むと、オレンジの頂点から出ている三つの腕が一つの面内に収まって、きれいな Y 字型を作る。 このとき、図形全体は、緑色の頂点をもつ大きな正四面体になっており、四つの面の中点にオレンジ色の頂点が位置している。 もちろん、オレンジ色の頂点を、さらに押し込んで「くびれた」図形を作ることもできる。

この場合にも、変形の自由度は一つだけで、(十分にしっかりと工作してやれば)一つか二つの頂点を押すだけで、図形全体が「連動して」きれいに変形するはずだ(問題:この立体図形の変形の自由度が一つであること(つまり、一つの「蝶つがい」の曲げ角度を与えれば、それで図形全体の形がきまること)を証明せよ(どうやるんだろう?))。


しかし、「分かった」とは思っても、こういう複雑な拘束条件をつけた三次元図形の変形問題を頭で理解するのは、(ぼくには)きわめて困難、というか、不可能だ。

これは作ってみるしかないと思い立ち、(さすがに、板と蝶つがいで作る根性はないので)工作用方眼紙を切って、セメダインで貼り合わせて、作りましたよ。 伊達に子供の頃「紙工作のはるちゃん」と呼ばれていたわけじゃない。 やっつけ仕事の割にはちゃんとできた。

残念ながら、腕の部分が弱すぎて(もっと太く短くすればよかった(けど、これ以上つくるのは面倒))、完全に「連動」した動きをみるのは苦しいが、基本的な変形の様子はわかる。 写真をみても、あまりピンとは来ないと思うが、せっかくなので、立方体の状態(左)と、黒の頂点の大きな正四面体ができていてその面内に黄色がある状態(右)の写真を貼っておこう。

[立方体] [立方体]

(付記:紙で作ったものは弱すぎたけれど、頑丈で理想的に動作するものを作るのに「板と蝶つがい」は不要だろう。 プラスティックやアクリル板でちょうどよい形状のものを用意し、蝶つがいのかわりにビニールテープで(板と板のあいだに少し遊びを作って)とめてやれば、頑丈で自在に変形するのが作れるはず。材料さえそろえれば、工作にかかる時間は紙のよりも短いくらいではなかろうか?)


このような「変形可能な立方体」そのものは、きわめて自然な構造なので、古くから知られていたものに違いない。

しかし、Swith Pitch のデザインの天才的なところは、さらに、この 12 本の辺の上に絶妙の形をした「涙形」のパーツを固定したところだ。 この「涙形」のパーツが、通常の状態では、ほぼ完全に球面を構成し、しかも、立方体が変形する際に巧みに動いて、異なった色の側を見せるわけだ。 このすさまじい三次元パズルについては、未だに、まったく直観がわかない。

考えるほどに、これはすごいものだぞ。

今も、ぜんぜん別の用事でやってきた学生さんに、ひとしきり Switch Pitch を見せ、さらに、作ったばかりの紙工作を見せて解説してしまった。


5/17/2008(土)

"Physics from I" という分厚い一般向けの本がある。 "I" は「その一」ではなく、英語の一人称の I だ。 つまり、「私」という視座を出発点にして物理を解説するという、きわめてユニークな本なのである。 デカルトの「我思う故に我あり」を徹底させて自然科学を語った作品だと言ってもいいだろう。 この本の日本語訳が出ていて、かなり意欲的に訳されている(諺などは無理に日本の物に置き換えてあり、少しやり過ぎの感はある)のだが、出版社が大間抜けなのだろう。なんと邦訳タイトルは「日常の物理」。これではこの本の意図は全く伝わらないではないか。
という夢を、目が覚める直前まで、みていた。

あまりに設定がしっかりした夢だったので、目覚めて夢だと分かってからも、実在する "Physics from I" についての夢を見ていたのだろうと思っていた。

「私」から出発して内省で進んでいくのは哲学であって自然科学ではない、というのがスタンダードな考えである。 しかし、「私」を内省することでも、現実の世界についての情報が得られる可能性はある。 これは、イリノイの大野さんに指摘されるまで、ぼくは想像もしなかったことだ。

われわれの生物の肉体は、この世界での自然法則を利用して生存に有利になるように進化してきた。 よって、われわれの体の仕組みの随所には、自然界の法則が(種々の問題へのハードウエア的解決法として)「書き込まれている」と考えてよい。 たとえば、鳥の羽の仕組みを詳しく調べることで、空気の流体力学的な性質についての知見が得られるはずだ。 同様に、われわれの頭脳も、この世界の法則を利用して生存を有利にするために発達してきた器官である。 頭脳の構造、われわれが物事を考える仕組みには、現実の世界の法則・「論理性」が「書き込まれている」はずなのだ。 いったいどうやればそれができるのかは分からないが、(鳥の羽の働きを調べるのと同じように)われわれの知性の働きを詳しく調べれば、この世界の法則の何らかの側面が理解できるかもしれないのである。

さて、"Physics from I" はこの構想を徹底的に追求した本だったのだろうか? それなら、もう一度この本のことを夢にみて、今度はゆっくりと読んでみたいものである。


色々とやるべきことを進めようと思うのだが、なかなか終わりにならない。

このまま夜まで仕事を続ければかなりの事が片付くぞとも思うが、それが正解だとは思えなくなってきた。 明日以降に仕事を残す覚悟で思い切って5時前に家に帰り、プールへ。

行って正解だった。

ぼくは、プールではクロール 50 メートルと平泳ぎ 50 メートルをくり返して、1000 メートルくらいを泳いでいた。 ぼくの場合、平泳ぎは(うまくも速くもないが)やたら完成されていてほとんど疲れずに泳ぐことができる。 だから、クロールで泳いで疲れても平泳ぎで泳いでいる間に回復できるのだ。 しかし、この一ヶ月くらい、やや腰痛が再発しそうな気配があり、平泳ぎは腰によくないだろうというので、クロールだけで泳ぐようにしている。 そうなってしまうと、回復している暇がなく、どんどん疲れがたまってしまい、どうも思うように楽しく泳げなくて困っていたのだ。

今日も、しばらく歩いたあと、クロールで泳ぎ始めると、すぐにばててしまう。 100 メートルで既にばてていて、200 メートルで、もう休憩かなという感じ。 しかし、そこでちゃんと深呼吸して 300 メートル目を泳ぎ始めたあたりで、ある種のコツをつかんだ。 力を抜いてクロールでゆっくりと泳ぎ、ターンのときに適度に呼吸を整えて、消耗しすぎずに泳ぎ続けられるようになったのだ。 はじめてクロールだけで 1000 メートルを泳ぎ、さらに、泳ぎ続けていた。 完璧にのめり込み、時間さえ許せばずっと泳ぎ続けるような感じになってしまった。 ここは、夕食もあるので、理性の力で 1500 メートルで打ち切ってプールから上がる。

外に出て湿気を帯びた外の空気を吸い込むだけで快感。夕暮れの東京の街も美しい。 久々のトリップ状態だ。

時間の体力は使ったが、もっと根本的なものが活性化した実感がある。 さて、働くぞ。


5/19/2008(月)

駒場へ。

講義する。話す。だべりながら食事をする。議論する。愚痴を言う。

目白に戻る。

雑用をする。コーヒーをのみながら雑談する。


5/20/2008(火)

台風が日本の側を通過したため、朝は大荒れ。 いたるところで電車が止まり混乱が生じたそうだ。

こういうとき、職住接近はうれしい。 朝の会議に出るため10時過ぎに家を出たのだが、既に雨はやんでいて、自転車で通勤できてしまった。


出勤は気楽だったけれど、面倒な一日。 (一つの会議を断ったのだが)三つの会議があり、さらに突発的な招集がかかって夜も拘束され、大学を出たのは10時過ぎ。

それでも、合間をぬって、小松さん、中川さん、佐々さんと書いた論文の最後の仕上げをし、arXiv に送り、雑誌に投稿した(よく働いている・研究はしていないけど)。

Representation of nonequilibrium steady states in large mechanical systems
Teruhisa S. Komatsu, Naoko Nakagawa, Shin-ichi Sasa, Hal Tasaki
同じ四人で、もうすぐ PRL に出る「非平衡定常状態での熱力学」についての、より長い本格的な論文を準備中。 これは、その(けっこう、すごい)話ではない。 実は、小松さんにはじめて Komatsu-Nakagawa representation の話を聞いた直後に実質的にはできあがっていた別の話。 熱力学とかを必死でやっているうちに、ついついまとめるのが遅くなってしまったのだ。

熱浴も含めた全てを力学で作った状況で非平衡定常状態を実現することを考え、その設定で Komatsu-Nakagawa 表現を導いた。 また、異なった化学ポテンシャルの reservoir をくっつけて粒子の定常流ができているような状況も扱っている。 本質は Komatsu-Nakagawa の PRL (←これは重要な仕事)に尽きているので、今度書いたのはどちらかというと技術的な論文だ。

おそらく、より重要なのは、Komatsu-Nakagawa representation の最も能率的できれいな導出法が丁寧に書いてあるということ。 記号が多くて読み進めるのはちょっと大変かもしれないけれど、じっくり読めば必ず分かるように書いた。 必要なのは、ちょっとした解析力学と古典統計力学の知識だけ。 Komatsu-Nakagawa の PRL が難しくて苦労した方には一読をお勧めします。


5/27/2008(火)

あ、一週間ぶりか。


いろいろと書きたいことがあるのだけれど、まずは、最新の Switch Pitch 関連ニュースから。

私の(二回しか会ったことのない)旧友の佐藤大'さんが、 Switch Pitch のページをつくった。 全国のファンが待ち望んだ、Switch Pitch をバラバラに分解した画像をみることができるぞ!  (おまけの「イメージ映像」は、小さなお子さんのいらっしゃるご家庭でも問題なくお楽しみいただけます。)

さらに、佐藤氏からは 5/12 の日記の記述の誤りも指摘してもらったのだが、これについては、こっそりと追記を書いて訂正しておくのだ。


板倉さんの宣伝につられて、つい
Greg Egan
Incandescence
を注文してしまった(SF 小説です)。 ぼくは、イーガンは何冊か読んでいて、いくつかの短編はきわめて好きだけれど、長編小説はそれほど好きではなかった。 だからファンというわけではないと思うのだが、Incandescence は設定(著者によるページ)を読むと、なんか趣味にあいそうだし、英語を読む機会を増やすということもあって買うことにしたのだ。

で、先週のおわりの方に本が届いたのだが、物理学会誌の原稿の締切が目前にせまっているのに一行も書いてないし、統計力学の教科書の加筆や修正だってまだまだあるし、駒場の講義の準備は毎回やらなくてはならないし、まあ、他にも書きたくないような雑用がどばどばとあるし、さすがにこんな厚い物を英語で読むのは無理だよなあと思った。

思ったのだが、つい出来心で読み始めてみると、これは、これは。 ネタばれになることは書かないけど、SF を読む素直な楽しさがある。 物語としてもきわめてよくできていて、実にうまく読者を引っ張るように書けている。 それに、ある星の住民たちが、自分たちの置かれた環境をもとにして力学を一生懸命に作っていく過程が丁寧に詳しく書いてあるのだが、これが(少なくとも、ぼくら物理愛好家には)無性に面白いのだ。

うむ。こうなったら、これを読むことは単なる趣味の娯楽 SF 読書ではなく、物理教育の活動の一環であると考えることにしよう、と決めた。 だから、本来は研究や講義の準備に割くべき「勤務時間」である夜中にこれを読んでいてもさぼっていることにはならないんだぞと自分に言い聞かせて読んでいたら、あっという間に、昨日で読み終わってしまった。

感想を書くのはがまんするけど、最後までよかったです。 というか、ぼくはイーガンの長編の中では、これがダントツで一番好きです。


5/29/2008(木)

物理学会誌で「線形応答から五十周年」というような特集号を組むことになったそうで、佐々さんやぼくのところにも依頼が来て記事を書くことになっている。 佐々さんは「総論(その2)」というのを書き、ぼくは非平衡定常系に関連して、過剰熱のアイディアとか「ゆらぎの定理」とか、あと、最近ぼくらがやっている小松・中川表現とか非平衡定常熱力学とかについての解説を書くというプラン。

もちろん、こういう特集に書かせてもらうのはありがたいことだと思っているし、ぼくみたいに非平衡系の研究を始めて大して時間の経ってない者が書いていいんだろうか、という引け目も感じないではない。 ただ、この特集は、なんだか少し変な感じなのだよなあ。 計画をみると、実に素晴らしい著者が何人もいる反面、なんでこの人が書くのかなあと思ってしまう人もいる。 全体として、筋の通った企画に沿って人が選ばれているというよりは、なんか、よく分からない政治的バランスが働いて配分が決まっているという感じもあるのだ。

そんなこんなで、どうも乗り気にならないままに時間が流れて、あっという間に、締切の今月末が近づいてきてしまった。 ようやくピントを合わせて本気で構想を練り始め、「特集号の善し悪しとはまったく関係なく、単独で読めて十分に価値のある解説を書けばいいんだ」というポジティヴな気合いが入ってきたのが先週の末くらい(でも、夜中にイーガン読んでたんでさぼっていた)。 今週の月曜に駒場に行って、佐々さんと清水さんとこの記事について相談して、どういう題材で書くかをようやく決定(でも、その晩もイーガン読んで読み終わった)。 火曜日は忙しく、結局、昨日の夕方になって書くべき内容を一気に紙に書き始めた。 今日は、もう、これをやらなければ絶対にダメだと思って、雨だったこともあり家にこもってひたすら原稿を打ち込む。 幸いにも、えいやっと紙に書いた内容で、ほぼ予定のページ数になりそうな雰囲気。 夕方少しだけプールに行って、さらに、書き続ける。 明らかに本調子とはほど遠いが、いちおう「書くべきもの」が見えているので、まあまあの勢いで進む。

さあて、夜中になってきたが、コアになる内容の八割はできたという感じか。 残りを埋め、さらに細かいことをいろいろと書き足して、どうなるかな。 さすがに締切を守るのは不可能だが、なるべく早めに完成させたいものである。

と、ひねりもオチもない日記になってしまったが、ひねったりオチったりしている暇があったら原稿を書かないといかんのでお許しを。


17 日の日記に非現実の書物についての夢のことを書いたのだが、その翌朝にみた夢も是非とも日記に記録しておきたいと考えていたことを思い出した。

何の企業だか知らないが、値段が格安であることを売り物にしていて、その(劇画風の)宣伝マンガに安彦ナントカと下安請ナントカ(夢の中では名前の方もあった)という二人組の中年のおっさんが登場する。 この下安請(しもやすうけ)という苗字がいかにもせこそうで、こんなのが宣伝になるのかなあと心配になる。 実は、この安彦さんと下安請さんには現実のモデルがいる。 そして、ぼくらが泊まっている宿の食堂の大きいテーブルで話していると、その二人がやってきてたのだ! おお、あれがあの二人のモデルかと見ているわけだが、もう下安請さんの方が、どうしようもないほどに下安請という名前そのもののおっさんだったのでひたすら感心してしまう、というまあそういう夢だった。 (原稿を必死で書かなくてはいけない、この深夜に)わざわざ文章にしてみると、いよいよ、あほくさくて力が抜けますなあ(今、気になって「下安請」をグーグルで検索したけど(←暇人かよ!)一件もヒットしない。実在の苗字ではないようだ。夢の創造力のすばらしさ!)。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
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